みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ターコイズ・アルマジロ・スカルが夢見る処:ジミー・ダーハムの画集,ノエル・アクショテ「Toi-MeMe」,パスカル・コムラード,MC5のこと。

nomrakenta2009-03-20



WBCで日本が韓国に勝ったのを観たあと、家人がこの連休で比良山を縦走するというので千里中央まで車で送る。そのあと、車のFMでかかっていた斉藤和義の曲の入ったCDがないかとブックオフで探したがなく、そのうちもういいかと思って家に帰る道で、近所の家で木蓮が見事に咲いているのを見つけて、デジカメを家に取りに帰ってすぐ写した。
そのあと寝ころびながら、先週アマゾンから届いていた、Jimmie Durham という現代美術作家の、1995年出ていた作品集をパラパラみて過ごす。
Jimmie Durhamは、チェロキー出身のアメリカ人アーティストで、60〜70年代はジュネーヴでパフォーマンスをしていたが、60年代後半にはアメリカに帰国してネイティヴ・アメリカンの運動(AIM)に参加していたようだ。運動が下火になるとニューヨークに出てきて現代美術にまた戻り、80年代から、ファウンド・オブジェ(動物の剥製や頭蓋骨)や木材を組み合わせた彫刻作品や壁面を使用したコラージュ・アッサンブラージュ作品を発表していった(ようです)。
15年以上前に、横浜のアートショウを見に行ったとき、Jimmie Durhamの小さな作品をみて強烈な印象を持った記憶がある。
記憶が覚束ないですが、多分小さな猫か犬かの頭蓋骨に絵の具を塗ったものと、木材や金属をくっつくけた作品だったのだと思う。極々小さな作品だったと思うけれど、ケモノのスカルというものは、たぶんそれが、小さければ小さいほど、生命が生命していくときの外界との軋轢の暴力性をどうしようなく被爆していく/いった感じが、ある種の禍々しさを放っていて、それが木材と組み合わされて不思議な形状になって「異化」され「活か」されていた…というか、悲痛な声とユーモラスさを皮一枚で繋ぐ物語性を持っていた。そういう作品は、当時のスパークールな現代美術作品の中では完全に浮いていた。でも僕はそういうダダなテイストの虜だったので、Jimmie Durhamという作家の名前を覚えて帰った。
多分その数年後に、渋谷の洋書屋さんでこのPhaidonから出版された作品集を見つけていたと思うけれど、たぶんラップされていて中身を立ち読みすることは出来なかったのだと思う。先日、YouTubeを彷徨っているうちに、あの作家の名前はなんだったっけと必至に記憶を襞を搔い潜ってやっと思い出し、この映像を見つけた。

レイキャビクでのアートイベントでのパフォーマンスのようだが、ユーモラスなところと、最後に暴力性が噴出するところなどは、15年前に作品をみたときに感じた皮膚感に通ずる。それで急にちゃんと作品をみたくなってアマゾンでこの画集を注文してしまったのだった。

Jimmie Durham (Contemporary Artists)

Jimmie Durham (Contemporary Artists)

「画集」といっても上記してみたように、すべからく「異化」と「儀式」の類感思考に貫かれた広義のコラージュ手法が、Durhamの芸術であって、古典的な、自己同一を疑ったことのないような「画」というものを見つけることはできない。そのかわりに、ここにはカラッカラに乾いた風のような批評と、ケモノの骨のように物語性が強くない下水管パイプのように無機質なものですら、大蛇の胴体のように見せて「語らせて」しまえる、ブリコラージュとしての見立ての視線がある。と、いうような美学的に穿った見方もできつつ、一貫して一筋縄でいかない/美学に回収させて消費させてしまわせない力があるのは、やはりネイティブ・アメリカンとしての「根」が、現代美術さえ、「ヨーロッパの侵略」の埒外ではあり得ないのだ、という反骨があるからだろう。
Durhamは詩人でもあり、自分の「画集」のためにイタロ・カルヴィーノの文章をチョイスしてきている。下記はDurhamが書いた「Tarascan Guitars 1976」という詩で、チェロキーの決して癒えない怒りも言の葉を貫いているのだけれど、自然や死者に対する親和性が前景にそして根底にあってとても馴染んだむのを感じたので、勝手ながら訳してみました。

テキサスの、ホワイト・フリントという古いコマンチの土地で、
わたしはアルマジロしゃれこうべをみつけた。
どこかの新米のハンターが22ライフルでいっぴきのアルマジロを殺した、のであったのかもしれない。
わたしはあたりの岩やそのほかのものに、ことの次第を訊ねてみた。
彼らがいうには、おそらく、そんな具合だったのじゃないかと。


わたしはアルマジロの骨を、鮮やかなターコイズブルーとオレンジ色、青と赤、
黒そして緑に、タイルかアズテックの花のように、塗りわけてやる。
かつて彼の目玉があったところには、一個のビー玉と一枚の貝殻を埋め込んであげる
―すべての方角を、彼が見ることができるように。


いまや彼は、タラスコの死者の祭りにだって行くことができる。
そこでは、今も死者たちがギターを作っているのだし、
はじめてそこで、ひとりの野生の男が人類最初のオカリナを作りもしたのだ。
もちろん女が彼に恋をするように仕向けるために。


野が花で覆われたメキシコのタラスコでは、
時にはアルマジロの甲羅からギターをつくりもする。
だから、彼が死者の祭りに行けば、
彼は兄弟たちの演奏する音楽にあわせて花のように踊れるのだ。


誰もが彼に会ってよろこび、彼はこう言うだろう。
「あの、チェロキー男がおれをここまで送ってくれたのさ」と。


もし、わたしたちがじぶんの思い出を落っことしたりしなければ、
死者たちは、いつでも歌うことができるし、
わたしたちと共にいることだってできるだろう。


彼らは、じぶんたちのことを憶えておいて欲しがっているのだし、
死者たちなら、わたしたちの日々の足掻きの中から、
祝祭を作り上げることができるのだ。


いつか、わたしたちは、
テキサスを逃れてメキシコに入ろうとして、
サム・ホーストンの血に飢えたハンターどもに殺されてしまった
あのチェロキーたちを見つけるだろう。


なぜって、
わたしはすでに、一匹のアルマジロしゃれこうべを見つけたのだから。
そして、メキシコで見失ったセコイアのことを思い出しながら、
わたしは書く。記憶しておくために。

――Jimmie Durham“Tarascan Guitars 1976”from “Columbus Day”


―すべての方角を、彼が見ることができるように。

Columbus Day

Columbus Day

Jimmie Durhamが注目されてきた1993年頃は、「国際先住民年」だった。僕は大学でボリビアのウカマウ集団の作った映画『地下の民』を観て、衝撃を受けていた。それになによりも、そのころは知らなかったのだけれど(恥ずかしい)、メキシコのチアパス州では、サパティスタ武装蜂起していたのだ。

サパティスタの夢 インディアス群書(5)

サパティスタの夢 インディアス群書(5)

2003年には、ジェイムズ・クリフォードの本で、1976年に土地所有権を求めた裁判で、ネイティブ・アメリカンの一部族として本当に存在したのか証明することを求められたマシュピー族のことを読んだりして(「マシュピーにおけるアイデンティティ」J.クリフォード『文化の窮状』所収)、なぜか興奮した。
文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)

文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)

Durhamの真摯な見立ての儀式がいつしか豊穣なアイロニーと手を結ぶようなページをめくりながら、上のようなことを思い出した。死ぬのに、いい日なんかない。死ぬまでいい日がつづくようにと思うだけだ。


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Toi-Meme

Toi-Meme

フランスの異能ギタリスト、ノエル・アクショテの2008年の作。ハン・ベニンクなどのツワモノゲストを集めて出来上がったのは、ゴリゴリどころか、エスプルな風が吹き抜けるようなセッションになっている。冒頭、ミュージシャンたちが(多分)ランチを和やかに食べているジャケットのような風景(というか音景)から、音合わせのようにアコーディオンがフカフカやりだして、空中で舞っているようなアンサンブルの中、ダニエル・ジョンストンのカバー「True Love Will Find You in The End」が歌われる。いきなり自分にとってはハイライトなんであるが、終始のこの調子でアルバム全編流れていく。マーヴィン・ゲイの「Inner City Blues」のカバーもある。Winter&Winterのアルバムは昔結構買ったのだけれど、最近はまったく聴いていなかったから、このアルバムはとても良い印象。


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The No Dancing

The No Dancing

この人の名前をいままでずっと、「パスカルコラムード」と思っていた…。長いキャリアのあるアヴァンギャルド・トイ・ポップというジャンルそのものでもある、この人のことは、ずっと横眼(耳)で見て(聴いて)きた感じである。昔、MC5の「Kick Out The Jams」を可愛くコワレてカバーしておられたような記憶があるのだけれど…収録アルバムをアマゾンで探しても見つからない(勘違いなのか)。とにかく、ベスト盤に類したものも数枚あるような方ですが、ロバート・ワイアットとやったクルト・ワイルの「センプテンバー・ソング」や、The CLASHも「London Calling」でカバーしていた「Cadillac」をJack Berrocalとやったトラックや、ファウスト(!)のカバー「The Sad Skinhead」(いいメロディーなんだよな)、PJ・ハーヴェイとの「Love Too Soon」などが収録された本盤はとてもお得。
タワレコで、入荷したばかりのこのCDの一曲目「The Blank Invasion of Schizofonics Bikinis」の、プラスチック・ギターのペナペナ演奏が思いっきり錐揉みするようにドライブし始めたとき、僕は速攻で店員さんに声をかけ、まだ棚に並べていなかったCDをひったっくってレジへと進みました。

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上で話しが出たので、MC5を。
最近、K2レコードでライブ盤などを借り漁り、また再燃している。本当に爽快な演奏をするバンドだったのだ。

(冒頭1分変な解説が入ってますので、1分目くらいから見てください)
ウェイン・クレイマーのパフォーマンスの切れっぷりが爽快だし、クレイマーの面構えが最高だと思う。

ロブ・タイナーのヴォーカルも、ジェイムス・ブラウンになろうとした白人のものとしては、いい線いっていたのだと思う。絶頂期の伝説では、マイクを通さずともMC5の轟音演奏のなか、タイナーの歌を聴きとることができたのだとか。
このサイトがとても詳しい→http://www.mc5japan.jp/histdisc/histdiscframe2.html

ニューヨーク・ドールズが、「ストーンズではなくて、MC5」をこそ、モデルにしていた、というジョニー・サンダースの証言も、極めて自然なことと思える。これは、僕が勝手に想像することですが、ルー・リードは、MC5に嫉妬してはいなかっただろうか。現代音楽やフリー・ジャズをどうにかフォーク・ロックと馴染ませようとしていたヴェルヴェッツを尻目に(最期はルー・リードの「文学」が勝利した)、MC5は大音量のギターサウンドのなかでサン・ラーすら溶かしこんでしまっていたのだ。しかもとてもわかりやすい形で。
Freaky Deaky

Freaky Deaky

昔、エルモア・レナードの小説に「フリーキー・ディーキー」というのがあって、元60年代の過激な活動家の女と爆弾魔のコンビに、爆弾処理班の主人公が立ち向かう、という話だったんですが、話の筋はいまや記憶の遥か彼方だが、再開した活動家の女と爆弾魔が、リクエストをお伺いにきたレストランのお雇いバンドに「MC5のキック・アウト・ザ・ジャムズって、知ってるか?」と意地悪するシーンや、敵と対決に向かう直前主人公がイギー・ポップのライブへ行って、客席で「イギーのように、ひとの視線を集めるのってどんな気分なんだろう」と感想するシーンなんかが、ひたすら局所的に、愉しかった記憶が、あります。
忘れてしまわないように、僕は、それを書きとめる。