みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

電気ジプシースペシャル@中崎町・コモンカフェ、『死なない子供、荒川修作』@十三・第七藝術劇場

nomrakenta2011-03-21


 震災から1週間ほど音楽とかライブへの思考が停止していました。
フライヤーは刷り上って届いたのだけれど、これをどうするべきなのか、正直迷っていた、というか考えるべきではないのではないか、と思っていました。

今やっと、ライブなどの自粛ムードが少しだけ和らいできたようにも思います、というよりもやはり、来日する海外のミュージシャンはさておき日本で演奏して生活しているミュージシャンの方々にとってもこれ以上の自粛は新たな被災になってしまうと思います。



 そんなふうに気を取り直して準備を再開したところで土曜日に、コモンカフェで急遽予定が組まれたロイヤルハンチングスの瀬戸信行さんの「電気ジプシー・スペシャル」楽団のライブに行って、ようやく踏ん切りがついた気がしました。
 瀬戸さんによると、もともとこの「電気ジプシースペシャル」は、19日に来日するスイスのDJグループと、28日にフランスのバルカンミクスチャーバンドとのイベントで演奏をする予定だったのですが、両国の大使館より「放射能汚染された」日本には入国するべからずとのお達しがあったため、2日とも実行不可能になってしまった、とのこと。そして急遽組まれたのがコモンカフェでの投げ銭制ライブ。ライブは変拍子を嬉々としてこなすバルカン民謡ジャズで、僕は瀬戸さんの演奏をポコペンでのロイヤルハンチングスでしか聴いたことがなかったので、この日のバンマス振りが新鮮でなりませんでした。MCからして瀬戸さんは飄々としているけれど、クラリネットは切っ先鋭く、バンドの音はぶ厚く煮えたぎっていた。最後に演奏したローランド・カークのハッピーな曲のラストで、投げ銭袋にお金と一緒に投げ込まれた「長ネギ」を瀬戸さんがクラリネットに、登敬三さんがテナーの先に突っ込んでブロウして、場内のお客さんの中にあった何か鬱積のようなものを見事に晴らしてくれたように思います。
 「電気ジプシースペシャル」のライブは、3月28日にもあります。→http://www002.upp.so-net.ne.jp/freylekh/sche.html

 自分がはじめて作ったフライヤーをコモンカフェにそっと置いてきました。


 今日は、十三の第七藝術劇場へ行って『死なない子供、荒川修作』を観てきました。去年の五月に国立国際美術館で初期作品展も観たから、どうしても観ておこうと思った。
 「三鷹天命反転住宅」にお前が住めるのか、といわれると答えは保留するしかないのですが、荒川修作が「本気」だったこと、その意味で信頼できる実践者だったことだけはよくわかりました。荒川修作の語りはところどころ聴きとり辛いところがあったりするのだったが、それだけに芸術も哲学も科学も嘘ばっかりでできているんだと言い切る目の迷いのなさは迫力でした。あるいは「日本人は全部借り物だ。漢字をみろ。ひとつくらい借り物でないものが必要なんだ(大意)」と怒髪天をつくような勢いも。
 東北で、合わせて2万1459人もの死者と行方不明者が出ているときに「死ぬのはまちがっている」とは何事だ?という誰かの声(自分の声なのかもしれない)が空耳するような気がした。
 荒川修作のこの発言の意図を、「心頭滅却すれば」なんとやらなどの「物は考えよう」のレヴェルで解釈してしまうのは侮辱以外のものにはならないだろう。生きることを閉じた主体や固体から解放して、暮らすこと、「雰囲気」の組み換えから天命を反転させる起点を提出したコーデノロジストは、これまで地球上に現れた(そして消えもした)どんな人間よりも「死を想え」という言葉と併走して生きた(生きている?)筈なのだ。
 それにしても「天命反転住宅」の各部屋でくらす人たちの、それぞれのたくましい「住まい方」がどれも興味深かった。「天命反転住宅」で産まれた子供たちは20年後、あの住宅を、そして荒川修作をどんなふうに想うだろうか。