みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

引越しへと。

年末からいろいろな会に呼んでいただいて、
別に沖縄に永久に移住するつもりなわけではありませんが、
ひとまずは大阪の皆さんにお別れの挨拶をできたことになります。


それで、最終的に荷造りに入ります。
パソコンも段ボールへと。しばらくブログもお休みさせていただきます。

これまで断りもなく一ヶ月以上エントリーをしない事もあったのに、
なんだ、という感じもしますが、いささか感傷的なのかもしれません。

1月11日以降、那覇の部屋のインターネット環境が
セッティングできてから再開となります。


**

To Scratch Your Heart: Earlyrecordings

To Scratch Your Heart: Earlyrecordings

昨日、スタンドアサヒさんの新年会にご厚意でお呼ばれして
おいしいオセチとお酒をいただき、
そのあと、Nicheさん宅で朝まで音楽を聴かせてもらってました。

深夜二時過ぎると、やっぱりNicheさんも寝てしまって
勝手ながら御堂筋線の始発が出る5時まで
僕ひとりでいろいろターンテーブルにのせて
聴かせていただくことになってしまった。

そのとき、聴いたこのコンピ。
かなり初期のイスタンブールの音楽なんですが、
これに

AY AY AY

AY AY AY

こちらをミックスしてかけてると、
なんともありえない音楽が溢れだしてきました(どちらも、ありえないほど良い音楽なので)。
この二枚は絶対手に入れよう、と。

Nicheさん、ありがとうございました。

あけましておめでとうございます。

今年も拙ブログをなにとぞよろしくお願いいたします!

毎年、元旦に勝生寺までいって売店の干支おみくじを買ってきてそいつがかわいいので年賀画像としていましたが、昨日行ってみると、干支おみくじで馬がなかった。ほかの干支しかなくっていかにもこれまでの売れ残り。
がっくりして、滝道くだって、聖天宮でおみくじを買ったら大吉でした。まあ、いい出だしです。みなさん、いかがだったでしょうか?
そういうわけで、今年の年賀画像は家にあった埴輪さんをお借りしました。


恒例の干支ジャケ。

えーと、馬。
馬のアルバムジャケ・・・

Crazy Horse

Crazy Horse

まあ、当たり前ですか。

Vol. 3-Greatest Hits

Vol. 3-Greatest Hits


新年あけましたー、って感じですねーっ!!
問題は次。



がくーーーん・・・・。はじめてこのジャケを見た時、ほんとにあのビーチボーイズのアルバムなのかと思いました。今は中の音楽が好き。
ビーチボーイズは馬ジャケ多いのか。

いやいや、忘れちゃいけないのが、

Quick Silver Messemger Service。延々とひき延ばされるボ・ディドリーの「Who Do You Love」からして最高です。

馬と人との適度な距離感。

はえちゃったけどまあいいか。
あー聴きたくなってきたが全部段ボール箱の中だー。

角生えついでに、思い出しました。

これ、凄く良いアルバムです。

音盤じゃないですが、

完全版 最後のユニコーン

完全版 最後のユニコーン

メタ・フィクションな仕掛けも随所に顔を出す、大人向けファンタジーだと思います。


嘘の館

嘘の館

ぐはーっ!


このへんで打ち止めのようです・・・。


と、思ってたら、MikkさんのブログでBMXバンディッツを忘れていたこと、思い出させていただきました。

Star Wars

Star Wars

このジャケ、大好きだな・・・もちろんまだ持ってます。

良いお年を!

今年も31日になってしまいました。このブログ『みみのまばたき』も8年続けてきたことになります。驚きです。

実は、私、年明け1月11日から、仕事で沖縄県那覇市に長期出張という形で大阪を離れます。
どれくらいの期間になるのか、今はわかりません。

2001年に前々職を辞めて東京から大阪・箕面に帰ってきてから、早いもので13年が経ちました。13年暮らした生活から自分を引きはがそうとすると、これはやはり大変なもので、この年末は仕事納めから自室と倉庫を行ったり来たりで、今ようやくオオモノは倉庫にお入り頂けて目途がついてきたところです。
壮行会なんかもやっていただいたりして、僕は果報者です。ありがとうございました。


そんなわけのドタバタで、毎年大晦日にアップしてきました今年のベスト的なエントリーは今年はナシとさせて頂きます。今年ベストに挙げたいCD、レコード、カセット、本、そりゃたくさんありました。むしろ豊作の一年だったのではないかとさえ思いますが、列記しようにも、今やあらかた沖縄行き段ボール箱に詰めちゃって取り出せません。


沖縄にはこれまで行った事がありません。
一昨年、近くの台湾にはちらっとお邪魔しましたが、亜熱帯に長期滞在で、しかも現地の人と仕事をする…というので不安と期待の炊き込みご飯になっております。なにぶん、行ってみないとわからないことばかりなので、今ここでは何も言わぬ・書かぬが花、だろうなあと思っています。それでも年明けには、ちょっと気分の変わったエントリーを書けることと思います。

というわけで、皆さん、良いお年を!!


**

と、いうわけなのですが、
今日、片付け、荷造り中にずっとかけっぱなしにしていたCDを一枚だけ紹介させていただきます。
今日、京都のメディテーションズから届いたばかりのスダ・ノブトさんの新作[Transitoriness]。

スダさんのライブをアバンギルドで観させていただいたときも音へのこだわりが伝わってきて感銘を受けましたが、新しい作品も素晴らしい内容です。
聴いてみないと伝わらないことを前提で説明すると、イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」の良質な部分を継承しながら、もっと先まで聴かせてくれる感じです。繊細にノイズも絡めながら音の襞を重ね延ばしていく前半から、後半にはある種の壮大な美しさ、この方法でしかたどり着けない壮大さへと至っているように思います。

***

あと、年明けのライブのお知らせです。


多彩・濃厚なゲストを迎えて制作されたソロ[序・破・急]を発表したチェロの若き鬼才ギャスパー・クラウスが、年明け29日に、大阪心斎橋JANUSで友川カズキの最新アルバム「復讐バーボン」リリースライブに客演する予定ですが、その前夜、阿波座のシェ・ドゥーブルで、チューバ奏者・高岡大祐さんと演奏する予定です。
激しさと艶かしさを自在に往還するギャスパーのチェロ、そしてここ数年さらに前人未踏の吹奏へと歩を進める高岡さんのチューバ。この二人が出会ってしまったら、いったいどんな夜となるのか。
僕は当然、この日には既に沖縄でライブを観れませんが、企画のNicheさんに頼み込んで、フライヤーだけデザインさせて頂きました。フライヤーだけでも、この二人のライブに関われてとても嬉しいです。当日、大阪近辺にいらっしゃる方は、是非、足をお運びください。僕の代わりにしっかり聴いてきて下さい。
 ※↓会場のシェ・ドゥーブルの食べログはこちらです。
  http://tabelog.com/osaka/A2701/A270106/27004360/

極私的アルバム100選

 突然ですが、アーティスト/アルバムを100挙げてみました。
アルバム100選ではなくてアーティスト100選になっている。"ST"はアーティスト名と同じアルバム名ということ。
 順不同。思いつく順番で書いていったのでジャンルもごちゃごちゃになっています。おまけに、やっぱりこれはやめてこれにしようという削除跡まで残すことにしましたので、そういった逡巡も含めて生暖かく見守っていただけたら幸いです。
 なにも死期がせまっているわけではなく、年明けから仕事で、箕面をしばらく離れそうなのでCD類の整理を鬼度をあげておこなっていると、やっぱり深く刺さっているアルバムがぞろぞろ出てくる。それでためしに100にしぼれるかやってみたら、アルバム単位では無理だったというわけ。
2013年のベストではないです。音楽を聴き始めたときから今に至るまでの自分にとって大事な作品という感じ。

それぞれのメモは随時。記憶間違いや誤字も随時修正していきます。


001.Derek Bailey "To Play: the Blemish Sessions","Improvisation"
   私的100選というのにさらに輪をかけて手前味噌なことを書かせていただきますと、このアルバムが、このブログで取り上げた最初のアルバムでした。本人が言ったという「初期の電子音楽とアントン・ウェーベルンを参考にした」みたいなコメントは、ベイリーのギターを聴き始めたとき参考になりそうな気がしたが、やっぱりベイリーの演奏は聴者に残してくれた永遠の謎であると思う。あと、ながらく予約出版待ちになっていたベイリーの伝記本も年明けにはめでたく出版されるみたいで楽しみですね。ゲラ刷りがTwitterであがっていたけれど、相当気合いの入ったディスコグラフィーがつくみたいだし。

To Play: the Blemish Sessions

To Play: the Blemish Sessions



002.Eva-Maria Houben "Works For Tromba Marina"
   トロンバ・マリーナというのは、中世の全長1mを越す単一弦の擦弦楽器。弦を完全に抑えないフラジオレット奏法による倍音と、弦の下に取り付けた「うなり駒」のサワリ効果で、弦楽器にしてトランペットのような音を出す(といわれるが、僕自身はトランペットのようだとは必ずしも思わない。なぜかというと最初にこのアルバムでの多彩な音を聴いていたからです。)Eva-Maria Houbenは、いわゆるWandelweiser学派の作曲家で、このアルバムはトロンバ・マリーナだけを楽器にして作られた曲集。僕が、どれほどこのアルバムで聴けるトロンバ・マリーナの音に衝撃を受けたかというと、それは今年、どうしてもこのトロンバ・マリーナが欲しくなって、九州の古楽器製作者さんに頼んで作ってもらってしまった程なのです。まるでジミヘン聴いて楽器屋に駆け込んでギターを手にした昔の中学生みたい。

Eva Maria Houben/ ein liederbuch

Eva Maria Houben/ ein liederbuch


003.Brigitte Fontaine‎ "Comme A La Radio"
   ミュージックマガジン増刊で世界音楽図鑑みたいなムックが中高生の頃にあって、その本の各ジャンルから1枚ずつ探して聴いていくということをやっていた。シャンソンの中で聴きたくなったのはこのアルバムだけだった。ブリジット・フォンテーヌが平均的なシャンソン歌手かというとそれは否だろう。当時小説を読んでいたボリス・ヴィアンの歌も聴いてみたが、あれはフランス語がわからないときつい。興味のフォーカスが次第にファンテーヌの歌唱から、バックのアート・アンサンブル・オブ・シカゴへ移行していったのが思い出深くはあるものの、アレスキの存在感も今は気になる。時代が、パリが作り上げた、音楽の魔法のひとつ。「翻訳家よ。翻訳せよ。」(歌詞より)

Comme a La Radio

Comme a La Radio




004.Velvet Underground 全てのアルバム
   もうじき45周年記念版が出る「ホワイトライト/ホワイトヒート」※は、みんな楽しみにしているだろうな。ルーは死んじゃったけど、まだまだVUの音は聴きたいと思う自分がいる。シンプルにそれが凄いこと。     ※後日、「White Light / White Heat 45周年エディション(3CD)」を入手。リマスターされた音の良さ、とくに今まで気づかなかった『The Gift』の演奏のタイトさに驚く。豪華かつ丁寧なブックレットの美しい写真に見惚れる。

Vol. 1-Bootleg Series-Quine Tapes

Vol. 1-Bootleg Series-Quine Tapes



005.Jesus & Mary Chain "Barbed Wire Kisses","Darklands"
   上で書いた、VUの音をまだ聴きたいと思うというのは、今現在の音として聴きたいというものだけど、ジザメリの音を今聴きたいというのは、個人的には多少ノスタルジックな被膜越しの感情だといえる。しかし「Side Walking」やこのB面集のいくつかのトラックはその被膜をフィードバック・ノイズで突き通してくる。

Barbed Wire Kisses

Barbed Wire Kisses



006.VA "Rebel Incorpolated"
   東京ロッカーズからはじまる日本のインディーバンドの名作コンピ。この後WAXレーベルが立ち上げられて、この周辺のCD再発がはじまった。突然段ボールの「ホワイトマン」、チコヒゲの「Trap」、Mio-Fouの「Perrot le Fou」、BOYSBOYS「Monkey Monkey」、GISM…当時このコンピでしか聴けなかった音源多数。バンドブーム以前にこのコンピや地引雄一「ストリートキングダム」を読んでいたことが、高校で友達が出来なくなった原因かもしれない(なんつって)。



007.さかな(sakana "マッチを擦る","水","夏","World Language","光線"
   この時期の「さかな」の変遷とともに聴き手として成長したという自負のような何かは、僕の財産なのです。

水


008.フリクション "軋轢","Replicant Walk"
   はじめて行ったライブが「レプリカント・ウォーク」発表時のフリクション(心斎橋MUSEHALL)。後半に「BIG-S」が演奏されたとき、震えた。やたらかっこいいギターは、たしかイマイアキノブだった。レックご本人がいかにこのアルバムのプロデュースを気に入っていなかったとしても、自分にとってこの「軋轢」の音のヒンヤリ具合は代替できる存在がないのだからしかたがない(…プロデュース坂本龍一…)。

軋轢

軋轢



009.John Cage "Socrate / Cheap Imitation","Sonata & interludes","Branches","Litaniy for Whale"
   ジョン・ケージに関してはこのブログ、いろいろ書いてきました。ただ、去年、ロンドンまでいってケージ生誕100年の年を祝ったあと、自分のなかでクールダウンしたものがあった。 それで、今回はケージにひっかかった最初のアルバムという事で、サティの交響詩ソクラテス』とその『ソクラテス』があまりに好きなケージが換骨奪胎リメイクしてしまったという『チープ・イミテーション(安っぽい紛い物)』をカップリングしたWERGOの名盤を。サティのソクラテス新古典主義的で単線的な美しさを、ケージは点線(あるいは破線)にしてしまう。それでも薫るのはサティ風味なのかケージ風味なのか?そういうことを考え始めると頭がかゆくなって愉しい。   ※音沙汰なしのままになっている「Branches」についても近々になにか書きます。(…誰にいってる?)

Socrate / Cheap Imitation

Socrate / Cheap Imitation



010.Steve Reich "Electric Counterpoint","Early Works"
 やっぱり「Electric Counterpoint」の音のつぶ立ちとつらなりはデカい。でも、ジャケはこっち(笑)

Early Works

Early Works



011.Sonic Youth "Confusion is Sex","Sonic death","Bad Moon Rising","Sister","Daydream Nation","Thousand Leaves","Murray Street"
    たとえば、サード『Bad Moon Rising』の『Society is a hall』だ。ダウンタウンのミニマル音楽から出たSYの最初のロック的絶頂ではなくて高原(プラトー)だといえるこのアルバムはいくつもの曲が切れ目なく続いていくがこの曲も例外じゃない。だから聴く者もどこまでも手作りなオープン・チューニングのギター・ノイズ・カーテンの襞の入れ替わりになかなかはっきりとは気づけない。「社会は穴ぼこ(Ass Holeでもあるのか)だ。それは俺にダチに嘘をつかせる」なんて意味のわからない歌詞を吐くサーストンの実は選び抜かれたトーンが、曲をさらに重々しく単調に響かせるかもしれないが、慣れてしまうと今度はこの時期のSYが、はっきりと一級のジャンク美学者たちが自分たちの日常と感情を、アンプの歪みの中でも拡張し切っていたのだわかる。だからSYのいくつかの盤は永遠に瑞々しいままだ。

Bad Moon Rising

Bad Moon Rising



012.GangStarr "Daily Operation","Hard to Earn"
   90年代前半のヒップホップの盛り上がりを、自分は完全にすれ違ったのだけれど、ここ数年あらためてヒップホップを掘り返して聴いたら、ギャングスターが一番好きだという事がわかった。自分にとってのヒップホップのかっこよさやおもしろさは、ほぼ全てギャングスターが体現している。"Hard to Earn"の完成度も良いけど、最近は"Daily Operation"のスモーキーな空気がたまらない。

Daily Operation

Daily Operation



013.Ana-Maria Avram / Iancu Dumitrescu‎ "Untitled"
 「Gnosis」というコントラバスの特殊奏法のみでつくられた曲に銀河(とブラックホール)を聴いた。


014.Barry Guy "Frogging"
   なんというなつかしいエントリー…。→http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20060917/asinB00007BHJH




014.Oliver Nelson "Blues & The Abstract Truth"
   Hoe Down!!!

Blues & The Abstract Truth (Reis) (Rstr)

Blues & The Abstract Truth (Reis) (Rstr)



015.Han Bennink "Nerve Beats"
   ハン・ベニンクの演奏をどれか選べといわれるとかなり難しい。Incusでのベイリーとのデュオも好きだ。あと、YouTubeで見つけた、美術館で硬いチーズの固まりをドラムの替りに叩いている映像も大好きで、ベニンクのコラージュイラストのセンスも最高だと思う。本盤をやっと入手して聴けたのはほんのつい最近。諧謔とスピードが良いバランスだと思う。

Nerve Beats 1973

Nerve Beats 1973



016.Eric Dolphy "Five Spot","in Europe","Last Date"
   モダン・ジャズの勉強聴きをはじめたころ、はじめて「この演奏はとんでもないんじゃないか」と感じたのが、ベタだけどこのファイブ・スポットの1枚目の1曲目「ファイヤー・ワルツ」だった。即興演奏のスリル、というとまたここでの演奏は言葉から逃げ出していくのだが、最初はブッカー・リトルのトランペットの音色が好きだったが、次第に、ドルフィーの中空に彼の臓腑が出現したようなサックスの凄さが思い当たるようになってくる。そうすると、他のジャズ・ミュージシャンの演奏もドルフィーの演奏を軸にして受けてとれるようになっていった。30歳を過ぎたころ、マル・ウォルドロンのアルバムでスタジオ録音された「ファイヤー・ワルツ」を聴いたら、同じ曲かという差があった。

At the Five Spot Complete Edition

At the Five Spot Complete Edition



017.Johnny Thunders "Hurt Me"
   トゥー・マッチ・ジャンキー・ビジネスなライフ・スタイルとは裏腹に、アコギと歌だけでアルバムを作らせたら、彼以外持ちえないような儚さ・切なさをが芯にのこるのだということを示して世界と対峙した(灰野敬二に不評だろうがかまわない)。高校の時にレコ屋で見つけたのは見本盤のシールが貼ってあるもので、それをまだ持っている。

Hurt Me (Re mastered)

Hurt Me (Re mastered)



018.Jeph Jerman | Doug Theriault‎"Tathata"
   このCDが通販まとめ買いCD群の中に誤って紛れ込んでいたおかげで、僕はJeph Jermanというハードコアな物音アーティストにぶちあたった。どの作品がどう、という通常の尺度はまったくあてはまらない人。Jeph Jermanというひとが空間や事物と関係してつくりだす行為がすべてフィールドレコーディングされレポートとして提出されているのだという認識に至る。


019.Yannick Dauby‎- 蛙界蒙蟬 ( Wā Jiè Méng Xūn )
   サウンド・アーティストでフィールド・レコーディストのYannick Daubyには、台湾の自然とひとびとに密着した数々の仕事がある。これも台湾の蛙たちの鳴き声をシンセと絡めて作品化したもので、やさしい響きが時間を満たしてくれる。


020.高岡大祐、橋本達哉、ワタンベ "Solos Vol.1"
   こないだ送られきた『久下恵生、高橋幾朗』のドラム・デュオLP(円盤)を聴いた。もちろん悪くはないけれど、この満たされない感じは何なんだと思っていたら、2012年11月9日の堀江のカフェFuturoでの、この三人の演奏が、頭から離れないからなのだった。このCDは、Solosというシリーズの性格上、ライブ1部の各人のソロのみ収録。この日僕もFuturoで聴いていた。ソニーの名機カセットデンスケTC-D5MとShureのマイク1本で録音された音質は、たとえば、橋本さんのドラミングの繊細さを驚くほど正確に伝えてくれる。収録されなかったドラム・デュオそしてトリオの演奏も、いつか・いつの日にか陽の目をみてほしい…!!


021.ECDPOPO "ST"


021.Robert Wyatt "Flotsam & Jetsam"
     Wyattを聴き始めたのは、近所のビデオショップのレンタル落ちの『Old Rotten Hat』の中古CDからだった。最後の小品「PLA」が好きだった。画像は、90年代に出た未発表音源集で、ジミヘンがベースを弾いている曲や「Moon in June」、他、幅広い交友関係でのセッションワークがバランスよく収められていて、Wyattだけではなく、カンタベリー・ツリーの良質な編集盤にもなっている。それにしてもWyattの声って独特で、自分が彼の声が好きなのかどうか未だによくわからない。何かを感じさせる声、としか。

Flotsam & Jetsam

Flotsam & Jetsam



022.US Maple "Talker"


022.Richard Davies "There's Never Been A Crowd Like This "



022.The Moles "Instinct"
 このころは、東京から帰ってきた2001年くらい。アメ村にあった「ヴェルヴェットムーン」というレコ屋でポップが「ロバート・ワイアットディス・ヒートの邂逅」のような内容だった。買わないわけはなかった。意表を突くようなアレンジに、鏡の裏箔のようなメロディー。これこそチェンバー(室内楽)・ロックだと思った。チェンバーな雰囲気の中に、荒々しさもにじんでいた。当時モンド本にも取り上げられていたし、あのフレイミング・リップスもこのアルバムが好きでカヴァーしたかライブを一緒にやったか、だったと思う。このアルバムでは、ほぼリチャード・デイヴィスによるワンマン・バンドだが、Molesとしては、このアルバムの前に制作されたファーストもあってCD化されている。そこでは。よりロックバンドらしい音だがミニマルな曲があったりしておもしろかった。ディヴィスがやっていたカーディナルというポップ・ユニットは自分には良さがよくわからなかった。が、この後リリースされたデイヴィスのソロ『There's Never Been A Crowd Like This』は全てが凝縮された力作で、そのあと一枚くらいソロを出したあとのディヴィスの消息を僕は知りません。




023.ノンバンド "NON BAND","IE(Non)"
  たぶんいつまでも大好きなアルバムなのだと思う。

NON BAND+5 Tracks(紙ジャケット仕様)

NON BAND+5 Tracks(紙ジャケット仕様)



024.Ornette Coleman "Something Else!","The Shape of Jazz to come","GoldenCircle","Town Hall","Dancing in Your Face","Tone Dialing"
    以下は、最近20年ぶりくらいに買ったロッキングオンに掲載されていたルー・リードのインタビューから引用。    「大学生だった頃、ニューヨークに行ってはオーネットのバンドの追っかけをしていたんだ。当時はビリー・ヒギンズ、チャーリー・ヘイデンドン・チェリー、オーネットの4人編成で、彼らの後を付いて回って、でも会場に入るだけのお金は持っていなかったから、窓の外に座ってそこから漏れてくる音を必死で聴いていたんだ。そうやって初めて、"ロンリー・ウーマン"を聴いて、俺の人生は変わってしまった。ハーモニー、あれが決め手だった。あれ以来毎日ロンリー・ウーマン"を鼻歌で歌っているよ。それか"ランブリン"とか、俺が本当に好きな曲だね。オーネットはロックを鳴らせたんだ。ヒューバート・セルビーとウィリアム・バロウズアレン・ギンズバーグが書いた歌詞にロック・サウンドを合わせたらこうしたハーモニーが産まれるだろう、と思ったものだよ。何かが生まれて当然だろう?それと同じでヴィオラも全く違うサウンドなわけだから。オーネットのようなハーモニーが生まれる可能性があるんじゃないかと思ったんだ。それでまあ…ジョンはわからないけど、少なくとも俺は聴いた瞬間、「わお!」となったね。あのハーモニーが生まれていたんだ。そこへへヴィなギターをのせて、アンプがぶっ飛んで、それでも演奏し続けたものだよ。「この音のほうがいい」と俺は言ったんだけど、まるでサクソホーンのようだった。あと、あの馬鹿馬鹿しいドラム・キットもなくて…テンポは完璧でなかったけど、ときどきテンポが遅くなるところも俺は好きだった。そうして…そうして25年後、俺はオーネットと一緒に曲を録音したんだ。」そのルーのアルバム『レイブン』は事実上、ルーの最期のソロアルバムになった。     オーネットにはじまりオーネットに終わった音楽家としてのルー・リード…。

The Shape of Jazz To Come(HYBRID SACD)

The Shape of Jazz To Come(HYBRID SACD)



025.Martha & the muffins "This is Ice Age","DanseParc"

DANSEPARC

DANSEPARC



026.Rip,Rig & Panic "Knee Deep in Hits"
   今や全アルバムがCDでリイシューされているけれど、僕が高校・大学の頃はCDはこれだけだった。中古屋で買ったアナログ盤を聴くためにターンテーブルを買った。活動当時のミュージック・マガジン等を読んでいると、ポスト・パンク勢への評価が概ね高い風潮のなかでも必ずしもRip,Rig & Panicの評価は良くない。フリージャズとパンクのエッセンスでファンクしてみせたのがポップ・グループなら、そこから派生したRip,Rig & Panicは、ファンクの要素が緩く変成してフリー度合が強まり、ピアノのMark Springerも現代音楽風のピアノ小品を挟み込んだりするし、捉えどころのなさになってしまったのかもしれない。でも完全後追いだった(スネークマンショーで取り上げられていることも知らなかった)僕には、この捉えどころのなさはとても魅力的に聴こえた。『Warm; To The If In Life』や『Through Nomad Eyeballs』、『Storm The Reality Asylum』、『Change Your Life』、『Subversive Wisdom』といった曲は、Rip,Rig & Panic以外ではあまり聴けないテイストだと思うんですが、いかがでしょうか?




027.Lol Coxhill "Ear Of Beholder"

EAR OF BEHOLDER

EAR OF BEHOLDER



028.Steve Lacy "The Door","Forest & Zoo","Morning Joy","Evidence","School Days"

Evidence

Evidence


029.Iggy & The Stooges "ST","FunHouse","RawPower"
ファンハウスを聴いていると、必ず、闇夜にしなる筋肉を想起する。聴くと元気になる。元気にならないでおけるか。

Fun House

Fun House


030.The Doors "ST","Strange Days","in Concert"



030.Shrimp Boat "Duende","Cavale","Something Grand"
 「デュエンデ」は、何度聴いたかわからない。「えびぶね」というバンド名も秀逸だなあとおもっている。「Sunday Comes Along」のギター・ジャンボリー感は他では代替できない。しかし、ポスト・ロックなどといわれてしまうその後の流れの最初のひとしずくがこのアルバムなのだ、とも想う。

Duende

Duende


031.アサイラム "Nothing to be a Friend"
    懐かしいトランス系バンドの12インチで、B面には、アサイラム名義ではなくてTHE CHORI3(ザ・チョリチョリチョリ)という変名による組曲「Tybe Vatamia Platami」が収録されていて、これが何か凄まじいショックで一週間くらい何回も聴いた(高校2年だったと思う)。こちらのブログの記事がとても詳しいのを発見。名曲だと僕も思います。


032.スターリン "フォー・ネヴァー","虫"
   『虫』のメタリックな鎮痛感覚も捨てがたいが、どのアルバムよりも先にこの「絶賛解散中」ライブ盤を聴いたというただそれだけの理由。とてもいけないものを聴いている気がした。ミチロウさんの歌には今もそう感じさせてくれる力がある。

FOR NEVER リマスター盤

FOR NEVER リマスター盤


033.Robert Ashley "Automatic Writing"
  ソニック・アーツ・ユニオン出身の、アメリ実験音楽の中心にいた人なわけで、この付随意発話を作曲に取り込んだ理屈も最高級のインテリジェンスだったわけだが、何よりも僕はこのアルバムから受け取ったのは、間違いなくアシュリーの意図とは離れた、陶然として病んでいる感じ、だった。新しい感性のジャンルをアシュレーは作ってしまったのだと想った。こんなものは他の実験音楽の中にも見当たらない。90年代のヒップホップの最も良質なトラックのいくつかに見あたるだけではないだろうか。

Automatic Writing

Automatic Writing



034.Knit Prism "Growing"
  2年くらい前にドローン系のカセットを山ほど購入したが、この、もう活動をやめてしまった(?)らしいKnit Prismの作品くらいじんわりと沁みこんでいるものはない。



035.Meredith Monk "Facing North"

Facing North

Facing North



036.Kurt Schwitters "Ursonate"
    音声詩、というかその後のテキスト・サウンドの流れの、ほぼ源流に位置するのが、コラージュ(彼自身はそれを「メルツ」と呼んだ)を美術史の中で確立したクルト・シュヴィッタースの朗読パフォーマンス『原音ソナタ』だ。美術が好きだった僕には少なくとも心の師とする美術家が二人いて、ひとりはデビュッフェで、もうひとりがシュヴィッタースだった。ありがちな取り合わせだが、僕はシュヴィッタースのまるごとが好きだ。そのはじまりにおける才能の欠如も、コラージュの先に折り返してみせた生き様も。そのエッセンスは、爆発するような愛嬌で、もちろんそれは皮肉と表裏一体になっていて、その均衡が、シュヴィッタースのコラージュでは奇跡的に美を産み出している。「現代美術」的なものの原基ともいえる人だし、そのヴォイス・パフォーマンス『原音ソナタ』は、幾多のパフォーマーが敬意をこめて再演・再録しているが、当時の劇場の客を大笑いさせたあと、惜しまない拍手を打たせた力は、当然ながら、このシュヴィッタース本人による録音からしか、感じ取ることは出来ないと思っている。

Ursonate

Ursonate



037.自然音(クジラ) "Sounds And Songs Of The Humpback Whales"
   これは高校生くらいのときに中古盤で買ったザトウクジラの歌のCD。ポール・ウィンターみたいなものではなくて、とにかく生のクジラの未加工の歌が録音されているのがうれしかった。同時期に岩合光昭氏の写真集『クジラの海』を見て「バブルネットフィーディングって凄い…」とか感心していました。



038.Moris Tepper "Big Enough to Dissapear","Eggtooth","A Singer Named Shotgun Throat"

A Singer Named Shotgun Throat

A Singer Named Shotgun Throat



039.Robyn Hitchcock "Moss Elixir"

Moss Elixir

Moss Elixir



040.Giuseppe Ielasi Stunt ","(Another)Stunt ","Third Stunt ","Bellows","Untitled2011 "



041.EDPS "Blue Sphinx"

BLUE SPHINX(紙ジャケット仕様)

BLUE SPHINX(紙ジャケット仕様)



042.Television "Marquee Moon","Adventure"



042.Various Artists "Monsters, Robots & Bug Men - A User's Guide To The Rock Hinterland"



043.Captain Beefheart "Doc at RadorStation","Trout Mask Replica"

Trout Mask Replica (Produced by Frank Zappa)

Trout Mask Replica (Produced by Frank Zappa)



044.半野田 拓 "5CDs"



044.Niel Young "Tonight's The Night "



045.David Michael "Shangri-la"



046.Son House "Death Letter:Father Of Folk Blues LP"



046.Loren Mazzacane Connors & Alan Licht "Two Nights"
   ローレン・マッツァケイン・コナーズとアラン・リクトのギター・デュオは何枚か盤があると思うが、本作は自分のなかで別格。何が違うか説明は不可能なのだけど。昔、兵庫加西の印刷屋で働いていた頃、週末はよく夜中に車を走らせて大阪を往復した。三田をこえる辺りは当時真っ暗な闇の中の自動車道だったのだけれど、そんななか大阪で購入したばかりのこのCDをはじめて聴いたのだった。カーステレオから流れてくる音楽は、デュオ演奏というよりも、二つのギターソロが同時に進行しながら、間合いをとりあっているように聴こえもするだろう。時間の流れかたが確実にかわっていくようで、たっぷりと情感を湛えているようでその実すでにその全てを喪失してしまっているような、とりかえしはいつもつかないのに、そんなに悪いものでもないような、例えてみるなら、村上 龍の小説『ストレンジデイズ』の主人公の最後のつぶやき、そんな感情を、この二つの夜の実況録音から味わっていた。

Two Nights

Two Nights



047.Magic Sam "Magic Sam Live"
   数あるブルースの歴史的名盤のなかからなぜこのライブ盤から聴きはじめたのか、まったく思い出せないが、この抜けの良さは本当に好き。インストナンバー「Looking Good」(2回演奏される)のサウンドこそ自分がブルースやロックに求めているものだった。

Magic Sam Live

Magic Sam Live


048.Fred Mcdowell "Mississippi Fred Mcdowell"

Mississippi Fred Mcdowell

Mississippi Fred Mcdowell



049.This Heat "Out of Cold Strage(BOX)"

Out of Cold Storage

Out of Cold Storage



050.Faust "Wumme Years 1970-1973(BOX)"
     Wumme Years(BOX)というより、セカンドの「SO FAR」。というより「SO FAR」収録の『It's a Rainy Day,Sunshine Girl』。

Wumme Years 1970-1973

Wumme Years 1970-1973




051.Wzt Hearts "Threads Rope Spell Making Your Bones "



051.John Hudak "Natura "(7"EP)
    John Hudakには、他にも良い作品があるが、この7インチシングルを手に取っていなければ、今頃、サウンド・アートがどうの、フィールド・レコーディング作品がうんたら、などとは決して言っていないはず、という事で。 A面はショウジョウバエの羽音、 B面は雪の上に落ちる氷(!!!!)の音を技術的に加工したもの。 音を見つけ、耳をそばだて、作品化するアカデミック行為も研ぎ澄ませば詩的になる瞬間があるのかもしれない(そういう瞬間が稀にあると考えている)。数年前に気付いたのですが、小杉武久さんの著書『音楽のピクニック』の冒頭に収録されているインタビューで小杉氏へのインタビュアーを務めているのがジョン・ヒュダックである様子。



052.VA "Ambient Not Not Ambient"
   2006年か2007年のノイズ・アンビエントのコンピ。最近また聴きかえしたりしている中に気づかずこのコンピに含まれていたアーティストが多かった(上のWzt Heartsもそう)。今気づくと重要なコンピ。「No New York」も入れないといけなかったが、今はこちら。

Ambient Not Not Ambient

Ambient Not Not Ambient


053.SION "春夏秋冬","かわいい女","Comes"
   「春夏秋冬」とトム・ウェイツ「レインドッグス」を同時期に聴いていたから、アート・リンゼイやマーク・リボーというギタリストの音が大好きになった。

春夏秋冬

春夏秋冬


054.Marc Ribot "Saints","Don't Blame Me"
   この盤までに、いろんな活動をしているのは知っていたしちょこちょこ手を出して聴いてもいたのだけれど、このソロ・ギターには持っていかれた。ゆらめいたかと思うと切先が鋭くひらめき、たゆたうようで凛と。しかし絶えず夜の沈黙を読むことを忘れない。アイラーのカバー「Ghost」ではじめて曲の良さがわかった。「Spigott」も良い。

ドント・ブレイム・ミー

ドント・ブレイム・ミー



055.Bill Frisell "Good dog Happy man","Where in the World?","Gone, Just Like A Train","Have A Little Faith "
   このアルバムくらいまでのフリゼールは追って聴いていたんだけど、最近はあんまり手が伸びない。なぜかな…。ジャケット描いている画家も好き。

Gone Just Like a Train

Gone Just Like a Train



056.武満徹 "秋庭歌一具"

武満徹:秋庭歌一具

武満徹:秋庭歌一具



057.Terry Riley "The Harp of New Albion"



057.Lou Harrison "Perilous Chapel"
   ギターの音というえばNYパンク直系の暗く歪んだ音ばかりを求めてきた自分だったが、2000年あたりにルー・ハリソンのギター曲集が何枚かリリースされてギターの音に対する感じ方はまったく拡がってしまった。



058.Kronos Quartet "African Album"
   クロノス・カルテットで一番好きなアルバム。数人のアフリカ絡みの作曲家の作品を収録した盤ですが、Kevin Volansのものが一番好き。



059.Morton Feldman "For Phillip Guston"
    モーティの破顔アップのジャケとはセールスを度外視したデザインでトホホだが、中身は最高純度のフェルドマネスクだ。フェルドマンが耳に馴染んでくると聴こえる音が変わってくる。

For Philip Guston

For Philip Guston



060.Bill Dixon With Tony Oxley‎"Papyrus - Volume 1&2 "
    正確には、このBill Dixonボックスの中のTony Oxleyとのデュオ2枚が自分にとって抜き差しならない音なのです。自分で音を録りはじめた頃(遠い昔ではないです)、どうにも気持ちがうまく切り替えできなくて時間もないし困っていたとき、このアルバムの演奏が鳴りはじめると、すっと音を出せるようになった。日常が非日常になるのではなくて、日常の中に音を出すことが自然に入ってくる。とはいっても二人とも最上級の演奏テクニックを持つ人たちではありますが。自分の中のなにかスイッチのようなものを切り替えてくれる録音であることには変わりない。

Complete Remastered Recordings

Complete Remastered Recordings



061.Tortoise "Million now living will never die"

Millions Now Living Will Never Die [12 inch Analog]

Millions Now Living Will Never Die [12 inch Analog]



062.Slint "Tweez"
   一曲目のかっこよさ。心霊写真だというジャケットが不気味すぎ。

Tweez

Tweez


063.Tony Conlad "Early Minimalism"



063.Felt "The Splendour Of Fear","Bubblegum Perfume"
     どうやら自分がスミスにもエコバニにもアズテクカメラにも不感症であるらしいことがわかってからネオ・アコという言葉が当時からむず痒く、でもときどき今度こそは、と思って何かアルバムを買ってみるジャンルであり続けた。Feltもそういうバンドだった。Feltのアルバムのジャケットやタイトルが群を抜いて興味をそそるものだったけど、逆にどれから手を出せばいいかわからない状態が続いた。やっと手に取った「Bubblegum Perfume」は、クリエイション時代のコンピらしいが、すでにポップになっていた。一曲だけ今でもときどき気が付いたら口遊んでいる曲が入っている。『Don't Die On My Doorstep』。友情に関して書かれた中でももっとも誠実な曲ではないかとおもわれる。 このコンピの後、 The Splendour Of Fearを聴いて落差に驚いたが、『Mexican Bandits』がお気に入りになった。


064.Charlemagne Palestine "Strumming Music"
   Charlemagne Palestineは、最近入手したドキュメンタリーDVD『The Golden Sound』も素晴らしい。トニー・コンラッドとのデュオ演奏も入っているし見所がいっぱい。

Strumming Music

Strumming Music



065.Clemantic Consort "Guillaume de Machaut- La Messe De Nostre Dame"

マショー:ノートル・ダム・ミサ曲

マショー:ノートル・ダム・ミサ曲

  • アーティスト: クレマンシック・コンソート,サンタ・チェチーリア・ポリフォニカ・ルッケーゼ・エ・カペッラ,マショー,ティボー4世,メイソン(コリン),マッテウッチ(エジスト),アンサンブル・ノヴァ
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2006/12/20
  • メディア: CD
  • 購入: 2人 クリック: 31回
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066.Spacemen 3 "Sound Of Confusion"
    昨日(12月8日(土))箕面駅周辺で散髪し、昼飯を食べた後、阪急の線路沿いにおもむろに石橋まで歩くことにした(4駅の距離)。徒歩中に脳内で再生され続けたのが13Thフロアエレベーターズの『Roller Coaster』という曲だったが、そのテンポは、Spacemen3の演奏するカヴァー・ヴァージョンだった。それで大学1回生の頃の自分のプレイリストを思い出した。Faustの『It's a Raniy Day,SunShine Girl』から初めてこの曲につなぎ、そのあとに下に選んだCANの『Mother Sky』、そしてVelvetsの『Hey,Mr.Rain』につなげて脳内再生する、あるいはつなげたテープが僕のお気に入りだった。もどかしいのはここにソニック・ユースがなぜか挟み込めなかった点だった。…Roller Coasterに話を戻すと、原曲ではロッキー・エリクソンがサビの後半で「You Gotta Open Your Mind....」というフレーズにさしかかった途端に演奏のテンポが急にあがって手作りトリップ感満載だが、Spacemen3ヴァージョンではそんなことはない。ただただ、ファズにまみれながらスローに空間を占領していく。この盤には他にもThe Stoogesの『Little Doll』も入っている。自分にとってはオリジナル・パンクへの導線としてUKのジザメリ(Mother Skyをカヴァー)やLOOPやPrimal ScreamやこのSpacemen3がいたことを強烈に思い出させてくれるアルバム。

Sound Of Confusion

Sound Of Confusion



067.CAN "Cannibalism(Best)"
   アルバムも全部良いけど、マルコム・ムーニー、ダモ鈴木と二人のヴォーカルを一枚で聴けるのは有難い。

Cannibalism 1

Cannibalism 1



068.The Dead C "DR503","Tusk","Trapdoor Fucking Exit","Future Artists"



069.Shing02 "My Nation"



070.Bo Didley "Chess Box"
    上のほうで挙げたジザメリのB面集に収められた曲で「Bo Didley is JESUS」という曲がある。ディドリー・ビートどころではない陰鬱なナンバーだが、この曲でBo Didleyを聴いてみようと思った。ニューヨークドールズが1stでカヴァーした『Pills』もこのボックスでやっと原曲を聴くことができた。もうひとつ、自分がディドリーを深く聴きだしたのは、VelvetUndergroundの伝記本『アップタイト』を読んで、メンバーを探していた頃友人の妹だったモーリン・タッカーが自宅でディドリーのビートに合わせてドラムの練習をしていると知ったルー・リードが即決した、という話を知ったということと、『Another View』に2テイク収録された「Hey,Mr.Rain」という曲が、ディドリー・ビートに単純極まりない歌詞、ミニマルなギター・カッティング、それにケイルの電気ヴィオラによるドローンが合わさるというかたちで、僕はVelvetsというバンドのアイデアの原型だと思うようになった、ということがある。




071.Alternative TV "Image has Cracked","Vibing Up The Senile Man"
   一曲目、シンプル極まりないリフが混沌としたステージ実況とコラージュされる『Aleternatives』を聴いたとき、これがパンクだと思った。「ピストルズからグラムを抜いたような」という批評家の表現はこのバンドに関しては的を射ていた。ピストルズの演劇がかったけたたましさよりも数倍勇気をくれる。Thee Headcoatsもカヴァーした『Viva La Rock N' Roll 』、それから『Action Time Vision』の弾けっぷりも良い。ジャケットのメンバーがカンとLOVEの『Forever Changes』のLPを持っているのをみて何か深い納得がありました。ザッパのカヴァーもしてるし。そして、やっぱりラストを飾る『Splitting In 2 』の若々しい怒涛。

Image Has Cracked-Punk Singles Collection

Image Has Cracked-Punk Singles Collection



072.Sex Pistols "Never Mind the Bollocks"



072.Red Krayola "Hazel",Mayo Thompson "Corky's Dept to His Father"
    ピストルズを下げて、このアルバムを挙げるということは、この時代のドラッグ・シティからリリースされたすべてのアルバムを挙げるということです。1曲目『 I'm So Blasé 』からして蕩けるようなアレンジで、その上にメイヨ・トンプソンがとぼけているからこそ後々まで効く毒をのせてくる。大阪でみたライブはつまらなかったが、メイヨ爺が自分で歌わずに女の子に歌わせいたのが、イジイジしていておもしろかった。メイヨ、といえばソロの『Corky's Dept to His Father』もこの時代にドラッグ・シティからリイシューされて愛された名盤。

Hazel

Hazel


073.Joy Devision "Substanse"

サブスタンス

サブスタンス



074.長沢勝俊 日本音楽集団 "組曲《人形風土記》"



075.De la Soul "3feet High and Rising"
   ヒップホップだと思って聴いていなかった。そんな風にも聴ける/そういうリスナーにも届く、最初のヒップホップだったんじゃないかと。今の耳だと、もっとハードコアなところが面白いが。リリース当時某ロック雑誌のレビューで、「今の時代の(黒人による)メタル・ボックス(P.I.L.の)だ」と書いてあるのを読んで吹き出してしまった記憶がある。そんなわけあるかい。

3 Feet High & Rising

3 Feet High & Rising



076.Public Image Limited "Metal Box","Happy?"
    最初メタルボックスの一曲目「アルバトロス」を回転数を間違えて45回転で聴いていて「なんてかっこいいテンポなんだ」と思っていた恥ずかしさがあるので、貼るのはこのアルバムだ。ジャケットの絵が好きで中学生の頃、美術の時間に模写していて煙たがられた。今観るとフンデルトワッサーにしか見えないわけだが。

Happy

Happy



077.仲井戸 麗一 "The 仲井戸 麗一 Book"

THE仲井戸麗市BOOK

THE仲井戸麗市BOOK



078.原田 知世 "Tears of Joy","カコ"
 なぜか、原田知世の声が昔から嫌いになれないんです。

カコ

カコ



079.Joe Jackson "LOOK SHARP!"
 

Look Sharp

Look Sharp



080.Th' Faith Healers‎"Lido"
  山ほどいたオルタナギターバンドの中でもこのアルバムの質感にははまった。たしかCANの「Mother Sky」をカバーしていた。



ええい、いまさらビートルズについて書くのはやめじゃ。
081.The Beatles "White Album","Rubber Soul"




081.Various Artists "Harmony Of The Spheres"
   1996年にDrunken Fish RecordsからLP3枚組で出たコンピ。当時アメリカ村にVacuumRecordsという、ちっちゃなポータブル・ターンテーブルを売って有名になったショップがあって、そこで購入。 ‎A面:Bardo Pond、B面:Flying Saucer Attack、C面:Jessamine、D面:Roy Montgomery、E面:Loren Mazzacane Connors、F面:Charalambides・・・・・   当時はみんな新人というわけでは決してなかったけど、ちょっとアルバム一枚に手を出すのがこわい感じだったアーティストだったのでこのコンピはよかった。アナログ盤で聴いたからか、どのアーティストの音も深く濃く暖かだった。装丁も丁寧だったし。



082.Rolling Stones "Let it Bleed"



082.ハンバート・ハンバート "まっくらやみのにらめっこ"
   良い曲ばかりなアルバムですが、個人的にこのアルバムを聴いていると、牧野信一の小説世界が想起されます。

まっくらやみのにらめっこ

まっくらやみのにらめっこ




083.Houndog "Houndog"



083.鈴木昭男 "Odds And Ends "

ODDS AND ENDS 奇集

ODDS AND ENDS 奇集




084.Latin Playboys "ST"

Latin Playboys

Latin Playboys



085.Gavin Bryers "Jesus Blood Never Fails Me Yet"

Bryars: Jesus' Blood Never Failed Me Yet

Bryars: Jesus' Blood Never Failed Me Yet



086.Tom Waits "Rain Dogs"


086.Caetano Veloso "Araçá Azul","Circuladô ","Circuladô Vivo ","Tropicália 2‎","Livro"
    大学生の頃にブラジル音楽を聴かなきゃとおもったのは、アート・リンゼイがはっきりとブラジルもののプロデュースに向かっていったからだった。でも、歪みとノイズと粗暴な歌とミニマリズムのフリークだった僕にはサウダージというのは、ある種の気配があるなと思ったけれど魅力がいまひとつ捉えにくかった。そんななか、当時CDでのリイシュー・ラッシュだった、カエターノ・ヴェローゾのアルバムだけは良いと思えた(あとはクァルテット・エン・シーの昔のアルバム等)。 このアルバムはカエターノのアルバムの中でも、もっともサイケ色が強いアルバム、といわれる事があるようだったが、欧米のどのようなサイケデリアとも異なる感触があって好きだった。「トロピカリズモ」というのとも違うこのアルバム独自のサイケデリアではないか思う。 ラストのタイトル曲の消え入るようなメロディー。

アラサー・アズール+2(紙ジャケット仕様)

アラサー・アズール+2(紙ジャケット仕様)




087.Mother Tongue "Open in Obscurity"
      Z'ev(パーカッション)と、The Hafler TrioのAndrew McKenzie(テープ)、あんまり情報のない女性Doro Franck(朗読)が参加しているユニット。アルバムはこの盤しかないのではないかと思います。 最近、「燃え尽きるより錆びつきたい」という有名なニール・ヤングの言葉(にしてカート・コバーンの遺言…だったと思う)をひっくり返した惹句と愛にあふれた内容のガイド本が出版された話題を読んだノイズ・インダストリアルというジャンルがありますが、僕は聴きだしたのはかなり遅かったし、スログリは未だに何が衝撃的なのかよくわからない。ノイバウテンは好きだけど、基本的には文学的な歌ものバンドという本質のほうが今は比重が大きい。このアルバムがノイズ・インダスかというとどうかなーと思うが、昔の「銀星倶楽部」のノイズ特集でたしかZ'evが取り上げられていたと思うのでこの連想でOKということにしておきます。このアルバムをなぜ手に取ったか覚えている。クロスビート誌に大鷹俊一氏のレビューが出たのだ。謎めいたパーカッション奏者「Z'ev」についても、共演した近藤等則の著作で知っていたけれど未だその時点では聴いていなかった。「ノイズのフォークロアの混淆」といった感じのレビュー文だったと思う。ノイズと民俗性は相性が良い筈だという思い込みがあり、今に至るまでこういう文言に自分は弱い(ここ数年ではGRIMの編集盤)。輸入盤屋で見つけた本盤は、通常とは異なる柔らかみのある厚手の上質紙のジャケットで、Juergen Tellerによる写真が滲んだ感じは実にタイトルの「Obscurity」だと思った。長尺1曲のみのA面はあまり印象に残らず、B面がとにかく「なるほどなー」という感じだった。とくに、B4『The Humble Man』の単純な歌詞というか朗読にからむパーカッション、ヒリヒリするノイズが未知の領域を感じさせてくれたのだった。


088.David Cunningham "Grey Scale"


088.Ned Lagin, Phil Lesh "Seastones"
    じつは今もこのアルバム、なんなのかよくわからない。グレイトフル・デッド絡みの現代音楽家による奇妙な電子音楽。タイトルとジャケから、海の中の石をトレースして楽譜にしてコンピューターに演奏させたんじゃないか、とか考えたが、多分ぜんぜん違う。ジャケをはじめてみてからというもの、買うかどうするか悩みになやんで、レコ屋で見るたびに「うーん…」となっていた楽しい思い出あり。結局レジに持っていくまでに5,6年は経過した筈。

Seastones

Seastones



089.Peru Ubu "Datapanik in Year Zero(BOX)",David Thomas "Monster"
   ペル・ユビュも、伝説だけで90年代末まで音源がなかなか聴けなかったバンドだった。だからボックスが出たときほんとうに嬉しかった。特に、"Final Solution","Heart of Darkness","30Seconds Over Tokyo"などのピーター・ラフナーやティム・ライトが在籍していた頃の曲とファーストの曲がアヴァン・ガレージとしてベスト、だと思った。しかし、ビーフハートよりザッパが好きと『From Velvets to Voidois』で読んだデヴィッド・トーマスの趣味はやっぱり僕とは異なると感じはじめたころに聴いたトーマスのソロ作のBOX『Monster』。この最後のTwo Pale Boys名義のCDに収録された曲のパフォーマンスで多分『Surfer Girl / Around The Fire 』だったと思うが、Tammy Wynetteの『Stand by Your Man』という歌をトーマスが『Stand By the Earthman」と聴き間違えたという小噺から、SFちっくな近未来噺へと至り、現代に遡りつつ「We live in Fortean times. We live in the beginning of a voodoo age of magic superstition and ignorance. We are the last generation that will ever know what it was like, to live in an enlightened world...」という宣言から、聴き間違いをこれ以上ないくらい感動的に肯定し『Stand by Earth Man』と歌い上げフィナーレを迎える曲があった。これに撃ちぬかれた。ネットで調べてみると同じ事を感じた人はいるみたいで、美術作家の個展のタイトルとして引用されていた。http://e-limbo.org/clases/imprimir.php/Art/2478

Monster

Monster



090.ブルー・ハーツ "ST","Young & Pretty"
   考えてみてほしい。1987年に中学から高校にあがるような時期を体験していたものにとって、ブルー・ハーツは不可避だったことを。彼らがテレビの歌番組に登場して『リンダリンダ』を歌ったとき、甲本ヒロトをみて嗤っている芸能人たちにまず殺意を覚えた。あれは多分、僕らの世代の日本人少年にとってのビル・グランディ・ショーだった。

YOUNG AND PRETTY

YOUNG AND PRETTY



091.VA "Lipstick Traces"
   音楽文化史家グリール・マーカスの著作を元に、ラフトレードがつくったコンピ。ダダ運動とパンク運動の見えそで見えない線を聴かせようとしている。アパラチアン・フォークのBascom Lamar LunsfordやBenny Spellmanの「Lipstick Traces (on a Cigarette)」なんかが入っているのが面白い。


092.The Police "Syncronicity","白いレガッタ",Sting"ブルー・タートルの夢"
     スティングもポリスも、昔より今のほうがどんどん良さがわかるようになってきている。

ブルー・タートルの夢

ブルー・タートルの夢



093.U2 "Joshua Tree"



093.P−MODEL "パースペクティヴ","スキューバ(カセット・ブック)"



094.Talking Heads "'77"



094.Peter Garland "Three Strange Angels"
    ルー・ハリソンやピーター・ガーランドの音楽が大好きだが、彼らの音楽を聴いてると、ジョン・ケージはむしろヨーロッパの音楽家ではないかと感じられてくる。

Three Strange Angels

Three Strange Angels



095.The Modern Lovers "ST"



095.Gastr Del Sol "Mirror Repair ","Upgrade & Afterlife "
    2曲目「Eight Corners」から次の「Dictionary Of Handwriting」へ流れる瞬間の虜だった(今も)。

Mirror Repair [12 inch Analog]

Mirror Repair [12 inch Analog]


096.Stranglers "Black & White","Hit Men(the singles)"
   ストラングラーズでしか晴らせない鬱屈というものがあると信じている。

Black & White

Black & White


097.WIRE "Pink Flag"



097.Various Artists "Burning Ambitions: A History Of Punk "
  中学のときにブルー・ハーツと同時にパンク・ロックを勉強聴きしはじめた。ピストルズの『勝手にしやがれ』やクラッシュのアルバムは単品でとりあえず買うかもしれないが、他のバンドについてはこのコンピで知っていったという人も多いのではないかと思う。僕も御多分に洩れず、このアルバムでずいぶん楽をさせてもらった。サージェント・ペパーズのジャケをパロッたジャケは対しておもしろくもないが、Buzzcocks『Boredom』、The Fall『Bingo Masters Breakout』、Wire『1, 2 X U』 の3曲の流れは最高だと思う。他にも、999『I'm Alive』、Vibrators『Baby, Baby』、The Saints『I'm Stranded』、Cockney Rejects『Flares And Slippers』、Killing Joke『The Wait』などパンクの名曲ぞろい。ピストルズは入っておらず、ダムドはファーストからではなくて「マシンガンエチケット」からのLove Song、クラッシュ本体ではなくて前身バンドである101'ers。逆に後でバンド単品でアルバムを聴いた時に、このコンピに収録された曲ほどのインパクトが得られなくて、ああこれがパンクかと学習していくという流れも出来た。

Burning Ambitions

Burning Ambitions



098.高橋悠治 "ドビュッシー:映像・版画・喜びの島"



099.Brian Eno "Music for Airport"

Music for Airports

Music for Airports



100.Carl Stone‎"Mom's"
   最後に思い出してよかった。

Mom's

Mom's



 これで、100枚以上の作品を挙げたことになるけれど、大事なことは、僕はその音楽をなにひとつ「所有」しているわけではないということ。当たり前ですが、CDや音声ファイルは所有できるけれど、音楽自体は所有するこができない。体験するチャンスを所有できるかもしれないだけです。だからこれらの「アルバム」というものは限りなく音楽にニアミスした記憶のトリガーであり、チャンスであり続けている。同時に、法的には音楽の作者が所有するのかもしれないが、本当のところはそれも怪しいと思っている。

R.I.P. LOU REED

nomrakenta2013-10-28

27日肝臓移植後の合併症のため、とのこと。肝臓が悪いとは知らなかった。
このニュース、朝のオフィスでYahoo!でみたのだけれど、偶然にも朝のバスで、iPhoneのシャッフルでたまたま聴いていたのがThe Velvet Undergroundのサードの「I'm Set Free」だった。
「俺が死んだらみんな“ワイルドサイドを歩け”を聴くんだろう。わかりきっている」という意味のことを本人がどこかのインタビューで毒づいてたと思いますが、とりあえずはそうならずにすんだ。
いつかは来ることだと思っていたけれど、やっぱり喪失感あるな。

村上龍の小説「69」や、Jesus&MaryChainが好きだったから、どうしても遡らざる得なかったが、そもそもはじめてルー・リードという歌手がいるのを知ったのは、80年代のどこかの年のグラミー賞で、ステージじゃなくて、ホールの非常口から「Walk on The Wild Side」を歌っているのを観て変な声で変な歌だなと思ったのが最初だった。
リアルタイムに聴いたアルバムは何度目かの復活作といわれる「New York」からで、このときはライブも観に行った。でも本当に見たかったジョン・ケイルとの「Songs For Drella」は大阪には来なかったと思う。

何はともあれ、文学的な歌の部分とメタリックなノイズにも代表されるエレクトリックギターサウンド部分をずっと両立させた稀有なミュージシャンだった。最近ブックオフで昔のギターマガジンを読んでいたら、ルー・リードのインタビューが載っていて(昔といっても「Ecstasy」発表時)さんざんピート・コーニッシュの手にによるエフェクター・システムを褒めちぎったあとに、「俺にとってギターとはエレキ・ギターの音を意味する」「俺はずっと轟音をとても柔らかに聴かせることだけを考えてきた」という発言をしているのを読んで、何か胸があつくなってきた。

Perfect Night

Perfect Night

この先も一番聴いていくのは多分このライブ盤だ。
で、一番好きな曲は、といわれると、何曲でもあげられるけれど、あえてアルバム「Blue Mask」からの『Wave of Fear』になるかも。

Crazy with sweat, spittle on my jaw
what's that funny noise, what's that on the floor
Waves of fear, pulsing with death
I curse my tremors, I jump at my own step
I cringe at my terror, I hate my own smell
I know where I must be, I must be in hell
気が狂うほど汗ばみ、アゴは唾でまみれてる、
あの妙な音は何だ?床の上のアレは何だ?
恐怖の波が、死ぬほどに脈打ってる
自分の震えが忌々しい、自分の足音にもとびあがる、
自分の恐れに嫌気がさし、自分の臭いを憎んでいる
自分が何処にいるかなんて知ってる、地獄にいるにちがいない

ルーの逝った次の日に感心する歌詞でもないのかもしれないが、特にこの緊張が絶頂をむかえるあたりでのルーの言葉の吐きつけ方が何度聴いても凄まじい、と感じる。
いつだったか、自分にもこの歌詞の通りに眠れなくなったときがあって、そんな時にルーにこの歌があるの思い出して、聴いて、思ったのは、これはドラッグの禁断症状の歌というわけではないんじゃないか(そう思っていた)ということだった。勇気づけられたとかではないんだけれど、どこか、安心した。そういう状況で助けをこうわけでもなく殆ど自己嫌悪で爆発していて、ベースのうねりは多分これが恐怖の波の音像化なんだろうと思わせ、その上で二本の尖ってささくれだって爆発した音色のギターが絡み合っている。
少なくともいくつかの意味で、ルー・リードにしか作れない曲だとずっと思ってきた(この人の曲はそんな曲ばかりだ、ともいえる)。

10月なのにたそがれない国

(エントリーのタイトルはまったく内容と関わりません。すいません)



先週は出張で富山へ一泊。
大阪からサンダーバードに乗ったが、車内がかなり揺れて読んどかないといけない書類があって辛かった。富山のA社さんのCCを見学。単に見学というだけでなく数年後に控える合併への腹の探りあいという面もある。職場の文化の違いはもちろん目立っていたが、共通する価値観も見つけることができた。こちらも負けてない。しかし、オフィスから立山連峰が見えたり富山湾が見えたり、羨ましいかぎりの環境…。

水曜に前乗りで木曜が本番。最初は二日間の予定だったが、先の見学隊が良い仕事をしてくれちゃったおかげで、最後の僕含む4人は二泊も要らんだろと三日目はカットされた。木曜夜に帰ることになるし、今週手持ちの宿題はないので金曜は有給をとった。四連休。例年の職場離脱長期休暇が今年は取得不可能なので、どうもこれがその替わりになりそう。
とはいえ、遠出できるわけでもなく、こないだの社内イベントのDVD作成の仕事がまだ後をひいているんでいい加減片さなくてはいけない。なので、やたら時間だけはかかる動画のエンコード中はYoutubeを漁っていた。
で、なにかの拍子にクリックして最後まで観てしまい、その後延々関係のライブ映像を見るはめになってしまったのがこれ。

このブログでこれまで一言も触れたことのない男。それは、エドワード・ヴァン・ヘイレン
ヴァン・ヘイレン…。これでも中学時代に通過したのである。ヴォーカルはサミー・ヘイガーでしたが。すでに、デヴィッド・リー・ロスはヤンキー・ローズでスティーヴ・ヴァイにヴリヴリ弾かせてました。この機会にめったに聴かないHR/HMのバンドをいくつか聴いてみましたが、ヴァン・ヘイレンの音だけは違うという気がする。カラッと、突き抜けてる。能天気でマッチョなアメリカ白人以外の何者でもないのだけれど、積極的に嫌いにもなれない。

あらためて観るとエドワード・ヴァン・ヘイレン、確かにタバコ吸い過ぎですが、エディヴァンといえば(いわんか)ライト・ハンド奏法。今観て聴いて思うのは、ちゃんといいなあということに尽きる。途中、ちょっとバッハみたい。そうなんだ。エドワード・ヴァン・ヘイレンのライト・ハンドのフレーズって、全然ブルースっぽくないんだ。でも頭でっかちな感じでもない。音への感度の良さだけで紡がれているような感じ。
今あらためて思うのは、この人のギターのトーンの素直さも、デレク・ベイリーのギターのトーンの美しさも、自分のなかではたいした違いではないということ。デレク・ベイリーの著書でスティーヴ・ハウが即興演奏について語ったことは(下記の引用)、エドワード・ヴァン・ヘイレンにもあてはまる、と感じました。

かならずしも音のことではなく、もっとフレージングで自由になることなんだ ― 言葉は厳密に正確に使いたいから ― フレーズが透明になるんです。こうなるとほんとうに興奮するーぼくがいい即興と認めるのはこれ…。 音が前に押し出されてくる ―ひとつひとつの音がそれだけで価値をもってくる。



日曜日。
Iさんに誘われてコモンカフェに即興演奏を観に。
ひとから誘われて即興聴きにいくというのははじめてのスタンスかもしれない。
ラドゥ・マルファッティ Radu Malfatti、クラウス・フィリップ Klaus Filip、ノイド noid aka arnold haberl、マティヤ・シェランダー Matija Schellander、リュウ・ハンキル Ryu Hankilのツアー。
トロンボーンのラドゥ・マルファッティ Radu Malfattiは初めて聴いた。噂通りの静謐な演奏。トロンボーンの口に輪ゴムをつけて時折ポンとかペンとか鳴らし、また深く静かな呼吸に戻っていくのが印象的だった。

この夜はとにかく韓国のリュウ・ハンキル Ryu Hankilさんが一番面白かった。
ハンキルさんは、キャリアも長い韓国の即興シーンのキーマンらしいのですが、恥ずかしながらこの夜初めて聴いた。いや、観た、か。ハンキルさんの「楽器」はタイプライター
タイプライターをリズミカルにタイプすると何かがトリガーになって、マイクロチップで回路を繋げたオブジェたちが、スネア・ドラムの上でバタコンバタコン跳ね回る。その無機質な筈の動きと音が、タイプ音の連打と相まってとても生き生きとして聴こえてきた。このツアーでは毎晩デュオの相手を変えているという事だったが、この夜のハンキルさんはラップトップを操作するノイドさんとのデュオ。ハンキルさんのタイプライターとオブジェによるスネア連打の後の静寂を縫うようにして電子音を鳴らすノイドさんと、とても相性が良いように思えた。

終演後、ハンキルさんにタイプライターの仕掛けを見せてもらいながら、「Human Jean Tinguely!」と感想を伝えたら、ニコッと笑ってくれた。以前韓国に旅行したときにハンキルさんと面識があったというIさんとハンキルさんの会話にちょっと混ぜてもらいながら話して、その日はお開き。



**

この夜、もうひとつうれしいことが。
会場に半野田拓さんも観に来ていて、物販を見ていたら、Matija SchellanderのCDが良いらしいです、と半野田さんから声をかけられた。長年ファンをしていて目があったら挨拶したりしなかったりですが半野田さんから声かけられたのは、はじめて…(←うれしい)。
「と、いうよりもですね!最近買ったCDで一番良かったのは、半野田さんの5枚組のソロです!」となんとか一言返した。

最近「円盤」からリリースされた5枚組CD(+バッヂ)はショップでは『5CDs』と書いているようですが、僕はこれを『半野田拓(s/t)』と呼んでいます。
7年かけて録りためた半野田さんのソロ音源は、そろそろあちこちで話題になってくるんじゃないかと思います。

突拍子もないまどろみ、イスタンブールの路地から聴こえてくるようなメロディー、意表をついた平穏、飄々として痛烈、フィールド・レコーディングあり、コの字型に浮かぶトーン、ハーシュノイズよりもある意味厳しいノイズ…、どの音のどの一瞬も、凡人ならしがみ付いてこねくり回して延々と引き伸ばしたくなるような感覚に溢れているが、半野田さんは、数分か数秒で潔く手放してしまう。この濃密さに、目が回る、耳がまわる。
言葉が絶対にたどり着けないところでやはり半野田さんは音を作ってきている。

昔、新世界ブリッジが即興演奏家の根城だったころに、僕は半野田拓という音楽家を知ったのでした。半野田さんのギターのトーンにすぐにいかれてしまった僕はすぐに既出の音源は全部買って聴いてしまいなおかつライブで感じるフィーリングとの距離があり、無礼にもライブ後の半野田さんにもっとCD作らないんですかと詰め寄ってしまった(今では絶対言えない台詞です…)。半野田さんがその時なんと仰ったかというと「ライブと音源は違いますから」という至極まっとうな一言だった。

この夜、僕は続けて「待ったかいがありました。」とも言ってみた。半野田さんがブリッジでした会話を憶えて居る筈もないのだけれど、半野田さんは少しはにかんだようだった。



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ポルトガルデレク・ベイリー系(?)ギタリスト、マニュエル・モタManuel Motaの二枚組『Outubro』(2006)。

一番最近に出たという5枚組は聴けていない。
これは2006年だからかなり時間が経過している。1枚はアコースティック、一枚はアンプを通したエレキギターの演奏が入っている。
モタを聴くのは2作品目で、前はパートナーの女性ダブルベース弾きと録った『"For Your Protection Why Don't You Just Paint Yourself Real Good..." 』というものだったから、かなりこちらの時間も空いた。しかしそのときとほとんど同じ印象。好きな人は好きな音だ(僕は好きです)。個人的にはアンプの小さな囁きも逃さず薄氷を踏むような爪弾きを保っているエレキ盤が好みかな、と。
マニュエル・モタは、Art into life経由でしか情報がなかったので、Youtubeで探ってみるとモタ以外でも面白そうなのを見つけた。


このモタとデュオしているサックス吹きPedro Sousa のバンドも面白い。


Pedro Sousa はたぶんバリトン・サックスを吹いているが、音はとことん微音。バンドの音量も気合の入った抑制を感じる。

ACRE live @ Trem Azul-Clean Feed Store
Pedro Sousaもかなりのユニットをやっている人みたいだが、この↑トリオ、ソニック・ユースを聴いてフリージャズを始めた世代、なのかどうか知らないが、好みド真ん中。ギター+アンプの歪みとサックスが混じり合って盛り上げていく感じ、最高だ。
ポルトガルリスボンか…リスボンといえばヴェンダースの『リスボン物語』で、あれは音楽がマドレデウスでなんだかなあ…という印象だったが、リスボン、マニュエル・モタを始め、こんなミュージシャンが蠢いているんならロンドンよりも面白いかもしれない。

追記))
Pedro SousaとTurntables, Electronicsを演奏するPedro Lopesという人のデュオ・ユニット「EITR」のLP『Trees Have Cancer Too』が最近リリースされたみたい。
かなりおもしろそうだったので、ポルトガルのショップ(上の映像でライブをしている「Trem Azul」というお店)にオーダーしてみた。届くのが楽しみだ。



Mashrooms @ Mittwochs Exakt
こちらもその流れで遭遇した、イタリアのインディー・ロック・オーケストラ『Mushrooms』。かなりキャリアがあるみたいで、3作目にあたるセルフタイトルの新しいアルバムは取り寄せてみたくなった。

最近の就寝前のおとも本。

胞子文学名作選

胞子文学名作選

『胞子文学名作選』。倉敷の蟲文庫田中美穂さんによる選。ものすごく凝った「製本」だけれども、しっとりと入ってくる感触の「造本」。まったくノーチェックだった小川洋子『原稿零枚日記』にのっけからやられてしまいました。つづく太宰治『魚服記』。伊藤香織『苔やはらかに』。谷川俊太郎の詩『交合』は言葉が胞子のように舞い飛び散っている(ここまで読み進んでいるということ)。
それでは。

手話シンポジウムにいってみた。@みんぱく  (と、「かえる目」とサンフォーナ(ハーディガーディ))

仕事で携わったイベントのDVD作成に、土曜日でやっと目処がついたので、日曜日、万博公園の「みんぱく」で開催された『手話言語学と音声言語学に関する国際シンポジウム(SSLL2)「言語の語順と文構造」』というシンポジウムに、関係者でもないのにただの視聴者として参加してきた。

手話に関して何か人よりも詳しいわけでもなく、ただ、混み合った地下鉄で隣で論争しているらしき人たちがあまりに音声的に静かなので気づいたら聾者の人たちで、その両手によるサインだけでなく表情もすべて使い切って行っているらしい「手話」というコミュニケーションが、やたらまっとうに、自分には思えたという、ただそれだけの理由で、10年くらい手話のことが気になってきた、それだけの理由しか自分にはないのですが、その間に、ニコラ・フィリベール のドキュメンタリー佳作『音のない世界で』を見て静かで深い感銘を受けたり、オリバー・サックスの『手話の世界へ 』や遺伝的に聾者が多かったというマーサズヴィンヤード島の本(『みんなが手話で話した島』)を読んだり、偶然知り合った手話で話せる女の子にかろうじて手話での自己紹介のやり方だけ教えてもらったりしたりしてきてはいたのだった。
ま、万博公園も久しぶりだったので。

手話の世界へ (サックス・コレクション)

手話の世界へ (サックス・コレクション)

音のない世界で [DVD]

音のない世界で [DVD]



で、このイベントは、どうも昨年もあったみたいだが、自分は知らなかった。
加えて、シンポジウムなるものに参加したのも初めてで、誰でも無資格かつ無料で、興味ある分野の専門家の第一線の発表をきけるというのは、さすが「みんぱく」だなあと思った。自分と同じような立ち位置のひとがどれだけいるのかはわかりませんが。
日曜日以前に数日、ワークショップがあって、シンポジウムはそのまとめ、みたいなものだったのかもしれないが、自分にはそれで十分だった。シンポジウムは以下のようなプログラムになっていた。

午前
「手話言語の語順」スーザン・フィッシャー(ニューヨーク市立大学大学院センター/国立民族学博物館
「手話言語の語順―問題と課題」ヨーク・スハウト(アムステルダム大学)
「音声言語研究からみたコメント―音声言語の語順」プラシャント・パルデシ(国立国語研究所
「ロシア手話とオランダ手話における情報構造の線状性と非線状性」ヴァディム・キンメルマン(アムステルダム大学)
インドネシアの手話言語における否定と完結に関する統語論」ニック・パルフレイマン(セントラル・ランカシャー大学)【(ヨーロッパ)国際手話】
午後
コメント:音声言語 ドーリス・ペイン(オレゴン大学)
「会話における文と順番:手話言語と音声言語の類似性と相違性の観点から」坊農真弓(国立情報学研究所
「言語と文化のインターフェイス:カクチケル語(グアテマラ、マヤ系言語)における目の動きと文や身ぶりの生成の相関性」酒井弘(広島大学
「一般に対するコメント」(ジェスチャー研究の視点から)細馬宏通滋賀県立大学
パネルディスカッション 発表者全員 (←途中退席につき未聴講)

シンポジウムとして当然に、パネラーはみんな英語で話した。ただ一人、ニック・パルフレイマン氏は手話で話して、フィールドワーカーとしての矜持をみせていた。イベントの性格上、すべての発表にJSL、 ASL、とあとひとつが壇上で同時通訳されていた。自分はところどころ日本語の通訳を聴いていた。聴衆の半分は聾者のようだった。
二番目のヨーク・スハウト氏はイヌイット手話をフィールドにした発表だったが、ここで興味深かったのは、共同体の聾者の子供が、みな将来を考えて最初からASLを取得していき、固有の手話言語の存続が、どちらかというと、聾者の周りの二重言語者(音声言語のネイティブで、手話を話す人)によって維持される傾向がある、という点だった。固有の手話言語が、本来想定された(という表現こそが微妙だが)話者によって使用されない、という事象はたしかに言語学的・民俗学的には損失としかいいようのないことかもしれないが、いってみれば他者の必要性によって周縁的に護られていくというのが(つまり、「環状島」的に、ともいえる)、なぜか自分にはとても「言語的」なことだと感じられた。

門外漢の自分からすると、午前の部の後半に発表した、「ロシア手話とオランダ手話における情報構造の線状性と非線状性」ヴァディム・キンメルマン氏と「インドネシアの手話言語における否定と完結に関する統語論」ニック・パルフレイマン氏が、具体的な事例に収斂した話で、一番興味をそそられた。
このシンポジウムは手話と音声言語の共通点と差異から初めて新しい言語観に到達するというコンセプトだったので、キンメルマン氏の線形・非線形のメタな切り口は先ずわかりやすかった。パルフレイマン氏は、インドネシアのSoloとMakassarという二つの都市に題材を絞って、手話言語における「否定形」と「完了形」を題材にして「語順」の問題を豊富な映像素材で炙り出していた。

以下は午前・午後のプログラムを通して頭のなかにメモッた事項。

手話言語の語順が、音声言語のそれに比べて非線形であり、マルチモーダルであり、ダブリング(反復・再帰)など多数のマーキングを含むものである(なぜ非線形的なのかというと、音声言語にある時間軸的な縛りが、両手のサインと表情、身体の位置なども手段としてもつ手話言語においては若干緩く、同じ時間のテーブルにのせることができる素材とチャンネルが多い、ということになる)。手指だけに絞って考えてみても、右手と左手のふたつのチャンネルがある、というのは、考えてみれば凄いことである。
両者に共通して、語順の生成には視線の移動が絡む(酒井弘)。
図柄をみせて物語らせる実験から統計される視線の移動軌跡からいっても、SOV型の言語が多いこと(日本語もSOV型である)は裏付けられる。
ここまでが朝からのプレゼンで、素人にもわかった内容だった。しかし、このままでは自分としてはどうも「それで?」という感じが拭えなかった。

それを拭い去ってくれたのは最後に15分の短いコメントを発した、滋賀県立大学ジェスチャー研究の細馬宏通氏だった。そう、「おっさんの体にユーミンが宿る」歌ものユニット『かえる目』の、あの「かえるさん」こと細馬宏道さんである。ちなみに、ライブではなくてアカデミックな場での(つまり本業での)細馬さんを拝見するのははじめての体験だった。
まず、細馬さんがサンプルとして流した短い映像では、オリエンテーリングの説明をしている男女のやりとりが映っていたのだが、「スタンプを押すの?」と訊ねる女の子のスタンプを押すおおぶりなジェスチャーが、音声による男の子の「ちょっと違うんだけど」という発話があるまで続くところは、いかに無意識に僕らがマルチモーダルに会話しているかの、一つの証拠だった。
細馬さんは「投射」というひとつのキーワードを付け加えることで、この日のパネラー全員の発表をさらに高い次元に押し上げていた。
語順、というのは、手話、音声問わず勿論ある、しかし、それに加えて、会話がなされるコンテクストでは、聴き手による「投射」が必ず為される。話しの結論は、話し手に対する聴き手の情報量、感情移入の度合いによって、全ての文が完成されない時点で、殆ど了解される。
場合によっては、Sと、Oの半分位で了解が成り立つ。その時成立して機能しているのは、勿論、マルチモーダルな発話行為なのだといえる。語順の問題は、多分にテクストに落とし込めることへの学究的な安堵がどこかにあるのではないか?
ここまで細馬さんが言ったわけではないが、細馬さんの「投射」という事象の提言でここまでのことを考えさせられたのは確か。

かえる目『街の名は渋谷』(2分30秒後にちゃんと演奏しているメンバーが映るのでご安心を)
ちなみに「投射」ときいて、自分がまず高柳昌行の『集団投射』を想起してしまったのはいうまでもないことです(どうでもいい!)。


みんぱくの物販で購入したCD。

『サンフォーナ、その歴史的録音1927-1949/ファウスティーノ・サンタリセス』(ビーンズ・レコード)
ジャケ写を見ればわかるかもしれないが、サンフォーナというのは「ハーディガーディ」のことだ。このCDは、スペイン・ガリシア地方の伝統的な歌をハーディガーディにのせて歌った名手サンタリセスの唯一にして全ての音源らしい。
昨年から「ハーディガーディ」の音を追い求めている感じがする自分だが、このCDもまた、新しい世界を聴かせてくれるものになりました。録音的には、どちらかというとサンタリセスの堂々たる歌唱にフォーカスされているように思える。だから、ハーディガーディのドローン的な側面のみを求める向きには少し肩透かしであることもありえる。ハーディガーディの音はちょっと小さめにサンタリセスの歌唱の背後で響いているので、サンタリセスが最初に手にとった楽器だというバグパイプの音のように聴こえなくもない。
実際、音楽が鳴っている場所では、もっと歌唱とハーディガーディの音が同じレンジで溶け合っていたのではないかな、あえていうと、そういう録音で聴きたかったなという個人的な思いもあるにはあるが、それは置いておいて、ここまで歌に添い遂げるハーディガーディを聴けることは、もしかすると、この録音を除いてほとんど皆無なのではないかと。
楽しさと悲しみが表裏一体、というといかにもありきたりな表現だが、そうとしかいえない感情を惹起させる確固とした音楽がここに収められている。