ジョディ・フォスター『それでも、愛してる(The BEAVER)』
- 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
- 発売日: 2012/11/09
- メディア: DVD
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ジョディ・フォスター監督・助演、メル・ギブソン主演の『それでも、愛してる』(原題「The BEAVER」…なんだこの邦題)を観た。
粉川哲夫と三田格の対談集『無縁のメディア』で触れられていて観てみたいと思っていたのだった。
ジョディ・フォスターの監督作品は、本作含めて3本あるようで、最初の監督作『リトルマンテイト』は劇場公開時になぜか池袋で観た記憶がある。天才少年とその母という筋で、天才子役でキャリアをはじめたジョディ・フォスターが描くべき映画、という感じがした。
ジョディ・フォスターの撮る映画は、なかなか一言でいえないが、ユーモラスな面もありながら必ずシリアスなテーマを真正面から取り扱っている、要は珍しいほどストレートなヒューマン・ドラマということなのかもしれない(ちがうかもしれない)。
本作では、メル・ギブソンが重症の鬱になった玩具メーカーの社長を演じて、鬱の恢復し難さを表現し切っている。
ジョディ・フォースターはその妻。夫の鬱に戸惑いながらももういちど向き合いたいと思っている。メル夫の鬱は極まって、ついに、右手にかぶせた腹話術用のビーバーのぬいぐるみに別人格がもたらされて、生活のあらゆる局面においてこのビーバーが語り、メル夫はそれに従うという形をとって、状況を突破しようとする。
映画の原題はわかりやすく、このビーバーからきている(小説の原作もあるみたいだ)。
このビーバーによる采配はメル夫の人生をうまくコントロールし始めるように見えるが、もちろんこのビーバーを使った腹話術もどきの行動は、「治ろう」としているのではなく、決して「治る」ことはないと自分を規定したメル夫が周囲にしかけた一種の戦争状況だといえると思う。恢復を期待するジョディ妻の期待にメル夫が応えることはできるはずもない。軋轢が表面化すると同時に、ビーバーがメル夫の人格を支配しようとし始める。そこに息子の成長物語が併走する、というのが大まかな本作の筋になっている。
この映画の中盤に、メル夫が、ビーバーをつけたままテレビのトークショーに生出演するシーンがある。この前に観た『アルゴ』のどんなに生々しく暴力的なシーンも、この場面の居心地の悪さにはかなわない。恐怖すら感じた場面だった。「治ろう」としない人間は周囲に不安を与える。観る者もその中の一人として社会がいきなり客体化されてしまうという恐怖感。