みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ブッチャー2夜と塩屋の手風琴

英国即興の開拓者ジョン・ブッチャーJohn Butcher(テナー&ソプラノ・サックス)の来日ツアー。
前日の旧グッゲンハイム邸での鈴木昭男とのデュオは行けなかったけれども、京都・大阪の二日に行くことができた。
ジョン・ブッチャーの演奏をはじめて聴いたのは最近だったと思ってブログをたどると、2010年の9月に中崎町のコモンカフェで聴いていたのだった。
(晒してみるとこんなです)http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20100921
そのときの自分の感想を読んでみると、鳥のような音色だとか書いていて自分で嫌になる(Steve Lacyにに対する表現とおんなじ)。ジョン・ブッチャーの音を表現できるような語彙は相変わらずないのだけれど、騒がず・浮かれず、もう少し聴き耳をたてることが出来るようになったのかもしれない。


5日(月)John Butcher(ss,ts), 河合拓始(p), 高岡大祐(tuba) @京都パーカーハウスロール
この日午後3時から20分間、京都市内をゲリラ豪雨が襲った。
四条烏丸駅から五条方面に10分ほど歩くと会場のバー、パーカーハウスロールがあった。老舗らしいのだけれど初めて来た。
デュオ即興×3に、トリオ即興で〆という構成。最初は高岡×河合デュオでしたが、この組み合わせからして素晴らしい演奏だった。ジョン・ブッチャーが演奏しはじめてからは、その音に驚くばかり。最後のトリオ演奏では、河合さんも鍵盤ハーモニカにスイッチし、鍵盤ハーモニカ、チューバ、サックスの音が混じり合って目を閉じればもはやどの楽器からと聴き分ける事ができないような音の霧がたゆたうのを聴いていた。
よくぞこの三人を、というこの日の面子。音波舎の中沢さんによる差配だろうか。
この夜、自分にとって得難い体験だったのは、奏者による演奏だけでなく、Bright Momentsのドラマー橋本さんの隣の席で聴けたことだった。橋本さんのジョン・ブッチャーの演奏に対する向き合い方、コメントが自分にはとても興味深かった。特に、ジョン・ブッチャーの音色の幅広さと、不意に起こった音を起点にどこまでも展開できる引出の多さ、など。



7日(水)John Butcher(ss,ts)ソロ@島之内教会
残念だけれど、この日のソロは行けないだろうなと思っていたら、会議が延期になったのでJR難波の職場から歩いて心斎橋を横切り駆けつけました。
会場は教会。以前、灰野敬二がライブをしたことがあったそうですがその時は行けなかった(他にもライブをいろいろやっているそう)。
会場に入ると、次第に大阪のライブ会場でお出会いするあのひとこのひとの顔が…。大阪のある種の音楽好きが一斉に集結しているのではないかと思いました。
1部はテナー。
音の鳴りを確かめるようにして、いくぶんオーソドックスな短めのフレーズを吹いてから、あっという間に高い集中力に登りつめて、サックスからの音が少なくとも二つ(あるいは3つめの音までも)聴こえてくる倍音の高原(プラトー)が途切れることなく続く。耳から身体がなくなっていくようにジョン・ブッチャーのソロに吸い込まれていく。客席の集中力もどんどん高まっていくのを感じた。
ジョン・ブッチャーのソロを教会の広い空間の中で聴くことができて、あらためてその「息」のキレの凄みと音の厚み(ソプラノサックスでさえ)、豊富な倍音の引出しに耳を奪われてしまった。サックスは、金管楽器は吹く人次第でここまでのことができるのか、という単純な驚きの濃厚さをかみしめてみる。
休憩挟んで2部はソプラノ。管を空気が通過してかすれるような音からまでもクリアーな倍音が立ち上って自在に動き回る。
一緒に観ていたI田さん、S藤さんらと、心斎橋のおでん屋で一杯飲み。S藤さんは勝尾寺のお坊さんなので一緒に千里中央からタクシー相乗りで帰ることになった。



8日(木)灰野敬二ソロ 海辺の手風琴@塩屋旧グッゲンハイム邸
こちらも予約しておいた、絶対聴きたかった催し。日曜の旧グッゲンハイム邸でのジョン・ブッチャー×鈴木昭男デュオは来れなかったが…(二回目)。
会社を定時であがって梅田に出て塩屋に向かうも、直前にあった地震速報のせいでJRは全線軒並み20分の遅れだった。なんとか塩屋に降り立つと海岸沿いの道は封鎖されていて山陽線側から迂回せよとの事…。それにしても旧グ邸は久しぶり。

灰野さんのハーディーガーディーのCDが好きでここ数年よく聴いていた。ハーディーガーディやトロンバ・マリーナといった楽器には、三味線や琵琶のような「サワリ」を出すための機構がある。ハーディガーディのそれは形状からいって「シヤン(犬)」といわれているそうだが、元は、トロンバ・マリーナからきた「うなり駒」という片足浮動の駒で、これが弦の振動で震えてボディーを細かく叩く、そこは変わらない。要するにビビりの音だ。それは西洋に非西洋が紛れ込んでいるように思うだけではなくて、自分にとっては自然な音のように聴こえる。
しかし、もちろん、灰野敬二のハーディガーディは中世音楽を好む人のそれではなくて、独自の音世界。
前半はわりと他でも聴きなれたような旋法を駆使して演奏しておられるように自分には思えたのだけれど、中盤からクランク手回しのリズムが明らかに独特になり、これでドローン弦のリズムもちょっと聴いたことがないような世界を構築しはじめて、旋律が舞い飛びはじめる。今夜はエフェクトなどは一切使っておられなかった(と思います)のだけれど、ファズを思いっきり踏むとのと同じような音の瞬間がハーディガーディでも何度もあった。
最後のハープ独奏がハーディガーディの音響で熱くなった空気を冷ますように響いていた。