みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

16年前のタバコの焦げ跡に落っことしたこころ:セバドー『BUBBLE & SCRAPE』

Bubble & Scrap (Exp)

Bubble & Scrap (Exp)

あれから16年も・という感慨がある、というと若干嘘であり、本当はしっかりと自分のなかでは16年の歳月が経過したのだなあと16年振りにこのアルバムを聴いてみて思うのではあります。
実はこのアルバム、あんまり好きではなかった。セバドーは個人的にはこのアルバムを出すまでが、おもしろかったと思っていて、このアルバムでは、とても「まともなバンド過ぎて」つまらない、とさえ、感じていたように記憶する(その、まともさ、というのはニック・ドレイクがハスカー・デュのリード・シンガーに収まりながら、その収まりの悪さ自体を自覚することはない、といった種類のまともさ、である)。
それでも今になって手にとって聴いてみると、意外にも当時の感情が、自分のなかで再アレンジされてくるようでいて、何曲かは今も良いし、セバドーの壊れた感じと白人ダメ青年のセンチメントに深く沈潜した詩情を見事に刻みこんでいて、うん。悪くないアルバムだったんだな、思う。そして、これ以上悪くなりようもない、という清々しい気持ち。皮肉ではなく。
http://www.sebadoh.com/
思い出深いのは、このアルバムに収録されている1曲目「Soul & Fire」の12インチアナログをフォーエーヴァーレコード3で購入した時のことで、フォーエヴァーレコードはいつも気の利いたというか、店員さんの目利きの独り言というか業界ボヤキをお店の惹句として、ジャケットに貼り付けてあったのですけれど、このシングルの時は、たしか「ソニック・ユース後の流れを最もよく示している」みたいな文句で、それは確かにロウ・ファイと呼ばれた有象無象で木端なバンド群れが登場し(それはまさに、このアルバムの中のセバドーの手によるコラージュの中の文句『みんなだれでも自分のバンドをもつべきだ』の通りだった)、ソニック・ユース自身も若いバンドと共鳴するようにメンバーの個人活動がリゾーム的に派生していたときで、アルバムでいうと94年の「Experimental Jet Set, Trash & No Star」にそういった傾向は刻印されたと思う。
僕にとっては、グランジよりも、ロウファイと呼ばれた流れの方が、初めて経験するロックのムーブメント(のようなもの)だった。誰でも音楽をやれるというスタンスでは、パンク・ムーブメントの全くの焼き直しだったと思うけれど、輸入盤屋さんに毎月のように大量に入荷される細かな(細か過ぎる)差異をもったビニール盤のそれぞれに針を落とすたびに感じた私小説的とすらいえないような、他人の日記を読まされるような感覚や、ヘナヘナな演奏、センチメンタルを回避しないモラトリアムな根性、など、まさに自分にピッタリだと思っていた。歌心に向かって、衒わずにのめりこんで、倒壊していくような演奏は、逆説的に、攻撃的であるように思えたのかもしれない。

セバドーは、上記のようなイメージを全く十全に体現するバンドであって、ライナーのの写真にみるように茫洋とした顔をしながら「Forced Love」などと多分本気で歌えてしまうルー・バロウという人も、まさにあの時期(時代とは、言わない)のウジウジとした歌心の核にいるような人だった。だといって、諸手をあげてルー・バロウだったわけでもなく、初来日を大阪ミナミのミューズホールで観たときは、最後の曲の歌詞を途中で忘れて「フ○ック」とかいって楽屋に引っ込んでしまった兄さんを観て、こちらとしては「なめんとんかワレ」という思いを禁じ得なかったですし、前座でダンボール引きこもり箱男パフォーマンスで爆裂していたデビューしたての「パラダイス・ガラージ」のほうが、まったく印象に残ったというのも、本当の話ではあります。
それはそれとして、セバドーって、16年経過して聴いても、ちっとも力強くもなく、りりしくもなく、そしてまた、こちらの万感の想いに応えるような素振りもなく、みずからの生活を垂れ流してくれる、やっぱりセバドーだなあ。というの最上級のリスペクトなのかもしれない。

この曲は、本アルバムに未収録のもっと前のアルバムに収録されていた筈でリイシューされているのかどうかもよくわからないのだけれど、一番セバドーで好きな曲だった。

【追記】
このブログをはじめたころに、そういえばセバドーのルー・バロウの別名ユニットのシングルについてエントリーを書いていたのを思い出しました。
http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20060930
トーンの変調にわれながら4年の歳月を感じます。いまや、Just Gimme Indie Rock!と俯いてつぶやくだけでは満足できない自分がいるのです。