春酔、そしてEvelyn Glennieの『音に触れる』
ここ数日、仕事帰りには、桜の花の咲いた並木坂をわざわざ上からゆっくり下っていきます。
街灯の明かりに照らされて闇に浮かぶ桜が、運がよければ夜霧にうすらぼんやりと浮かんでいる姿をみることができまして、そうなると、お酒が入らずとも酔い心地ではあります。
4月ともなると、去る人・来る人・中には産休から帰ってくる人、いろいろあり、チーム編成などもかわって慌ただしいですが、なんとか形を整えて、数か月先に見えている荒波に備えなくてはなりません。
昨日なんか、瀧道をおっせおっせと昇り降りしてシャワーを浴びたあとは、ついついスカーっと夕方まで眠ってしまいました。
先年暮れから工事中になっていた百年橋上の自然研究路も舗装完了したようで、登ってきました。
土砂が崩れてもはや「自然路」ではなく「自然」と化してしましたが、きちんと舗装、というのか木組みや金属の網で修繕・整形されておりました。これは、自然研究路を登りきって、尾根道をビジターセンターの方に向かったところで見つけた木です。
蕾が一斉に太陽に向かって浮上していくような錯覚を持ちました。
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そうそう。
先日書いていた、篆刻屋さんに発注していた「みみのまばたき」判子もついに到着。またお披露目いたします。
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そして、
そうそう。
嬉しいことがひとつあって、一年以上前に書いたエントリーを読んだというメールを、詩人の小笠原鳥類さんから頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20080203
このエントリーで、僕は、実験音楽だとか、ふつう人があんまり聴かない「音」へ向かっていく心性を、小笠原鳥類さんがかつて「いん/あうと」でお書きになっていた言葉で説明を試みたのでした。
その言葉について、小笠原鳥類さんは「自分だけが言っていることではなく、古くは吉岡実が言ってきたこと」とメールでお書きになっていた。
小笠原鳥類さんの第一詩集「素晴らしい海岸生物の観察」(2004)は、とても気になる言葉たちが群れ集っている詩集で、ずっと自分の言葉で感想してみたいと思って、そのままになっていたところに、ご本人から「読みました」メールを頂戴してしまい、以前、鈴木志郎康さんからメールを頂いたときと同様に、勝手に引用してしまっていることに関しても恐縮してしまいましたが、さらに詩集の感想を書くことについても快諾していただけました。今日はちょっと無理ですが…後日必ず。
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これは、土曜日に梅田で、先日友人に教えてもらった「まぐろや」(http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27017935/鮪専門居酒屋・鉄火巻が半端ではない)で晩御飯を食べる約束を人としていて、自分で7時前に待ち合わせといっておいて6時前に来てしまい、時間どうしようと思って「古書のまち」のほうへふらふら歩いていくと、ある古本屋さんのウィンドウにちょこんと飾られていた張り子で、一発で気に入ってしまい購入(2,000円)。
Hear No Monkey,Say No Monkey,See No Monkey...?
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Evelyn Glennieですが、もちろん自分は、『The Sugar Factory』で初めて接したミュージシャンでして、柔軟で、時としてフリスさんの演奏と区別がつかなくなってしまいそうな演奏が気になってこのドキュメンタリーを観てみようと思ったのですが、これは「大当たり」でした。
Evelyn Glennieという、幼少時に、「ほぼ聴力を失った」ミュージシャンが、「聴こえないこと」と「音楽できない/音楽を楽しめない」ことが、必ずしも、いや全くイコールではないことを、その演奏、インタビューへの受け答え、たち振る舞いなどから雄弁に語ることにも、もちろん心を打たれます。ただ、このドキュメンタリーを観ていると、だんだんと「耳が聴こえない」ファクターよりも、、その先の本来の、濃厚で、知的でもある音楽体験をしている自分に気付きます。
彼女が、自分と同じように聴覚に障害を持った子供に、打楽器の振動を身体全体で感じてみるようにアドバイスして、音楽の楽しみを伝えていく様子などからは、本体自分たちなどもこうやって音楽を楽しむべきで、つまり「みみ」に甘え切っている部分が少なからずあったのだなと、思いが新たになります。
その教え方はまるで、
この世界にあるもの一つ一つに宿っている精霊を解き放つには、ものに軽く触れ、ものから音を引き出すだけで十分だ
という、かつてジョン・ケージが、抽象映画作家オスカー・フィッシンガーから教わったパーカッションの哲学を想起させてくれもしました。
そして、さらに僕にとって素晴らしかったのは、Evelyn Glennieとフリスが、アルバム『The Sugar Factory』を録音するため、ケルンの廃屋となった大きな砂糖工場を訪れ、ほとんど現地で初顔合わせでありながら、工場内の導管や設備などおよそ音の出るあらゆるものを、工場の音響効果自体も楽器としながら、演奏をつくりあげていく様子が収められていることで、これは、フリスの以前の名作ドキュメンタリー『Step Across The Border 』に連なる興奮でした。
実際彼女が演奏している映像を観てから、先のアルバム『The Sugar Factory』をあらためるようにしてもどりつつ聴いてみると、やはり最初にまったくインフォメーションなしで通し聴いた時より、より音の緊迫というか肌理の細かさ、二人の呼吸のようなものと、実際音が鳴り響いている砂糖工場の音響もイメージできて、立体的な感じがしてきますから、このアルバムを楽しむためには是非、このドキュメンタリーを観ることをお勧めしておきたいと思います。
これはそのドキュメンタリーからの抜粋。
アルバム最後の曲の後半部分のようですが…これだけでもたまらない雰囲気ではないかと。現場で演奏を聴いたら最高だったろうなあ…。
スティーブ・ライヒの「クラッピング・ミュージック」もやってるみたい。
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