みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

再訪の(そして常駐の)白昼夢国家:ソニックユース『デイドリーム・ネイション:Deluxe Editon』

nomrakenta2007-08-29

本当に久しぶりにタワレコをうろつくと、ドアーズのアルバムが紙ジャケで全タイトルリイシューされている。
『太陽を待ちながら』などあの「とかげまつり」全編がボーナストラックでついているみたい。
これってライブ盤のやつなのか?この「ジ・エンド」と「音楽が終わったら」に続く筈だったまぼろしの長尺曲の全通し録音をありえない過去でジム・モリソンにやらせた小説を思い出した(タイトルなんだったっけ、ビーチボーイズの「スマイル」とかも完成させるロックおたく小説です)*1

でも、である。僕にとってリアルに衝撃だったのは、これ。このリイシューなのです。またか、と思われそうですが、しょーがない。僕にロック細胞があるとしたら、組み込まれているのは多分このアルバムだから。

Daydream Nation (Reis) (Dlx)

Daydream Nation (Reis) (Dlx)

1989年リリースの7作目。東西冷戦というのは当時本当にガラガラと崩れていて、次の世界がどうなるかなんて誰もわかっていなかった。とりあえずUSロックでまともなのは、ソニックユース周辺のアンダーグランドでハードコアパンクのシーンにリンクしながら、自分たちの音楽をやっているバンド達だけだった。そんな時が満ちたときにソニックユースはインディー時代の締めくくりとしてこのアルバムを制作し、ますますそんな状況がはっきりした。

サーストン「当時のSST周辺じゃダブルアルバムをつくるのはちょっとブルジョワな感じのすることだった。今でも憶えてるけど、あるときLAでライブしたとき、ヘンリー・ロリンズに、次のアルバムはダブル・アルバムになりそうで、しかも普段のフリージャムを思いっきり引き伸ばしてやるつもりなんだって言ってみたら、彼「それこそ俺がソニックユースから聴きたいと思ってたもんだよ」って言ってくれたんだ。これに優る励ましはなかったね。」
ライナーより意訳

2枚組でボーナスディスクは当時の収録曲のライブと、当時いくつかのトリビュートアルバムで完全に周りを食っていたカバー曲(ジョージ・ハリソン、ビーフハートニール・ヤング、マッドハニー)が収録されている。カバー曲で特にニール・ヤングのトリビュート『ブリッジ』に収録された「コンピューター・エイジ」を聴いた時は暴風の中をきらきらはためいているようなギターノイズの印象が強烈で、「これっすよ、これが今のロックなんすよ」などと長いこと興奮していました。マッドハニーの「タッチ・ミー・アイム・シック」はマッドハニーとの互いの曲をカバーし合ったスプリットシングルだった。まったく当時のソニックユースは何をやっても的確だった。つまり、かっこ良かった。
今回LPでリリースされたときの見開きジャケットの写真も再現されていて、当時の興奮が蘇った。多分LPでリリースされた2枚組のリアルタイムのロックアルバムに感動したのは色んな意味で最後だったろう。ブックレットには当時の「ロシア盤」(海賊盤?)の妙ちくりんなジャケットまでご丁寧に載せてある。
「とにかくすげえノイズバンド」みたいな当時のリスナーの無知(ほんとに無知)に対して、堂々と差し出されたゲルハルト・リヒターの幽玄というより不気味な皮膚感覚を起こさせる蝋燭のペインティングが、1989年という状況の中で、一体何を暗示しているのか全く分からなかったが、不敵さだけは十分に伝わっていたことでしょう。ネイション的な論議がまことにうるさくなった昨今でも、この「白昼夢国家」が何を意味しているのか、僕にはよくわからない。多分(そして当然)「アメリカ」のことなんですけども。白昼夢どころではないので、その点ではなんだか違和感は残る。マイケル・ムーアなんかと親和性があるかもね(思いつきですけどね)。
この作品のあとでニルヴァーナの「ネヴァーマインド」を聴いたとき、ほんとに申し訳ないんだが、まったく退化してしまっているような残念な気持ちに、正直言うとなったもんです。

今回、音もクリアで分厚くなっているし、もっとも心配だった彼らのギターの「繊細さ」が最初の『テーンエイジ・ライオット』のイントロから完璧に鳴っていて、とても嬉しい。そうなんです。ソニックユースのギターサウンドがただやかましく力任せのノイズだったことは一度もない。リディア・ランチにいわせれば「何重もの音のカーテン」のような豊饒があるんです。(・・・訂正、「ダーティ」の頃だけはちょっと個人的には良くないと思う。)
デイドリームネイション』は、いうまでもなくソニックユースのインディー時代総仕上げ、かつUSのプレグランジ(ジャンクとか言われてたんだよな)なバンド群をメジャーに押し上げたアルバムというのが一般的な評価。でも、このアルバムの2枚組で各盤に印象的なシンボルをあしらったりして、レッド・ツェッペリンの「Ⅳ」のような古典的な「ロック大作」のフォーマットを意図的になぞらえた上で、当時のソニックユースの留まるところをしらない音の伸縮、痙攣、爆発、詩情を呼吸させきってまだ余力があるという、要はモンスターアルバムである。
最後の「三部作」なんてそういう意味でかなり意図的だと思う。多分にもれずリリース当時のフェイバリットは「テーンエイジ・ライオット」でしたが、今もっともわかりやすいのは「キャンドル」と「シルヴァーロケット」あたりか。金属的に引き攣ったと思ったら歌いあげ、次の瞬間にはブレイクしている緻密な曲の構成と、ノーウェイブ〜グレン・ブランカ周辺の実験音楽からハードコアパンクにのめりこみ、でもやっぱりとテレビジョン・ライクなネオ・サイケも通過し切ってきた彼らの背骨がついに見えたアルバムだった(かなり語弊ある)。

十代の頃にリアルタイムで興奮できるロックアルバムに出合っておかなければ、あとのロックは味気ないもんだと、そんなこといわれたら昔は抵抗があったが、今になるとやはりそうなるのかとも思う。ソニックユースの「デイドリーム・ネイション」は、僕にとってそんな言葉に拮抗できる殆ど唯一のアルバムだと本当に思う。ジャンク〜グランジ以降に出てきたバンドたちは良い意味でも悪い意味でも「批評家・趣味家のロック」という属性があった。MTV時代にマイナーなロックを選択すること自体がそんな属性を自ずから彼らに与えていた。それは、そんな音楽をわざわざ探して聴くリスナーにとっても同じことだった。ニルヴァーナがブレイクしたからといって、自分が「ロックおたく」であることに何の変化もなく、アメリカ映画で不必要なくらい高価そうなネルシャツを着ている馬鹿が目に付くようになっただけだった。
でも間違いなくそんな中の一つの音楽的ピークだった筈のこのアルバムにあるのは、クールな批評眼といってみれば動物的な感覚だ。このアルバムの中でのバンドは、ただ怒り狂っているだけなのでもカルトバンドになりたいだけの偏屈でもなく、徹底的な醒めた佇まいで、ギターノイズをのたくらせている美学者たちなのだ。

*1:「ロックおたく小説」が何かわかった。これでした。→グリンプス (創元SF文庫)