みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

あじさい断考/京都でル・クレジオ/『虹飲み老』の風/The Geraldine FibbersのYoo Doo Right

nomrakenta2008-06-15


最近ちょっと間があくようになってしまいましたが。仕事関係でお勉強しなくてはならないことがありましてですね。物覚えが悪くなった頭をフル稼動させて(も大したことない)うめいているところです。

昨日は久しぶりにリュックを担いで瀧道行脚。
通り道の西江寺の坂道に、あじさいが咲いていることにはじめて気づいた。こないだ自分で随分時期の早いあじさいの鉢を花屋さんで購入してから、あじさいに注意がいくようになっていたのだけれど、最近いろんなお家のあじさいは、青にせよ赤紫にせよ色がどれも凄く濃いのでびっくりする。自分が買ったのは黄色から青へのグラデーションをなすものでもなく、単に淡い水色のもので、あれが自分の中の基本になっているので、他はどれもどぎつい印象である。しかし、西江寺の坂道のあじさいさんは、いい感じであった。おもしろいのは、6つくらいのあじさいの花のかたまりがあって、それぞれが咲きかけ、、色がつきはじめ、グラデーション、咲き誇り、そして枯れ果て(これだけ爆撃を受けたように焦げ茶色)とあじさいの花の成り行きの相をランダムな配置で見せてくれていて、時間がねじられてコマ送りや逆回転をかけられているようでもあり、また何もなかったようでもあり面白く、しばらく立ち留まる。
あじさいの花、といっておもしろいのは、その花はたいていの場合、花の集合である点でしょうか(花にみえるのは正確には「がく片」らしいですが)。寄り添ったかんじがなんとも。その風情でいくなら、やはり色は淡い水色の方が、雨を透かすようで、とても似合っているとも思う。
あじさいにこんなに関心がいくようになったのは、鈴木志郎康さんの映画『あじさいならい』を観てから、です。


今日は、ぶらりと京都に行ってみる。といってもぶらりと行くのが目的ではなくて、なんだか自室にいるのが落ち着かなくなって、京都までの電車の中でお仕事のお勉強をしようという算段だったのである。別に京都の町を歩こうなどとは思っていない。ちょうど良い距離なんである。阪急梅田で特急に乗って、早速テキストの模試をやりはじめる。烏丸に着くまでに2部ある模試を全部やる。結果は7割。復習しつつあともう一回やれば頭にすんなり入ってくれないところもフォローできるか。
京都に着いてコトクロス地下のサンマルクカフェに入る。チョコクロ、好きなのです。コーヒー呑みつつ、さきほどのテキストをチェック・・・は10分くらいで止めておいて、読みかけのル・クレジオの『向こう側への旅』を開く。
この『向こう側への旅』は、とくに保険料率やら確定拠出年金やらのハナシの後に読むには相当読みにくい(笑)代物で、デビュー当時の村上龍のようなドラッギーなのに(言葉を通過するゆえに)硬質な幻視がさらに優雅な感じで延々続くと思っていただいて、まず外れではないです。
物語というより、ル・クレジオ自身のエクリチュール的幻視行といってしまった方がよさそうだが、3章で構成されているものの、第一章は、始原の海での巨大なイカのような存在のモノローグで比較的短く、大半はその後の「ナジャ・ナジャ」という不思議な少女の話が占めている様子(第三章はまだ遠い、遠すぎる)。いまのところナジャ・ナジャが不思議だというよりも、その周りの世界も相当不思議である。

この国では、人々は歩かないで踊る。踊るために音楽はいらない。君は、君の体のなかにあるわずかな音に耳を傾ける。血管のなかの血の音だの、肺のなかの空気の音が聞こえ、君は踊る。
この国で人々がものを言わないのという次第を述べることはむずかしい。とくにこんなふうに、言葉を使って述べるのはむずかしいことだ。すべてはあまりに静かなので、鼓膜はひっこみ、口は乾いてしまう。ナジャ・ナジャだけが、徹底的にやれる。われわれも多少はやってみるが、沈黙のすぐそばにいて、そこでは、建物の壁にまだ多少言葉が書かれているし、人々の口からは、身を小さくくねらせながら言葉が出てくるのだ。
――ル・クレジオ『向こう側への旅』p.22

この国は通常の「ことば」の国のすぐ近くにあるそうで、ナジャ・ナジャはふと思い立ったら、息をとめて、この言葉のない国にいけるのだそう。クレジオの言い回しは悉く優雅で詩的なのだけれど、まともな筋追いなど読者に許してくれない。それでも『調書』に比べればまだ読み抜けれそうが気がしているところ。

サンマルクカフェを出て、本屋をぶらぶらして帰る。こないだ京都に来たときジュンク堂で発見していた鈴木志郎康さんの1987年に出た詩集『虹飲み老』をしめしめとキープし(『声の生地』はサイン本があった・・・これから買う人が羨ましい)、おもしろそう(だけど出版は2006年で新刊ではない)なデヴィッド・ソズノウスキという作家の『大吸血時代』という小説と、マルセル・モースの『贈与論』の新装版が出ていたの仰天して買ってしまう。

大吸血時代

大吸血時代

『大吸血時代』は、これでもかなタイトルですが原題は『Vamped』。「中年の危機に陥った」ヴァンパイヤが、なんと人間の子供(女の子)を育てる羽目になってしまうという、語り口がへうげた感じで好印象の作品。言うまでもない文化人類学の古典。いうまでもなくここに書かれている民俗というものがリアルなものとは言えないことは論を待たないわけですが・・・なんか、読みたいのですね。

鈴木志郎康さんの『虹飲み老』に収録された詩作品は、たぶん『あじさいならい』や『風を追って』といった映画作品が撮られたのと同時期といってもいいのではないかと、そんな期待があった。そう思っていたら、冒頭近くの『風の味蕾』という作品にこんな数行があった。

風の音を録るために
ヘッドホン被ってガンマイク片手に
家の前に立っていると
風の中をはしゃいで、風を切って
坂を走り下って来た子供が曲がり切れずに自転車ごと転んで額から血
を流して泣いていたが、わたしは駆け寄ろうとはしなかった、丁
度風が吹いて、葉のざわめきの中に子が泣いている声が録れて
――鈴木志郎康『虹飲み老』p.20

これって、まさに映画『風を追って』の最初のあたりにでてくるシーンではないだろうかと思った。映画では、風の音がぶうぶういう中カメラが家の前(?)の木立をずっと撮っていて、突然子供の泣き声が聴こえて、鈴木さんが奥さん(か誰か)に「ああ、転んじゃったんだ」と言っている声がきこえていた、ように思う。そう思うと、映像の記憶と一緒に、ページの奥にも風が吹いているような気がしてきた。いや、確かに吹いていたのだ、と思い直す。


帰宅後、明日の用意。をしながらこのエントリーを書いている。

先々週にYouTubeでジャーマンロックのカンの大曲『You Doo Right』が聴けるかなと思って検索してみたら、カン自身のものではあまり良いものがなくって、代わりに女の子ヴォーカルと女性ヴァイオリニストとウッドベースを擁した妙な編成のバンドが『Yoo Doo Right』をカウ・パンク(ローン・ジャスティス?)ヴァージョンでやっているのを見つけた。
・・・リンク貼ろうと思ったら、「もう見れません」と言われてしまいました。というかこの曲が見れたテキサスでのFibbersの映像が全て×だった・・・ので替わりにこれは、ヴォーカルCarlaと、ノイズギターの雄ネルス・クラインNels ClineとのユニットScarnellaで『Times Square』 。

マリアンヌ・フェイスフルのカヴァーで、余韻たっぷりのギターとのデュオで聴かせてくれます。Carlaにはちょっとリディア・ランチのような翳りがあるようで、それも、良い。

で、The Geraldine Fibbersというバンドですが、活動は1995年〜1998年くらいのようですでに解散している。『You Doo Right』は、オルタナティブTVのマーク・ペリーとか、PILのジョン・ライドンだとかが好きだった、というようなエピソードを朧げに憶えているのだけれど、こんなバンドがカバーしていたとはまったく知りませんでした。ほとんどサビから歌い始めていて、しかもちゃんと彼らなりの『You Doo Right』のウネリを醸しているので、嬉しくなりつつ、1995年あたりといえば自分もUSインディーものは結構聴いていたつもりなのに、アルバムのジャケットにすら見覚えがない、まったく素通りだった不明を恥じる。

Butch

Butch

『You Doo Right』のカヴァーバージョンはこの『BUTCH』というアルバム(2nd?)で聴ける。このアルバム、カントリーとパンクを無作法に合体させたようでいて、ヴォーカルのCarla Bozulichのブッちぎれた表現欲求と、もう一人の女性メンバーによるヴァイオリンが不整合を無理やり綱渡りしているような様が今聴いてもムラムラハラハラしてくるし、さきほどのネルス・クラインも全面参加して、アルバムに一筋縄ではいかない肌触りを与えている。
砂の匂いがするような明るいメロディのカウ・パンクから、つんのめるようなノイズギター、カンっぽい印象的なベースラインから勢いよく走り出す曲(この曲は以前いたTh' Faith Healersというバンドを思い出させてくれる。彼らも女性ヴォーカルで、カンの『Mother Sky』をラウドな音でカヴァーしていた)、そして最後はクラインのインプロと、昂ぶりと沈静を上手く使い分けてもいる。当時は音圧だけでいえばこれくらいのバンドは一杯いたけれど、今だからこそ目だっておもしろく思える。
これのほかは1STしか聴けていないが、収録の『Dragon Lady』という曲は、かなり好き。

Carla Bozulichは、EVANGELISTAというバンドでもソロでも現在も活動中。