何からかというと、準備ができていないうちにわかってしまうことからだ:ジンジャーエールの素を仕込む、カナヘビのこと、レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』、前島幹雄『フクシマ/ヒロシマランニング』
9時に目が覚めた、のでまだ間に合うと思い瀧道へ向かう。
向かう途中の公園の脇道で、カナヘビがチョロっと溝に逃げ出すのが目の脇にはいった。
今日は暑さもまだゆるいし、幸先がいい。カナヘビという単語自体、10年くらい忘れていたとおもう。
だから幸先がいいと思った。
僕がほんとうに子供のころ(箕面の山がまだマンション色ではなくてもっと緑色だったころだ)、家族と箕面に来て幼稚園にあがったり庭や家の前で遊んでいたころ、カナヘビをもっと、毎日、見かけた(アオダイショウだっていたのだ)。
つかまえようとして尻尾をつかむと尻尾が切れてしまって本体は逃げ出してしまったり(さすがに罪悪感を感じた)、運よく胴体を押さえることに成功して指を這い上らせたときの、あのちょっと冷っとしてこそばゆい感覚。
そのころはもっとカナヘビは大きかった。僕の人差し指をその胴体は丸抱えしていた。あっちはたぶんカナヘビの大人で、こっちはヒトのガキンチョだったから。
そしてこれが自分として一番大事な思い出で、カナヘビというからには、トカゲではなくて、こいつらはヘビから足が生えたいきものなのである、という認識にじぶんとしてはこだわった(もちろん誤りです)。
カナヘビがハチュールイ(コモドドラゴンとかティラノサウルスとか)のくせに目がクリクリして可愛らしく(エリマキトカゲよりもカナヘビのほうが可愛らしいと今でもおもう)すばしこく(数年前「ダーウィンが来た」で見た水面を走るトカゲのほうが凄い)いつもビクビクしてカヨワイのは、カナヘビが足が生えてしまってヘビ的なアウトサイダーなステイタスから堕ちて「こちら側」(足有りの世界?)へ来てしまった引け目のあるやつらだからである。
それが、百舌の早贄の恐ろしい写真をどこかで見て、心底びびってしまった僕の組み立てた物語だった。物語はなにかから防御してくれる。
何からなのかというと、多分、準備ができていないうちに、全部わかってしまうというか感じてしまうことからだ。
*
3月11日から、絶句と感情のブレーカーが落ちてしまったような感覚に、阪神淡路大震災のときと同じように麻痺させられている。
「それだけ」ならば、僕はこの本をもっと素直に読了して、恥ずかしげもなく読後の感想をブログに綴っていただろう。

災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)
- 作者: レベッカ・ソルニット,高月園子
- 出版社/メーカー: 亜紀書房
- 発売日: 2010/12/17
- メディア: 単行本
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そんなことがたちまち書けなくなったのは、もちろん福島原発のことがどんどん酷くなるとわかってきたからだった。
日本の三度目の被曝ということと、世界唯一の被曝国が放射能汚染をしてしまうという事態は、もはや本書の例としてのぼることを許されることではないのではないか、というケガレ感を自分にもたらしてしまったし、「プロジェクトFUKUSHIMA!」で遠藤ミチロウが、福島で起こっていることは「内戦」であると書いたとき、自分もそのバイアスを全く共有していると思った。
こんな粗雑で幼稚なことを書いていていいのかと思う。
たとえば、アマゾンの本書に対するレビュー文を読んでいるとさすがトップレビュアーと感じる冷静な文章が書いてある。これらもまったくその通りだと思う。
しかし、本当に本書を手にとってそして次第に読み進めることが困難になっていくという経験をしたからにはその理由を自分で考えなくてはならなかったし書いておかなければとも思った。それが自分なりの本書の読み方ではある。
本書にはハリケーンカトリーナや9.11など21世紀の記憶に新しい災禍だけでなく、サンフランシスコ大地震(1906年)、ハリファックスの大爆発(1917年)など少なくとも自分は詳細をよく知らなかった歴史的な自然災害・事故のその時、ひとびとがどれだけ利他的で無償の行為をもとにしたコミュニティを瞬時に形成してきたかを詳細に描いている。
その記載だけで読む価値はある。
これらの共同体を「地獄でこそたちあがる楽園」と躊躇いもなく呼んでしまうレベッカ・ソルニットというひとがどんな人物なのかというと、メキシコの章でサパティスタが語られ、9.11のNYの章ではハキム・ベイが語られるあたりから自分なりに勝手なイメージはできてくる。
災害直後に生起する上意下達ではなく下意上達のアナーキーなネットワークを描きだそうということなのかな、というくらいのレベルですが。
それなら「そういう界隈」のひとから、本書に対する自分が感じた違和感めいたものの表明はないのかと思っていると、河出から出た『思想としての3.11』(「3.11」と書くことで何か表現されているから受け取らなければならないというのが厭でしょうがない)で、さすがに高祖岩三郎が書いていた。

- 作者: 河出書房新社編集部
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/06/21
- メディア: 単行本
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だがこの放射線被曝を伴った機構/装置の自己崩壊は、同時に災害資本主義を対を為すかのように提起されたレベッカ・ソルニットの「災害ユートピア」に、新しい挑戦状をたたきつけている。言い換えると、全き復興不能な災害、つまり被曝の日常化は、異なった世界を創造しようとする「希望の原理」(エルンスト・ブロッホ)に、新しい足枷をはめてしまった。被曝の可能性は、ユートピア的思考の時間概念(射程)を無際限化し、空間概念(場所)を甚だしく限定してしまう。それは「まだ/ない存在」の実践にとって、これまでにない重荷となる。われわれは無論「希望の原理」を投げることはない。そういうわけにいかない。だが、そこには今やある決定的な迂回が必要になった。
―――『思想としての3.11』p.177-178 河出書房新社
『災害ユートピア』を手放しで絶賛したいという欲望が予想通りに僕のなかで頓挫したし、そうでなければいけなかったと感じていることについて、この文章の中の「迂回」という単語ほどしっくりする言葉はなかった(必ずしも高祖岩三郎がこの言葉で伝えようとした事態ではないのだろうとしても)。
そして、この「迂回」はとても永くなりそうである。
*
しかし、自分としてもっと腑に落ちているのはこの本である。

フクシマ/ヒロシマランニング―老俳優の見た東日本大震災被災地
- 作者: 前島幹雄
- 出版社/メーカー: 彩流社
- 発売日: 2011/06
- メディア: 単行本
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失礼を承知で書いてしまうと、このひとの放射能オブセッションは極めて独自に培養されたものだと思う。
論理も僕などが読むと、ところどころ跳んだり破綻しているようにも感じてしまう(少なからぬ誤字のせいではないかと思う。しかしこれは僕も同じ…)。
それでも自らの喉頭がん治療の合間を縫うようにして乳母車を押しながら直後の被災地をじぶんで見ずに・聴かずに・嗅がずに・立たずに・触れずにはおれないと飛び込んでいき、浮浪者さながらの野宿をして被災地の写真を撮り、日記を綴る。その合間に「お前のような男は殴りたい」と被災者に罵倒され、また野宿しようとする場所からも追い立てられたりする。それでもいちど治療のために東京に戻り、また被災地に戻る。きれいごとで済まないことも重々承知、嘲笑・非難されても折れない(実際知人から非難されたと書いてある)。
駅に戻り、立ち食いのカウンターの前に立つと、地味なマフラーで頭を覆った小柄な漁師の女が、ぼくの顔を見ていった。
「息子の嫁を持っていかれた」と、カウンターの中の小母さんに話していたことを繰り返す。
それほどの悲しみも大袈裟な表現でも、感情のこもった言葉の響きでもない。しかし、「嫁を持っていかれた」という主語と動詞の間に、「津波」という無限の言葉が入っているいるようで、ぼくは動揺しヨロヨロとする。
うどん屋の小母さんが、カウンターの奥から、静かに諭す偉大な女説教師のように、落ち着いて優しく「そういう定めだったんだね」と慰める。
「生まれ落ちたときからの決まりだったのさ」
ぼくは、悲しみの最中にうどんを注文する非礼にとまどい、躊躇していると、小母さんがぼくの顔を覚えていて、注文を聞いてくれる。
「娘さんは気の毒でしたね」と、毒にもならないことをいう。
―――『前島幹雄『フクシマ/ヒロシマランニング』p.64 彩流社
このあと、ホタテの入った名物うどんをすすり、その場の悲しみと無関係に「うまい」と感じてしまうという描写がつづく。
それみたことか、いう人がいるだろう。こんな無神経な場面を演じざる得なくなるのだから、組織的なボランティアにも関われない者が見物目的に被災地に行くな、と痛ましい顔で諭す人も。
それでも本書の著者は、自分の目で見て考えを進めるために被災地に行くことを止められなかったのだ。なぜなら、第三の「ヒバク」という縦糸に、自分も、戦後日本も貫かれてしまっていることがわかったから。
先にも書いたようにその顛末をひたすら著者の論理でみていこうとする姿勢は傲慢ではなく、誠実であるというべきだと思う。
自分にとっての物語はつくられなければならない。
なぜなら、多分、ものがたりが、準備ができていないうちに、すべてを感じてしまっても、なにも語れなくなってしまうからだ。そう思ったとしても、知ることから逃れられるわけではないのだし。
そして、そのそれぞれに影響されたり信じたりする必要はない。それぞれの強度がどこにどの程度どんな方向であるのか、それを感じることができるなら、今はそれでいい。
*
カナヘビを見たあと、瀧道に入って、谷間の樹木の影に入ってどんどん登る。
一週間ほど運動らしいことをしていなかったから、汗がだくだく流れてくる。瀧の上に駐車場を越えてもう少し高みまで登る。西へ行けば池田にも通じる小さな尾根道に出て葉の緑が濃くきらめくのを見て嬉しくなる。
そのまま下山。
シャワーを浴びて、今日はジンジャーエールの素を仕込む。
ツイッターでフォローしてるひとの何人かが自分で仕込んでいるのを読んで、この夏は自分も仕込んでみようと思ったのでした。
Googleで検索して一番上にきたレシピを参考に分量は自分の好みの味になるように塩梅してみる。
生姜は180gの新生姜(洗ってあるやつ)を買って擦りおろし、シナモンスティック1.5本、ちいさな鷹の爪1つ、クローブ5つ、三温糖、はちみつ、水を鍋で、沸騰させて香りを飛ばさないように弱火で20分煮込んでボールに原液を漉し出す。
氷水で冷ました後の原液に、レモンを丸一個ギュギュっと搾る。レモンが多すぎなのか、参考にしたサイトの出来上がりに比べて色が明らかにピンク。
たぶん、これで14,5杯分くらいはいけるのではないか?
ここで、製氷室をみると氷が切れている。
近所のコンビニまで自転車をこいで買いに行くと、先週までコンビニがあったビルの一階がまぬけの空に。呆然としていると、通りの斜め向かい側に新しく駐車場も完備した同じセブンイレブンが出来ている。もしやと入ると、前のコンビニでレジに立っていたやたらと動作の遅いおじさんがいた。通り向かいの広い地所に移転したようだった。
「移転したんですねえ」とレジに氷の袋をひとつ持っていったときに声をかけると、
「そうそう、先週ね」とぶっきらぼうに答えてくれる。
そうそう、このおじさんはこういう人。
まずソーダ水で割ってジンジャーエールにしてみると、狙いどおり甘みを抑えたドライな味になっていたのでひと安心。
夕食時にビールと割ってみると甘みを感じておもしろい。最後はドライジンとソーダ水で割ってみると、これは定番な味がしたので、まあ成功か。