みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

倉地久美夫:映画『庭にお願い』、ライブ@天満鉄道広告社ビル社長室

かなり遡りますが。6月最後の週は7月最初の週で、シンガー倉地久美夫さんの「週」になりました。
7月1日(金)に十三の第七藝術劇場に映画。一日空けて3日(日)に天満の鉄道広告社ビル社長室でライブ。

倉地久美夫ドキュメンタリー『庭にお願い』。
倉地久美夫というひとを知ったのは新世界のブリッジがなくなる1年くらい前なので、浅い部類の人間な筈ですが、このドキュメンタリー、倉地久美夫さんという異能を語るのに有効なフレーズが詰め込まれた佳作になっていたかと。
中でも、高円寺「円盤」田口さんの「異様だということが誰からみてもわかるというのは大衆性」という意味の発言には目からうろこでした。よくよく考えるとたぶん異論が出るだろうけど、その論理のフックが倉地久美夫というアーティストに似合ってるとまず感じることのほうが重要。

一番自分がもっている印象と近いところを言い当ててくれているのは、石橋英子さんの「自分のなかのはしっこのことばにできていない部分を表現されていると思って涙が出てしまった」というところでした。
確かにそういう、自分に才能も勇気もそしておそらくは根気もないために手から漏れおちていくままの、こだわるべきだったかもしれない細部のひとつひとつ。倉地久美夫が目の前でギターを弾いて歌いあげているのを見るのは、そういったものが確実にかたちにしている人がいるのだ、という感動なのかもしません。

デビュー当時の東京でのバンド「アジャ・クレヨンズ」の映像など、貴重な映像も豊富。驚きつつ当然とも感じるのが、倉地さん本人の佇まいってほとんど変わっていないということ。

倉地さんの父親、画家である樺山久夫氏の作品も凄いものだなと思い、芸術家の血というのがあるのかなとも思ったりした。



そして、1日置いた日曜日は、天満の鉄道広告社社長室でのライブへ。会場は20名しか入れないということで、早めに予約しておいてよかった…。
お昼過ぎ、梅田から歩いて商店街を抜けてふらふら天満を歩く。日射しが強くてしんどい。

街路樹のミドリの

碧や翠に癒されつつ、

鳥、

ねこ。
このあと、にわか雨に降られました。公園を急ぎ足で通りすぎて、雨宿りしようとしたビルが鉄道広告社ビル、だった。

『細胞文学』を観たことがないのですが、黒田誠二郎さんをはじめて聴いた。痩せた長身でギターを抱え込むようにしてマイクに息を吹き込むようにして歌っておられた。デレク・ベイリーニック・ドレイクを弾いているような錯覚がやってきて、否ちがうよと目の前のひとが静かに歌う。「まるで」とか「のように」という聴き方はやめなくてはいけません。不覚にも涙がでそうになってしまった。

倉地さんのセットは、はじめにソロ、そしてウッドベースの稲田誠さんが加わる構成でした。演奏の素晴らしさ、会場のコンパクトさ、聴衆の熱心さ、窓からの逆光、すべてが合わさって極上の時間。
個人的に感動してしまったのはインスト二曲。「さかさまの新幹線」と稲田さん加わっての「風景」。間近で観/聴かせていただいていると、やさしげでありつつ孤絶したような歌唱と、アンプを通したギターの音の鳴りや歪みが巧みにコントロールされていて、曲の輪郭が、絵に描くようにはっきりと切り取られていくような気がする。はじめてブリッジで倉地さんの演奏を聴いたとき、即興かと思ってしまったのだった。その前にアルバムを一枚でも聴いていれば、練り上げられた柔軟さに気づいただろうに(このときのように)。ワンマン・サウンドシステムとして完成されているひとなのだな、と感じてしまいました。
あらためて、倉地久美夫というひとの、異様な音楽性について(ただ一人ビーフハートと比されてもいいほどであるにしても)、まるでアウトサイダー・アートであるかのように語るのは、やっぱり手抜きであり恥ずかしいことだと思う。


ライブ後、梅田にとってかえす途中で見つけた店舗。

叫んでいるよ。