みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

冬のコラージュ : チャトウィンからのヘルツォーク、メカスからのコーネルの映画、友川カズキ@心斎橋ジャニス、『アンフォルム』

 昼過ぎに自宅から牧落駅のほうに。多幸感のある日射し。

 蕾たちはまだまだ、固く。

 踏切前の行きつけのパン屋で、ナンより薄いチーズパリパリを5枚、帰り道に赤ワインとウィスキー、箕面駅前で煙草二箱、日焼けサロンに通っていそうなおじさんのやってる八百屋でレンコン購入(しかしこのレンコンは安いだけあって味がスカスカでした)。市の重心は何年も前から千里側のモールに移行してしまっている。




 先週の木曜日は、心斎橋ジャニスで友川カズキさんのライブでした。友川カズキさんは知っていたけれど、はじめてのライブ。ジャニスというお店自体はじめてきましたが、お客はほぼ満員で、職場から駆けつけましたが連れが席取ってくれていなければ座れなかった。ドリンクチケット交換しにいこうにも列になっていて一部の終わりまで行けなかった。
 ライブのほうは、「たゆたう」のイガキアキコさんがヴァイオリンで4曲とアンコールに入っておられて、ピアノとアコーディオンが永畑雅人さんとドラムに石塚俊明さん。
「ピストル」や「サーカス」なんかの有名な曲も聴けたし、昨年末のドミューンでの友川さんのライブでもおもしろかったトークも、やはり炸裂していた。
 ヴィンセント・ムーンが撮った『花々の過失』(大阪では十三第七藝術劇場、観に行きたいけど行けなさそう)をもうかなりの数の人が観ているという話から、かくれファンってなんで隠れているのか?罪つくりな人たち、みたいな言葉で最初から客席を沸かしておられました。
新しいアルバム『青いアイスピック』からの「ひとりぼっちは絵描きになる]
が個人的なハイライトで、鷲掴みにされてしまった。
 Take Away Showの友川さんも凄いものです。




 ブルース・チャトウィンの『どうして僕はこんなところに(原題:What am I doing Here)』を読んでいたら、ヴェルナー・ヘルツォークのことが書いてあった。

どうして僕はこんなところに

どうして僕はこんなところに

ヘルツォークが1987年に公開した『コブラ・ヴェルデ Cobra Verde』は、チャトウィンの小説『ウィダの総督』を映画化したものだったと知る。
 冒頭のヘルツォークとの馴れ初めに関連して、もともと、感情移入が困難を極めるほどに暴力性が高くなった小説執筆の後半、チャトウィンは映像イメージの連鎖を方法として選択した。そのとき頭にあったのがヘルツォークの映画だった、と述懐している。そして小説を映画化するなら、ヘルツォークしかいない、とまで言っていたらしい。

 しかしそのあと、ヘルツォークアボリジニについての映画『緑の蟻が夢見るところ』(←この映画のVHS、どなたかお持ちではないでしょうか?)の脚本に行き詰まり、同じようにオーストラリア奥地を旅してアボリジニと土地の関わりに関して考えていたチャトウィンに助力を乞うたのだけれど、生憎二人の考えが収斂することはなかったようだ。そのときチャトウィンは『ウィダの総督』を一冊手渡していて、ヘルツォークからは「いつか映画にしよう」という言葉を引き出すのに留まっていたようだ。
 ただ、チャトウィンヘルツォークの『氷上旅日記』の顛末について「歩く」ことを貫流させるようにして触れていた。

 そのうちにわかったことは、ヴェルナーが矛盾のかたまりであるということだった。非常にタフながら弱く、親しみやすい反面孤高の人で、禁欲的であり官能的であり、日常生活のストレスにはうまく対処できないのに極限下の状況は切り抜けられる人物だった。
 そして歩くことの持つ神聖な面について、まともに会話のできる唯一の相手だった。私たちは二人とも、歩くということはただ単に健康維持につながるだけではなく、この世の邪悪を正すことのできる詩的な活動であると信じていた。彼は断言していた。「歩くことは美徳であり、観光旅行は大罪である」この哲学に従って、彼は真冬に歩いてロッテ・アイスナーに会いに行った。
――ブルース・チャトウィン『どうして僕はこんなところに』p.153

 一九七四年、彼女が死の床にあると聞いたヴェルナーは、氷雪のなかミュンヘンからパリへ歩きはじめた。自分が歩けば彼女の病気が治ると信じてのことだった。ヴェルナーがロッテのアパートに着く頃には彼女は回復し、その後十年も生き続けた。
――ブルース・チャトウィン『どうして僕はこんなところに』p.154

 とうとう『ウィダの総督』が『コブラ・ヴェルデ』として映画化される動きになってくるのはこのあとである。

コブラ・ヴェルデ [DVD]

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 ガーナでのカオス状態のロケについてチャトウィンは遠慮なく書き綴っていておもしろい。主演のキンスキーに扇動されたアマゾン兵役の女たちがギャラ賃上げを要求してバンガローを取り囲んでしまうところなど、暴動寸前で。

 ヘルツォークの『氷上旅日記』をやっと読み終わる。年末から、山積みになっていく寒さにつれてヘルツォークの歩行を感じられるような錯覚に浸りながらトボトボと読み進めていたのだけれど、途中で浅田次郎の『一刀斎夢録(上・下)』が入ってきたりで読了が延びていました。

 歩きながら、以前から気に入っていた、黍(ヒルゼ)という単語が、頭から離れなくなった。そして元気よく(リユスティヒ)という単語も。単語と単語の関連を見つけようとして、頭を悩ます。元気よく歩く、というのは可能だ。また、黍を鎌で刈る、というのも合っている。だが、黍と元気よくという言葉は、結びつかない。生い茂る森がぼくの前に降伏する。峠で、二台のトラックが、運転台をくっつけて止まっている。
――――ヴェルナー・ヘルツォーク『氷上旅日記』p.98

 こういう体験は誰にでもあるんじゃないだろうか。自分のことでいえば、こないだ瀧道のスロープをてくてく登っていると、「蕎麦屋」と「バトゥータ」という言葉が突然頭が離れなくなったりして、その繋がりとか因果関係について数分考えていたことがあった。しかもそのときバトゥータをあの旅行記を書いた歴史上の人物のことだと思いだしさえもしなかった。
 頭が勝手にやってしまう単語のコラージュを、自分でつながりを埋めようとしてその断絶に思わず笑ってしまう。ヘルツォークがここに書いたのはそんなたぐいの愉しみだろうか。

 ヘルツォークが日記の最後の章つまりヘルツォークがパリのアイスナーの部屋に辿り着いた日のことをあとになって書きくわえた短い章のなかでは、上のような単語の自動コラージュが、こんどは逆に結実し、堰を切ったようにヘルツォークの口から流れ出して、アイスナーとじぶんのために、言葉では伝えられない何かを伝えることができたように読める。
 それは、二〇数日の旅路のおわりにあってこそのものだと思うから、ここでは無粋に引用したりはしない。ぜひ本書でヘルツォークとともに歩くようにして読んで辿り着いてみてほしいと思うから。
 その言葉遊びと、それに応えたアイスナーがいたであろう部屋の情景を思うと、雪が融けていくときのような後味を感じる。




**

 ジョナス・メカスの『メカスの映画日記(Movie Journal)』をパラパラ読んでいると、最後のほうにジョゼフ・コーネルの映画についての文章があった。
 あとから知ったのだけれど、一九七〇年にヴィレッジヴォイス誌に掲載されたこの「ジョーゼフ・コーネルの目につかぬ寺院」(原題:The Invisible Cathedrals of Joseph Cornell)という文章は、コーネルの映画についての最も有名かつ的確なテキストであるようす。

メカスの映画日記―ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971

メカスの映画日記―ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971

 ジョゼフ・コーネルについて自分がすぐに思いだしたのは、箱の中に、個人的で耽美的な深い夢の世界をコラージュ技法を駆使して作り続けたアーティスト、ということと、コーネルが終生ヨーロッパに行かずにクイーンズの自宅でこの作業を行ったということだけでした。

 そういえば、一〇年以上前に、コーネルの展覧会が回ってきたときに友達四人で乗用車に鮨詰になって滋賀県の美術館まで出かけた。僕と友人のひとりが(彼はまだ踊っているだろうか)、コーネルの箱の裏側のテクスチャーなんかがそれら箱の内側と同じくらい面白くて、近づいて回り込んだりして見ていたら係のオバサンに注意されたのには閉口した。コーネルの箱はそもそも絵画ではなくて本人は手にとって場合によってはぐるぐる回しながら見ていたはずなのだ。手にとって、なんてもちろん言えないけれども、せめていろんな角度から観れるように考えた展示をして然るべきだったのではないのか?
 それはどうでもいい。
 そのコーネルが、一九三〇年代から亡くなる少し前まで、実験的な映画を作成していたことについては、とても恥ずかしいのだけれど、このメカスの映画日記ではじめて知った。

 処女作である「Rose Hobart」が、コーネルがニュージャージーの倉庫で見つけた既成映画のフィルムを使って編集し、それを深いブルーのフィルター(ガラスなのかもしれない)を通して映写したものだと知って、とてもコーネルらしいと思った。Rose Hobartというのは素材にした映画の主演女優の名前らしい。コーネルは彼女だけを深い青い海の底で観たかったのだろうか。
 コーネルの映画を見たサルバドール・ダリは、自分がやろうとしたことをコーネルに先にやられたと知って激怒してコーネルにもっと箱作品を作るべきだと脅したらしい。物静かなコーネルは恐れをなしてしまって、そのあとコーネルのフィルムは滅多に公開されなくなってしまった。

 ここでメカスが観たのは、NYのAnthology Film Archivesで上映された九本のフィルムのようでそのラインナップ全てはわからないのだけれど、少なくとも一九五七年に(おそらくカメラにスタン・ブラッケージの手を借りて)撮影された『天使(Angel)』が入っていたのは下のような絶賛というより感嘆の言葉から間違いない。

泉水に落ちる水。墓地の木陰のこの上なく優しい表情の天使。天使の翼の上を通り過ぎる雲。ああ何と表現すればいいのだろう。“天使の翼にかろやかに触れて通り過ぎる雲”。この「天使」の最後のイメージは、映画が生み出した最も美しい暗喩の一つだ。
――――ジョナス・メカス『映画日記』p.356

 どうしても観たくなってYouTubeを探したらいとも簡単にその『天使』は見つかった。

 何と表現したらいいのかわからない映像感触をもっているのは天使像の翼をかすめるようにして過ぎていく雲だけではない、と思った。とても短い(わずか四分足らず、しかし十全な四分間の)フィルムだ。音もないけれど、白が色の欠落ではないように、このフィルムにおける無音は、耳にはきこえない種類の音楽がゆったりと並走している。池の鏡に映った影がこれ以外ない形でしっかりと静かに嵌まっているようにも、一秒二四コマの微細な震えを刻みながら、図と地を転換し続けているようにも見えるし、その影をゆっくりと木の葉が横切っていく動きには、何かしら永遠めいたものがある。
 ジョナス・メカスの文章には、ジョゼフ・コーネルの映画をどう表現したらいいのか、について言葉を選んでは取り消し(あるいは段落ごと)、そうではない足りない否なにも言い当てられてはいないと煩悶し、躊躇い/戸惑い続ける、そういった敬愛すべきものに向かった人間の誠実さが詰まっている。

 コーネルの映画は、彼の箱の作品やコラージュと同様、長年にわたる収集と精選と手入れの産物である。それらは自然界のさまざまなもののように、ほんの少しずつ育っていき、時が至った時に外界にあらわれる。コーネルの作品はみんなそうだ、あの彼のスタジオや地下室のありさまが物語るように。あの地下室に降り立ち、そこにあるありとあらゆる種類の無数の細かいものを見て私は息をのんだ―額、箱、リール、小さい山になった神秘的なオブジェ、オブジェの部分、それらが壁や、テーブルの上や、箱の中や、床の上や、紙袋の中やベンチや椅子の上に置かれている―どこを見わたしても、神秘的なものがほんの少しずつ育っているさまが見られた。あるものは芽生えたばかりで、小さなものが一つか二つあったり、写真の切れはしが一枚とか、玩具の腕が一つという状態であり、あるものはかなり成長しており、またあるものはほとんど完成し、血が通っているかのようだった(テーブルの上には、一ヶ月前にこのスタジオを訪れた幼女がちらかしたままの一山のオブジェがあった。彼はそれに手を触れなかった。彼にはそれが作品として完璧であるように思えたのだ。)―その場全体がまるで芸術のつぼみや花を育てる魔法の温室のようだった。そしてその中でジョーゼフ・コーネルその人は、それらの間をやさしく歩き回ったり、あれこれに手を触れたり、少しばかり何かをのせたり、じっと見つめたり、その埃を払ったりしている―庭師―なのだ。
――――ジョナス・メカス『映画日記』p.356

 端的にいって、コラージュするひとの手元には、雑多な宝石のような断片たちが集まってくるだろう(それらを宝石と認知できるかどうかがコラージュするひとであるかどうかの分かれ目だ)。たとえば、古雑誌の褪せた1ページを切り取ってまたその写真の中で微笑む女の顔だけを鋏で切り抜いたらあとの残りをあなたならどうするだろうか。女の脚元に寝そべる犬にも、どこか適切な場所があるはずなのだ。そうやってひとつのコラージュが欠けていた最後の断片を得て完成し、またひとつのコラージュの芽ができていく・・・そんな幸福な同時進行と繰り返しが彼の部屋の中にはあるのだと素人にも容易に想像はできるのだけれど、上に引用したメカスの、コーネルの地下室を実際見てきた描写の前には、何の意味もない。そうか、コーネルは夢につかえる庭師・・・。
 それでも、この卓越した描写をした直後にメカスは、映画が出来上がった正確な年代をコーネル本人に質問して困惑されたことを、激しく後悔し恥じている。年代など作品を狭く閉じ込めてしまうだけのものだ。すべては同時に、少しずつ成長し、とりわけジョゼフ・コーネルにおいては、どれもがある種の「無時間」を胚胎しているのだ、と。

 コーネルが庭師のように同時進行的に、丹精をこめて、箱や映画のなかに夢の確実な手触りを形にしていったように、メカスの文章にも同じ質の誠実さをのこしているのだと思う。



 これもYouTubeで観れてしまうコーネルの映画「ジャックの夢」。

 この作品もまた、おそらくは既成のフィルムのコラージュなのだろうか。冒頭になぜか「赤ずきん」の表紙がめくられる。暖かい部屋でまどろむ一匹の犬が、沖で沈む帆船の気配を夢見る。深海ではタツノオトシゴが乱舞して長い尻尾を海底に擦りつけている(ここですでにタツノオトシゴはドラゴンなのかもしれない)。沈没した船室で怯える姫を醜いドラゴンとなったタツノオトシゴが襲う。犬は暖かい部屋の椅子をはねとばして姫を救いにかけつける。そのあとどうなったのかはよくわからない。一瞬の犬の夢だったのかもしれない。そんな物語がなんとかつなげそうにも思える。でも、この短い映像の魅力は、物語じたいはほんとうは「どうでもいいのかもしれない」という予感のなかにあると思える。フィルムの断片のあいだの異和感がコーネルのなかの夢想の高い審級で緩やかに結合されて、どのシーンも同じくらいに強度がある。どの断片にも終わりと始まりの瞬間がある。

 とくにこの沖で沈む帆船の映像素材には、そこにコーネルによって挟み置かれたこと自体に美しさと感謝の念を抱いてしまった(それもコラージュの観賞法のひとつではあるとおもう)。
 コーネルのコラージュに思想なんてものはない。思想の萌芽が少しでもあれば(それはとても美しいだろうから)、たちどころにそれもコラージュの素材にしてしまっただろう。


 コーネルのこの作品を装丁に使用していたのが、年末のエントリーにも書いた岡田隆彦『時に岸なし』。

 岡田隆彦は詩集のなかに収められた一遍「カシオペアの椅子」という詩のなかにコーネルについての以下の文章を挿入している。

ジョセフ・コーネル(一九〇三年十二月二十四日―一九七二年十二月二十九日)、は現代アメリカの美術家。精神上の障害で一生を車椅子ですごさざるをえなかった弟を慰めるために変わった箱状の作品を作りはじめたと伝えられる。ニューヨーク州ニアックで生まれ、いちども海外に出ることなく、同州フラッシングのユートピア・パークウェイで生涯の大半を送った。
 かれの代表的な作品のひとつである「カシオペア#1」(一九六〇年頃)は、両面から見られるように作られている、やはり箱状のもの。星座表とか、ティコ(月面第三象限のクレーター)の新星や、オリオン座、牝牛座などの断片があり、ほかにもルクレチウスの本の一部や裸の少女(?)の立像の写真、コーネル好みの白いパイプなどがあって、作品を傾けるとゴロゴロころがる白い球もある。それらがコラージュされて、独特の小宇宙が形成されている。
――岡田隆彦カシオペアの椅子』「時に岸なし」p.75

 この日本語の詩じたいが直前の英語詩の翻訳として載せられていることからすればこれは日本語の読者のための注解であるはずだが、この文章の直後に、ただ一行が付け加えられていることから、突然挟み込まれた一文(それも新聞記事の切り抜き)のような感じがしてくる。そんな錯覚ですらなんともコラージュ的な感覚である。




***

 月曜社からついに出たイヴ=アラン・ポワ、ロザリンド・E・クラウスの『アンフォルム』。原書の『Formless:A User's Guide』は、とんでもない高値になっている。一九九六年にポンピドゥー・センターで開催された同名の展覧会のカタログ、なのですが、図録というしばりを超えて一冊のマニュフェストとなり、一〇数年を経て邦訳されたわけです。

アンフォルム―無形なものの事典 (芸術論叢書)

アンフォルム―無形なものの事典 (芸術論叢書)

  • 作者: イヴ=アラン・ボワ,ロザリンド・E・クラウス,Yve-Alain Bois,Rosalind E. Krauss,加治屋健司,近藤學,高桑和巳
  • 出版社/メーカー: 月曜社
  • 発売日: 2011/01/01
  • メディア: 単行本
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 「アンフォルム」といわれると、現代美術史上のいわゆる「アンフォルメル」のことだと早とちりしてしまいそうですが、本書のカバーする範囲はより広く・深い(…そして難解、というかハードコアに美術批評)。バタイユから切り拓いて現代美術に潜んできた「無形なもの」「形のない志向」というか原形質そのものの提示という表現のありかたを読み解いていく。数多い図版も、テキストの図示的なやりかたで並置されるのではなくて、ゆるやかな関連性をもっているような体裁になっている。だからこそ安易に読み進められない感触も今は感じているのですが、これは久しぶりに、後々じわじわ楽しめる現代美術関連本だといえそう。




【追記】そういえば、この本に収められた芸術の原理は、コラージュとはまったく異なっている。周囲にすり寄ってくる断片との関係性を述語的に夢のなかで統合するコーネルに代表されるやりかた。もっと生活にせりだしたラウシェンバーグなどでも関係の調整(というか調性)というものが聴きとれるのがコラージュ(あるいはアサンブラージュ)的だとすれば、「アンフォルム」は主体の内側の原形質を突き詰めていき、その沸点(あるいは氷結点)において提示する。異化の方向が内と外で異なっている*1

 いってみれば、「アンフォルム(Formless)」と「コラージュ」は、現代美術を駆動させてきた、二つの車輪であるのかもしれない。この両輪が分かちがたく混在した芸術家は、おそらくマルセル・デュシャンだ。

Marcel Duchamp: The Failed Messiah (Art Design Styles from C 1960)

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Kurt Schwitters Merzbau: The Cathedral of Erotic Misery (Building Studies, 5)

Kurt Schwitters Merzbau: The Cathedral of Erotic Misery (Building Studies, 5)

Piero Manzoni

Piero Manzoni

*1:いや、そんなに簡単にいえることではないのはよくわかっているので以下は単なる整理用のメモ。「古典的」なコラージュにおいて異化の方向は素材間で結ばれるが作品を起点とする関係性はその内に展開される(メルツバウを考慮するだけでもそうは言い切れないところが無論あるが)。「アンフォルム」においては作品みずからが世界と対峙することによって関係性を異化し始めようとする(こう書く念頭には本書でも少しふれられているピエロ・マンゾーニの「世界の台座」や「無色(アクローム)」の作品がある、もちろんそれは「アンフォルム」の方向性を代表するのかといえばただちに異論に塗れる)。それはあたかも作品ごとに「単位」を宣言して世界を測り直そうとするかのように