みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

DOWSER(ダウザー)&山本精一@堀江・萬福寺

nomrakenta2010-07-03


ダウザー、のライブである。そうそう観れる/聴けるものではないし、しかも会場である萬福寺は、心斎橋から四ツ橋筋をこえて堀江公園の向いにあるお寺であるのもおもしろいが、自分の職場から徒歩10分以内の地所なのだった。日常と非日常の境のその薄さに、なんだか感慨が湧いてきてしまう。
そうダウザーのライブ、である。観るのは2度目のはずで、最初がいつだったかエントリーを繰ると出てきた。2006年の7月、だった。これは、このブログを書き始めてからいくらもないうちに、リュック・フェラーリの現代音楽のフィルム上映会で生演奏を聴けたのでした
今回は、「PULP」というギャラリー集団の企画したアート・イベントの一環としてのライブであるらしく、ライブ直前まではお寺の建物・敷地内に映像系の作品が展示されていた、というかライブ中ももちろん展示されており、それらは夜の闇のなかのほうが発光して見栄えがよかったようです。

先日Iさん宅で知り合いになれたカメラマンのTさんご夫婦も助っ人で来られていたのでご挨拶して、ライブ開始と同時に雨がうそのようにあがった・・・ということもまったく無く、いたって普通に雨だった。
寺のちいさな境内に銀の雫のふるふるまわりに次第に夜闇が視界を縁取りはじめて、湿気が多いと暗くなるのも滲むようにくらくなるのだ、などと夢想していると、寺の空気をさらに静めるようにヴィンテージシンセの音が忍びこんできた。

二分ほどして存在したことのない国の国家のようなフレーズが歪んだ旋律で歌いあげられて、その旋律は次第に、もうひとつのシンセが散布しはじめたアモルフなパターン(これは言語矛盾)のなかに消えていき、やがて現れては消えていくモチーフ群を貫いて、濃密でコズミックな律動が立ち上がってきて、それは60分の演奏のあいだ止むことはなかった。

茫然と聴き入っているなかでも、寺の裏のビルにいる人など、いきなりこんな音楽が聴こえてくることについてどう感じるだろうか、などと、何度かは演奏の場に思いがいたるときがあった。
壮大さは微小と未生への視線を失わず、また微小さはその粒子のなかに壮大を宿していることを自覚している、寺の境内は、そんな音楽で満たされていた。

後半、女性ヴォーカルのウィスパーが入ってくるところが神々しい効果をあげていて「もしかしてこの声はPHEWさん?」とドキドキしてしまいました。

60分が経過し、すべてをやり終えた、という風に立ちつくすダウザーのお二人。

投影されている映像のせいもあって、テレビのホワイトノイズのようでもあって、いい感じだった。束の間チューニングが合っていたダウザーの音楽にチャンネルできなくなったような。


10分の休憩をはさんでの山本精一さんのステージ。
ダウザーを意識してか、始まりを意識させないようなスペーシーな演奏。映写のためなのか、山本さんの前の白い幕が邪魔をして、どんな演奏をしておられるのか全然わからなかったのが残念(ほんとうに顔しかみえない)。このあたりは正直、もちょっと気をつかってもらいたかったですよ主催者さま方。

事前に山本さんは今回ギターを使わないかも、という風にもきいていたのだけれど、中盤で(もしかしたら最初の音もそうだったかもしれない)それとわかるギターの爪弾きがあった。先に演奏したダウザーも軋むような音像の中に静謐さがあったけれども、山本さんの演奏はさらに落ち着いたチルアウトを誘うものだった。


会場物販で、ダウザーのCDR「Snip」を購入。「Snip」は「切れはし」と言う意味で(Steve Lacyにもそんな名前の曲かアルバムがあったような気がしますが)、YouTUBEにアップ済みの音源やその他未発表音源をコラージュした40分の曲が一曲は言っているのだけれど、この「配合」が一枚一枚異なるという気合の入り方。「Dowserから100の個への私信」。僕が購入したものは10/100というナンバリングがされてました。今後は、寺井さんの古書肆『砂の書』で販売されるそうです(砂の書は、なんと近日中に「隣の人間国宝に出演されるそうです!)。