みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

告知関連:鈴木昭男『SOUND REPORT』ほか

nomrakenta2010-06-20

7月4日に心斎橋で、鈴木昭男『SOUND REPORT』があります。僕はすでに予約いれておきましたが、以下のイベントを紹介させていただきます。定員もあるので興味あるかたはお早めに是非。

鈴木昭男 『SOUND REPORT』
2010年7月4日(日)開場6:30 開演7:00
前売 2,500円  当日 3,000円 (各ドリンク代別途500円要)
大阪 心斎橋 nu things JAJOUKA
大阪市 中央区 西心斎橋 2-18-18 トポロ51 地下1F
06 6211 8711
http://www.nu-things.com/index.php

※第一部 トーク(土笛のルーツを追い、京丹後市から下関まで、1000kmの道程を各地の弥生遺跡を訪ね、演奏した1ヶ月に渡る自転車旅行「さねとり」のレポートを中心に)
※第二部 パフォーマンス(大阪市内では3年ぶりの公演です。アナラポス、土笛など、CDや映像では、決して捕らえきれない素晴らしく存在感のある演奏と音響空間をぜひご体験ください)


鈴木昭男
1941年平壌に生まれる。愛知県小牧市に育つ。日本を代表するサウンド・アート作家、音と場の探求者。63年名古屋駅のホームの「階段にものを投げる」ことをきっかけに「なげかけ」と「たどり」の行為として自修イベントを始める。70年にエコー楽器「アナラポス」創作。88年には子午線上の京都府網野町で「日向ぼっこの空間」を発表。一日自然の音に耳をすますという行為で話題になる。96年ベルリンにて《点音》を始め、その後世界18箇所で実施。常に『聴く』ことを主体とする音のイヴェントやインスタレーション、創作音具によるパフォーマンスを展開し、ドクメンタ8、ドナウエッシンゲン現代音楽祭、ザールブリュッケン市美術館、大英博物館、パリ・ザツキン美術館などヨーロッパを中心に世界の主要な美術展や音楽祭に招聘されている。京都府京丹後市在住。

私は鈴木昭男を「魔術師」であると考える。(デヴィッド・トゥープ
必要なのは「聴く」ことだけだよ。(ジム・オルーク
水たまりやなんかで、小さい頃やった遊びを色々思い出した(EYE ボアダムス

予約&問い合わせ:ご予約はメールのみにて受付中。7月3日までにお名前、枚数、連絡先を記入の上、
augen3000@yahoo.co.jp
にお申し込みください。
完全アコースティックによる演奏の性格上、80名限定入場とさせていただきますので、どうぞお早目に。その他、問い合わせは 080 5369 8103(東瀬戸)まで。

制作 HOREN Music Of New Reference
http://music-reference.net/index.html
http://www.akiosuzuki.com/


ママチャリが似合いすぎる鈴木さんですね。
ご存知のかたばかりかもしれませんが、AUGEN/HORENの東瀬戸さんは、鈴木昭男さんの2002年のパフォーマンスを記録したVTR『もがり』(Augen2002)、それから鈴木昭男を語るなら外せない音生活の記録『ODDS and ENDS ―奇集』(HOREN2002)のリリースも手掛けた方です。恥ずかしながら、ぼくはこの2作品で鈴木昭男というひとのことを知りました。
とくにビデオの『もがり』は鈴木さんの音のパフォーマンスの、音のたちのぼり方に触れることができて、観終わったときは、この場にいなかった自分をかなり責めたものです。


鈴木昭男さんのパフォーマンスは、本質的に記録することができない、音が響くその場の創出だ、と思います。ですので、まずは生で観る/聴くをしたほうが絶対いいひとですので大阪近辺のかたはこの機会に是非。東瀬戸さんのプロデュースなら、まず間違いはないかと。「音」に対してぐぐっと開かれて、「聴く」ことじたいをリセットできる体験です。

あ、これは…昨年の鈴木昭男さんの京都での『耳の道場』の拙ブログでのエントリーです。→ 『「ある風景の中でin a landscape」presents 鈴木昭男『耳の道場』@京都芸術センター』


もうひとつ、昨日京都の一乗寺の「アルザス」という素敵なお店(店長さんおひとりでされている)で、Iさんたちとワインとおいしい料理を頂いていたのですが、そこでもらった個展のDM。

これ、下半分の情報が逆向きに印刷されているみたいですが、トレーシングペーパーに印刷されていますので、ひっくり返して裏からちゃんと読めます。
ここからいきなり私語りになりますが、昔、印刷会社に勤めていたころにトレーシングペーパーへの印刷がおもしろいなと思ったことがあって、それは、薄めの斤量の紙を選べば、効果上、表面/裏面という区別がなくなってしまうように感じたからでした。一方から刷ったスミベタは、片方からは微妙に霞がかかったスミ95%くらいに見える。そう見えている上からスミ100%を刷ると面白いグラデーションになるし、裏側からオペークホワイトを全面に刷って文字部分は逆像の白抜き(トレーシングペーパーなので紙白じゃないけど)にしておけば、逆側から見るとこれも視界に霞がかかったような面白い印刷物になる。営業にいったときにデザイナーさんにアイデアを求められたときに、なんどか話してみたけれど、やってみるという人はいなかった。
そんな懐かしいことを思い出させてくれるDMでした。作家さんご本人から手渡されたときにどんな作品かおききしたはずなのですが、すでにワインが回っていて、立体なのか平面なのかインスタなのかよくわからない(すいません…)でも、DMにもあしらわれている繊細な線の枝分かれが主要なモチーフになっているのかもしれません。ま、いいや、見にいけばわかるか。楽しみです。
開催情報はこちら。http://www.cap-kobe.com/studio_y3/

そういや、「アルザス」だからドイツ風の料理もあるんだろうか、などと。みなさんを待っている間に頂いたサングリアのさわやかな酸味と甘さがべっとりした空気を払いのけてくれた。

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で、同じく昨日一乗寺はじめて、ということで寄ってみた本屋「恵文社」で、通販で買おうか迷っていたSUREの小冊子を発見。欲しかった2冊を購入。

[http://www.groupsure.net/index.html:title=編集グループSURE]

谷川 アイヌの人がカムイ、カムイと言っているけれども、中川さんはそれを信じますか?というとおかしいけれども、それにたいしてどれだけ感情移入していますか?
中川 正直言うと、いまこの場で、ICレコーダーがカムイだという感覚はないです。でも、おばあさんたちの中にいるときに、それがカムイだと言われると素直に受け入れられるわけです。
――中川裕『アイヌ語のむこうに広がる世界』p.44

黒川 今、悠治さんがデヴィッド・グレーバーというアナキストの人類学者の仕事に興味をもって読んでいるのは、どうしてなんですか?
高橋 音楽をやる、それはね、記憶ってことがあるでしょ。だからまあ、忘れられないための何かを作っておく、っていうことが一つある。それからもう一つは、こうあるべきだっていう関係を、音楽として作っていく。音楽っていうのは、たとえば楽器が二つある。ちがう楽器だから、ちがうことをやっている。だけど、いっしょにやれる。だから、ちがうことをやりながら、いっしょに一つの音楽を作れるというようなもんでしょ。
黒川 うんうん。
高橋 そういうふうなものを作ったときに、対等な関係ができる。だから。それは一つのモデルなわけ。社会のモデル。それで、音楽をやることは、べつに、血が流れたりしない。だから、そういう、手段だと思ってるわけ。
――高橋悠治『ピアノは、ここにいらない 祖父と父とぼくの時代』p.108

アナーキスト人類学のための断章

アナーキスト人類学のための断章