みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

『ジュネ伝』下巻を読み終わる。Nels Clineというギタリスト。

昨日、やっとエドマンド・ホワイトの『ジュネ伝』下巻を読み終わる。

ジュネ伝〈下〉

ジュネ伝〈下〉

上巻で、『花のノートルダム』から『葬儀』『ブレストの乱暴者』、『泥棒日記』と、極めて散文に近い文体の独自の文学を猛烈な勢いで怒涛したジュネは、下巻でいきなり小説が書けなくなってしまう。1952年あたりのサルトルの『聖ジュネ』で、ほとんど書く意味どころか実存まで決定づけられてしまったような状態になり、異端の文学者としてあがる名声と逆行するようにして書けなくなってしまうし、精神的な危機のなかで、作家としての基底材そのものをとりかえるような啓示を見出したりするのだけれど、そこがまたジュネらしい、特異な感性が見えてくる。それは後日書くとして、このあとのジュネは、彫刻家ジャコメッティと親交を深めて、彫刻家への純粋な尊敬の念が繊細なタッチで散りばめられる『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』という名エッセイをものす。僕はジュネについては、昔、村上龍が好きで、そこから興味を持ったのですが、男色やら泥棒やらはあんまり重要なファクターではなく、言い難きもの・書き難きものに向かって進んで自分を投入していくところがやはり凄い文章家なんだと思うのですが、この『ジャコメッティのアトリエ』は、ジュネの文章で読んだ中でも、また文学者が美術について書いた文章の中でも、僕が一番好きなエッセイです。しかし、『ジュネ伝』を読んでると、ジュネはジャコメッティの元からもデッサンを一枚失敬した疑いが濃厚らしい(果てしなく黒に近いグレー)。
こんな殊勝なオマージュ捧げといて、性質悪い人ですわ、ほんま………。
そこからあとは、戯曲作家としての『バルコン』や『黒んぼ』、『屏風』の成功、恋人の綱渡り芸人と翻訳者兼代理人の自殺を受けてのジュネ自身の自殺未遂、そこから立ち直るジュネを迎えるような1968年の五月革命、ブラック・パンサーそしてパレスチナ人への加担、とまさに時代がジュネに追いついた、というのかジュネが時代したというのか、読み飽きなかった。でもちょっと疲れた。
ブラック・パンサーとパレスチナへの関わりは、傍目にはあの時代の文学者の政治的参加の典型のように見えるだろうし、僕自身もそんなイメージしか持っていなかったが、このエドマンド・ホワイトの伝記は、極力抑えた筆致で、膨大な資料と証言、インタビューを集積させて、その関わり方がいかに人間ジュネにとって根幹的なものだったか、深いモチベーションを示してくれている。こういう重厚な伝記をしっかり読んでおくのも面白いな、と思えた…ので、ジュネ最期の作品でパンサーとパレスチナとの関わりを描いた『恋する虜』を激しく読みたくなったのだけれど、「日本の古本屋」では出物がなく、ヤフオクでみたら、ただ一点のみあって、なんと一〇〇〇〇円を超えていた。しかも、版元の人文書院では復刊の予定が延期になっていた…
http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/ISBN4-409-13017-X.htm
不況だな。(出版)不況のせいだな。昨年末からジュネ関連は文庫化が続いていたので期待できそうだったですが。はたして復刊されるのだろうか。


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タワレコで、Nels Clineの最新ソロCDを見つけて買ってしまう。

Coward

Coward

Nels Clineは、ノイジーなパンクから、インプロ・ジャズ、Wilcoなんかとも共演してしまうギタリストだが、本作は、全体としては落ち着いたトーンで、いろんな角度から自分のサウンドを試していると思った。http://www.nelscline.com/
そういえば、アメリカのアングラな音楽を聴き始めた10代の終わりから今まで、ところどころでNels Clineに出会っていたのだった。Nels Clineの名前が先ず灼きついたのが
Polar Goldie Cats

Polar Goldie Cats

Thurston MooreのEcstatic Peace!からリリースされたこの作品だった。当時はとにかくこのジャケットのラクガキが完璧に自分のテイストど真ん中で、中身を聴く前から「このCDは俺のためにリリースされたのだから買わねばならない」と思い込んだし、聴いてみると、フリージャズとパンクが清々しく粉砕された音楽だった。
そのあとは元MinutemenのMike Wattのソロに参加していたような気がするし、サーストンともデュオをやっておられてような気もするが、全部チェックするほどのファンではなかった。
それが、つい最近、The Geraldine Fibbersの「Butch」を聴いてから、参加しているNels Clineの名前を見ていろいろ思い出してしまったのだった。
Butch

Butch

FibbersのCarlaとのデュオ『Scarnella』(CarlaとNelsのアナグラム)は、たまらないムードを持っていた。
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新作を聴いていると、通じてNels Clineのムード、というものがやはりあって、それは、毎度のことで上手くは書けないけれども、じっくりと沁み込んでくるような肉体的な痛みを伴う悲壮な感情が沈殿していくようでいて感情そのものではなくて、それをじっと見つめて描写しているような感じ、とでもなるだろうか。それは時々ジャジーであったりもするのだが、基本的にはロックな感性のフィルターを通しているように僕には聴こえ、そこに親しみを感じる。