『ジュネ伝』下巻を読み終わる。Nels Clineというギタリスト。
昨日、やっとエドマンド・ホワイトの『ジュネ伝』下巻を読み終わる。
上巻で、『花のノートルダム』から『葬儀』『ブレストの乱暴者』、『泥棒日記』と、極めて散文に近い文体の独自の文学を猛烈な勢いで怒涛したジュネは、下巻でいきなり小説が書けなくなってしまう。1952年あたりのサルトルの『聖ジュネ』で、ほとんど書く意味どころか実存まで決定づけられてしまったような状態になり、異端の文学者としてあがる名声と逆行するようにして書けなくなってしまうし、精神的な危機のなかで、作家としての基底材そのものをとりかえるような啓示を見出したりするのだけれど、そこがまたジュネらしい、特異な感性が見えてくる。それは後日書くとして、このあとのジュネは、彫刻家ジャコメッティと親交を深めて、彫刻家への純粋な尊敬の念が繊細なタッチで散りばめられる『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』という名エッセイをものす。![アルベルト・ジャコメッティのアトリエ [ ジャン・ジュネ ] アルベルト・ジャコメッティのアトリエ [ ジャン・ジュネ ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/9122/9784773899122.jpg?_ex=128x128)
アルベルト・ジャコメッティのアトリエ [ ジャン・ジュネ ]
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こんな殊勝なオマージュ捧げといて、性質悪い人ですわ、ほんま………。
そこからあとは、戯曲作家としての『バルコン』や『黒んぼ』、『屏風』の成功、恋人の綱渡り芸人と翻訳者兼代理人の自殺を受けてのジュネ自身の自殺未遂、そこから立ち直るジュネを迎えるような1968年の五月革命、ブラック・パンサーそしてパレスチナ人への加担、とまさに時代がジュネに追いついた、というのかジュネが時代したというのか、読み飽きなかった。でもちょっと疲れた。
ブラック・パンサーとパレスチナへの関わりは、傍目にはあの時代の文学者の政治的参加の典型のように見えるだろうし、僕自身もそんなイメージしか持っていなかったが、このエドマンド・ホワイトの伝記は、極力抑えた筆致で、膨大な資料と証言、インタビューを集積させて、その関わり方がいかに人間ジュネにとって根幹的なものだったか、深いモチベーションを示してくれている。こういう重厚な伝記をしっかり読んでおくのも面白いな、と思えた…ので、ジュネ最期の作品でパンサーとパレスチナとの関わりを描いた『恋する虜』を激しく読みたくなったのだけれど、「日本の古本屋」では出物がなく、ヤフオクでみたら、ただ一点のみあって、なんと一〇〇〇〇円を超えていた。しかも、版元の人文書院では復刊の予定が延期になっていた…
http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/ISBN4-409-13017-X.htm
不況だな。(出版)不況のせいだな。昨年末からジュネ関連は文庫化が続いていたので期待できそうだったですが。はたして復刊されるのだろうか。
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タワレコで、Nels Clineの最新ソロCDを見つけて買ってしまう。

- アーティスト: Nels Cline
- 出版社/メーカー: Cryptogramophone
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そういえば、アメリカのアングラな音楽を聴き始めた10代の終わりから今まで、ところどころでNels Clineに出会っていたのだった。Nels Clineの名前が先ず灼きついたのが

- アーティスト: Polar Goldie Cats
- 出版社/メーカー: Ecstatic Peace
- 発売日: 1996/03/25
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そのあとは元MinutemenのMike Wattのソロに参加していたような気がするし、サーストンともデュオをやっておられてような気もするが、全部チェックするほどのファンではなかった。
それが、つい最近、The Geraldine Fibbersの「Butch」を聴いてから、参加しているNels Clineの名前を見ていろいろ思い出してしまったのだった。

- アーティスト: Geraldine Fibbers
- 出版社/メーカー: Virgin Records Us
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新作を聴いていると、通じてNels Clineのムード、というものがやはりあって、それは、毎度のことで上手くは書けないけれども、じっくりと沁み込んでくるような肉体的な痛みを伴う悲壮な感情が沈殿していくようでいて感情そのものではなくて、それをじっと見つめて描写しているような感じ、とでもなるだろうか。それは時々ジャジーであったりもするのだが、基本的にはロックな感性のフィルターを通しているように僕には聴こえ、そこに親しみを感じる。