みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

誰だってボー・ディドリーが好きな筈だ。たとえ名前を知らなくても。

nomrakenta2008-07-18


I walk 47 miles of barbed wire,
I use a cobra-snake for a necktie,
I got a brand new house on the roadside,
Made from rattlesnake hide,
I got a brand new chimney made on top,
Made out of a human skull,
Now come on take a walk with me, arlene,
And tell me, who do you love?


ロックというものは、概してやっかいだ(った?)。
シンプルだ、と言い切れるひとは、多分「ロック」、じゃなくて、「ロック・アンド・ロール」が好きなんだろうと思う。


ロックの雑食性-ブルースでもカントリーでもなく、突出した音を出す(ライフ・)スタイル(そして突出させること自体)が必然的に招きよせたものは過大評価され延命し過ぎてきたというのが常識なのかと思うが、しかしその原因自体に思考が及ぶことは、実は稀なことだったりする。

いきなり個人的な話になって、話が矮小になって恐縮ですが、「パンク・ロック」からロック・ミュージックなるものに入っていった身として、「ロック史」的なるものは、ただ愉しむことを考えるだけでも避けては通れないものだったと思います。

なにせ自分が好きになった音楽は、「DIYのアティチュードで、ロックの精神を復活させた」と一応は語られていたものだったのだから、その隔世遺伝的な経路は、当然辿っておかなければならないもののようにい思えたのだった。

というわけで、レコードを自分で買えるようになった5年くらいは、実は、ボ・ディドリー(Ellas McDaniel)の初期のチェス時代の音楽が、白人ロックに与えた影響を拾っていく作業をしていたのだ、といってもいいのかもしれない。

なにしろ、当時好きだったジーザス&メリー・チェインというUKの根暗な元祖シュー・ゲイザーな兄弟バンドは、ひたすら沈鬱なムードで『Bo Didley is Jesus』と歌っていた(同様にカンの『マッシュルーム』もカヴァった彼らは彼らでユニークだった)し、ロン・ウッドはリッツでボー御大と共演したし、大好きなローザ・ルクセンブルグが解散してできたバンドの名は、「ボ・」ガンボスといったし、ドアーズの素晴らしいライブ盤のオープニングは『Who Do You Love』の最高のカヴァーで幕開けていた。

Barbed Wire Kisses

Barbed Wire Kisses

In Concert

In Concert


それに、なんといっても、黒人アーティストとしてははじめて出演となった『エドサリヴァン・ショー』で、番組の指示を無視して自分の曲を披露した(1955年)という元祖パンクなエピソードや、あの四角いギターを見たら、全ては自明であった、という気がする。

告白すると、エルヴィスを聴いても、バディ・ホリーを聴いても、エディ・コクランを聴いても、ジーン・ビンセントでも、実はマディ・ウォータースでも、ブラインド・レモン・ジェファーソンはもちろん、ロバート・ジョンソンでも「ロックの素」というのがピンと来なかったものが(サン・ハウスとマジック・サムだけは何故か良かった、後年ではそれはスキップ・スペンスやフレッド・マクダウェルになった)、ボー・ディドリーではちゃんと来たのだった。

ストーンズやクイック・シルバーがMonaのカバーを、みたいな話は常識にもならないことであって、ニューヨーク・ドールズ『Pills』の原曲がなかなか見つからなかったことなども含めて、実際ボーの曲をカバーした、なんていうレベルではなくて(多分で個人で把握する事が不可能なくらい無数のバンドにコピーされているだろう。珍しいところご存知の方がいらっしゃったら是非教えて欲しいです)、やはりディドリー・ビートをロック史のそこかしこに見つけること自体が、ロックを聴く悦びの中で、かなりおもしろい事のうちのひとつだった。

Happy Trails

Happy Trails

New York Dolls

New York Dolls

女の子から薦められたオリジナル・ラブ『フィエスタ』という曲にディドリー・ビートを聴いたときがなんとなく極めつけだったけれど、やっぱり音楽的にディドリー・ビートの取り入れ方として、一番おもしろいのは、またか、ですけどヴェルヴェット・アンダーグラウンドだった。

そもそも、ドラムのモーリン・タッカーが筋金入りのディドリー・フリークだったらしいのだ。

ルー・リード: 僕達にはアンプも必要で、彼女はひとつ持っていたんだ。それに彼女は抜群のドラマーだった。まるでコンピュータのキイ・パンチャーのようにドラムを叩いたんだ。聞くところによれば、彼女は5時に家に帰り、ボー・ディドリーのレコードをかけながら、毎晩5時から12時までドラムを叩いていたそうだ。それを知った僕達は、彼女は完璧なドラマーだろうって思ったし、実際そうだった。
ヴィクター・ボクリス&ジェラード・マランガ『アップ・タイト』平成元年フールズ・メイト刊 p.28

コメントからすると、モーのヴェルヴェッツ参加は、かなり行き当たりばったり的な感もあるが、音楽的にいえば、『Hey,Mr.Rain』の二つのヴァージョンを聴けば、ヴェルヴェッツにおいて、ディドリー・ビートとリズム・ギター、そしてヴィオラの絡みが、方法論的にいっても、彼らの特異性を最も雄弁に語る場面だったことは明らかだと、今も思う。

ここでは、ディドリー・ビートはひたすら機械的に、ヴィオラも決して溶け合わずに、ひたすらドローン的に、冷え切った陶酔感で時間を繰り延べさせていき、ルー・リードのほとんど無意味な歌詞を繰り返して妙に暗い艶のある歌声だけが、かろうじて「これは歌というものだよ」と聴く者を繋ぎ止めている。極言すれば、そういう経験がヴェルヴェッツなのだ。

モーリン・タッカーに限っていえば、1989年ジャド・フェアダニエル・ジョンストン、そしてソニック・ユースのメンバーとのコラボレーションを経て出た彼女のソロ・アルバム『Life in Exile After Abdication』asin:B0000001DYで、終に念願の(かどうか不明だが)『Bo Didley』をカバーしても、いる。


なにが言いたかったかというと、ことほど左様に、「ロック」世代にとって、ディドリー・ビートが、持ち出し及び加工可能な「物言う」素材ともなり得ていたということで、これはボ・ディドリーの音楽が、モダンブルースよりもカントリーやブルー・グラスよりも、そしておそらくはフォークと抗する形で、「ロック」の基本スタンスとしての「雑食性」を、アフロビートによって担保していたわけだし、その衝撃はずっと後の各方面まで効力を持つものだった、ということなのだと思いたいわけです。スタイルとして完璧なものだった、と。

それは、ロック・ミュージックに限らない。現代音楽のフィールドであっても、ディドリー・ビートは本気で、ミニマルで完璧な音楽スタイルとして、援用の対象ですらあったのだ。
デイブ・ソルジャーは昔ボーのバンドで演奏していたらしい。

 ボーは世界で最も偉大なミュージシャンの一人です。彼はオープン・チューニングばかりで、あまり多くのコードをひきません。ときどき他のプレーヤーが不満をこぼします。しかし彼は20分間つづけてソロをとることができるし、聴衆のだれひとりとして退屈しないのです。他の誰にそんなことができるでしょう。ボーはフレージングを知り尽くしています。
〜(中略)〜
 私はカルテットの次のレコード用に、彼の《ボー・ディドリー》をアレンジして録音しました。友人が先月、私のヴァージョンのカセットをボーに聞かせたんです。とてもクールだから誰もが自分の音楽をやるんだと言って、彼は印税について尋ねてきました。もちろん受け取るでしょうが、この種のレコードの売り上げがどれほど低いか信じられないかもしれませんね。
――『アヴァン・ミュージック・ガイド』1999年 作品社刊 p.152

http://davesoldier.com/quartet.html

現代音楽カルテットのレコードの印税が果たしていくらかだったのかは、もはや誰も知ることができないでしょうが、誰もがクールだから自分の音楽をやるんだ、っていう台詞。これだけは全くの真実だった。
例えば、インストの『Bo's Bounceでも、子守歌の『Diddley Daddy』でも良かったりするのだが、聴いてみてほしい。音の立ち方が時代を貫いて「モダン」なのだ。


ボー・ディドリーは、2008年6月2日逝去。直接の死因は脳卒中だったようだ。80歳だった。
そして、なんとツアー中だった。

ぼくたちには、やっぱりボー・ディドリーが必要なんだ、と言ってみよう。

Well,
Looking Like A Farmer.
But,I'm A Lover.
You Can't Judge A Book By Looking at The Cover.

CHESS時代のボー・ディドリーは、人類の遺産だと思います。

Chess Box

Chess Box

Hey! Bo Diddley / Bo Diddley

Hey! Bo Diddley / Bo Diddley



『ヘイ、ミスターレイン』を聴くなら、これを。

Another View

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