みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

続「はへんをつなげて、ちいさなみみを」生姜ココア、音楽の1992年ほかいろいろ

nomrakenta2012-01-22

寒い日が続いています。

こう寒いと、家はもちろん、電車の中でも会社でも、ちょっといい具合に暖かいとすぐに眠たくなってしまいます。

身体が冬眠を求めているのだなあ。

末端がつべたくなってきているのも大変で、先週末金曜日に会社近くのジュンク堂を彷徨っていると、このようなものを発見。

冷えとり生姜かんたんレシピ(国産おろしスプーン付)

冷えとり生姜かんたんレシピ(国産おろしスプーン付)

生姜料理の専門家の先生による生姜料理のレシピ本で、生姜おろしスプーンが付属している。このおろしスプーン、生姜をごりごりおろしてそのまま紅茶だのスープだのにドボーンすれば良いようなので気に入って購入。
昨日近所のスーパーに生姜を買いに行ったら、物は小さくてそれでとても高い・・・季節外れなんでしょうか。
今朝起き抜けに生姜ココアを作ってみました。
ココアはバンホーテンのミルクと砂糖が既に入ってるやつで楽をしました。生姜をおろして入れていちど沸かしただけですが、生姜味がコクになっていて美味しいです。



昨年末のエントリーで少し触れたサウンドアーティストStephen Vitielloについてもう少しわかったことが。
「元はパンクバンドでギターを弾いていた」というプロフィールはアラン・リクトの『サウンドアート』本にも書いてある記述なのですが、こないだ日本橋の中古レコードCD屋クルーズをしていたら、偶然そのバンド(のうちの一つなんだろうけれど)がわかった。昔キャプテントリップさんが輸入販売していた『シー・ネヴァー・ブリンクス(She Never Blinks)』というバンドの「Don't Step On Tiny」というアルバムがそれで、1992年に製作されている。女性ヴォーカルを含む三人組のようで、製作にdB'Sのクリス・ステイミーが絡んでいたり、1曲だけのカバー曲がニック・ドレイクの『Cello Song』だったり、いつも辛口のフォーエヴァーレコードの推薦文が「地味だけど良いバンド」というものだったりで記憶に残っている(けど当時は購入しませんでした)。
ずいぶん懐かしいものがあるなあと思って手にとって裏返してみたら、ALL SONGS BY LYDIA KAVANAGH / STEPHEN VITIELLOと書いてあった。
いかにも繋がったので購入。女性ヴォーカルのLydiaとギターのStephen Vitielloが結成したのがこのShe Never Blinksだったようで、冒頭一曲目のイントロから当時のUSオルタナバンドらしくないフィールド録音した風の音のような弦のきしみと唸りにピアノの楔が打たれてカナダの冬の森林のような風景が広がると、Lydiaの高く澄んだ歌唱が音の群れをひとつに束ねてしまう。ニック・ドレイクの『Cello Song』もアレンジはほぼ原曲と同じだが素晴らしい出来だと思う。音楽的には、Hugo Largoなんかを想像してもらえると近いと思う。
ライナーノーツによると、Vitielloは本作リリース当時すでにナムジュンパイクやハル・ハートリーなどと仕事をしていて、ヴィデオインスターレーションや映画音楽の製作もしていた様子。その後サウンドアーティストとしてキャリアを確立していくわけだから、セカンドアルバムがあるのかしらないが、She Never Blinksの本作はVitielloがロックバンド的なものに携わっていた最後のものなのかもしれない。Lydiaはこのあとアントン・フィアのゴールデン・パロミノスに参加してもいる様子。

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Hugo Largoの名前が出たので、聴きかえしてみたくなったらYouTUBEに1988年のライブがあがっていて、これがおそらくアルバムよりも素晴らしいと思う。

88年ということはデビュー作の『Mettle』もリリースされる前だから、曲のアレンジも多少違うのかもしれないが、代表曲『Turtle Song』などアルバムよりもライブならではの力強さとしなやかさがあって、アルバムだと『Mettle』も『Drum』も佳作なのだけれどともすれば線が細い印象があったので、ますます好きになった。
この「線が細い」と書いてしまったのは、決してアルバム単独の出来が良くないということではなくて、あくまで当時リスナーだった自分個人の印象。当時盛り上がってきていたプレ・グランジの轟音のなかではどうしてもおとなしすぎる地味な音という印象を被ってしまっていたと思う。しかしそもそもHugo Largoは、メレディス・モンクとビョークの中間にあるような稀有なヴォーカルMimi Goese((MOBY、Ben Nielとも共演。Goeseは「ゲイジー」と発音するようです)http://www.mimigoese.com/の個性を前面に押し出した、カレッジロックと現代音楽と民族音楽の響きを合わせ保った豊穣な音楽をやるバンドだったのであって、当然ロックバンドを目指したことなどなかっただろうから、随分とそんな役回りだったのではないかと思う(あくまで個人的な印象)。

Mettle

Mettle

Drum

Drum

Mimiがミュータントランペット奏者Ben Nielと共作したアルバムが昨年の夏に出ていたということを知ったのでアマゾンで購入。届くのが楽しみです。

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話しを戻して、この日同じお店で購入したのが、
 
ロウファイ期に日本でも話題になったNYのアヴァン・インプロ・パンク・バンド「God is my Co-Pilot(神は私の副操縦士)」の1stアルバム『I am not this body』。
これもロウファイ全盛の当時未聴。アルバムのタイトルとヴォーカルの女性がレズビアンだと思っていたから、これは性同一性障害的な意味のアルバムタイトルなのかなと思っていた。そう思ってしまったのは多分最初に購入していた下の7インチ(左:表面、右:裏面)
 
を見てKDラングにでも似ていると思ったのだろう。当時はYouTUBEなぞなかったし貧乏だったのでこの7インチだけでわかったことにしていたのだろう。
今聴きかえしてみると、ロウファイ以前にKnitting Factory周辺のインプロ勢がやっていたことをそのままパンクバンドのフォーマットで勢い良くやってみせているように感じられて、どれも短いピースばかりなのだけれど、時折ロック的なビートにのってくると他では得難いカタルシスがある。何をやってもドロドロスカムなTruman's Waterとは持っているニュアンスが違う(未だに好きですけど)。

God-COのライブ映像というのはYouTUBEにもあまりあがっていない様子ですが、これは面白い。えらくまともな演奏をしているなと思って聴いていたら、これトム・ウェイツの『Going Out West』というアルバム『Bone Machine』に入っていた曲である。
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こちらも日本橋同じお店で。

ジャパニーズレゲエのチエコ・ビューティーの1st『Beaty's Rock Steady』(左)と『オレンジ色の恋』(右)。
チエコ・ビューティーはもちろん知っていたのだけれど、改めて声が好きだなあと確認。『Beaty's Rock Steady』は、『われは海の子』や『線路はつづくよどこまでも』などの誰でも知っている唱歌を取り上げているし、アルバム最後のトラックは大好きな『End of The World』(原田知世も名盤『カコ』で取り上げていました)。『オレンジ色の恋』はピアニカ前田との共作シングル。

これは最近のもらしき映像。声変わっていない。いい感じだなあ。
ここまで上げたものを振り返ってみると、だいたい1992年前後の作品ばかり。最近どうもこの1992年というのは自分の中でまた新たに聴き返すポイントになってきている。ヒップホップではギャングスターの『Daily Opreration』がリリースされた頃のはずで、DJプレミアがサンプリングを極めたトラックを作っていた頃、というのは昨年あたりに知ったことで、この頃はソニックユースがメジャーに浮上してからUSオルタナを追っていくのが面白くて仕方がなかった頃。そのために聴き漏らしていたものがここにきて自分にとって重要になってきている感じがあります。

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これは同日オタロード界隈をうろうろしていてやっと見つけた「蒼月書房」さんで見つけた高岡大祐さんと不破大輔さんのチューバとベースのデュオ『低音環境』のライブ盤。

『低音環境』の音源は地底レコードから出ていた一枚だけかと思っていた。こんなものがあったとは知りませんでした。エアジンはこういうライブシリーズを出していた様子。

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このところ休みの日は日本橋に通っているようなことになっていて、上のCD類を購入したのとはまた別の日に、K2レコードにもう聴かないと判断したCDをダンボール2箱持っていったら多少まとまったお金で買い取ってもらえたので下記を購入してしまいました。

AKAI サンプリングマシン MPC1000BK-N

AKAI サンプリングマシン MPC1000BK-N

言わずと知れたAKAIサンプラーMPCシリーズのコンパクトな形の1000。今更打ち込みの勉強でもないのだけれど、いろいろサンプリングして楽しんでみたくなったのです…。多分以前からやるやると書いているケージの『Branches』にも使うことになると思う。

ジョン・ケージの『Child of Tree/Branches』を取り上げているCDは見つけたらとりあえず聴いてみることにしている。
今年になってから見つけたのが、このイタリアの打楽器奏者Simone Mancusoが録音した『La Palola Al Legno』。
Child of Tree

Child of Tree

木製楽器のみに絞った曲を選択していて、サルヴァトーレ・シャリーノマリンバ曲、ケージの『Child of Tree』とソロ用であるこの曲を拡大した『Branches』の両方、それからジアチント・シェルシのこれもマリンバ曲を取り上げている。
シャリーノとシェルシは同じマリンバでわかりやすく面白い。ケージの『Child of Tree/Branches』に関してはかなりパーカッシヴで「演奏」している印象が強めだった。楽器の選定は自分でやり、使う順番と時間については易経に委ねる形だからそういうことも可能なのだけれど竹のザイロフォンなど、一聴して「打楽器の音」として認識できてしまうものを持ってくるあたりは、やはりプロの打楽器奏者だからなのかなと思う。自分がやるときはもっと「素人くさく」やりたいのだな、とあらためて自分の欲求を再認識。

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買取の査定待ちをしていたときに見つけたのがこれ。

音楽を聴くという自意識を持つ前に刷り込まれDNAに組み込まれてしまっているテレビアニメゲゲゲの鬼太郎の挿入歌とエンディングのカップリング7インチ。数年前の朝ドラ『ゲゲゲの女房』で、水木しげるがこの歌詞を考えているシーンがあったが、確かにクレジットは「水木しげる・作詞」となっています。

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この2枚も中古レコ屋さんで発見。

左:『野鳥風土記 ―日本の野鳥とその周辺』東芝音工 年代表記なし)
フィールドレコーディングものなのだけれど、帰って聴いてみて仰天した。
野鳥の鳴き声だけではなくて、海辺・孤島・平野・高原・高山・都会、と野鳥の棲む環境音もふんだんに取り入れている。海辺では漁師の掛け声や船のエンジン音がクリアーに入っているし、高山では登山者の「ヤッホー」が録音されている。それも多分、それぞれ狙い定めてしっかりと録音して、スタジオでもういちどバラバラな録音素材をそれぞれのサウンドスケープが映像的に展開するように多重化しているように思える。
それがわかってから録音者の野鳥の鳴き声を環境から切り離して愛玩するのではなくて、環境まるごと聴かせたいいや聴くべきなのだという明確な意図が伝わってきて、しかもそれぞれの音のクオリティーが高くてもはやこれは「芸術作品」だと思った。録音をした蒲谷鶴彦というひとは只者ではないと思って調べてみたら、それもそのはずで、日本の野鳥録音のパイオニアといえる人で、多数の野鳥録音がある様子だった。
ジュンク堂にいってそのつもりで探したら、著書も相当数あった。

野鳥を録る―野鳥録音の方法と楽しみ方

野鳥を録る―野鳥録音の方法と楽しみ方

金鉱を掘り当てた…というより、金鉱は隣の山に口をあけて待っていたというような気分。                                                             
右:長沢勝俊『組曲「人形風土記」/『こどものための組曲」』(RVC 1972年)
このアルバムは以前タワーレコードが廉価版でCDリイシューしたときに購入して気に入っていたのだけれど、アナログで聴きたいなあとも思っていたら見つけた。
長沢勝俊という人は、日本の伝統楽器を雅楽という括り以外で組織的な音楽に再編成した「日本音楽集団」というグループを立ち上げた人の様子。本人は戦後数年を人形劇団に所属して各地を回って音楽を作ってきたそうで、そういった体験がこの二つの組曲にも反映している。「人形風土記」は1966年作曲、「こどものための組曲」は1964年作曲になっている。
どちらの組曲も、柔らかく伸びやかな音色が、単なる「懐かしさ」を更新してくれる音楽だと思う。


今気づいたけれど、どちらも「風土記」なんだな…。ま、確かに記紀よりも出雲国風土記のほうが好みですけれども…。

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これは、最近ではなくて、昨年堀江のFuturoの近くの中古レコ店「○か×」で発見した、カンタベリー周年のSteve MillerとLol Coxhillのデュオ作2枚。
詳しい情報は阿木讓さんのブログhttp://nu-things.com/blog/2008/02/cascades_12.htmlに素晴らしいエントリーがあるのでそちらを。


『Coxhill/Miller,MIller/Coxhill』(Caroline Record,1973年)
タイトルにも執拗に表現されているようにどちらがリードというものが一切ないデュオ、というより、A面とB面でそれぞれのソロ音源というべきものを収録している60年代末にあった「デリヴァリー」という後に「ハットフィールド・アンド・ノース」を結成したメンバーのやっていたバンドに両者とも入っていて、その頃からの付き合いで、このアルバムに収められたセッションを録る前にはコクスヒルはケヴィン・エアーズのバンドで演奏していた様子。
同じソプラノサックスなのに、ステーヴ・レイシーの甲高さとは対極のどこから始まって終わっているのかわからないような脱力的な演奏をするコクスヒルは以前から大好きでしたが、A面のスティーブ・ミラーのスタインウェイにコクスヒルのサックスが微かに味付けを行う曲『Chocolate Field』などはクラシックともジャズともちろんロックともつかない、ただただ休日の仄かな陽光を思わせるまさに英国的なメロディーラインだなあと感じ入ってしまう。B面のコクスヒルサイドは、ソプラノサックス独奏をテープやモーター音、子供の声と共演させてしまうなど、ブリコラージュ感と朴訥な可笑しみがたっぷり入っていて嫌いなわけがない。

『The Story So Far....Oh Really?』(Caroline Record,1973年)
こちらも前作と同じようなフォーマットに作られたアルバム。A面はミラーのエレピが美しく微睡み(前作A面より幾分ジャズ色強し)、B面コクスヒルのもはや変わりようのない薄ぼんやりとした剽軽さを聴くとどうしても頬が緩んでしまう。3曲目の『Soprano Derivativo』ヴォーカルというスキャットロバート・ワイアットが参加しているセッションで、これは確か、昔ワイアットのセッション集に収録されているのを聴いた憶えがある。そのほかソプラノサックスソロにエコーをかけまくったものや、教会のオルガンとソプラノサックスのデュオはマイスター・エックハルトに捧げられていて日の出と日没が同時に来たような音楽になっている(つまり素晴らしいと書きたいのですが…)。
カンタベリーロックの系統樹についてはあまり詳しくないのだけれど、あの辺りの音楽に未だに根強いファンがいて音楽的にもリスペクトされているのは、底辺(といっていいのかどうか?)にこれらのアルバムのようなジャズにもロックにも即興演奏シーンにも通じるミュージシャンの水脈があったからなのだろう、とは自分でも想像がつく。
どちらも以前CDでリイシューされて好評だったそうなのですが、自分としてはオリジナルジャケのアナログで聴けて本当によかった。

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今年は、いきなりいい音楽に出会えていて幸先がいい。


素敵なものを見つけてしまった。兄妹によるヴェルヴェッツの「After Hours」。