みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

本厄耳瞬日乗④非そも論 とその他のはなし

6月7日(金)
風邪をひく。喉の痛みからきて、猛烈にだるくなる。誰からもらったのかはわかっている。会社で背後に座っているユニットマネージャーである。彼も先週変な声をしていた。

突然、わけのわからない以下の義憤(熱のせいだろう)。
「そもそも」と得意そうに前置きする人が嫌いだ。だから「そもそも」自体もさいきん嫌いになってきた。「そもそも論」という言葉もおぞ気が走る。最初から「そもそも」以下の内容からお話しいただきたいし、そういう人の「そもそも」以下の内容がわかりやすくなっていた試しがない。「そもそも」は無意味な接続詞に堕ちてしまっているのではないか。
そもそも(ほら腹立つでしょ)、問題は、論旨をずらし相手を自分から疎外する事に快感を覚えている人、そうしてからでないと言いたい事が言えない人が増えているコトなのではないのか。
(熱のせいだろうか)

6月8日(土)
朝10時になんとか最寄のクリーニング屋にズボンを出しに行く。帰りに図書館。
しばらく行かないうちに本の貸出システムが図書館員による人力からセルフサービスのコンピューターになっていた。本を台にのせて冊数を入力して読み取りさせて、返却期限の書いたレシートが出てくるやつ。スーパーのセルフレジですね。

図解 世界楽器大事典

図解 世界楽器大事典

この本、楽器の分類・派生について初めて教えてくれることが多大で凄い本なのだが、「土人」だとか、表現がなんともこの時代の人のバイアス(当時はバイアスでなかったわけだが)でちょっとエグみが消化臨界点を超えているというか…。
この著者は有名な作曲家で音楽学者で、高砂のブヌンの人々が口にくわえた弓の弦を弾くことによって出る倍音から協和音程、音律、そして歌が発生したとする黒沢学説を唱えた人らしい。

楽器、それは音楽に用いる道具であろうということで、だれも怪しまない。これでは楽器が作られる前にすでに音楽があったことになる。しかし私はこの考えをとらない。楽器とは音楽を作るものだと思っている。つまり楽器のなかった時代には音楽といわれるものがなかったのである。


「楽器の前に音楽というものがあるのではない」という冒頭にさらって書いてみせる見解は、自分のような素人でも深い、その通りだと思う。アルトサックスがなければチャーリー・パーカーのソロではなく、エレキギターやワウ・ペダルでなければ、ジミ・ヘンドリックスヴードゥー・チャイル「では」なかった筈だ。音楽の形相は音楽が空気の振動現象である以上、本質的な事なのだと思うが、これはこの引用文の趣旨とはまた異なる話。
トロンバ・マリーナに関する著述は簡素で正確だけども呼び名はトルムシャイト、とドイツ語になっている。

夜、
酷く咳き込む。咳止めシロップを2杯飲んで眠ったら頭がグワラグワラと揺れだして平たくなって眠ってるのに方向感覚がおかしくなり「あれれー、これが噂にきく…」と思いつつ、そのまま眠ってしまった。中島らも的な夜。

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現代思想 2013年6月号 特集=フェリックス・ガタリ

現代思想 2013年6月号 特集=フェリックス・ガタリ

現代思想」フェリックス・ガタリ特集号(6月号)掲載の山森裕毅さんの論文『通過するもの、繁殖するもの』を読む。
山森さんは数年前今とは違うブログで「ガタリ・トレーニング」というカテゴリで、ガタリの思想の基本要素を手探りで仕立て直す作業を綴っておられた。その頃に何度かコメントさせていただいて、書きたての論文を送って頂いたりしました。心斎橋の「afu」で初めて企画したライブにおいで頂いたりもしました(有難うございます)。
山森さんの著書が今月出版される様子ジル・ドゥルーズの哲学がメインの著書の様子ですが、補論として『スキゾ分析とリトルネロ』というテクストが収められていて、この『現代思想』誌のテクストも、この「補論への補論」、という格好になっている、とのこと。
ガタリ・トレーニング」の頃から、通底しているのが、ガタリのエレメントの複雑な絡まりを自力で整理していく丁寧な手つき。このテクストの最後の章は、難解極まりないガタリの『機械状無意識』に分け入る、以下のような部分から始まる。

なぜ「通過成分」という用語に注目するのか。それはガタリ(そしてドゥルーズ)にとって最重要概念である「リトルネロ」が通過成分だからである。もっといえばリトルネロは通過成分のひとつの在り方である。

ガタリは思想の輪郭ははっきりしない(と、少なくとも自分は思う)。「分子」や「機械」や「三つのエコロジー」や「カオスモーズ」といった詩的なキーワードだけ弄ぼうとしても捉えきれるものではないし、その必要ももしかしたら無いのではないか。少なくとも結晶的な(或いは彫刻的な)思考ではないと思わせる。政治と臨床という現場を目指した思考のようでいて、複雑怪奇な用語やダイヤグラムの多用に煙に巻かれるような気にさせてくれる。
しかし、その文章の一節一節が、特定既存の主体を対象にするのではなくて、これから主体化していくすべての過程のために、「世の中変えたきゃ、自分から変われ」という一言を、他人事にしないために綴られている。そのために、ガタリ個人はどんな道具を仕込んだのか?あるいは仕込み切れなかったのか?という事を、山森さんのテクストは一歩一歩着実に明らかにしていると思う。
にわかなガタリ熱が再発し、ヤフオクガタリで検索すると、これがヒット。

この「現代思想」誌でもインタビューが掲載されている舞踏家の田中 泯 とガタリによる1985年の対談。
ガタリのある意味イタダケナイ部分がこの対談で全開している。自分が聞きたいことしか訊かないのである。こうであってほしいという田中泯像を描いてむしろ自分が言いたいことを自分の言葉の中に織り込んで質問の形にする。それに対する田中 泯 は流石に身体を現場とする芸術家で、読む限りはガタリよりも思考が先に跳んで腑に落ちる。

ガタリ:それでは泯さんにとって動物とは、或いは世界との関係のアニミスト的次元とは重要なものなのですか。泯さんは動物についての何か重要な夢を見たというようなことがありますか。
: 重要かどうかはわかりませんが、動物の夢はよく見ます。でも人間ほどではない。しかし僕にとって夢は日常ですからあまり価値判断はしませんね。むしろ忘れずに放置する。僕は動物園にはしょっちゅう行っていた。でも決して真似はしなかったけれど。僕は動物を自分の体の中に流し込もうとした。そして自分の中にある動物と出会わしたかったんですね。
ガタリ:それこそまさしく私が泯さんから聞きたかったことなのです。
:つまり「動物になる」あるいは真似をするといった時点では中心あるいは階級が始めから決まってしまっている。それでは僕の場合満足できないわけです。成るなんてことでは不十分なわけです。もっともっと驚いてそして解析すれば良いと思うんですが。
−−フェリックス・ガタリ+田中 泯『光速と禅炎』

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6月9日(日)
朝から寝込む。朝から雨が降りそうで降らない天気。台風は近づいてきているらしいが。
去年行ったベルギービール祭りが今年も梅田であるとのI佐さんからのお誘いだが、行けず。
amazonから届いたメレディス・モンクのTZADIK盤を聴く。

Beginnings

Beginnings

初期音源集としてはWERGOから数枚出ていたが、あれらは割とまとまった作品集で、本盤は、本当の初期音源という感じで、あとから正式なアルバムに録音しなおされている曲が多く含まれている。冒頭1曲目はブリティッシュ・フォーク・トラッドのカヴァー。その後のモンクの声の拡張を思えばなんとおとなしいことか。フランク・ザッパマザーズのDon Prestonと共に作ったトラック『Candy Bullets and Moon』は確かにおもしろいけれど、『MILL』(その後『Facing North』に新たな形で収録された)などでモンクの声がぐんぐん張り出してくると、切羽詰った感情が切り立ってくるようで、やっぱり感じるものがある。
http://www.meredithmonk.org/about/chronology.html
メレディス・モンクのクロノロジー
Dolmen Music

Dolmen Music

数曲、そういえばこちら↑にも収録されている。自分が持っているのはどこかのレコ屋で見つけたアナログ盤。
Underground Overlays From The Cistern Chapel

Underground Overlays From The Cistern Chapel

さらに、スチュアート・デンプスターのこの盤も、まどろみながら聴く。まどろみながら覚醒する耳の部分がある。この音楽はその耳にまっとうに響く。

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6月10日(月)
大分と右足に力が入るようになってきたので、松葉杖をやめてステッキで通勤してみる。最寄のバス停まで坂道をあがる時、見事な青紫のアジサイの群生を見かける。今年も雨の季節がやってきているのだなあと。足がむき出しなので雨天は嫌だが。

ジァンジァン狂宴

ジァンジァン狂宴

千里中央の本屋で買ったこの本を読み始める。

6月11日(火)
Ftarriに注文していたCD届く。
Christian Wolff: 8 Duos

Christian Wolff: 8 Duos

Art of David Tudor (1963-1992)

Art of David Tudor (1963-1992)

他に、広瀬淳二さんの自作楽器即興演奏ソロ「SSI-4」。高岡大祐さん録音・コンパイルの秀作「solos vol.2 "BLOW"」にも広瀬淳二さんの壮絶なテナー・サックスソロが収められていましたが、こちらは自作楽器による。自分が広瀬さんの自作楽器の演奏を見たのは地引雄一『EATER’90S』付属DVDでみた本木良憲 氏とのライブ映像がはじめて。激しく自壊自爆する本木氏の隣で黙々とメタルジャンクノイズを織り出し生産し続けていた広瀬さんに強烈なインパクトを覚えた。その演奏そのままに近いのがこのCD。

これはHitorriレーベルから出ている。 Hitorriレーベルって台湾で作ってるんだな…と毎回思う。
Eva-Maria Houbenが始めた自分自身のレーベル「Diafani」から同時リリースされた中から「Chords」と「Yosemite--Duo I/II」の二枚。Eva-Maria Houbenもとんでもない作曲家だと思うが、彼女の作品の中で最も強烈な印象を受けたアルバムは他にある…のでまた別の機会に。
アマゾンから本も届く。
Japanoise: Music at the Edge of Circulation (Sign, Storage, Transmission)

Japanoise: Music at the Edge of Circulation (Sign, Storage, Transmission)

ジャパノイズ本。なぜ今、ということを考えながら読むのがおもしろそう。

6月14日(金)
会社あがりにアメリカ村まで足を伸ばす。久しぶりにキングコングとタイムボム。
大分と右足に力は入るようになっているが、ふとしたコンクリの出っ張りなどに右足を乗せてしまってそこに体重もかかってしまうと身体の奥にまで達する鈍い痛みがくる。これがつらい。あと、階段の降りが怖いのも継続中。

ミュージック・コンクレートの作曲家Michel CHION のCDが数枚キングコングに置いてあった。値段も手頃だったので、どれか一枚と思って、「レクイエム」本を読み終わった後でもあったので本作を。連綿と続くレクイエムの歴史の中でも異色中の異色であり続けるのだろうなこのレクイエムは。グレゴリオ聖歌とはまったく関連を見出せない(或いは断片も含まれているのかもしれませんが)ヴォイスコラージュのどこを切っても爆弾。ガタリにしてもこの時代のフランス人はいい具合に狂ってます。

GUILTY C.とビートメイカーBLAHMUZIKのデュオ『GRIM TALKERS』。サンプラー、カセット・テープ、ノイズエレクトロニクスとフィールドレコーディング素材のミックス。塗れたアスファルトだけが吸い込める空気がある。
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6月15日(土)
ついに雨降る。クリーニングにも散髪にも行く気になれない。一日中本読みつつ寝る。
6月16日(日)
散髪。1時間待ち。隣のミスド箕面にあるのは第一号店なのです)でコーヒーを飲みながら待つ。昨日は雨で客が来ず、その分今日殺到したのだということ。午後から片付けたいものを車に積んで倉庫へ。山森さんのテクストですっかり再燃したのでガタリを読み直そうと数冊持ち帰る。

本厄耳瞬日乗③6月のホケトゥス

nomrakenta2013-06-05

5月28日(火)John Russell×豊住芳三郎 & .es(ドットエス)@中崎町モンカフェ

John Russellと豊住芳三郎さん。
昨年夏にロンドンのVortex Jazz Clubでも堪能したこのデュオ
こんなに早く日本で観れるとは…。
共演の .es(ドットエス)のお二人から一部開始。リードをつけた尺八のソロが壮絶な響き。
二部よりJohn Russell×豊住芳三郎のデュオ。
ラッセルは、ベイリー直系のギタリストの代表格のように言われる(事実そうかもしれないが)。
ラッセルさんの白熊のごとき巨体でこれまは大きなギターを抱えて、奏でられる音はデレク・ベイリーというより、なぜかスパニッシュギターなんじゃないかとふと思った。ベイリーが初期に下敷きにしたというウェーベルンの不連続よりも、フラメンコの即興のスピード、激しさ、柔軟さのほうが近い、そんな気がした。
http://john-russell.co.uk/interviews/#grundy
しかし、上のラッセルさんのインタビューを読むと、割と若いころから直に即興演奏に入り込んでいって他の音楽から経由していったわけではないようだから、上の感想は的外れだったみたいです。
ラッセルさんの太い指が素早くフレットのうえを駆け巡り、あんまり指が太いのでそのために、ハーモニクスだって出ているのではないかというのは恐らく全く誤りで、きしり、たわみ、うたい、促進する流麗さは、しかしどこかいつも後景にあるかのようなまろやかな佇まいで、それが豊住さんのドラムあるいは二胡の弓奏、と絶妙なブレンドで立ち上がり収束する。この日の豊住さんは二胡が特に素晴らしいと感じました。

5月29日(水)
会議。

世界フリージャズ記

世界フリージャズ記

アマゾンで届いた副島輝人『世界フリージャズ記』を通勤時に読み始める。
以前出た『日本フリージャズ史』の続編というか今度は世界編という位置づけ。メインはやはりメールス・ジャズ・フェスティヴァルの連続レビューかな。当時のアンソニー・ブラクストンのヨーロッパでの超絶人気ぶりをはじめて知る。
ちょっと前に千里中央の書店で購入した『レクイエムの歴史』と同時進行。「レクイエム」を縦糸にクラシック音楽の歴史を、中世のグレゴリオ聖歌から現代音楽まで一気に俯瞰させてくれる良書。
入祭唱、キリエ…という風にミサの典礼式次第そのものだった「レクイエム」が次第に劇的表現にシフトし、西洋音楽のふたつのメインフィールドとしてオペラと併走しだす。そして現代においては、入祭唱の「Requiem æternam dona eis, Domine,(主よ、永遠の安息を彼らに与え、)」の「安息を」が次第に「鎮魂」に読み替えられ(これは日本のこと)、典礼形式とは離れて死を悼む音楽的表現となっていく過程がおもしろい。宗教とヨーロッパ人の関係性の変化が「レクイエム」という音楽表現の形式といっていいものの変遷から、かなりわかりやすく掬いとられている。
3大レクイエムのうちのひとつのモーツァルトのレクイエムに関しては著者に別の著書があるためかそれほど詳しくは記されていない。むしろどの時代も作曲家も、ヴォリュームとしては均一に扱っていることで面白い効果が出ている。
興味が沸騰したのは中世・バロック期のものだった。
マショー:ノートル・ダム・ミサ曲

マショー:ノートル・ダム・ミサ曲

  • アーティスト: クレマンシック・コンソート,サンタ・チェチーリア・ポリフォニカ・ルッケーゼ・エ・カペッラ,マショー,ティボー4世,メイソン(コリン),マッテウッチ(エジスト),アンサンブル・ノヴァ
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2006/12/20
  • メディア: CD
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特にこのルネ・クレマンシックが吹き込んだギョーム・ド・マショーノートルダムミサの盤。
有名なノートルダムのミサを聴けるのだけど、前半は教会の前で演奏される設定で『ヴィルレー「恋人に会った帰りに」』などの器楽曲が数曲演奏されていて、アルバム全体で、町から教会へ入っていき、ミサを体験するという流れになっている。特にこの『「恋人に会った帰りに」』の冒頭の数小節めくらいから通奏低音ふうに破れたトランペットのような音が鳴り響くのだけれど、これはもしかしたら、「トロンバマリーナ」かもしれない。
直接このレクイエムとは関係ないのだけれど、最近、高橋悠治の『カフカ/夜の時間』を読んでいたら、こんな一節があった。

 ホセ・マセダがすべての音楽はドローンだ、と言ったときもそうだった。二つの音をつかうメロディーは、順序のおきかえと思えばメロディーだが、二つの音の交替するリズムと見ればドローンに過ぎなかった。
 AAABABAABBABAAB。
 これは変化する線。
 AAA・A・AA・・A・AA・、・・・B・B・・BB・B・・B。
 これらは交差する二つのリズム。
 数人がそれぞれ一つの音しかでない楽器をもって交差するリズムで演奏すれば、楽器間にメロディーがうまれる。これをマセダはただようメロディーと呼び、ヨーロッパ中世ではホケットと呼んだ。
----高橋悠治カフカ/夜の時間』P.51


引用文の最後に出てくる「ホケット」。ポケットではなくてホケット。ホケトゥスともいうらしい。
このホケットという言葉にちょっと記憶があったので自宅のCDをゴソゴソしてみたら、

Facing North

Facing North

メレディス・モンクが「北」に向き合ったこの『フェイシング・ノース』に、その名も「ホケット」という曲が含まれていた。二人が吐息のようなメロディーを間歇的に投げ合ううちに一方の休符が増えてきたりして、聴いていると相互がまた新たに補いあってメロディーが生まれてくる。

paul hillierのこの盤は、本格的な中世ヨーロッパのホケット歌唱を復元して録音したもの(ホケットではないモケットも含まれている)。複数の朗唱が併行していくのだけれど各声部はふいに休符となったりしてこれが他の声の下に一瞬もぐりこんで他の声にバトンを渡してリレーしていくような効果があるのがわかる。
ここまで聴いて、最初の高橋悠治の引用文「数人がそれぞれ一つの音しかでない楽器をもって交差するリズムで演奏すれば、楽器間にメロディーがうまれる」に戻ってみると、リズムとメロディー、それからふたつの基底材(「休符≒リズム」の下地)としてのドローンということがちょっとわかったような気がしてくる。


5月30日(木)
会議…。

5月31日(金)
愚直でなければ、とば口にさえ立っていない。

6月1日(土)
医者。レントゲンを撮ってもらう。
右足先骨の亀裂まだ完全に治っていない。半分くらいはもやもやと治癒しかけているみたいだがあと半分にはくっきりと黒い影はまだ走っていた。思ったより治りが遅いので少しへこむ。でも車の運転はできるようになっていたので、足骨を折ってから一ヶ月覗いていなかった貸し倉庫の状態を見てみると、積んで柱状にしておいたダンボールがひとつ派手に崩れていた。元に直しながら、目についた本を何冊か読みたくなって部屋に持って帰る。ちょうどレクイエム本がモーツァルトに差しかかっていたので『マドモアゼル・モーツァルト』とか…。

6月2日(日)
I田さん宅で飲み会。かねてからI田さんがやろうやろうとおっしゃっていた『Step Across The Border』と「友川カズキ映画」鑑賞飲み会。昼過ぎから暗い部屋で酒呑みつつ妖しい音楽を聴いて盛り上がる怪しい集会。
8人くらいでフレッド・フリスを撮った映画『Step Across The Border』鑑賞。

Step Across the Border [DVD] [Import]

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イヴァ・ビトヴァがヴィオラを弾いて歌いきったところで、8人全員「おおおっ」と唸って自然に拍手が起こる。凄いものは趣味関係なく伝わるものです。
花々の過失 [DVD]

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友川映画はヴィンセント・ムーン監督のこちら、とI田さんも撮影に関わったTAKE AWAY SHOW。
Rising Tones Cross [DVD] [Import]

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調子にのってこの80年代フリージャズのドキュメンタリーも流すが、爆睡を誘う羽目になり、駄目出しが出て途中で終了となる。
高岡さんから、コモンカフェは経営が変わってこれから音楽イベントが減るだろう、と聞く。本当なのだろうか…。音波舎の中沢さんの仕切るライブがなくなったら、自分としては確実に、新世界からBridgeがなくなった時と同じレベルの喪失になってしまう。

6月4日(火)
靭公園 CHOVE CHUVAでブライト・モーメンツ(高岡大祐tuba 有本羅人 tp,bcl 橋本達哉ds )とバリから一時帰国された堀越大二郎perさんのライブがあるとのこと…。行けず。
6月5日(水)『触境(そっきょう)』宮西淳acoustic guitar、有本羅人tp,bcl@阿波座シェドゥーヴル

5月28日のコモンカフェのライブで隣り合わせて初めてお会いしたギタリスト宮西淳さんに教えていただいたデュオライブ。

行ってみると、シェドゥーヴルはギャラリーを持ったカフェでした。いい感じでした。
奥のギャラリースペースで自然な感じでライブが始まりました。宮西さんのソロ>有本さんのソロ>そしてお二人のデュオという展開。
宮西さんのギターは繊細なタッチで良い響き。ベイリーの「バラッズ」のアルバムを思い起こしたりしました。Ballads
有本さんはバスクラからトランペットにスイッチ。擦れるようなバスクラの音からかすかな倍音が聴こえて、トランペットもミュートから静動そして静への展開。
最後のデュオはお二人の音が混じり合い、ずっと聴いていたいような時間が生まれていて、またこのお二人のデュオ、聴いてみたいと思わせていただきました。
有本さんにお伺いしたところによると、前日のCHOVE CHUVAライブはダイジロウさんとの演奏がえらい興奮の坩堝だったのだとか。泣いて悔しがる。
そして、ブライト・モーメンツは現在、小ホールを借りてアルバムの録音中(!!!!!!!!!)で、この日の昼間も録音してきたとのこと。リリースが楽しみでなりません。

昼休みに本屋で購入した二冊。

atプラス16

atプラス16

冒頭にアベノミクスに関して相反する二つのインタビューと論文を掲載しているのが面白い。この後の株価の乱高下とあわせて読めば考える材料が出てきそうな気がします。
現代思想 2013年6月号 特集=フェリックス・ガタリ

現代思想 2013年6月号 特集=フェリックス・ガタリ

現代思想』のガタリ特集。近年、ナドーの本の邦訳が数種出ていたのもあるのかな。

ドーナツ日乗②MELODY DOG、THE PASTELS


Melody Dog / Futuristic Lover c/w Tomorrow's World, Sun Drenched Beach in Acapulco

 
パステルズのカトリーナが1991年にKレコードからリリースした7インチ。
このシングルを買った頃、英米問わず、多くのバンドのシングル盤が毎月輸入盤屋さんの棚に並んでいて、どれも瑞々しかった。平凡な日常を切り取ったような歌がジャケット、7インチというフォーマット全部とからまって、パステルズやグラスゴー周辺、ひいてはUSのK周辺のシーンがこういうものか、とよくわかった気がした。
誰にでも、あの時、あのお店で出会って手に取ったことが、そのままパッケージされている気がする思い出深いシングルがあるものだと思いますが、このシングルはきっと今でも多くの人にとってそういうものであるのだろうと。

**
そして、

Slow Summits【ボーナストラック2曲、ライナーノーツ、対訳付き】

Slow Summits【ボーナストラック2曲、ライナーノーツ、対訳付き】

本家(という言葉もあまり似つかわしくない)パステルズのパステルズとしては16年ぶりになるというニューアルバム。
『Illumination』からそんなにも時間が経ってしまったのかという静かな驚愕がまずありました。
初めてパステルズを聴いたのは『Up For a Bit With The Pastels』でした。
Up For a Bit With The Pastels

Up For a Bit With The Pastels

ジーザス&メリーチェインのジム・リードが、クランプスなんかと共にフェイバリットに挙げていたのがパステルズだったから手に取ったのだったけれど、当時はよくわからなかった。そうこうしているうちに、BMXバンディッツだとかユージニアスだとか、ジャングリーだかアノラックだかの名称で括られたバンドが大勢出てきて珍しくないスタイルだしその最初のバンドのうちの一つ、という認識になりましたが、聴いたときに感じたパステルズのよくわからなさというのは、後から出てきたバンド群にはなかなか感じないもので、それは「不安定さ」というかゆるい「ゆがみ」というかゆがんだ「ゆるみ」というか。他のバンドがスタイルとしてそういう「ゆるみ」を出してもすぐにコーラスで引き締めて「ポップソング」をこしらえるのに対して、パステルズは徹頭徹尾「ゆるくてちょっとゆがんだまま」でパステル調というよりクレヨンによるドローイングであるかのような印象を持っていました。

それでこの新しいパステルズ。悪くない、というよりかなり良い。良いですよ。カトリーナが歌いはじめる3曲目『Check My Heart』、個人的には一瞬シー&ケイクの魚影もかすめるポップソング。こういう曲が3曲目に自然に収まっているアルバムは良いアルバムです。

朴訥としたメロディーは変わりようもなくパステルズだし、一番大事なのは、ほんの少し、ギターを強く弾いたときのゆがみの感覚をこの人たちは絶対に手放さないという安心感がアルバム全体を貫いている(ちょっと強張った表現で、それはパステルズには似合わないけれども)。
だからなのか、「16年待った」という表現をここで使えるほど僕は忠実なパステルズのリスナーではないのですが、16年ぶりという感じもあまりしない。『Illumination』を聴いたときのように「ああ、こう変わってきたか」という感慨もない。「ない」のがネガティヴに働かないのは、結構珍しい。
ポンと「これだよ」と差し出された良質のアルバム。世の中には、こういう強さも存在する。

ドーナツ日乗①SIMON&GARFUNKEL、BAD BRAINS

 
SIMON&GARFUNKEL/THE BOXER c/w BABY DRIVER

Mumford & Sonsの『BABEL』CDにボーナストラックで入っていたサイモン&ガーファンクルの『ボクサー』のカヴァー。Babel: Deluxe Edition (+ 3 Bonus Tracks)

聴いて、改めて良い曲だなあと思っていて7インチを探していたらこれがありました。見開きのスリーブに対訳が印刷されて、実はこれで初めて歌詞全部を知ることになった。この曲の存在を初めて知ったのは音楽そのものではなくて、たしか吉田秋生の『カリフォルニア物語』だったような気がします。歌詞全部ではなかったと思うけれど引用されていた。
サビの「ライラライ」がただの歌声ではなくて「嘘、嘘、嘘、嘘ばっかりだ」というニュアンスだったとは…。
ポール・サイモンは割りと好きというかやっぱり超一流だと思います。出てるアルバム全部聴いているわけでは全然ありませんが、今でも『グレイスランド』かけたら、やっぱり最初から最後まで聴いてしまうし、『サプライズ』も良かった。SurpriseGRACELAND 25TH ANNIVERSAR




 
BAD BRAINS/LIVE AT IGUANAS TIJUANA 9.9.89
日本橋の演歌のシングルが大量に置いてあるレコ屋さんの100円洋楽シングルの棚に眠っていたUSラスタ・ハードコア・パンク・バンド「バッド・ブレインズ」ライブ音源。スリーブにもドーナツ盤にもレーベル名の記載がない(盤は真っ白)ので多分ブート。珍しいのかどうかもわからない。
音質は当然劣悪。だがカセットデッキで録音したんだろうコンプがかかっているような感じ、この手のバンドなら悪くない感じなのは、わかってもらえるんではないでしょうか。演る方からも観る方からも、ゴリゴリザクザクとした熱気と殺気が伝わってくるようで、嬉しいシングル。
これ聴くと、初期の「あぶらだこ」も、やっぱりイイ線いってた、とも思う。
しかし、よく考えたら、1989年ってバッド・ブレインズがデビューしてかなり年数が経っているし、大体グランジやらオルタナ・ブームがやってくるか来ているかという時期だから、一回活動休止してから再開した頃ですね。そう考えていると1982年CGGBでのライブがYouTubeに転がっていました。
58分。お暇な方は是非。
のっけからモヒカン頭がステージに乱入してきます。バッド・ブレインズ独特のスウィングする痙攣ダンスをお客さんも一斉にやりだすのが最高。

本厄耳瞬日乗②

5月7日(火)
 世間はGW明けですが、お休みをいただいて、病院へ。
 レントゲンを再び撮ってもらうが、ヒビの黒いクレバスみたいな影は変わっておらず、少し縁に薄いもやがかかってきた程度。やはりあと、2か月くらいはかかるだろうとのこと。ギブスは外してもらい、かわりに固定用の装具をもらう(マジックテープで足をぐるぐる巻きにするヤツ)。


5月11日(土)
 長年使ってきたPCがついに起動しなくなった。
 2年ほど前に替えた電源がおかしいのかと思ったら、修理屋に言わせると箱のボタンが壊れているだけらしい。しかし、昔の箱なのでボタンだけ付け替える事が不可能。筐体ももはや手に入らないとのこと。
 で、箱は丸ごと換えることになるのと、マザーボードがかなり老齢であることもあわせると、この組み合わせに投資し続ける意味があるのか?全換えのほうが安くつくのでは?ということになり、新しいPCにすることに。
 大事なデータは外付けHDに置いているのでよかった。
 それにしても、重なる時は重なるなあ…と。

 足が良くないので、業者まで車で家人に送ってもらう。その車中、父は参加している混成合唱の練習を録音したMDをカーステから流している。ふと気になって、長年やってるが、どうやって合唱団を探したのか尋ねてみた。
 父が初めて合唱団を訪ねた時、同じ市民ホールでやっている断酒会の参加者と間違えられたいう。父は話しているとその時のことを思いだしてきたのか憤慨していたが、その横で僕は父の話とは逆のシチュエーションを妄想して可笑しくなってしまっていた。
 アメリカ映画でよくある断酒会の会合のシーン。参加者が輪になって座り、一人が立ち上がって「私の名前はジョン。アル中です」と告白すると、皆が、「やあジョン」と返すアレ。妄想のなかでは、立ち上がった一人がやおら歌い出すのだ。彼は断酒会ではなくて、混声合唱に来ているつもりなのだから。

5月12日(日)
パソコン引き取り。
頭痛が酷い。

5月13日(月)
皆気づいてなかったが、最も美しい朝だった。
朝日は、きつすぎる事もなく、朗らかに満ち溢れて、反射し続け。すべてがあるべきところに収まって、地下鉄御堂筋線の形をして移動していた。オレが、松葉杖を傍にして座席に鎮座ましていることも含めて。
緑は歓喜の歌でそよいでいた。風はこれまで吹いた事がないかのように甘かった。
皆、気づいてはいなかったが、良い朝だったのだ。

5月14日(火)
 日曜からの頭痛がさらに酷くなって、月曜の夜、ついに眠れなくなった。念のため、朝、上司にメールを入れて出勤前に神経内科で診てもらう。
 松葉杖が続くから、体に負荷がかかっての神経痛らしい。痛ければロキソニンでもEVEでも飲んだらいい、との仰せで、いくらか安心。

大阪のドライバーの非人間性は、左折時、松葉杖の者が、横断していてもまったく速度を緩めないところからも明らか。
ずっと阪急箕面線だったが、骨を折ってから、阪急バスで千里中央まで出て御堂筋線で難波まで出るという贅沢な通勤をしている。
交通費も贅沢だが、阪急バスに乗ってると気持ちも少し贅沢だ。


5月18日(土)
 心斎橋のスタジオで音出し遊び。
 エフェクターボードとギターを松葉杖という重装備にI佐さんとI井くんにあきれられる。3時間音出しした後は近くの�愬�愬(みんみん)で食事。久々に生ビールを飲む。後で気づいたのですが、隣のスタジオに入っていたのはオシリペンペンズだった模様。

5月22日(水)江崎將史x半野田拓x高岡大祐@堀江FUTURO

 Bridgeがあった頃からファンだった三人のミュージシャンのトリオ。一部は江崎さん高岡さんのデュオで、二部は半野田さん加わってのトリオ。半野田さんはギターの出音をラップトップで加工しながら、江崎さんはトランペットから大小のボールの中でビー玉を回転させて出す音まで超アコースティックな音の拡張。高岡さんのチューバが前景となりまた背景ともなり、この三人の演奏はもっともっと聴きたいと思いました。

 物販で、高岡さんから出来たばかりの「solos vol.2 BLOW」を購入できました。15人の管奏者の即興演奏をDSD録音したもので、最初の松本健一さんのテナーソロからたまらない臨場感。
高岡さんの行く先々に豊かな音がある。

5月26日(土)ノイズ・メーデー@難波ベアーズ

 出演は、蒸発都市、Mandog、SOLMANIA、JoJo広重+Crossbred、マゾンナの順番でした。由緒あるこのイベントも自分は行くのが始めてでした。松葉杖で行ったら、入店時も退店時も親切な店員さんにエレベーターを使わせてもらえた。ありがとうございました。
 蒸発都市は初めて知った。ウルトラセブンでそんな題名の回があったような気がしますが…(セブンのタイトルはいつもアダルトな雰囲気だった)。ギタリスト一人で、爆音に身をくねらせながら、ピックの替わりに銀色の平たい金属缶で弦をかきむしるパフォーマンス。壮絶。ステージ前で見てましたがさすがに危険を感じたのと周りのお客さんに迷惑だなと思って後ろの座席に戻りました。
 Mandogもはじめて見ました。この人がダモ鈴木と共演した人か…と。ブルージーでスペーシーと書くと陳腐極まりない表現ですが、後ろに座っていると姿を見ることはできませんでしたが、満員のお客さんの列を通して聴ける音だけでも最高に浸み込んでくる(轟音ですが)ものがある。
 SOLMANIA、我慢しきれず椅子の上に立ってステージを見ましたが、お二人の足元は見えず、エフェクター類は確認できず。あいかわらずの音響彫刻。SOLMANIAの爆音ノイズは僕にはとてもスイートに聴こえます。
 JoJo広重+Crossbred、Crossbredは今年キム・ゴードンを見たときに知った女性二人のデュオ。JoJoさんのノイズギターとCrossbredのビートが混じりあってかなり珍しい感じの音だと思った。
トリのマゾンナも実は見るの初めて。1分も演奏なかったのではないかという濃縮バージョンでした。

 物販で、SOLMANIAのTシャツ黒白2種購入。

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 骨折前に日本橋で買った7インチの一枚。Minny Pop。曲は、Dolphin's SpurtとGoddess。
ファクトリー・レコードからのリリースでマーティン・ハネットでプロデュース。ジョイ・ディヴィジョンの影響はやはり強い。

本厄耳瞬日乗①


この1月〜5月までに行ったライブや日記の書き漏らしの、IphoneカレンダーやTwitterの呟きを掘り起こしつつの、思い起こし、接ぎ木、になります。ずいぶんたまったものです。
最近、体験が書き言葉になるのに時間が少しかかるようになっているなあとは実感があります。1週間前くらいの出来事ならまだまだ自分の中で言葉に(月並みな言葉に)固定されたくないといって、暴れてる感じです。

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1月17日(木)『金管即興会』@蒼月書房
 有本羅人(tp)江崎將史(tp) 山本信記(tp)高岡大祐(tuba)
チューバ奏者・高岡大祐さんが企画した金管奏者4人によるライブ。Bright Momentsからのお二人とPOPOからのお二人。自分にとって大阪の至宝的なバンドふたつから金管奏者がよくも出そろったなという感がありました。
4人ひとりずつソロで即興が一部で、二部は揃って、だったと記憶します。山本さんの即興ははじめて聴いたかもしれない。4人それぞれのタッチが全然異なるのは当たりまえですが、蒼月書房の空間に融け合って消尽していく音を堪能してしまうと、この夜は家に帰っても音楽を必要としなかったです。素晴らしかった。
高岡さんは、金管奏者というのは最近ほんとうに少ない、という事をしきりにおっしゃっていた。そうなのかもしれない。
ライブで一緒になったI田さんから、個人的にとても嬉しい依頼があった。

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1月18日(金)
 仕事帰りにふらりと寄ってみたプランテーション・レコードで、70年代のスーダンのポピュラー音楽のカセットを七本まとめ買い。
ちょっと聴かせてもらったら内容が素晴らしかった。現地でももう売ってない、という店長コメントにも追い込みかけられた。


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1月20日(日)ライブハウス磔磔でお手伝い 「さかな」
 I田さんに頼まれたのは磔磔でのライブの録音のお手伝いでした。
I田さんの知り合いのY田さんがこの日の磔磔でライブするバンド数組の映像を撮るが、音声をとる手が足りない。いつもI田さんが行くが都合が悪いので、とお鉢が回ってきた格好でしたが、出演バンドに「さかな」がいたので、僕が「さかな」の大ファンであることをI田さんもご存じで、作業自体は録音ボタンを押してレベルを見ておくだけなのだし、野村で用が足りるだろうということで勧めてくれたというのが本当のところでした。Y田さんは、以前、心斎橋で僕が高岡大祐さんの「Plays Standard」ライブを企画したときに映像を撮ってくださった方。
昼のリハから入らせていただいて、サウンドチェック。ラインから音がもらえたので、私としてはほんとうに何の心配もなく、リハからライブまで、「さかな」のお二人が音を紡いで曲を織るのを幸福に満ち足りて観聴きさせていただきました。
 共演は「ゆーきゃん」さんと「キツネの嫁入り」。どちらも初めて見ました。新鮮。
終演後、「さかな」の西脇さんに駆け寄り、ライブの感動と長年のファンであることをもつれた舌でまくしたててしまいました。それで長年愛聴してきたアルバム『光線』(何枚かある「さかな」のベストな作品の一枚だと思います)にサインを頂いたらこんな丁寧にイラスト入りで頂けてしまいました(感涙)。

POCOPENさんとも少しお話しできて、最後に握手までしていただきました。
Y田さんによると、この日の僕は終始幸せそうな顔をしていたそうです。それはしょうがない…。
この日の「さかな」のリハからライブ映像がVimeoにあがっています。

http://vimeo.com/58319480
sakana_01/20/2013
SAKANA   THE BRIGHT ROOM-COMMEMORATIVE LIVE
SHOT IN KYOTO, AT TAKU-TAKU 01/20/2013
Lupinus POCOPEN vocal and guitar  NISHIWAKI guitar 
IMAGES, MIX and EDIT by MASAKI YANAGIDA SOUNDS by KENTA NOMURA

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イーハトーヴ交響曲

イーハトーヴ交響曲

 富田勲イーハトーヴ交響曲を聴く。
冒頭、原体剣舞連(dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah)、こうくるか!と思ったが、最後まで聴くにつれてもちろん僕なんかがどうこういうまでもなく良く出来ている筈なのだが、新鮮味というとどうなんだろうと思うようになった。
女の娘のか細く甘い歌声とフルオーケストラを並列して聴きたい、という欲望はそれほど新しいわけではないし、フィル・スペクターがとても魅力的な形で提示したことではなかったのか?という…。

ちなみに、僕は原体剣舞連をインダストリアル・ノイズ調に脳内再生してきました。勅使河原三郎のダンス作品をNHKで観たとき、インダストリアル!と思ったのだった。

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1月26日(土)円盤のレコード寄席『万国博覧会のレコード(RE)』@蒼月書房
 17時頃から、I佐さんと動物園前で待ち合わせ、時間まで居酒屋『田中屋』さんで呑み。ジャンジャン横丁の『田中屋』さんはI佐さんに教えてもらった飲み屋さんで、何食べても美味しい。⇒縄のれん田中屋
 19時過ぎから、徒歩で蒼月書房まで。円盤の田口史人さんによるレコード寄席を拝聴。

「万博関連のレコード」を特集したもので、この日は実は二回目だったらしいのだけれど僕ははじめてだった。万博の音楽、というと、僕はクセナキスか「世界の国からこんにちは」になってしまいますが、「世界の国からこんにちは」を各レコード会社がいろんな歌手に歌わせていたのだということを初めて知った。富田勲の70年代のレコードで凄いクールな響きのものがあった(タイトル忘れてしまった)。万博以外にも、博覧会(海洋博やポートピア、つくば博など)関連のレコードがいろいろと聴くことができた。

物販で、半野田拓さんの新しいカセットがあるのを発見して即購入。

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1月27日(日)江崎將史(trunpet)小島剛(banjo)半野田拓(denki)@FUTURO

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1月31日(目)ロマンギャルド中崎町モンカフェ
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2月2日(土)BOILERZ(高岡大祐(tuba)ワタンベ(ds))ゲスト 有本羅人(tp)@FUTURO
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2月3日(日)
 I田さん宅で高岡さん、Bright Momentsのドラマー橋本さんなどと音楽聴きつつの飲み会。
おそらく大阪で一番濃ゆかったであろう音楽の夜。僕もレコード何枚か持参してかけさせてもらいましたが何をかけたっけか。ジョン・チカイのアテネライブがあったと思う。最初回転数間違えてかけてジョン・ゾーンばりやなと思ったのだった(弩恥)。

橋本さんの自家焙煎コーヒー美味しすぎでした。

各自持ち寄ったのが恵方巻きばかりだったのには笑えた。節分だったのでデパ地下はとりあえず恵方巻きで溢れていたのだった。


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2月5日(月)映画鑑賞『カリフォリニア・ドールズ』@十三第七藝術劇場
 もう13年くらい前になるけど、1年だけ東京で働いていた。最初の勤め先の印刷会社の東京営業所にいたのだけれど、会社以外で東京での知り合いは、兄と大阪から東京に出てきていた大学時代の知り合い夫婦(のような二人)だけだった。一年の間にその二人のお宅(何処だったか忘れたけれど都営大江戸線沿いの何処かだったように思う)に二回お邪魔させていただいたのだったけれど、そのどちらかの夜に亭主のTさんに「けんちゃん(←僕)この映画知ってる?」といって教えてもらったのがロバート・アルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』だった。衝撃的な傑作だったのだけれど、その後の本作はDVD化もされず、観るのはあの夜ぶり。
優しくて喧嘩っ早くて助平な女子プロレスのマネージャーを演じたこの映画のピーター・フォークは大好きだ。

Cue

Cue

Andrew Pekler『CUE』
一曲目はFaustの『I'ts a Rainyday, Sunshine Girl』への最高級のオマージュだと思う。
So Far

So Far

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2月10日(日)
 連休中日。I田さん宅でチゲの会。
TomTomClubの『DownTown Rokers』やPatti Smithの『After The Gold Rush』などかけた憶えが。
映画『スモーク』の話になって、そのあとThe Sea & CakeやGastr Del Solの話になって興奮。結局終電に間に合わず始発で帰ることに。まだまだ寒かった。ダウンジャケット着て寝てたなあ。

SMOKE [DVD]

SMOKE [DVD]

ブルー・イン・ザ・フェイス [DVD]

ブルー・イン・ザ・フェイス [DVD]

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2月13日(水)Sounders vol.18@木屋町アバンギルド
 Peter Knight
 Christopher Fryman (trumpet, computer)
 須田宣人  
 Tribal Beat Box by ミウラ1号
 
 通販サイトのArt into Lifeで購入したNobuto Sudaさんというアーティストの『Blurred』というCDRが、素晴らしい感触でこんな人がいるのかと思っていたら京都でライブがあったので観てきました。
 須田さんは最初に演奏でした。演奏後に柔らかい音色が良かったですと須田さんに感想をお伝えすると、僕も持っているソニーのハンディテープレコーダー(速度コントロール出来るやつです)の蓋をとっぱらってしまってテープは装着せず録音ヘッドを押したままに固定した「コンプレッサー」を見せてくれた。

Nobuto Suda 『Blurred』
カセット、テープループ、変則チューニングギター、フィールドレコーディング素材などを素に、隙がなく、しかしたっぷりと余白のある音作り。

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2月15日(金)友川カズキ バースディ前夜ライヴin大阪@ジャニス
 I田さんやK池さん企画の友川カズキライブ!ジャニスで見るのは2回目。
前来た時ジャニスのはいっているビルはテナントガラ空きだったような気がしたがもう満杯になっていた。
この夜の友川カズキライブはゲストが特濃多彩なゲストと即興演奏を繰り広げたアルバム『序破急』をリリースしたギャスパー・クラウス、そして永畑雅人、石塚俊明という豪華なものでした。

[LP] ギャスパー・クラウス「序破急」(アナログ/日本盤オリジナルジャケット仕様)

[LP] ギャスパー・クラウス「序破急」(アナログ/日本盤オリジナルジャケット仕様)

この夜のギャスパーのチェロ独奏が鳥肌立つほど素晴らしかった。
 ギャスパーのチェロは、

Kazuki Tomokawa / 友川カズキ(2/3)- A Take Away Show #98 [Part 2]
こちらでも聴くことができます。
そして、友川の曲なら、『ひとりぼっちは絵描きになる』が、好きでたまらないと再確認。この「好き」は他のどんな曲がどんな風に好き、というのにまったくあてはまらない。
 もしかしたら恐くて懐かしいという感情なのかもしれない。

 終演後、打ち上げに参加したかったが、なかなか会場がはけず、終電が危ぶまれる時間に。I佐さんとS藤さんと相談して抜けて近所の居酒屋で飲むことに。話はなぜか、音楽を聴いているとジャンルを問わず誰でも必ずあるという「アイドル萌え論」になった。

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2月21日(木)ロジャー・ターナー&内橋和久@中崎町モンカフェ

 即興ドラマー、ロジャー・ターナーの日本ツアー。結局行けたのはこの日だけ。しかし、得難いライブでした。
 ロジャー・ターナーと内橋さん、一定の速度と質、の混成物のようなものが唯一の約束事で、あとはどんな音も自由。そのもとに、どんどん拡げられつつ織り込まれて紡がれる。隙間という概念はないが、ものすごい集中力と開放感が聴く者にもたらされる。ロジャー・ターナーさんのドラムは、多彩で、クリアで、エッジがはっきりとたっている。スパッスパッと細かい一打一打が重く切れ味最高の小鉈。
 ロジャーターナーさんも凄かったんですが内橋さんのギターとダクソフォンをスイッチする様と音が最高でした!
 実は、ハンス・ライヒェルが考案したダクソフォンという楽器をを初めて見て聴いたのでしたが、マルセル・デュシャンの波打った定規みたいな形(停止原基という)の木片からどんだけの音を引き出すねんという…。
この夜、内橋さんは関空で日本に着いたばかりと仰っていた。今はベルリンにいらっしゃるということで、バス・フルートの天田透さんとも一度共演された事があるとも。

会場で購入したロジャー・ターナー参加アルバム2枚。
特に、ロル・コクスヒルとの盤の4曲目15分くらいのデュオ演奏は、教会で録音されたもので、開始時数分、教会内部のナチュラルリヴァーヴの中、ロルのソプラノサックスが柔らかに切り込んでいく。ミュージシャンの中で何かが弾けて即自的に音になっていく様子を聴くことができる。即興だから良い音楽だというこはない。そもそも即興とは作曲された作品を演奏することの反対語なのか、未だ書きとめられていない作曲なのかはっきりとはしない。ただここには音の満ちる場所ともうひとりの男(ドラム奏者)に激しく反応して目映く発火する人間がいるということなのだと思う。


ケヴィン・エアーズの訃報。

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3月5日(火)KIM & YOSHIMI LIVE! in OSAKA@鰻谷コンパス
 WATER FAI
 CROSSBRED
 EYE ( BOREDOMS )
 KIM & YOSHIMI
  G&Vo: KIM GORDON ( SONIC YOUTH )
  Ds:   YOSHIMI ( BOREDOMS / OOIOO )

 ソニック・ユースが停止してから初めて観るキム・ゴードン。良かった。


フェンダーアンプ二発が気持ち良く唸って、ヨシミさんのドラムで空を飛んでいた。目の前の背の高いお客がよく見えずで少し腹たったがSonicYouthのTシャツを着ていたので許してしまう。
WATER FAIははじめてライブ観た。想像よりもラウドなバンドだった。
発見だったのは、CROSSBREDでした。美女二人による電子ノイズ・デュオで、出だしにからAreaの曲からのサンプリングが鳴り響いた。コンパスでデメトリオの声聴けるとは思わなんだ。じわじわ盛り上がっていく電子カオスが◎でした。またライブ観たいと思っていたら、今度のノイズメーデー@難波ベアーズにも出演するらしい。

Chelsea Light Moving

Chelsea Light Moving

ちょうどこの頃に国内盤が出た、キムの元ハズ、サーストンの新バンド『Chelsea Light Moving』。
バンドのファーストアルバムということなのか、一回限りのプロジェクトということなのかは不明。
不思議な感触のバンド名は、70年代にミニマル・ミュージックの始祖フィリップ・グラスとステーブ・ライヒが運営していた引っ越し業者の名前らしい。さすがなセンスで、モノクロ画像を上手くコラージュしたジャケットデザインも「時間の往復運動=移動」を感じさせてくれて良い出来。音楽は、ハードコアやノーウェイブに逆戻りしたような風合いがありながら、今のサーストンの気分をヒリヒリと感じさせてくれる。無理なくバンドを楽しんでいるのかなあと感じる。サーストンの歌は、NYのフォークになりつつあるんだろう、そんな風に思う。
Between the Times & the Tides

Between the Times & the Tides

こちらは、出て半年以上経過してしまったSYのもうひとりのギター、リー師匠のソロ。完全まるごとウタモノということで話題になった。なぜか、ビートルズを強烈に感じる。



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3月9日(土)アキビンオオケストラ@Float
 最後まで複眼ギャラリーのジョン・ダンカンとどちらにするか迷ったが、こちらへ。

I佐さんと合流し途中から福島駅近辺の居酒屋さんで呑み。I佐さんから嬉しいニュース。

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3月27日(水)
 この週、市役所の裏手にトランクルームを借り始める。

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3月29日(金)半野田拓(g)高岡大祐(tuba)@堀江FUTURO
 FUTUROはレトロモダンで音楽フリークでカレーも美味しくて最高のカフェです。最高のカフェで最高の二人でした。
 新世界BRIDGEがあったころからそれそれ大ファンだった高岡さんと半野田さんというお二人をデュオで。2倍嬉しい夜ですが、このお二人のデュオ初めて観る!と思ってたら実際初めて、とのことでした。
半野田さんのサンプラーから出る音は宇宙から降ってくる光線のかけらのよう。ギターもまた同じく。しかしどこかに根っこがある。遊走する根っこが。高岡さんのチューバからも今まで聴いたことのない音が溢れだしていた。何か凄い事が起こった夜でした。


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3月30日(土)
 梅田でレコード市。これは…という掘り出しもの多数。

3月31日(日)
 I田さん宅での高岡さんH田くんの呑み会に誘っていただく。
半野田拓さんの新しいテープがかかって、みんな黙って聴き込んでしまった。自然に。

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4月1日〜7日
 トランクルームにごっそごっそと書籍を移転。
整理のときに出てきたWIRE誌の多さは我ながら圧巻でした。大阪府でこれだけ買い続け読み続けたのは自分だけでありましょう。
手話ハンドブックが出てきた。地下鉄で口論してるなーそれにしては静か、っていうか音出てない!とおもったら聾者の方々だった。とてつもなく表現が豊かに見えて、そのまま紀伊国屋で購入したのだった。自己紹介だけはできるようになった。また読んでみよ。

 棚の奥から顔を出したJazz雑誌『OutThere』を読み返していると、1969年リリースというくくりでアルバムを聴き連ねる事に。
オーネット・コールマンの『Crisis』の後に、ムーディーブルース、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの『Spiritual』、ストーンズのLET IT BLEED、セシル・テイラーの『2nd act of A』、THE BAND、そしてクリムゾン王宮殿。これら全て1969年の作。豊作ぶりに今さら驚く。

無縁のメディア 映画も政治も風俗も (ele-king books)

無縁のメディア 映画も政治も風俗も (ele-king books)

 粉川哲夫の映画レビューが大好きだ。あるいは映画以上にその映画を語る文脈が興味深い時がある。

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4月13日(水)

 フォノイコライザー購入。実は今までアナログLPはUSBターンテーブルでPC経由で聴くしかないという体たらくでしたが、これでコンポで聴けるようになった。
で、ここから足を負傷するまで、怒涛のドーナツ盤買いラッシュが始まります。

 ヴェルヴェッツのドラマー、モーリン・タッカーのシングル。雑誌の写真でしか見たことなかったブツ。ヴェルヴェッツ時代の曲『I'm Sticking with You』を吹き込んでいるが、コーラスにはジョナサン・リッチマンが参加。裏面は別の女性歌手の曲。

ヴェルヴェッツのシングルも見つけてしまった。6分近い『Foggy Notion』。
まだまだ演歌やポップスでも300円くらいなので安くてバンバン買ってしまう。まずい、まずい。
詳細はまた次のエントリで…(自宅デスクトップPCの電源が入らなくなってしまったので少し時間がかかりそうです)。


 モーリン・タッカーの話が出たので。
最近ひっそりリリースされていたモーリン・タッカーソロ作のアンソロジー。タイトルが『はるか昔に思えるわ』ときたもんだ。
このアンソロジー、途中経過報告ではなく、あくまでソロアーティスト、モー・タッカーの完了した「全キャリア俯瞰」という意図が強く出ているように思う。
ルー・リードや、ジャド・フェア、それからソニック・ユース等の地下ロックの名士たちが大量合流したモーリン・タッカーの初めてのソロアルバム『Life in Exile After Abdication』がリリースされた1989年は、僕が高校生の頃だった。それから『I Spent a Week There the Other Night(1991)』とライブ盤『Oh No, They're Recording This Show(1992)』(←このタイトル、ライブ盤のタイトルとしては最高だと思う)を出して最後の『Dogs Under Stress (1994)』からもう20年近くになる。本人としては音楽活動はすでにとっくに過去の出来事で、まあ、たしかに遥か昔にはなるのかもしれないが、少しさみしいなあと思ってしまう。
モーの声が好きだし、ヴェルヴェッツに加入する前に、ロックバンドに入りたくて自室でボ・ディドリーのレコードに合わせてドラムを叩きまくっていた、その話をきいてルー・リードがヴェルヴェッツのドラマーは彼女しかいないと決めた、というエピソード、大好きだった。
そんなモー・タッカーの、ソロ音楽活動の(おそらくは)すべてが入っている盤なので、おすすめです。

伊東乾『なぜ猫は鏡を見ないか? 音楽と心の進化誌』を読む。

なぜ猫は鏡を見ないか? 音楽と心の進化史 (NHKブックス)

なぜ猫は鏡を見ないか? 音楽と心の進化史 (NHKブックス)

そうかジョン・ケージの未完の遺作「オーシャン」を再現したのが伊東乾氏だったのか…。
現代音楽の可能性を、人間も含めた動物にとっての音響がなんなのか、動物はなぜ鏡を人間のようには認識しないのか(それでは人間は音楽に対して鏡像関係を結んでいるのか?)という根本的なところに手繰り寄せて思索実践が章ごとに積み重なっていく。各章が、思索・実践と著者の個人的体験をセットにして語られていて読みやすい。
パスカルキニャールも『音楽への憎しみ』で危惧したような音楽の強制力についても、ナチス、またオウムの音楽を使用したマインドコントロールにつついても触れられている(著者には、オウム事件に関する著書もある)。
最近ありがちな書名を棚で見かけたときは気持ちが萎えたが、読んでみると、ハードコアな現代音楽と聴覚、記憶、感情をがっぷりと取り組んだ力作だった。

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4月20日(土)GW直前に骨をヤる。
 南田辺の「スタンドアサヒ」で、I田さんと呑み。そのあとご機嫌でI田さん宅でも呑むが、この帰り際に、階段の最後の数段を踏み外してしまう。右足から落ちたらしくすぐに激痛が走った。「やった!」と思ったがこの時は、ただの打ち身だと思っていた。実は、足甲の骨に幅1ミリのヒビが5ミリ程の長さではいっていた。人生初めて骨をヤッてしまいこれも人生初の松葉杖生活決定…あまりに不覚。
本格厄年決定。
痛みのため、会社と家を往復する以外はまったく動けず。
このため、楽しみにしていた4月27日ムジカジャポニカでの「さかな」と「くじら」のライブ、また28日の芦屋での山村サロンにも行けず。最悪の気分に沈む日々。
世間ではゴールデン・ウィークというものになっていたらしいのですが私は…。

部屋のベランダから、茫然と。
数日、部屋に閉じこもりながら、昔のデンザツ(ノイズ専門誌『電子雑音』)を何冊か読み直す。
最終号のControlled Bleedingのインタビューを熱中して読む。

電子雑音9号

電子雑音9号

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ギブスに松葉杖の週末、公園へ行ってから、近くのスーパーで肉を買ってかえるというのが「大旅行」になってしまった。
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5月3日(金)チャールズ・ヘイワード@木屋町アバンギルド
 負傷のGWとなったが、これだけは、と松葉杖をついて観に行った。同じ日に梅田クアトロでマーク・リボーのセラミック・ドッグのライブだったが、リーボーさんは数年前に偽キューバ人で満足させてもらったし、ヘイワードは今度いつ日本に来るかわかならい、ということでこちらに。
これが、最高でした。これほど満員のアバンギルドもはじめての体験でした。


一部は、ビアノ弾き語りと鳴り物
 レナード・コーエンみたい、という声が客席からあがったが、そうかな?ヘイワードの歌声は、濁声といってもいい声だが、この声が時折美しく聴こえる瞬間がある。
二部で、ドラムとエレクトリック
 ドラムが叩かれた瞬間から、この時を長く待っていたなあという感慨に包まれてしまった。そして、ヘイワードの歌声。ドラムと歌と少しの楽器で、ヘイワードは世界と対峙している。曲は、直近のアルバム『ワン・ビッグ・アトム』とその前の『アブラカダブラ・インフォメーション』からがメインのようだった。
 ドラムで強烈なビートをしならせながら、即興的に言葉で遊んでいく姿が印象的だった。たとえば、「マシンガンドラムマシンガンドラムマシン。」とループさせて意味をずらしていったり、最後のアンコールでは、「イヤードラム(大声で) マイクロフォン(普通に) ラウドスビーカー(ささやくように)」というふうに。
お客が満員過ぎて、ドラムまわりの電機機材は何を使っているのか見たかったがまったく見られず。
ゲストのギタリスト、アキラトヨナガ氏もプレイも印象深かった。
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5月6日(月)春一番服部緑地公園
 GW最終日。例年の「春一番」。
 坂田明F1トリオ(高岡大祐tuba 本田珠也ds)+JOJO広重g,JUNKO vo(from非常階段)
最終日のコレ↑が見たくて。
坂田明トリオに非常階段!という予想できない組み合わせで、正直どうなるのかと思っていたら、「春がきた→ステラ・バイ・ザ・ムーンライト→ロンリーウーマン→春がきた」というスタンダードカバーというこれまた驚きの展開。
爽快だった。松葉杖振り上げて興奮してたら凄く目立ってたらしい。

春。


今日は、新しく借りたトランクルームにたまりにたまった書籍をごっそり搬入。
捨てないのか、という家人の言葉にも負けません。だって捨てるよなもの買ってませんから。
それで、広々とした部屋が寒いのは、本が暖房だったからと考えたけれど、いやいや、今日は特別寒い日だった。

これは3月末の咲きかけの頃に落ちた桜の花弁。
近所の並木の桜の満開は、結局撮り逃した今年だった。そんな年も、あるだろう。


ものすごくうるさくて、ありえないほど近い [DVD]』を観た。
9.11で父親を亡くしたアスペルガー症候群らしき少年オスカー役が素晴らしい。サンドラ・ブロックもはじめて感心した。
映画が終わるころ、オスカーは父親に勧められても乗らなかったブランコに自分から乗るようになる。ずっと以前からそうだったことだけれども、結末に置かれた小さな変化のほうが、エイリアンを撃退して地球が救われるような大きめのオチよりも深い感動を呼ぶ。