みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ロンドン➁Hyde Park〜市内〜Tate Modernでハーストとムンク〜Vortex Jazz Club1日目

【18日(土)】
7時起床。

自分の部屋から見えるホテルの裏手。裏手といってもKensington Gardensという高級住宅街(の裏側)でございます(あ、ホテルは高級ではございません)。
ホテルで朝食(パン類とハム、フルーツ、ソフトドリンク)。受付にクリーニングお願い。

8時外出。目の前がHyde Park。パレスゲート入口から入ってサーペンタイン池方面にほぼParkを対角線に横切る感じで歩いていく。

ガサゴソ音がすれば、それはリス。普通に一杯います。


ね。

サーペンタイン池を渡る橋上。

サーペンタイン池から市内中心部方面を見ています。



馬。


Buckingham Palace付近。ロンドン観光客らしい写真はこのあとのひとまとまりくらいですので。

Victoria駅方面に抜けてVauxhall Bridge Rd.沿いのコーヒーショップで早めの昼ご飯。コーヒーとサンドイッチ。新聞も2誌程付近の売店で買ってみた。


Rochester RowからVictria St.へ。10時前で人気がないのが良い。自分が日本でイメージしていたロンドンってこんな感じでした。

Westminster寺院。並んでいる観光客の数にげんなり。とても並ぶ気にはならないという言い訳を得る。暑い。

水陸両用車のDuckさんでのツアー。これは乗ってみたかったかも。

人混みに完全に気を呑まれ、ふらふらと河。そういえば、テムズ河、ですな。

【左】お約束のBigBen。一人旅で困るのは、写真を撮ってもらえそうな人を探す手間くらいだと思う。ロンドンっ子のお爺さんに撮ってもらいました。【右】橋を渡ってLondon Eye。乗りませんよわたしゃ。
Waterloo駅から、Southwark地区へ。午前中の目的、かねてから行ってみたかったTateModernへ向かう。

Tate Modern
Tate Modernには、結局その日の午後6時までいることになりました。

入口は地下から入る形。この日の特別展は「Damien Hirst」と「Edward Muinch」の豪華過ぎる二本立て。そして、常設展は無料!

入口の長いスロープで館全体が見渡せる。

地下のスペースでライブパフォーマンスをやってました。Dubmorphology というユニットらしい。インド風歌唱の女性二人にラーガなのかエレクトロニカなのかノイズなのかダブなのかよくわからない音を淡々と続けていた。

お客がメモを貼れる掲示板。お題は「どうやったら芸術は社会を変えられますか?」。皆、真面目に書いている。中でも、「芸術の事を考えている事自体が、社会をいくらか変えています」というような意味をたどたどしい字で書いたメモが印象に残りました。

掲示板の横にはTwitterでのつぶやきもリアルタイムで掲示されていて、先ほどのライブの感想が早くもアップされていた。


まずは特別展のDamian Hirst。
どうもこれは鮫まるごと水槽入り、や牛の親子両断展示のHirstの回顧展である様子。東京のデザイン寄りの印刷会社の事務所で働いていた2001年頃に、Hirstの分厚い画集というかカタログ・レゾネがその手の洋書としては馬鹿みたいに売れていた状況で、事務所を訪れるデザイナーが皆その画集のこの印刷技法を試したい、これの見積もりして欲しい、と言ってきて食傷していたのを個人的な思い出として密かに引きずりながら観ましたが、いやあ、面白かった。

I Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, With Everyone, One to One, Always, Forever, Now

I Want to Spend the Rest of My Life Everywhere, With Everyone, One to One, Always, Forever, Now

これ、ね。
まず初期のトニー・クラッグを思わせるようなポップなカラフルさを持った作品群から、その色彩だけを引っこ抜いたドット・ペインティング。ある意味こんな生真面目さがあったのかと思った。薬剤や金銀の蒐集家的なクールさと力には唸るし、露悪的を越えてしまっている件の鮫や牛には、ひさびさに脳内失語症が出てしまった。やがて展示が進むと、Hirstにもうひとつの大きな拘りというかコンセプトというか執着がある事を知る。蝶、である。無数の蝶を貼り付けたマンダラのような大画面は圧倒的だった。また、蝶とは違うが、無数の蠅の死骸を黒いタールか何かで球形に固めた「Black Sun」という絵(というか半立体作品)は言語や思念を吸い込む恐ろしい作品だった。

もうひとつの特別展はエドヴァルド・ムンク
副題が「The Modern Eye」で、近代の「視線」としてのムンク。大体切り口はこれでわかってしまうと思うが、とても充実した展示だった。たいしてムンクという画家に興味を覚えてこなかった自分のような人間でも、見終わったときにはムンクを「面白い画家」だと抵抗なく感じられたのだから。
特に目玉は2点あったと思う。ひとつはムンクの「映画」との共振。ムンクが撮ったプライベートフィルムというのが上映されていた。これは映画史的にも最初期に近いフィルムなんじゃないかと思うが(違うかな)、当時既に個人用の映画撮影カメラのマニュアルには、被写体にカメラを向けたら本体を固定して撮影するように、という指示が書いてあったらしいのですが、ムンクの映画はブレまくっている、というより、ムンクの目線が興味が赴くままにカメラを振り回しているという感じでまったく固定されない。まともに見ていると酔いそうな勢いで街頭の人から人へパン(というのも堅苦しいくらい)していく。
フィルムとしての完成度というよりは、「新しい目」を持った事自体への興奮に我を忘れているムンクと同化してしまうような体験だった。ムンクのタブローの人物たちのあの独特な丸く太く重ねられてはしなる輪郭線は、映画フィルムのラッシュの痙攣的な動きに共振した表現なのだと言われても、あながち否定できなくなってくる。
もう一つは1907年〜1909年の間に描かれた「Weeping Woman」(泣く女)というタブロー連作。

閉所恐怖症を発症しそうな狭い部屋の中で顔をうつむけて立つ女の姿を同じアングルで描き続けた連作で、このテーマの何がムンクをここまで何度も描かせたのかどうしても考えてしまう。この構図がムンクにとっては何かしら演劇的な意味を持っていたのかもしれない。泣いている、と題名で言われても俯く裸の女の表情は尽く塗りつぶされている。恨めしい目でムンクを睨んでいたんではないかとも邪推する。小さな写真も展示されていて、それはモデルに同じ室内で同じポーズを撮らせたタブローと全く同じ構図の写真だった。この写真を元に連作を仕上げていったという事か。

常設展その1は、「Poetry and Dream」と題したシュールリアリズム以降のイメージの扱い方の変遷。常設展は、フラッシュを使用しなければ観客の写真撮影が可能という太っ腹。

ピカビアのセンスの良さはデュシャンとタメを張る。

【左】Yves Tanguyの油彩『The invisibles(不可視の者たち)』。20分ほどこの絵の前のソファに腰かけたまま、絵の中に吸い込まれていました。暗いんだけれど、なんだろうこの気持ちよさは。超現実主義ってこれくらいでなければならないんじゃないだろうか。【右】Hans Arpの半レリーフもお気に入り。

【左】ピカビア。【右】ヴィフレド・ラム。

美術運動「コブラ」のメンバーだった画家Karel Appel(音楽作品も残している)の『Questioning Children』。これまで数点見た中でもアペルの最高の作品。古い木の扉をカンバス替りにくず木片で構成・彩色。子供も大人も思わず立ち止まってしまう何かがある絵だった。

少し離れてTanguyの傑作がもう一点。今回ですっかりTanguy中毒になってしまった。

なんどもこのブログでもフリークである事を表明してきましたKurt Scwitters。

戦中からScwittersはロンドンに亡命して晩年を過ごした。その晩年のScwittersと少年の交流を描いたオペラがあり、Michel Nymanが作曲しているのはかなり以前に書きました。みみのまばたき「ナイマンのシュヴィッタース・オペラ『Man and Boy:DADA』」http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/comment?date=20060624
晩年のScwittersは小さなオブジェを作り続けていたらしい。それらを数点見ることが出来た。

John Heartfieldのフォトモンタージュの傑作群が一同に会していた。

右なんて先にHardcorePunkのDischargeのジャケットで知った人が多いデザインではないでしょか(→私)。
NEVER AGAIN

NEVER AGAIN

これ、ね。


あんまり充実した常設展に途中で休憩。休憩スペースからエントランスホールで何かパフォーマンスをやっているのが見える。グルグル回ってゆっくりとスロープを降りていくだけ。


常設展「Transformed Visions 」は抽象表現主義以降のイメージとの向き合い方の変遷。

フィリップ・ガストンの「Head(頭部)」。

ロバート・マザーウェルの傑作「スペイン共和国への哀歌」の前でも何度も立ち止まる。他の人はあまり興味がわかないらしかった。

ロスコの部屋もある。ここでは皆暫し座り込む。

常設展「Energy and Process 」は、リチャード・セラの鋼鉄の彫刻がエントランスにある、力と過程を美術の中に封じ込めたような作品ということらしい。無地のカンバスにナイフで切り込みを入れたルチオ・フォンタナの「空間概念」も展示されていた、といえばわかりやすいかも。

その中でサイ・トゥオンブリの部屋は崇高な光に満ちていた。





トゥオンブリのブロンズ彫刻には、古代美術のような静かな浄化された力能・過程がある。

トゥオンブリの部屋を出ると、すぐにブルース・ノウマンのヴィデオインスタレーションがある。一つの部屋で男女の役者がいきなり殴り合いつかみ合いの喧嘩を始める映像が複数のアングルでランダムに映し出されていた。宙吊りに見世物にされた暴力の滑稽さと不気味さ。

もうひとり、鮮やかに印象に残ってしまったのがポーランドの女性アーティストでEwa Partumという人。


70年代から「アクション・ポエトリー」と題して、詩の拡張形式としてパフォーマンスと呼び得るようなアクショニズム作品を手がけてきたとのこと。そのイベントを短い映画「POEM」がプロジェクター上映されていた。

アルファベット字体に紙を切り抜いた「文字(言葉)」を、丘から優雅に撒き散らし、また波打ち際に放つ。みずからを組成する言葉・文字への拘りを中に溜め込んでそのままくるりと折り返して外界に拡散させようとするかのような作品には、共感を憶えた。
ネットを見るとEwa Partumの画像が結構あった。




「Structure and Clarity 」は、ミニマルとハードエッジの作品傾向にあるものだった。

常設展も全て見終わるとかなりクタクタになってしまって、すでに15時を過ぎていたと思うが、このあと地階のTate Bookに寄ってしまい、欲しい画集やペーパーバックばかりで脳内爆発状態に。しかし買うのは帰る前日と決めて、この日は我慢。
**
18時も過ぎたので、この旅行の二つ目の目的、「Vortex Jazz Clubに3夜連続で通う」(極私的プログラム)の一日目に。
初日なので様子見で、出演アーティストについては全く予備知識無しでネットで予約してみた。
TateModernからLondonBridge駅へ徒歩。そこで有料のトイレに入って(有料ならトイレは綺麗に保てる!)、TubeのNorthernLineに乗ってEuston駅でVictoriaLineに乗り換えて2駅目がHighbury&Islington。ここでOvergroundに乗り換えてまた2駅行ったDaltonKingsland駅で下車。迷うかと思ったらGilletSqureは本当の駅チカですぐ見つかった。そこに、Vortex Jazz Club。

かなり周囲から浮いた雰囲気。というのも、この辺は言ってみればかなり下町。ジャマイカ系やトルコ系インド系が多く、白人は明らかに少数。東洋系はもっと少ない。
店の前が広場になっていて、くだけた格好の黒人たちが缶ビール持って屯しているので、自分の存在がかなり異質なのが明らかで最初相当怖かった。時間通り20時にクラブが中に入れてくれた。
BIG CAT (GOLLER / MONTAGUE / ALLSOPP / GILES) + BUG PRENTICE (CRAIG / GOLLER / MADDREN)@Vortex Jazz Club
出演は➀BUG PRENTICE、➁BIG CATだった。
➀BUG PRENTICEは、車椅子にのった男性CRAIGがヴォーカル&ギターの3ピース。ライブの出音を聴いていると、Beefheart×ガストル・デル・ソルのかなり格好良いジャンクロックだった。開演前、車椅子のCRAIGが店内でドラマーを相手に曲の編曲を口頭で伝え始めたので吃驚した。
日本に帰ってきてから音雲を見てみると結構曲が上がっていたが、どうもライブのジャンクな雰囲気が伝わってこない。
http://soundcloud.com/bugprentice
この中では、「Nicholas Ray (live)」っていう曲が最高に格好良かった。でもわりといい感じの歌モノも多いので聴いてみてください。
Vortexとしてはこういうバンドが出るのは普通なんだろうか?とちょっと驚きでもあった。
➁BIG CATは、ジャズトリオだった。BUG PRENTICEの女性Bass奏者GOLLERがそのまま入る。しかしBUG PRENTICEの後だとちょっと微温い印象。このあたりで、ホテルまで帰れるかどうかが不安があったので中座。

帰りは、近くのバス停から76番のバスに。番号の前にNが付くナイト・バスではなかった。

帰りのバスから


Walerlooで降りようしたが、終点のひとつ前でトルコ系らしき若者二人組(僕ら以外客のない車内でギャアギャア騒いでいたので実は怖かった)がここで降りかけに「おい、ここ終点やで」みたいに声をかけてくれた。しかし、人を信じないので「いや終点この先の筈」と無視して終点で降りたら、駅を越えた人気がまったくないところで降ろされた。人の言うことは信じないといけませんね。この後、WestminsterBridgeRd.をトボトボ歩き途中でタクシーを拾ってホテルに無事帰る事ができました。
つづく