みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

梅田哲也のCD+DVD『○(しろたま)』

nomrakenta2010-04-21


ずっとFBI(Festiva Beyond Innosence)などの即興演奏のシーンにも軸足を置いて活動してきた梅田哲也からしてみれば、ギャラリーで演奏することこそあれ、そもそも現代美術の延長線上にいることなどまったく関心がないのだろうし、梅田哲也が作りだす音オブジェの「状況」には、何よりパラダイム的な病跡が感じられない。

それでも、梅田哲也のことをなんと説明するかと妄想してみるとすると、口をついて出るのは、「トニー・クラッグの感性でジャン・ティンゲリーする」みたいなことばになってしまうかもしれない。
それほど、音だけでなく、現代美術の文脈から掬いとりたくなるアーティストだなと思えてしまう。
(本当に唯一この人の系譜なのではないかと思えるのは、今村源さん、ではあるのですが)。

パラダイムの病跡がない、と書いたけれど、それはなにかが欠如しているような状況であるということを言いたいのでは、もちろんなくて、周到・緻密なセッティングが施されたあとは、そこでは、ただ可能なかぎり、音が発せられるままに、アーティスト自身にとっても思いがけないような音の生起する瞬間が目指されているように自分には見えるんです。

一度でもそのパフォーマンスを観た/聴いたことがある人なら、梅田哲也が触れると、何もかもが、忘れていた自分の音をとり戻しはじめるような、幸福な錯覚がある、といってもうなづいてくれるのではないだろうか、と思います。

このCD+DVDの装丁は、厚紙の観音開きで11面折り畳みという見事というか、圧巻なもの。昨年リリースされていたものをやっと入手。

昨年、京都芸術センターでも同名の、クスクス笑いが吹き抜けるような秀逸な「音・もの」のインスタレーションがあった。
CDには各地で収録された音源が、DVDには、オシリペンペンズのモタコ氏やテニスコーツのさやさんなどがちょっとずつ出てくるパフォーマンス等を収めたもので、整音は、西川文章さんがやっている。最後のビルの屋上で、音を出しているシークエンスが、個人的には大好きです。
昨年のうちに見ておけばよかったかなとも思うけれども、その「コンポジション」(音の配置・あらわれ・ひびき・ふるまい)が、音源からだけでは十分にその面白さが伝わらないと予想されることを考えあわせると、梅田哲也の「ディクコグラフィー」としては、今後暫定的に定番となっていってもおかしくはない。

それで思いだしたのが、FBI(Festiva Beyond Innosence)で初めて梅田哲也を知ってすぐに「Ftarri」(そのころはサイトの名前が違っていた)から取り寄せた音源「Octet」。

ヴェルヴェットアンダーグラウンドの『ホワイトライト・ホワイトヒート』より真っ黒なジャケット、というのを初めて見た、という感慨が湧くCDなのですが、中の音源は、瓶・回転スピーカー・ステンレスの球・自転車・扇風機などなどを、そのとき・その場でブリコラージュ的に「歌わせた」もの。今は亡きブリッジで、2003年〜2004年のあいだに録音されたらしき9つの音源となっています。Octet、というからには、9つの音源を同時に再生したりしたとしても、その趣旨に背きはしないのでしょう。


レストランの跡だとか小学校の跡だとか限りなく廃墟に近いビルの屋上だとか、もちろんちゃんとしたギャラリーでやることもあるのだろうけれど、なぜか梅田哲也とその周辺のひとたちの活動には、アヴァン・ガーデニング的というかスクワッター的な風情すら感じるのであって、似非アカデミズムなどとは微塵も縁がないという、これは自分が学生の頃には考えられなかったシーンだった。

なにかの文脈に乗るとか、継承していこうというのではなくて、主要な観客たちがほとんど梅田哲也とも同年代くらいの若い人(いわゆるゼロ年代的と言ってしまえるような…?)でもあり、何かとても興味深いパーティーに集まっているかのような雰囲気がいつも醸成されていることが、むしろ凄いことで、そのためDVDにも内輪ノリ的な雰囲気がないわけではないですが、それを差し引いても、頼もしいことだなあと思ってしまう。

梅田哲也がつくりだす音の状況では、状況に含まれるすべて音の可能性がリゾーム化しつつ、偶然ひとつの末端が突出し、子実体となって音の胞子が放散されているかのような、そして梅田哲也自身は、ただその音の生成に最小限の手を貸しているだけであるかのような、そんな妄想も可能なように、僕には思える。

そうだ、扇風機は立派な楽器だということを、思いださせてくれるひと、という表現も案外良いのかもしれない(…本人から苦情を頂きそうですが)。そうだ、扇風機は回転する子実体なのであり、白い風船は、大きく膨らんだ(それともぼくらの方が縮んだのか)一個の胞子であるのかもしれない。