蝶番に接木する3
8時に起きて眼科へ。9時から診察なのだけれども、ここの眼科は8時半から待合が人で埋まっている。
結膜炎の患いのあとさきで目の状態を診てもらうという話だった。
結膜炎は完治したようで眼球や眼圧も元に戻ったらしかったが、昔から弱い右目の視野を測定された。最近の測定器に戸惑ってしまい、はじめのうちは点滅ってこれ?みたいな感じだった。左目も測ったが、点滅が割と狭い間隔であったのに、右目でそれほどと感じなかったから、戸惑っていただけではなくて、やはり右の視野はよくないみたい。そのあと先生に「ノムラさんは歩きやね?今日クルマ乗ったりせんね?そうか、じゃ、瞳孔開くからね」と点眼薬を両目に数滴。10分もしないうちに待合で字が読めなくなった。と同時に眼科のなかの落ち着いた光でさえ凶暴なほど明るく感じはじめてしまう。そのあと、視神経の話などを画像を見ながら説明され、ふんふん、と。
帰り道、濡れたアスファルトの上の白線がまた凶暴に白熱しているように感じてしまう。昼間の猫ってこんなに気分なんだろうか。
眼科が思いのほか時間をとってしまい朝食を食べそこねたので、ひらべったいパスタ(なんていうんだっけ)とジェノベーゼの壜を買ってきて茹でて和えてモリモリ食べる。アマゾンで『たかが、バロウズ本』が売れたので、梱包して郵便局に持っていく。
読みかけだった、さかはらあつし著『サリンとおはぎ』を読了する。
- 作者: さかはらあつし
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/03/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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そのあと、また何回目かの安部公房の『箱男』。読むたびに発見があるというと大袈裟かもしれないが、この小説に限ってはそういうしかない。
もう四時だ、歩かなきゃ、と。瀧道へ。
薬で瞳孔が開いていたのもこのころには治まってきていたので、もう苦痛はなかった。目を患っていたのと、花粉症が酷かったので、桜が咲いて、散るあいだのしばらくの期間、瀧道を歩いていなかった。すっかり春の山になっていて、羊歯の若いのが新鮮なミドリ色をして嬉しそうだった。
若葉色の新しい羊歯がぐいぐいと斜面をつっぱってくると、これも春だなと思うようになった。
夕食後、家人に録画しておいてもらっていたNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』の先週分をつづけてみる。村井しげるの友人で「イタチ」というのが出てきたが、これが「ビビビのねずみ男」のモデルになった男なんだろう。最近、ちくま文庫『鬼太郎夜話』を読み返してみたら、ねずみ男のキャラがやはり物語をひっぱりまわしていて心地良かった。『夜話』はやはり解説不要の傑作。「諧謔」という言葉をはじめて知ったのは水木しげるの漫画の単行本の帯の惹句で、だったと思う。
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そうだ。忘れずに。
4月17日の土曜日には、阿倍野のロック食堂に「ふちがみとふなと」を観に行った。
年始にいった京都のレコード屋さんで偶然、船戸博史さんに出会い、ロック食堂ではやらないんですか?とおたずねしたら「4月か…5月に」と言っておられたのが、今夜(だった)。ロック食堂で「ふちふな」を観るのは、これで4度目。オモチャや60〜80年代のロックのLPなんかに溢れたコンパクトな(すいません)店内で聴く「ふちふな」の親密度は、他に代え難いものがあります。『GO GO マングース』がこんなに重要なレパートリーになっていたとは!渕上さんの「GO!」は拳を突き出すのではなくて、後ろに引くのである。
物販で船戸さんと早川岳晴さんのコントラバス・デュオCD−R『細胞の海』を購入。
⇒こちらで売ってます。根拠もなくフォークロアなテイストかなと想像していたけれど、顫動し合い波動で干渉しあう二本のライオンの尻尾(コントラバスのネックってそう見えませんか?)は結構ハードコアな印象。最後に「遠き山に陽は落ちて」のテーマにゆったりと辿りつく4曲目『長旅』。海から上がった最初の細胞のひとかけらが来し方を振り返っているかのような。
ご一緒したIさんの奥さんと、そのお友達によると、京都のデュオ「たゆたう」のにしもとひろこさんとイガキアキコさん
は、お二人の同級生なんだとか。世間は狭いが人は様々(自分で書いといて意味がわかりませんが)。
「たゆたう」は最近観ていないなあと思っていたら、こんなライブ映像を見つけました。
これは↑ちょっと前のものみたいですけど、一番好きな曲『しかくいよるに』。お客も合唱しているみたいで、にしもとさんもとてもうれしそうなのがいい。
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先週は『グラン・トリノ』と『サイボーグでも大丈夫』というDVDを観た。
『グラン・トリノ』は素晴らしかった。これが映画だ、と誰でも感じるであろうことを、自分もまた激しく、個別性を持って感じた。それが映画という体験だ。
- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2008/03/21
- メディア: DVD
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狂気というものを、健常者の世界の寓意や風刺あるいは敵対物として描いてしまうような愚を最近の映画はもはや犯せないのかもしれないな、と感じつつ、それでも誠実な印象を持った。ヒューマンドラマの多くが、阻害され中断される「まっとうなコミュニケーション」が自身を取り戻そうとする過程として描かれるが、この映画もまた、精神病院の患者たちであるキャラクターたちの語法を使って、健常な世界に翻訳することなしに、コミュニケーションを遂行しようとする物語だからかもしれない。
自分をサイボーグと信じて絶食する少女の瘦せ細った背中に涙ぐみながら、「ご飯をエネルギーに変換する装置」を取り付ける青年。少なくとも彼にとっては装置は存在しているし(青年は永久的な保守契約を彼女と結ぶ)、機能していもするのだ(機能するからこそ装置だ)と思う。少なくとも自分には、そう観ることができたと思う。