みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

雨宿にて

nomrakenta2009-05-30


新型インフルの狂熱も去り、ようやく豚が悪くないことも弱毒性も周知され(?)、通勤退社時のマスク着用令も解かれた。

午後になって瀧道を歩いて行くと、ふと強い日差しの供給が止まって(叢雲谷間に蓋をして)照り返しの乱舞がなくなり、ただ5月の午後の光というだけの幸せな明るさが、せまい谷間を満たしていた。
最近使っていなかったデジカメを使って、登り道の風景から、ぽつりぽつりと画像を切り取った。最近気付いたが、こうやって道々立ち止まって集中した方が、汗をかく。
小さなものたちが、何かいっせいに歌いだすような視線を切り取ることができればいいのに、といつも思うが、どうも最近接写撮影が上手くいかない。

降り下る頃には、その幸せな明るさも失せて、瀧道の街燈まで点り、頬に滴がぽつぽつ当たるのを感じるに及ぶと、これは帰りまでに多少は濡れるかと覚悟して樹木の葉蔭を選んでぼつぼつ降りていたら、堰を切ったような、という比喩も要らぬ土砂降りになった。

龍安寺の傍にある山本珈琲店(山本珈琲店通称YCには人知れず恩義がある。大学生の1,2回生の頃、バイトをさせてもらっていたのだ)の上あたりの太い枝の下で立ち往生していたら、次第に水飛沫に包囲されていくこちらを哀れに思ったのだろう、車で帰ろうとして折からの激しい降りに見合わせていた向かいの焼栗屋さん(以前はうどん屋さん)が入んなさい入んなさいヨ、と元うどん屋の軒先に招いてくれた。
焼栗のおじさんは、他にも次第に強くなっていく雨に、頭に手をかざして走り下っていく人や、用意周到してきた傘を取り出して歩き始める人に向かって、手で招く仕草をしていたけれど、自分の他には誰も軒先に避難してくることはなかった。
すぐに止むと思っているのかしれないが、自分にはそうは思えなかった。

前見えんからよう運転せんわ、あんた電車で帰るの?いえ、歩きで…。あ箕面の?はい箕面で。
みたいな会話未満のやり取りの後、栗おじさんはテレビ&たばこで元店のなかにひっこんだので、こちらは茫然と雨脚が弱まるのを待っていた。
雨宿りの機会というのは稀なものになった、というかいつも稀なものかもしれない。
思い出すのは、5年くらい前、東京からこちらに戻ってきてすぐの頃に、やはり箕面の近所の春になれば桜並木となる坂道で、急に激しい雨に取り巻かれて、幼い頃によく「うまい棒」だのの駄菓子を買った元パン屋の軒先(今はパン屋も廃業して立派な二世帯住宅になっている)で、急に出現した陸の孤島、といった気分の中に、あの時もやはり、ただ、佇んでいた。

大気の不機嫌な呼吸に合わせて、雨脚は強まって、屋根を伝った雨水が強く飛沫いて落下の連打を撃ってくる(連打はすぐに音の壁のようになる)。

こんな雨宿りの空間なら、ひとは気安く声をかけ合うことができる。
難を逃れて、その避難もとりあえず一時的なものであることがお互いの認識として共有できているからでもあるのだろうか。

滴の連打に身を震わせながら、樹々の緑は4月の鮮やかさを取り戻して、歓んでいるように見える。


昔観た黒澤明の「羅生門」を冒頭を思い出す。
映画の物語自体は、恐ろしい話になっていくけれど、羅生門の下で、偶然に雨宿りの空間を分かち合う3人のシーンが、話の筋は別として、雨をやり過ごすために語り出す3人の雰囲気というのが、自分は結構好きだった。
物語が語り始められる「場」として、雨宿の時は、とても相応しいものだと思う。

10分くらい待って、雨の激しさはなくなったが、降り止む気配はなかった。
習慣で首に巻いているタオルを頭にかぶせて早足で帰れば、まあ被害は想定の範囲内になるだろうか。
おじさんは元店の中に引き込んだままである。店の前に車が止めてあるので本当に帰ろうとした寸前に足止めをくったのだろう。
このまま何もいわず軒先を去ったら、どうなるだろうか。
おじさん自身は、きっと何も思わないのだろうけれども、それではたとえば自分がおじさんだったとして、元店から出て、雨宿人に姿を消していたら、雨が突然で激しくなければ人が立っていなかったその軒先の空っぽさに、ちょっと儚いシュールな気分を感じたりしないだろうか。

雨垂れは、胎内の母親の鼓動とか、無音室にでも入らないと聴くことができない血流と神経系の音を省けば、最初に耳にする自然の音楽の、最初のいくつかには入るのだろうか。

妄想は妄想として、いい加減覚悟を決めて「おおきに、たすかりました」と店の中に声をかけ(おじさんテレビに向かったまま手をあげて返事)軒先のお礼をいって、雨の中に踏み出した。たまには濡れネズミになるのもいいのだ。こんな時に、姑息に傘など持っていたら、もったいないとさえ思う。

雨が止んだのは、その一時間半後だった。傘も財布も持たない人間にとっては、誤った選択だったとは、言えないだろう。

このエントリーに、これ以上ふさわしいものはないであろう、YouTube、mikkさんに教えていただきました

ジザメリの「雨降りでもハッピー」。再結成らしく、とにかく兄ウィリアムのおっさんぶりに仰天だが、この曲の入っているアルバム、中学生の頃にどんだけ聴いたことか。このアルバムが世界で一番好きだった時がある(そのあとは、ソニック・ユースの「Daydream Nation」になった)。この曲の出だしの「Step Back, and watch the Sweet thing♪breaking everything she sees.♪She can takes my dark feelig♪」というフレーズは、今でも頭の中に去来する。歌詞は、まんまレオス・カラックスの「ボーイ・ミーツ・ガール」な世界だと今でも思うが、フィードバックの霧が晴れたからといって彼らを非難した音楽メディアの馬鹿さ加減に腹が立った記憶がある。

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金曜の夜に、事前の内容告知一切無いままに店頭に山積みにされた村上春樹の「1Q84」を横目で見ながら(自分にとって重要な年は1Q89である)、紀伊国屋で買ったヘンリー・ミラー選集の10巻目は「World of Sex」や「ハムレット」、「Murder the Murderer」などが収められたエッセイ集だが、おもしろい。やっぱりこの人は訳文を超えて自分の脳髄を読ませる文章を書いている。ところどころ挟みこまれたタイプ原稿への荒々しい手書き校正に生々しいものを感じる。

今日、言葉と応答の間には、ほんのわずかの電流しか流れていない。こうした言葉をめぐるジレンマを、たいていの思想家がするように社会的、政治的、経済的混乱に帰すことは問題をいっそうに複雑にする。
――ヘンリー・ミラー『殺人者を殺せ (ヘンリー・ミラー・コレクション)』p.17

「小説」であろうとなかろうと、思想家でもなく社会学者でもない「自分の声」の場所を、文章と格闘しながら拓いてきたヘンリー・ミラーを、ドゥルーズガタリなら、本来的な文学者、とでも呼んだだろうか。

殺人者を殺せ (ヘンリー・ミラー・コレクション)

殺人者を殺せ (ヘンリー・ミラー・コレクション)

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最近、K2レコードさんで、トータスのボックスセットを借りてよく聴いている。

A Lazarus Taxon

A Lazarus Taxon

懐かしい。
自分が音楽のムーブメントと、多少なりとも輸入盤屋さんで新譜を購入するという行動を通じて、結びあっているという感触を得ていた、多分絶頂期に、トータスは「ポスト・ロック」と呼ばれていた。が、本当はそんなレッテルを貼られる前に、アルバムを1枚出したあとに、早々とダンボール紙にゼロックスコピーを貼りつけただけのリミックスCDをリリースしたトータスこそ、スーパークールだった。グランジやスカムや有象が無象するシーンの中で、群を抜いて自分の文脈を作り出している、ように思えた。スティーブ・アルビニや、マイク・ワットや、アラン・リクトや竹村延和なんかも巻き込みながら、シカゴでは本当に音楽が、つめたく沸騰している、と思った。そのころの音源がつまったこのセット。やはり最高です。これに、「Millions Now Living Will Never Die」の「Djed」を加えれば、自分の中ではベストになる。
THIS HEATがリアルタイムで活動している時期に音楽を聴いていたら、こんな感じなんだろうか、と10年くらい思っていたが、もちろんそうではない。亀は亀の音楽を鳴らすのである。
もうじき新作も出るこの亀は、やはり亀の音楽をただ鳴らしている筈なのだ。
MILLIONS NOW LIVING WILL NEVER DIE

MILLIONS NOW LIVING WILL NEVER DIE