みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

雨塗緑サイケ/ラウシェンバーグのCOMBINE/それから、ポーティスヘッドの3rdのケースの角が丸いこと

nomrakenta2008-05-25



朝、家人が梅田に用事があるというので、車に便乗させてもらって、1dayアキュビューを3ヶ月分買ってすぐに電車で箕面に帰る。
定期券をいつものジャケットのポケットに忘れていて、梅田からの切符を買わねばならなかった。箕面駅に着いてそのまま瀧道歩きへ。普段はそういうことはしないのですけれど(ほんとです)駅前で缶ビールを飲んでしまって、緩い坂をあがるにつれて変な感覚になってくる。昨夜の雨で、川の水は増えてごうごう鳴っていて、樹木の枝は、雨水を含んだ葉の重みで、枝垂れかかってくるようだった。まさにしたたるような緑、といった感じで濡れて濃くなった緑のグラデーションとパッチワークの中を進んでいると、さらにビールがまわってきて、雨水の重みでいっせいに下を向いた枝枝の緑のそれぞれが、まるでアクション・ペインティングのブラッシュのように感じられてきた(緑一色のジャクソン・ポロック!)といっても、悪酔いしていたわけではないので、軽くいつものコースで汗をかいてから下山。駅からは、いつもは通らない道などを歩いて、20数年前から変わらない、と言いたいところだけれども、そうはいかない家並みや、手入れされた花なんかを眺めつつ帰宅。

Robert Rauschenberg: Combines

Robert Rauschenberg: Combines

わたし、10数年振りにロバート・ラウシェンバーグ熱がぶり返しておりまして、画集をもう一冊アマゾンで購入。1954―64の『コンバイン』作品をまとめたもの。上製本の上に、トレーシング・ペーパーのカバーがかけられていて、若き日のラウシェンバーグの姿が印刷されている。これだけでも持っていて、良い気分になってしまうのは、おかしなもんです。
ネオダダと称されて、一気に注目を集めた時代のものだけに、むせ返るような密度の作品ばかり。
来日して、草月会館の観衆の前で、作成して見せた有名な『金本位制(The Gold Standard)』(ヴィクターの子犬が絵画に「繋がれている」ヤツですね)ももちろん入っています。
ラウシェンバーグの『コンバイン』は、コンポジションの要素として、具象でも抽象でもなく「具体的」な事物を挿入したし、事物の間隙を編集する身振りを定着させて「絵画の周り」=生活を作品の中に取り込んでみせる手つきがそもそも固有にマジカルだった。
ラウシェンバーグの絵画が、『コンバイン』と呼ばれるべき理由は、なにも、ベッドカバー(というか立掛けられたベッドそのもの)に描かれているからでもなく、アンゴラ山羊の剥製がタイヤを胴に巻いているからでもなく、コカコーラの瓶が可愛らしく並んで天使の翼を生やしいる(ように見える)からでもなく、印刷物の霞かけたタイポグラフィから滴り落ちそうな真っ赤な絵の具から、そして枠の上に取り付けられた鶏の剥製まで、観る者の視線が彷徨い、停留する時間を一見不整合に見える「画面」(と呼んでしまおう)に緩やかに定着してみせる手法の、総体を『コンバイン』と呼ぶべきだったのだ。
そして、色彩と具体的なオブジェを徹底的に等価に扱ってみせる視線。意表をつくオブジェの選択眼もさることながら、なによりも色価への感覚が突出していた人だったこともよくわかる。『コンバイン』から、シルクスクリーンへと以降していっても、その作品の質が変わらなかったのも納得。

9分という枠で、ラウシェンバーグを理解させるのは不可能だと思うのだけれど、最後に「世界をコンバイン」しようとした「ROCI」Rauschenberg Overseas Culture Interchangeプロジェクト(ロキというのはたしか、ラウシェンバーグが飼っていた亀の名前)についても触れているので、貼っておきます。http://www.kosyo-doris.com/SHOP/ac0072.html


サード

サード

最近購入したCDでおもしろかったのは、ポーティスヘッド Portishead のいったい何年ぶりなのかわからないサードアルバム「Third」。ジュウェル・ケースの角が丸いんですね!持った感もなんだか、手に馴染んでうれしいし、ポーティスヘッドのロゴマークの角Rとも呼応しているようで、楽しい。かなり物に淫しているようで、気恥ずかしいですが。
1STの『Dummy』が出た頃は、確か「トリップホップ」なんていうジャンル名もなかった(そして今やきくことがない名称だ。正味なハナシ、カンタベリー派と同等な意味でブリストル・ロックとでもいうべきではなかったか)けれども、ダウナーに沈む込んだまま一向に浮かび上がってこないサウンドが、ロック系のリスナーにもある意味わかりやすいものだった(・・・わたしのような)。失礼ながら2NDについては、確かに聴いた筈なんだけれどあまり印象に残っておらず、そしてこの3RDなわけですが、普通な言い方になってしまうけれど、予想を裏切って期待に応えてくれた感じがして好ましい。
10年ほど前に室内楽と共演したライブ映像作品を観てから、彼らが『ダミー』の印象からは程遠いくらい「生演奏」を重視するバンドなのだとわかってはいたけれど、本作はその部分をよりはっきりと示しているようにも。イントロに続く1曲目『SILENCE』の演奏が流れ始めた瞬間、想起したのはCANの『Ege Bamyasi』の『PINCH』のリズムパターンだし(そしてこのうねる演奏が冗長になる直前でブッツリ編集でカットしてしまっているのも、とてつもなくクール)、6曲目の『We Carry On』など、ソニック・ユースかと聴き紛うほど。これは、変わったというよりも本性が出てきた、ということなのではないのか?
ベス・ギボンズのヴォーカルは、パティ・ウォータースかと思うほど暗いのに、ポーティスヘッドの音になると、不思議とスタイリッシュで、沈鬱さが耐え難いわけではなくなる。
おもしろい意外な音が随所に入っていて、いかにも「ポーティスヘッド」的、という罠を自らくぐり抜けていく感じがスリリングでもありますね。こんな知的なバンドがいることに、皮肉ではなく感謝したい。
Ege Bamyasi (Reis)

Ege Bamyasi (Reis)