みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

花たちのリトルネロ:鈴木志郎康『極私的にコアの花たち』@京都ドイツ文化センター

nomrakenta2008-05-18




*画像は、鈴木志郎康作品『極私的にコアの花たち』とはまったく関係のないものです。



5月の光というのは一種の懐かしさをもっている光なんですね。冬の光だともたせたくなるし。夏の光だと避けたくなる。で、5月の光というのはそういうことがなくて、その中でまあ、酔っているということができる、そういう光だという気がします。
――映画『あじさいならい』から:鈴木志郎康さんのナレーション



昨日のこと。
久しぶりの京都。確か、昨年末に藤井貞和さんの講演を立命館大学に聴きにいった振りになるのかと。
丸太町のドイツ文化センター(ゲーテ・インスティチュート)は、感じの良い建物で、会館前の樹木の下のベンチで思わず30分程快適な読書タイムを。
こちらのお目当ての鈴木志郎康さんの最新作品『極私的にコアの花たち』は、『イメージフォーラム・フェスティバル2008』の招待作品として、13時からのDプログラムで上映。
お客の入りはまばらでしたが、フェスティバルの中日となれば、こんなものか。トニー・コンラッドスラヴォイ・ジジェクの映像作品もプログラムの中にあるらしいのだったけれど、到底観れない日程だったのでパスしましたわけです。
『極私的にコアの花たち』はDプログラムの最後だったので、それまでに3本の映像作品を観ることになりました。
① shanghai flowers
ゴス系の妖しい美少女二人と上海市街の映像が、特に筋もなくミックスされた作品。タトゥーを入れた方の女の子は結構見物。最後に舌の先を二つに裂いたアレ(「蛇にピアス」のアレ)が出てきたときはちょっとドキリとしたが、一つの「文化」の表象と受け取れないこともないが、残念ながらそれ以上の意味が読み込めなかった。意味ではなくて、表面なのかもしれない。
② PILGRIMAGE OF TIME
ヨーロッパの聖地の観光映像を映写している画面。それをまた映像として捉えることで、映像そのものには、ふんわりとしたフィルターがかかり、そこにまた編集で速度を変えることで、「時間」そのものに言及しようとしている、ように思えた。しかし、それまで(僕にとっては)。
③ Silent Flowers Field
日本のアートスペースで展示された、無数の白い花を象ったインスタレーションの中で、女性舞踏家が踊るという作品。開始後、しばらくダンサーが完全に静止しているように見えて、そういう編集での速度への干渉というのは、前の作品で見飽きたような気がしていて、「結局、編集者による速度の調整などは、観客にとっては<時間>の感覚を限定する作用しかないのだ」とわけのわからない憤慨めいたものを感じたのですが、それは自分の思い違いで、ダンサーは単に超スローモーションで緊張を悟らせないような動きをしていたことに気づいた時、衝撃が走った。まったくダンサーというものは、見ているこっちの身体感覚を揺さぶってくれるものだなあ、と。

そして、ようやく。
鈴木志郎康『極私的にコアの花たち』
この作品は、2006年の一月一日から12月31日までの、作家自宅の中庭の花々の姿を「日めくり」的にDVカメラで捉えた歳時記的な作品になっています。
詩人・鈴木志郎康氏の映像作品を通して観てきた者ならば、この中庭が、フィルモグラフィーを通じて、大きな役割を果たしてきことは言うまでもないこと、だと思います。特に自分は、接写され詩人のモノローグが被さる植物の姿を観ていて、とろけるような感覚を味わってきたので、新作のタイトルが『極私的にコアの花たち』だというだけ、僕にとっては、Wish Fulfilmetだったのですけど、最近の新詩集『声の生地』asin:4879957348の感触が、もはや「現代詩」という縮小再生産微分化のドグマも超えて、個人が生を賭金としてはじめて持てることばとして、何か根源的な様相を示しているように思えて、陳腐な言葉ですが、素晴らしかったと言いたい気持ちがいまもずっと継続中であるのに加えて、この新しい映像作品ということで、正直贅沢に過ぎるかとも思っていました。
さて、作品は、2006年の1月1日の中庭の花の姿を捉えることから始まって、まさに映像日記として展開します。いってみれば、鈴木志郎康氏が継続しておられる『blosxom Weblog』の映像版といえば、いえるのでしょう。
1月1日。まず、寒くても咲くというカニサボテンの花。この時点で、決定的な言葉をナレーションできけることは特筆しておくべき。

この小さな庭は、私にとってはコア。

冬の陽光を透かす花弁。接写されたキャットテイルの穂。あっという間に日々は過ぎ去り、4月へ向けて。新芽の目を刺すような緑と鮮やかなコントラストを一瞬写しだす詩人の白髪がドライヤーで逆立つ様子。チューリップの花の枯れ様への絶句。4月。

もう、山吹はほとんどありません

この報告めいた口調は誰に対してのものなんだろう?もちろん観客(つまり私たち)に対してなのだけれど、ナレーションにはどこか日々に刻みつけるような響きがある。
5月。鈴蘭を見つけて興奮する詩人。極めて薄いピンク色のおおぶりのチューリップの花。5月9日、「月見草の世界に入っていきたい!という思いがあります。」こちらのサイズが100分の一になってしまったかのような、月見草の花弁。5月20日、5月29日、そして6月6日、ついにアジサイが咲く。6月14日アジサイの満開の花への接写。薄紫色のマチエールが複雑に、多数に、折りたたまれた世界。思えば、鈴木さんの1985年の作品『あじさいならい』のDVDをお借りして観ることができたのが、2006年の12月。この作品がまさに録られていた年なのだな、そう思うと感無量。
あじさいならい』は、先達詩人たちのモダニズムを乗り越えようとして、東北や奥三河の祭りや吉増剛造の朗読などを入れ子状に作品の中に取り込んで、アジサイの花のような構造になっている映像作品だった。
6月25日、7月7日。ここにはもう、プライベートフィルムの窮屈な圧迫感は微塵もない。こちらが不安になるほどに、風通しのいい庭がある。7月8日、財布を掏られて、追いかけたけれど、逃げられてしまったという話。7月20日、アジサイの花が枯れ(その枯れ方が凄まじく、自分には「壊死」という言葉が感触として残ってしまった)、庭の主役はアジサイに。7月26日、7月29日、7月30日、指を切ってしまった話。8月1日、アサガオ。8月3日俄かに虫が多くなる。ガラスをゆっくりと這う巨大なカメムシ?/どこかこのあたりで、大雨。8月15日、枯れへと進むバラの花の上の雨滴に立ち止まるカメラ。8月18日、ついに枯れる。8月22日、日差しはすでの秋のものになっている。9月2日、5日、17日、24日。10月3日、野ボタンの花が咲くと、時間の流れが急になるのを感じるというコメント。11月18日、1月咲いていたあのカニサボテンにつぼみが出来ている。アマリリス
11月23日花々が拡大された映像を観ていると、まずそれらの形態の不思議さに魅了されながら、次第にその世界へ入り込みそうになる。12月2日、12月6日、12月12日。階段をつらそうに降りるシロウヤス氏。階段を見上げると凶器に見える。メキシカンセージが揺れるのを見つめて、この年を越す。12月29日、あのカニサボテンの花が咲いている。12月30日、12月31日は気持ちよいくらいの駆け足で終了。
上映中、僕のまわりのお客は、かなり、熱心に映し出される映像を見つめている人が多かった。

この『極私的にコアの花たち』では、1980年の『15日間』(拙ブログでのレビューは、こちら)のように、極私的であることがどんなことであるかとか、いかにして極私的でありえるのか、などといったことは、もはや言及されない。
この庭が、最初から極私の<核>なのだとだけ、断りを入れられているのであって、あとは庭の花々の一年の移ろいのリズムが、雄弁に語ってくれているのだ。もしくは、それ以上語ることも本来無い筈なのだと、花弁を透かした陽光が告げているようにも思えてくる。
この作品を観た直後、確かに花々が庭で移ろうリズムが、何かを担保するように、思えたしそう書いたのですが、どうやら、そうやすやすとはいかないらしい。鈴木志郎康さん自身のブログの以下のようなコメントで綺麗に覆されてしまうのだから。

そういえば今年は、アマリリスの鉢のカタバミが咲かなかった。しかし、2006年には咲かなかったクレマチスが沢山咲いた。紫陽花はもう蕾を出している。今年はこれからどういう風に花が咲いていくのかを想像する。そうすると、「一昨年の夏の庭はもう無い」という思いが襲ってくる。

http://www.haizara.net/~shimirin/nuc/shirouyasu.php/shirouyasu.php?itemid=2967
一年、という時間ですら、リズムを捉えることはできない。「リズム」と呟いてみることは、僕たちが現実のカオスから自分たちのか弱い内的生活を切り取っていたいと願ってやまないことの表れなのだろう。
以前、鈴木志郎康氏の極私的映画に向けて「思考のシズル」という言葉を見出したとき、それは自分のなかでは臆面もなくこれは「クリアヒットだ」と思ったものだったけれど、こんな詩人自身の言葉に勝てる台詞ではもとよりなかった。

この庭、つまりコア。ここは、私が生を受け入れる受け皿なんですね。

鈴木志郎康氏の極私的映画は、確かにモダニズム以外のものを目指した試みだった。ポストモダニズムが冷戦期の思考として、無効化した後でも、この<極私>がほとんど変わらないのは何故なのだろう。収斂や線的運動をもとより避けてきた映像思考は、最初からここまで一環として、中庭に注がれてもいたものだった。
考えることは山ほどあるようにみえて、その実、一歩もこの場を動いてはいない。しかし「動かなかった」結果として、定点を保てるのでは、恐らくないのだ。
丸太町からの帰りは、鴨川べりを歩いて四条まで戻った。
自転車に乗った女の人と、三回ほどすれ違ったのだけれど、そのうち二人はこちらにもはっきり聴こえる大きさで歌っていた。5月の光というのは、確かにその中で酔っていられるものだと思う。