藤井貞和講演会のエントリーについて
12月30日のエントリー「大切なものを囲む複数の「声」または、こどもへの領分:藤井貞和朗読作品『パンダ来るな』」を書くおおもとの経験になったイベントの主宰をされた立命館大学「文学研究会」のnekogillesさんから、ものすごく丁寧なコメントを頂戴しました。
「文学研究会」の方々が作成された資料から勝手な引用を重ねてしまい、失礼いたしました。「湾岸戦争詩論争」に関して日本国内で質実ともに(そしてバイアスなく)一番しっかりとまとまっている資料があれかと思います。
nekogillesさんに
藤井さんの朗読は、どもったり、間違えたりすることによって、創作者と聞き手という、しばしば垂直的になりがちな関係性を、突き崩していく可能性に開かれているのだと思います。
nekogillesさんのコメントから
というコメントをいただき、自分が言葉足らずで表現できなかったことを他者から言葉にしていただけるという隔靴掻痒が収まる快感を味わいました。
有難うございます。
「文学研究会」の方々の今後の活動を期待しております。
藤井貞和さんの『自由詩学』(これは「自由-詩学」ではなく「自由詩-学」と読むべき、という読み手の判断の過程まで、明らかに名づけの射程に入っています)を読んでいると、
新体詩から「新体」がとれて、「詩」という語が「成立」する。つまり、新体詩、新体詩と言っていたのが、しだいに詩と言いならわして、現代で言う「詩」となる。「この名称は、明治四十一、二年頃迄用いられ、やがて『短歌』に対し一時『長詩』と呼ばれ、最後には単に『詩』と呼ばれるやうになった」(矢野峰夫「創始期の新体詩」『明治文学全集』60、解説)。 その意味でなら、漢詩にとってかわったのであり、『新体詩抄』のはるかなな戦略とは、漢詩の駆逐にほかならなかった(しかし明治時代は日本文学史上まれにみる漢詩の隆盛時代でありつづける。) 「詩」の成立はまさに明治三十年代あるいは四十年代のことに属する。
という記述があった。
- 作者: 藤井貞和
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 2002/09
- メディア: 単行本
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自らの言葉の行いの様相でもある「詩」に対する容赦ない歴史的な視点。藤井貞和という人の凄さをここにも感じます。
あまりにも軽々しく、しかも何かいかにも極私的な言葉の振舞いとして終わったことどもであるかのように僕らが「詩」と呼ばわるものが、藤井貞和の「詩」において、このように、いつもリセットをかけながら、関係を架橋するために「詠まれ」ているものなのだったとしたら、と、また想像がたくましくなりもするのでした。