みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

みずの星に出会う:小野寺唯『SUISEI』

nomrakenta2008-01-05


年始になんとなく梅田に出て茶屋町タワレコにいったら『NEWMUSIC』コーナーが出来ていた。
クラシック売り場の片隅に棚3つくらいの小さなスペースだったけれども、ちゃんと棚の管理がされていて、100枚以上のCDが試聴できる形になっていた。
近年、大阪のタワレコではこういったコーナーは非常に地味で、クラシックとかヒーリングコーナーに従属してきた。音楽の売り場として最低限のジャンル分けは必要なわけだが、そうはいってもここに置かれているような音楽はどこかのジャンルに従属しているわけでなく、極端にいえばアーティストひとりひとりはジャンルになっている。そういったジャンル分けできず、しかも同時代の進行としての音楽(何も、つねにすでに抹香臭い現代音楽ということではなく)という共通項でこういう『NEWMUSIC』という枠でしか括れないものがある。それをあたかもないように売り場が振舞うのは大きな損失だと(誰の?)思ってきたので、嬉しい。在りし日の心斎橋タワレコを思い出したりして嬉しい。やっぱり通販だけじゃなく、「その場」で促された衝動買いをしたいのである(古いのかもしれない)。それで選んだ中の一枚が、このCD。

小野寺唯という国内のサウンド・アーティストによる作品『suisei』
and/OARというアメリカのレーベルから2007年リリースになっているが、録音自体は2006年にされている様子。http://www.and-oar.org/pop_and_28.html
http://www.ftarri.com/cdshop/goods/andoar/and-28.html
http://www.critical-path.info/reviews.htmlこちらに、あのカール・ストーンが感想を寄せていて、大絶賛であるといえば、作品の質は伝わるひとには伝わる(ような気がする)。
『suisei』は、おもに「水」の音と思える環境音とパンプオルガンの音をもとにつくられたサウンドアートになっている。
加工された深いドローンから始まり、水音がすぐそれとわかるような音が聴こえてくるのは20分くらい経過してからであって、そこに至る過程が、まるで地中深い廃坑を進んでいって、ついに地下鍾乳洞内の瀧に辿りついたような、耳の経験として納得いくものになっている(別に下手な物語的な味付けがしてあるわけではありません。あくまで聴覚的な体験として)。

全身総毛立つような異物感のあるドローンとは対極にあって、神経へのアタックから一歩引いて、神経の行き届いた音の変成過程として、包み込むようなサウンドスケープが指向されている。「ノイズ」とは、もう決して軽々しくはいえない、新しい感性が確実にアーティストの制作に根をおろしているのであって、この「suisei」を聴いていると、音楽はあらためて、音が何を演じるかではなく、音の成り行きとともにある時間の経過そのものであってもいいと思えてくる。
どのような音楽も、その楽器の演奏される音の振る舞いの聴き手側の記憶をある程度、鑑賞の土台として要求する。では、水の音への記憶をリソースとするこの作品を「音楽」と呼ぶどんな不都合があるのでしょうか(というのは、藤井貞和的な言い回しをミミクリしてみた、余計なコメントなのかも)。
「suisei」は、「水星」を軽々と反射して、「みずのほし(地球)」へと還ってくる(あるいは、一歩もここを動いてはいなかったの、か)。