みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

お盆のご挨拶:音楽フリマ@心斎橋「afu」

心静かなお盆を迎えておられますでしょうか?

今年、被災地では新盆を迎えざる得ない年になってしまいました。亡くなられた人たちのためにも、これからこの島国に暮らす人間は抜き差しならない覚悟で生きていかなければならない、そういう楔をうたれたような年でもあるとおもいます。
米国債の格下げから、イギリスでの大規模な暴動など、今年はもう世界中が、あると思っていた(あるということにしておいた方が良いんだとだれもが思っているのだの薄ぼんやりと認識しておきたかった、そんなたぐいの)底が抜けたような年だと感じています。


5月に「Plays Standard」のライブを主催させていただいた心斎橋の屋上スペース「afu」(13日の読売新聞にafuの記事が掲載されていました)で毎月1回のいい具合のバー「ほっちバー」さんに、レコードとかCDのフリマをしたいなあと呟いたところ快諾していただけて、フリマの同時開催をさせていただけました。
お付き合いのあるIさんとIさんに声をかけさせてもらって出店していただけて、店舗は5店舗。服やアクセサリー、古本の出店もありました。

お客さんは知り合いとafuの常連さん主体でしたが、予想以上に来てもらえたと思います。「afu」さん、そして「ほっちバー」さんの力だなあと。

数年前に京都のurbanguildで、本職のレコード屋さんなどが参加しておられたレコードマーケットの雰囲気(マーケット後にTim Oliveのパフォーマンスがあったりした)が素晴らし過ぎて、自分も次の機会に参加できたらなあと思っていたら、もう開催は無いという情報を得て、気持ちの持って行き場がないかんじでしたが、このお盆で挽回できた感じです。

こちらが出品したのは、アナログレコードを段ボール1.5箱、CDは小さめの段ボール2.5箱、ほかにカセットテープだとかDVD、本を少しだけ。レコードは15年くらい前に、自分がレコ屋巡りを始めたころに購入していたものが中心で、お客さんにも指摘されたのだけれどルー・リードとかVelvets関連が多かった(笑)。CDはアヴァンギャルド関連は控えめに、自分の音楽聴きの中でいろいろ寄り道してきたものを小出しにする感じ。

午後5時くらいに初めて、最初のお客さんが、Velvetsのサードとアート・アンサンブル・オブ・シカゴの日本ライブ盤をお買い上げになって嬉しそうにしてくれたので、これでもう気分が良くなってしまいました。音楽聴き始めて20年数年経つのだけれど、レコ屋に中古を売りに行くのは別として、こんな形で買う人と対面になるのって初めてで新鮮な思い。


写真右は「ほっちバー」のサングリア。美味い。ワイン赤白両方あって、白は2種類。梨のサングリアもありました。

すごく記憶に残ったお客さんとの会話。
「このWeekendってあの?」
「そうです、アリソン・スタットンの。」
ウィークエンドのライブ盤を買ってくれたお客さんと交わした短い会話。よく考えれば、人生でこの先こんな会話をすることは二度と無い。絶対無い。アリソン・スタットンという固有名を人前で発したのも初めてである。おはようございます、とかお疲れ様でしたお先に、なんていう会話とは全く質の違う会話。こういうこと(フリマ)をしなければ得ることのなかった感触が楽しい。

Live at Ronnie Scott's

Live at Ronnie Scott's

あと、二年前にソルマニアのライブで出会って目出度く今年大学1回生になったIくんに「ノーネック・ブルース・バンド」のアナログ(これは控えめにいっても今はほとんど手に入らないと思う)と「C.C.C.C.」の盤を託すことが出来て、フリマをやった本懐が遂げられた(笑)気がします。
今度やるときは、一枚一枚解説書いてやる!

こんな楽しいコミュニケーションをレコード屋さんは毎日しているのだろうか?こんなただただ楽しいコミュニケーションが商売になる筈がない。
僕が高校生とか大学生の頃、レコード屋さんは教室だった。こっちが学生だったのでそうなってしまっただけだと思うけれど、しかしレコード屋さんは学校ではない。タワーレコードさんや圧倒的な量を毎日捌くことが前提であるショップでなければ、誤解を恐れずに書いてしまうとやはり最上の機能としては「サロン」なのだと思う(だから現実商売として難しいのかもしれないが)。


やっぱり音楽好きな人が来てくれているので、選んでいくレコード、CDも「なるほどなあ」「お、やっぱりそれもっていきますか」とこちらが納得のいくものばかり。これ売っていいの?と訊かれるブツも多かった。
それを一番感じたのは、ティム・バックリーのライブ盤「Dream Letter」のアナログ2枚組だった。CDを持っているので出品したのですが、お客さんが持っていくときに、今はもうなくなった梅田の曽根崎町にあったレコ屋で購入したときのことが蘇ってきてちょっと胸にきた。そのころティム・バックリーの息子のジェフ・バックリーが活躍していたけれど、おやじさんの音楽にどう取り付いていいのか自分にはよくわからなかった。このライブ盤でやっとティム・バックレーの声と12弦ギターの陶酔がわかったような気がしたものでした。

Dream Letter: Live in London 1968

Dream Letter: Live in London 1968

これまで抱いてきた愛着は、自分の中にちゃんと残ったままなので全然構わない。僭越だけれども、今聴きたいひとが手に取ってもらえたらそれが一番良いこと。
いわれなくても自分は次に行く、のだから。

心静かなお盆を。みなさんと、還ってくる人たちのために。


今年ヒップホップを「聴き初めて」いる自分に、Iさんが譲ってくれたコンピ。ECDがやっぱり良いなあ…。

フリマに参加しておられた中書島の昆布屋さんが出品していたのは、「スタジオヴォイス」や「Remix」など、僕が学生時代に読んでいるようで読んでいなかった古い音楽雑誌。中でも写真右の「宝島」は1984年6月号で、判形が「ミュージックマガジン」と同じもの。これは自分も知らない。とにかく表紙の「ジュリー」にやられてしまったし、記事では「ニューアカデミズムの旗手・浅田彰」だったりボーイ・ジョージは「スーパーセックス」だったり「橋本治は何者か?」だったり「人気TV番組・突然ガバチョ」だったりで凄すぎる…。

左は1992年8月の「ミュージックマガジン」。
パブリックエナミーのアルバムを「お前ら自身がハイプ」と喝破した故・中村とうよう氏はクロスレビューからすでに退いていて、表紙はブギ・ダウン・プロダクションズ(そういえば「ブギダウン」がブロンクスのことというのを「今年」知りました)のKRS-1。BDPとしてのラストアルバムをリリース時のインタビューが載っている、のと同時に、当時勃発した「LA暴動」を受けたかたちで本号はかなり濃いヒップホップ特集号になっている。
アイスキューブがアルバム「生と死」でラップした韓国人や日本人に対する侮蔑といえるような歌詞を巡って、フードゥ―フシミとECDが論を戦わせていたりする。ロンドンでの暴動が冷めやらない今日読むと、一度起こってしまうと乱数が無限大に拡散していってしまう暴動の形(ロンドンのほうがLAよりも「暴動の共有」が同時的という差があるにせよ)は不気味に通底しているという思いを新たにしてしまう。

と同時に、最新のヒップホップとしてアレステッド・デヴェロプメントの「テネシー(遠い記憶)」が挙げられていたりする。別のページでは大鷹俊一によるニッティング・ファクトリーのオーナー・マイケル・ドーフへのインタビュー。1992年夏のニッティング・ファクトリーの予定表も掲載されているが、チャールズ・ゲイル、サム・ベネット、ゲイリー・ルーカス、ゾーンの「コブラ」、トム・コラの「サード・パースン」、ドン・バイロン、デファンクトなど目眩がするようなラインナップです。
音楽のワクワクが確かに存在していた。