みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

年の瀬にもみみはまばたく:2010年間ベスト

民主党をなんとかしてほしいなどと皮相的なことをここで書いたとしても、まったく説得力がないことは自分が一番よくわかっていますので、ブログについて書くと、夏ごろに無線LANの調子がかなり悪くなって、2階の自室からはほとんどアクセスできなくなって、一時期ブログ用のテキストデータと画像データをネットカフェに持ち込んでアップしたこともあった。やむなくルーターを最新のものに買い替えようとして店員に相談したら、基本的に無線LANは上下には弱いもので今まで一階から二階まで繋がっていたことじたいがラッキー、といわれてしまった。運よく家には吹き抜けがあるのでそこまでケーブルを這わせて吹き抜けからルーター目がけて垂らすという「ほぼ有線」状態になりました。そんなことをしながら、ツイッターなんかもあって、物理的にブログを書く時間が減ったところは多少あったかもしれないですが、それでもやっぱり自分としては「溜めて、書きたい」欲望があると気付いた。
というところで気がついてみると、年の瀬というものが、世間並にじぶんにも迫りまくっており、ようやく今年一年の拙ブログを振り返ってみて、恒例のベスト選出をしてみようかと…。相も変わらずそれぞれ10に抑えようという気はさらさらなく、振り返ってみて、これは印象として自分のなかでやはり強い縁起として残る、という基準です。なので、本にしても音盤にしても2010年という一年のあいだにリリースされたものという括りではありません。

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【音楽】
音楽業界がどうなっているのか/どうなっていくのか、というような問題は、自分にはよくわかりませんが、音楽はますます面白くなってきているし、面白いアーティストの良いライブは毎夜どこかで出会える状況だと思う。それらを十分に見聞きする時間もお金も情報も、自分にはないだけのことだとおもう。そんななかで、今年もなんとか自分なりのアンテナを張りつづけた感じなのですが、こうしてみると、CDよりアナログ盤やカセットテープといったメディアから受けた印象が大きくなっているみたいです。iTunesもやっと今年になって始めた。
[ベスト音源]
■『A Singer Named Shotgun Throat / Moris Tepper』

A Singer Named Shotgun Throat

A Singer Named Shotgun Throat

このエントリーを書いたあと、ひと月ちょっとして、テッパーの師匠筋キャプテン・ビーフハート(ドン・ヴァン・フリート)の訃報が伝わってきました。音楽業界からドンが去って久しかったわけですが、寂しさがある意味くっきりとしてしまったのは、たぶん僕だけではないのだとおもう。
■『浮波(ふなみ) / 湯浅湾』

2009〜2010年の湯浅湾のライブをおさめたアルバム。行けなくて悔しかった2009年11月塩谷グッゲンハイム邸での演奏もあって嬉しい。Disc2は代表曲『ミミズ』のみライブ5バージョンを集めたもの。
■『so sick of the reflection in the mirror / Tooth』

art into life通販。カセットテープ。今年はカセットテープ作品に目が(いや、耳が)向いてしまい、そのなかで一番印象に残ったのがこの「tooth」というアーティストによるカセット2本組。ジャケット写真はデュシャン界隈の人の有名な鏡の無限反射の写真だと思いますが(写っているのはデュシャンではないと思う…バタイユ?)、この写真を使用しておいてタイトルが「鏡の反映にはもううんざり」。2本のテープのABCD面はそれぞれ微妙に変化していく冷たいドローン音。冷たさの中に微妙な空気が通っている(ように聴こえた)のが驚きでした。
■『interference / asher』

art into life通販。カセットテープ。飛行機をテーマにしたドローンノイズのようなのですが、ほんとうにジェット機の音なのか空港の環境音なのかはよくわからないように加工されていると思う。これも微妙に変化していく時間がある。じぶんの中では「裏ミュージック・フォー・エアポート」
それにしても、アメリカなんかのノイズシーンではカセットテープのみリリースのレーベルがかなり元気な様子で面白そう。

■『Building Blocks Broken Babe / Nobuo Yamada』

art into life通販。これはCD−R。ヤマダノブオさんという日本のノイズ・アーティストの生後間もない娘さんの声と、彼女がおもちゃの積み木を重ねたり壊したりする音だけを素材にして作り上げたコラージュ作品。ジャケットの窓から差し込む陽光と積み木の建物の写真に強烈な魅力を感じて購入したのですが、音もこのまどろむ感じを裏切っていないと思う。こどものころ、自分で積み上げた積み木の形がいたく気に入ってしまい、なかなか崩したがらなかった思い出(というかあとで母親にきいたのだが)が蘇ってしまう。
■『le Noise / Niel Young』

LE NOISE

LE NOISE

■『Delicate / Martha and The Muffins』
Delicate

Delicate

ニール翁の「le noise」にも噛んでいたダニエル・ラノワがニューウェーブ時代に関係していたカナダのバンド、Martha and The Muffins。名曲「echo park」くらいなら知っているひともいるかもしれない(今年アコースティックバージョンがリリースされていた)。よく考えれば、M+Mは一度たりとも解散などはしたことがない。2010年も新しいアルバムをリリースしていました。これのみiTunesでアルバムごと購入。幾度もの変化(おそらくは危機的なものも)を経ながら、Martha Johnsonの歌、Mark Gainのリリカルな曲は相変わらずで、それが感動的。切々とした「Even in the Rain」に、思わず涙が出そうになった。変わらないでいるためには、絶えず変わらなきゃならない。
このアルバムのメイキング映像↓があった。

「Even in the Rain」のリハーサル↓までも!

■大好きなM+Mのサード『This is the Ice Age』のリイシュー盤もやっと入手。
This Is the Ice Age

This Is the Ice Age

ニューウェーヴ的なタイトなスピード感とダニエル・ラノワの協力も大きそうなアンビエントな音作りがアルバム全体を稀有な質感にしています。
これが↓エコービーチ(原曲)。Far Away in Time♪

■『Ornette Coleman / Reunion1990』
Reunion 1990

Reunion 1990

オリジナル・クァルテットが1990年に再集結してとは!この脂の乗り切った感じと、そして漲るみずみずしさはなんなんだ。
■『The Complete Novus & Columbia Recordings of / Henry Thredgill & Air

少なくともオーネットと同じレベルのジャズ・オリジネイター(要するにオリジナルな音楽家という意味になる)ヘンリー・スレッギルのエアー時代をカバーした濃厚豊穣の限りを尽くしたボックスセット。エアー時代の音が特に好き。なんどもエントリー書こうと思ったのですが、スレッギルの音楽について語れるほどじぶんのボキャブラリーは豊穣ではありませんでした(他もたいていそうなのですが)。ただ、ただ、聴く(愉しみ)。
■『通り抜けご遠慮ください / 船戸博史』

ふちがみとふなと」のベーシスト船戸さんのソロ。D.マレイの「アイラーへの献花」のカヴァーがすばらしかった。優しくてしなやかなフリージャズ。
■『斧琴菊(よし・こと・きく) / 高岡大祐』

今年はボイラーズでも、船戸博史さんと登敬三さんとのジャズトリオでも、何度も高岡さんの演奏に触れさせていただけて実り豊かでした。これはライブ会場でご本人から購入させていただいたソロ音源。これほんとにチューバ?というような驚きの演奏が満載。
■『In Tokyo / Monty Alexander
In Tokyo

In Tokyo

驚いたのは、ベースの音の良さだった。クインシー・ジョーンズ作の『Pawnbroker』って曲は、たぶんロッド・スタイガーが戦争で人間嫌いになった主人公を演じたシドニー・ルメットのモノクロ映画『質屋』のテーマ曲だな。
The Pawnbroker - 30th Anniversary Edition [VHS] [Import]

The Pawnbroker - 30th Anniversary Edition [VHS] [Import]

■『pianobody 2002 / Limpe Fuchs』

art into life通販。ドイツの女性即興演奏家のソロ。おさめられた音のことごとくが聴くということに向かって開かれている、とはっきり感じられるのと同時に、たまらなく不穏で魅力的な響き。

■『Ursonate / Jaap Blonk』

クルト・シュヴィッタースの音声詩パフォーマンス「原音ソナタ」をオランダのアーティストが再演したもの。Jaap Blonkの発声はパワフル。最後に収録されたシュヴィッタース本人の録音と聴き比べるとおもしろい。
■『Z'ev / as/if/when』

As/If/When

As/If/When

野獣。
■『Paean to Wilson / Durutti Column』
Paean To Wilson

Paean To Wilson

トニー・ウィルソンへの献花として作られた盤だけれど、これはヴィニ・ライリーのディスコグラフィの中でも最上のものだと思います。
■『New Slaves++ / Zs』
New Slaves++

New Slaves++

仕事おさめの日にタワレコで購入。執拗な変則リズムへの拘りというか、リズムそのものになろうとしているかのような音の屹立のしかたが、たしかにThis Heatを彷彿させてくれますが、おそらく変態度はより高し。

このひとたちが「Zs」か?若いなあー…!そして面白い。
■『Watertown / Frank Sinatra
Watertown

Watertown

ひとから教えてもらいました。こんなシナトラもいたのか。ジョビンとのセッション盤も良かった2010年はシナトラ当たり年でした。

■『ぞめき壱 高円寺阿波おどり(2枚組)』

ぞめき壱 高円寺阿波おどり(2枚組)

ぞめき壱 高円寺阿波おどり(2枚組)

  • アーティスト: 東京天水連,舞蝶連,小六連,苔作,天狗連,葵新連,飛鳥連,忍連,江戸っ子連,ひょっとこ連,吹鼓連
  • 出版社/メーカー: ABY RECORDS
  • 発売日: 2010/08/01
  • メディア: CD
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久保田真琴録音の高円寺の阿波踊り。なにこのバーバリズム!?
■『Little Jazz Bird / Blossom Dearie
Little Jazz Bird

Little Jazz Bird


■Philip Corner『Piano Work』

フルクサス楽家のアナログ盤。

■『My Father Will Guide Me Up a Rope to the Sky / Swans』
My Father Will Guide Me Up a Rope to the Sky

My Father Will Guide Me Up a Rope to the Sky

■『Homeland / Laurie Anderson』
Homeland

Homeland


■『イスラ / ポルティコ・クァルテット』
イスラ

イスラ

■『Old School:John Cage / Zeitkratzer』
John Cage

John Cage

■『○(しろたま) / 梅田哲也』
■『A New York Minute / Alan Licht』
今年はもしかしたら翻訳が出版された『サウンド・アート』の著者といったほうが伝わるのかもしれない実験的音楽家の、結構むかしのアルバム。これはiTunesで購入したなかで一番ヘヴィーローテーションでした。
■『David Cunningham / Grey Scale』

15年くらい探していたフライング・リザースのデヴィット・カニンガムのファースト・ソロ。アナログ盤。20年くらい探し求めていたアルバムをついに出会えたのでした。
■『Jimmy Lyons / other afternoons』(BYG)

GetBackからのアナログリイシュー盤。セシル・テイラーのサックス奏者というイメージの強いライオンズですが、このアルバム聴いて吹っ飛びました。ライオンズのブロウは聴いていてほんとに気持ちがいい。
これは↓60年代のセシル・テイラー・カルテット。この映像、たしかリュック・フェラーリの『大いなるリハーサル』で観たような…。

■『Discharge / Hear Notihng See Nothing Say Nothing』
Hear Nothing See Nothing Say Nothing

Hear Nothing See Nothing Say Nothing

振り返ると自分でも意外なのですが、11月〜12月なぜかディスチャージのこのアルバムをよく聴いてました。むしゃくしゃすることがあったわけでもないのですが…。この頃のディスチャージの音しか聴いたことがないのですが、スタイリッシュだと思う。効率的なスピードとエネルギーの凝縮というか…。笑われそうですが、iPhoneスターリンの『虫』と混ぜて聴いてました。


【台湾の音源】9月に旅行した台湾関係の音源。現地で購入したものも含みます。
■『Mudanin Kata / David Darling & The Wulu Bunun』

Mudanin Kata / ムダニン・カタ

Mudanin Kata / ムダニン・カタ

けっこう話題にもなっていた、ECMを代表するチェリスト、デヴィッド・ダーリングが台湾原住民・布農(ブナン)族の伝統歌唱と寄り添うようにして作り上げた作品。勘違いしないようにしないといけないのは、ダーリングのチェロが絡むことによって素朴な原住民の歌唱が何か別の高尚なものになったということでは全くないということ。まずブナン族のひとびとの一聴不安定にさえ聴こえるのに、なんどか聴くと複雑な味わいが出てくる倍音が多く含まれたハーモニー。そしておおらかな起伏の歌の呼吸。
■『Mihumisa(n)g / David Darling & Wulu Bunun Tribe』

台北で購入した「Mudanin Kata」の別ジャケというかこれがオリジナルなのかもしれません。
■『Passibutbut Sounds of the Earth / Bunun(布農)』
  
これも台北民族音楽の音源を多く売っているお店で買ったCD2枚組+DVD1枚のセット。布農の伝統歌唱の、黒人霊歌にも通じるバリエーションを知るには、もしかしたら『Mudanin Kata』より本盤が最適かもしれない。
CDの一枚目は、ギターや打楽器などの伴奏が入った編曲版、もう一枚が伴奏のない歌唱だけのもの。編曲版がもしかして要らない世話をした出来なのではと不安になったのだけれど、伴奏は最小限のもので下手なポップス的なものではなく、マウンテンミュージックのようなギターも、厳かになる打楽器も、絶妙にピュアな歌唱を引き立てている。むしろ無編曲のDisc2のほうが聴くのに体力を使うかもしれない。
■『わかなつ / チャンプラーズ』

台湾の音楽のアナログ10インチ盤シリーズの一枚。このシリーズとにかく食指のうごくジャケットばっかりだったのですが、調子に乗って買い込むと持って帰れなくなりそうだったのでやむなくこの一枚だけに。沖縄のチャンプラーズ。なぜ台北まで来て沖縄のバンドの盤を買ったのかというと、大阪と沖縄との距離より、台北と沖縄との距離のほうが明らかに近いわけで、なんというか自分の認識の外に来たなあという思いがしてしまったからでした。



[ベストライブ]時系列的に…。
■『 Jun Kroom Records presents the ”Outsider Record Fair” 』1月10日
京都のUrbanguildで開催されていた古レコード市で演奏していたTim Olive と Katsura Mouri。Iさんとご一緒したのですが、同じテーブルに座っていたドイツから来て宗教学を勉強しているという青年が、ふたりの演奏を聴いたあとににっこりと「ビューティフル」と呟いていて、僕も「イエス、ビューティフル」と返した、ただそれだけのことですが、強く印象に残っています。
■『Max Tundra@梅田シャングリラ』1月17日
これが今年のことだったとは意外。もう2年くらい経っている気がしていました。
■『ロイヤルハンチングス@谷町6丁目cafebarポコペン』2月14日
ひどく寒くておまけに風邪もひいていたのだけれど、冬の日差しがポコペン店内に差し込んでくるなかでのおふたりの演奏はそれらを和らげてくれたのでした。
■『春一番2010@服部緑地』5月3日
坂田明×Jim O'Rourke×ピカチュウのトリオと『ぐぶつ』が最高でした。しかし長年の主催者でとぼけたMCが魅力だったあべのぼるさんがお亡くなりになったと最近知りました。ご冥福をお祈りいたします。坂田明×Jim O'Rourke×ピカチュウの怒涛のような演奏のあと、あべさんが出てこられて「今みたいな音楽は僕らの世代の人間にとっては子守唄みたいなもの」という意味のことを仰られていたことが強く思い出されます。山下洋輔トリオのお仕事をしておられたんですよね…。

■『レインコーツ@十三ファンダンゴ』 6月18日
2010年一番の多幸感の夜。
■『DOWSER(ダウザー)&山本精一@堀江・萬福寺』7月3日
雨の中でのダウザー。ダウザーライブは初めての経験でした。
■『SOUND REPORT:鈴木昭男@心斎橋 nu things JAJOUKA』7月4日
■『ボイラーズ@心斎橋・若松』7月28日(リンク先のページの下のほうに記事があります)
大阪〜東京〜ベルギー…旅するチューバ奏者・高岡大祐さんとワタンベさんのデュオ。循環・疾走する即興演奏、というか…天麩羅とお酒も最高に美味しいし音楽も美味しいし…レインコーツと双璧の2010年のハイライトだったかもしれません。年末にももういちどあったのだけれど、これは仕事で行けず。
■『「1000人で音楽をする日。」@万博公園』10月23日
ホセ・マセダの群衆曲『ウドロウドロ』を演奏するイベントに参加してきました。これは↓当日の模様

■『SAKANA@北浜雲州堂「瓦斯灯コンサート」』10月31日
「ニューアルバムを楽しみにしています」とポコペンさんにお伝えして帰れてよかった…。
■『登敬三・高岡大祐・船戸博史 plays standard』@堀江FUTURO(11月2日)@靫公園CHOVE CHUVA(12月26日)

■『Next Mushroom Promotion Vol.12「フィリデイ・ショック!」@新大阪ムラマツリサイタルホール』10月30日
いろいろあってこのコンサートにいった数日まったく書いておくことができないままです。1973年生まれのイタリアの作曲家フランチェスコ・フィリデイの日本お披露目コンサート。若くて二枚目でオシャレなフィリデイさんの音楽は、しかし、音楽を身振り(ジェスチャー)の次元にまで還元して捉えなおしてまた編み上げる、しかも「Secco([乾いた]の意 。鋭く音を切る際の指示)」の爽快なテンポで駆け抜ける!という相当刺激的なものでした。そして流石にすべてが極めて「音楽」だった(詳しくはまた来年にでも書いておこうかと…)。講演で、フィリデイさんが「アート・ポーヴェラを参照することもあった」と語っておられたのも印象的でした。

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【本】
■『移動祝祭日 『凶区』へ、そして『凶区』から』渡辺武信

移動祝祭日―『凶区』へ、そして『凶区』から

移動祝祭日―『凶区』へ、そして『凶区』から

昨年の夏に出た『攻勢の姿勢1958-1971』を記念して附録されたちいさな冊子のなかの吉増剛造氏との対談で鈴木志郎康さんは「プアプア詩」発表の土壌となった詩誌『凶区』について下記のように話していた。

「凶区」でなければだめだったでしょう。「凶区」のメンバーのどの人という意識がぼくの中にはあるんです。〜(中略)〜それらの関係の中にいる一人一人の詩人・表現者に向けて<プアプア詩>は書かれたんです。誰に向かってはこれを投げつける、あるいは誰ならこれを受け止めてくれるだろう、そういった気持ちがありました。だから、他の雑誌ではあり得なかったことです。

これを読んだときから、そして現代詩手帖で告知がされてから、本屋の棚に並ぶのをずっと心待ちにしていた、「ドラムカン」とともに60年代を刻印した現代詩詩誌『凶区』(渡辺武信鈴木志郎康天沢退二郎、菅谷規矩雄などが参加)の詳細な回想録(連載されていたとは知りませんでした)。
「60年代詩の実体(ボディ)」とは何か、という問いをたてて記された本書は、60年安保と69年の間の時代で存在意義を消尽しつくした「凶区」グループの個人個人が国と詩にどう向き合ったかを追っていくこと、特に「造反教官」として詩人として「無言」に向かった菅谷規矩雄の言葉に重点が置かれて進み、最後には「こうである」とは言い切れないところで終わっている。しかしそれが本書にとって欠点なのかというとそんなことは全くないと思う。
60年代詩が当事者の詩人たちにとってなんだったのか、それは渡辺武信氏が現代詩手帖11月号の対談で語るように「ぼくらはみんな五〇年代から詩を書きはじめていて、書くだけじゃなく、読むことも好きだった。つまり書く者のアドレセンスを享受しながら書いていた。」という詩の享受者たちが歓びなかではじめて書き手でもあり得たということであり、大岡信谷川俊太郎のような先人たちとどう違うのか、という意味においては、

つまり五〇年代詩人にとって自己意識とは、自らの感受性の主体として他者への意識と関わりなく疑いもなく存在した即時性であるのに対し、六〇年代詩人における自己意識とは、少なくとも六〇年代六月一五日以降は、<触れるとは…はなれてあることの意識のはじまり>であるのと同じ形で対自性を孕んだものであった。
---p.183

ということだったのかもしれない。
それはそれとしておいたほうが良いのであって、僕として本書を読んでいて楽しかったのは、まず、第四章くらいまでの「凶区」の同人が集まって創刊へと向かっていく過程でした。才気走った若い詩人たちが「詩誌」という自分たちのメディアを持とうとする過程、詩を書くだけではなくて、詩誌の名前を決める、ロゴを考える、印刷所に入稿するなどなど、「詩誌」そのものが表現になっていたのだなあとあらためて感じておもしろかった。

しかし、この日から数日経つと、私は、『詩空間』というタイトルが、その意味内容よりも音声の点でぎこちないように感じはじめ、同じ思いだった天沢と謀議して誌名の再検討を皆に呼びかけた。〜中略〜この席で、いろんな案が出つくし、皆が楽しみながらもくたびれ果てた頃、私が字の形から思いついて提案した『凶区』が皆の賛同を得て、ここに新雑誌のタイトルが最終的に決定した(「凶」の字を使ったタイトルはすでにいくつか提案されていて、私はその字を横に寝かすと「区」になることを思いついただけなのだが、視覚的な効果が皆の賛意を呼びおこしたようだ。また意味からしても、「凶」は『×』から否定の意味を継承し、「区」は仮題だった『詩空間』から空間=領域の意味を継承していることが、集まった皆の賛意を促したと思われる)。
---p.085

それから有名な「凶区」の「日録」。今ならTwitterなんかで用が足せるものかもしれないけれど、詩よりも「日録」のほうが重要だった、という話も頷ける。
一章を割いて細かに語られる「凶区」メンバーのたまり場だったジャズ喫茶やバーの列記も楽しい。
重いテーマを持ちながら、詳細にデータを積み重ねることで立体的に六〇年代の詩人たちがどんなだったかを伝えてくれる。「移動祝祭日」というヘミングウェイ作品からのタイトル借用も、歓びの時代を表した選択である様子。
この本に関連して読んでいるのが菅谷規矩雄『詩的リズム 音数律に関するノート』。

 ある時期、とりわけ少年時にひとりの詩人に傾倒することがあったとして、その<体験>のもっとも奥深く、したがってもっとも自覚のとどきにくいところで、対象化=批評をこばんでさいごまで残存する<影響>はなんであろうか―そう問いをたててみると、これまで閉ざしてきたなにものかが、無言のさらに下層でかすかに動きはじめる。この領域におそらく<韻律>はひそかにしかしはげしく住みついているのだ。

序文冒頭のこの言葉がとてもいいと思う。言葉のリズムをいかに「無言のさらに下層」に定着させるうるのか?
■うえの「凶区」本「移動祝祭日」の刊行に先立つようして組まれた現代詩手帖11月号「詩的60年代はどこにあるのか」では、むしろ「凶区」とは関係のない「ドンブラコ」という松本圭二の文章が最高だった。その文章で出会った岡田隆彦の『時に岸なし』。

「アル中」は、今ではチンポ以上に不適切な表現なのかも知れない。でも僕は「依存症」などという病気めいた言葉は使いたくない。「アル中」は病気なんかじゃない。運命だ。
『時に岸なし』は、入院治療によってアルコール中毒から恢復した、その過程を回想した詩集とされているが、ドイツのウニカ・チェルンが、精神分裂病から恢復した後に綴ったと言われている『ジャスミンおとこ』がそうであったように、嘘っぱちである。「恢復などありえない」という、深い絶望を運命のように受け入れ、静かに向き合うようにして書かれている。
---現代詩手帖11月号p.59「ドンブラコ」松本圭二

ここまで書かれるとどうしても読んでみたくなる、しか選択肢は残されていなかったです。2010年の記憶に残る名文のひとつでした。
■おなじく現代詩手帖の12月号の岡井隆藤井貞和・小笠原鳥類の3氏による対談。
小笠原鳥類さんは第三詩集を準備中とのことで、出版が今からとても楽しみ(思潮社から出るのだろうか?)。

■『sumus 13号 まるごと晶文社特集 付録・晶文社図書目録』

sumus〈13〉まるごと一冊晶文社特集

sumus〈13〉まるごと一冊晶文社特集

目録をみて、晶文社ってだけで買った本が多いなあ…と感慨にふけりました。「ただただ読むことに熱狂した時期」という短いけれども味わいのあるオマージュと選評を寄せておられる京都の古書肆「砂の書」の寺井さんが挙げておられる秋山邦晴の『現代音楽をどう聴くか』。

出てくる作曲家/作品の音を想像し、何とか聴きたい、とそればかりを考えてレコード店巡りをしていた思い出と切り離せないです。現代音楽の不思議な響きに夢中になった(熱狂し始めた)けれど全く何も知らなかった(何せロックあがり)最初の時期、図書館で借りて何度も読みました。


僕も、そんな風にして現代音楽を聴くようになっていたのだった。

■『バタス 刑務所の掟』藤野眞功

バタス――刑務所の掟

バタス――刑務所の掟

一介のツアーコンダクターからフィリピンの政権に食い込み、マルコス時代の終わりとともにセットアップされ(はめられ)て、悪名高いモンテンルパ刑務所に投獄。プリズン・ギャングのなかで頭角を現し、日本人としてはじめてギャングたちの「コマンダー」となった男の話。「プリズン・ブレイク」をいまさら見ている場合ではない。

■『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回 (講談社学術文庫)』 杉山正明

■『客家と中国革命―「多元的国家」への視座』矢吹晋,藤野彰

客家と中国革命―「多元的国家」への視座

客家と中国革命―「多元的国家」への視座

これはまだ読めてません。

■『榎本武揚 シベリア日記 (講談社学術文庫 1877)』榎本武揚

榎本武揚 シベリア日記  (講談社学術文庫 1877)

榎本武揚 シベリア日記 (講談社学術文庫 1877)

これも読めていないけれども、ベスト。

■『世界クジラ戦争』小松正之

世界クジラ戦争

世界クジラ戦争

こういう有能なエリートたちが仕事できなくしてしまった政治の罪は大きい。

■『被差別の食卓』上原善広

被差別の食卓 (新潮新書)

被差別の食卓 (新潮新書)

フライドチキン…。

■『場末の酒場、ひとり飲み』藤木TDC

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)

俺の「場末」はどこだ。

■『残業はするな、「前業」をせよ! (だいわ文庫) [文庫] 』久恒 啓一

残業はするな、「前業」をせよ! (だいわ文庫)

残業はするな、「前業」をせよ! (だいわ文庫)

自分でやっていたことだったが、あらためて確認できた。職場によって制限はもちろんあれど、能率と仕事のクオリティという意味において、そのとおり。

小沼丹『埴輪の馬』

埴輪の馬 (講談社文芸文庫)

埴輪の馬 (講談社文芸文庫)

奇異にきこえてもしょうがいないのですが、自分にとって小沼丹の文章は、突然開けた新しい世界、でした。

■『ホークライン家の怪物』晶文社 リチャード・ブローディガン
古書の市で発見。ゴシックホラー…といってもブローディガンだから怖さを狙ったものじゃないわけですが。

■『シャティーラの4時間』ジャン・ジュネ

シャティーラの四時間

シャティーラの四時間

■『女中たち/バルコン』岩波文庫 ジャン・ジュネ
女中たち バルコン (岩波文庫)

女中たち バルコン (岩波文庫)

新しく梅田茶屋町にできた巨大なジュンク堂の本棚をさまよっていると文庫の棚でこれが出ているのを見つけた。ジュネの代表戯曲2作のカップリング。これは凄い快挙。「屏風」も読みたかったが。

■『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』佐々木中

■『アンチ・オイディプス草稿』フェリックス・ガタリ

アンチ・オイディプス草稿

アンチ・オイディプス草稿

想像を超えて混沌としていただろうガタリの手稿をこうやって一冊の書物にまとめたステファヌ・ナドーの仕事は本当に驚嘆すべきものなのだと思う。そして、じぶんはこんな文章にブルーの付箋を貼り付けていました。

 革命的な寛大さ、それは―去勢ではなくて―シーソーであり、多声性におけるなんのためでもない跳躍だ。
---p.105

 神経症を「分裂症化」するというプロジェクトは、いい加減な思いつきではない。というより、実践においては、精神病に背中を接していない真正の神経症など存在しないと認めるべきなのだ。
---p.200

 私が長椅子に座った女の子に触ったりしないとすれば、それは「職業上のルール」からではなく、そもそも女に対する私の欲望が別のところにあるからだ…。私自身の倒錯とは彼女を「分裂症化」することにある。そうした吸血鬼のごとき者として私は、彼女を私のドラッグにしたいと思っている〜中略〜
 反対に、私の「患者」(ラカンの言い方をすればだが)のひとりに介入し、彼がちゃんと取り組んでいないからといって怒鳴りつけるならば…それは、彼をその健康と生活水準に―そのほうがいいだろうからと考えて―適応させるためではなく、むしろたんに彼が私をうんざりさせるから、彼が語ることのいっさいに興味がないし、これ以上続けるなら追い出すぞとわからせるためだ。どこぞの分析家のように金銭関係の奴隷になるなんて問題外だ!ふたつにひとつなのだ。私の「分析的倒錯」に没入して、この吸血鬼、サドの系譜をつぐ倒錯者のように「私の期待に応える」のか。それとも、依存し転移したまま、彼の真理を私が「知っていると想定」したまま立ち去るのか…。分析の行程においてこの真理に対するデモクリトスの剣がなければ、どのような分析的言説も可能ではないのだ。
---p.158

ネイキッド・ガタリ…!
今年は河出書房さんが『千のプラトー』を完全文庫化。
千のプラトー 上 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)千のプラトー 中 ---資本主義と分裂症 (河出文庫)千のプラトー 下---資本主義と分裂症 (河出文庫)
来年は通勤時に『千のプラトー』をかばんに忍ばせてひと段落ずつくらい読む(ぞ、と)。



■『ゲラシム・ルカ ― ノン=オイディプスの戦略 (シュルレアリスムの25時)』鈴木雅雄

ゲラシム・ルカ―ノン=オイディプスの戦略 (シュルレアリスムの25時)

ゲラシム・ルカ―ノン=オイディプスの戦略 (シュルレアリスムの25時)

■『宮沢賢治の彼方へ (ちくま学芸文庫) 天沢退二郎
賢治を読むのもいいのだけれど、「アマタイ」の読みの鋭さ・深さは、創造的。

■『読むという生き方』市村弘正

読むという生き方

読むという生き方

■『役立たずの彼方に|大里俊晴に捧ぐ』
■『マイナー音楽のために』大里俊晴

マイナー音楽のために―大里俊晴著作集

マイナー音楽のために―大里俊晴著作集

UstreamのDomuuneの番組も良かったなあ…。

■『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』サイモン・レイノルズ

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984

レインコーツ来日の期待のなかでわくわくしながら遡及し、気になった音源(Fiew Enginesや初期のスクリッティ・ポリッティ)をiTunesで落としまくっていました。

■『ブタとおっちゃん』山地としてる(FOIL

ブタとおっちゃん

ブタとおっちゃん

愛おしくてたまらない。眺めていると幸せになれます。

■『進撃の巨人』1〜3巻 諫山創

進撃の巨人(3) (講談社コミックス)

進撃の巨人(3) (講談社コミックス)

なにげに待ち合わせまでの時間つぶしで入ったネットカフェで手に取った少年漫画。これは凄い予感がする漫画。人類を食いつくす巨人たちに囲まれて3重の塀の中の都市で暮らす人類…という極端に閉塞的な世界観から始まるが、主人公たちの使うガス噴射とワイヤー操作で都市高層や樹林をスパイダーマンのように空中移動するスピード感がなぜかとても懐かしくも斬新な感じがする。3巻では巨人と化した主人公が人間に戻って目覚めると、まさに自分を処刑しようとしている同僚たちに囲まれているという場面があるが、この描き方も、こう書いてしまうと筆力がないので何の新鮮味もないが、おもしろい効果が出せてしまうひとだと思う。異物感を飼いならさずに絵にしていける人というか…。ただ、巨人がなんなのか、という話に今後は進展していくのだとは思うのだが、そのあたりはあんまり説明しつくさないほうがじぶんとしては好みか(それはどうでもいい)。1巻あたりの荒削りな作画には思わず「御茶漬海苔っていうホラー漫画家知ってる?」と賛辞も込めて訊きたくなる。


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【映画/ドラマ/テレビ】
■『バッド・ルーテナント

バッド・ルーテナント [DVD]

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いくらか躊躇いがあって(映画のポスターやDVDジャケのニコラス・ケイジの胸元に被弾したガラスの割れ目がデカデカと入っていたから)先送りにしていたのですが、やっと観た。いい作品だと思う。へぼいストーリーテリングに突っ込みいれながらも補助してやりながら付き合わされるのとは真逆で「映画」を観てるって気にさせてくれる。
ハーヴェイ・カイテルの「バッド・ルーテナント」は凶暴な刑事の、結局は贖罪を描いていたのかもしれない。しかしヘルツォークニコラス・ケイジを用いて描いた「バッドルーテナント」は決定的に罰せられるどころか、基本的に主人公は正しい人間であるのかもしれない、というニュアンスを持たせている。
冒頭でハリケーンカトリーナのために水没した留置所の檻から若い囚人を救い出すために黒い水のなかに飛び込むのもそうだし(この水はコーヒーだそうです)、ドラッグは用いるがコカインを頻繁に吸引するから不道徳な印象があるのではなく、ニューオリンズという土地が人物のそれぞれの行いを不穏な印象にしている。これらは徹底的な演出で、どこがどうと取り立てて指摘しにくいアトモスフィアのようなものになってしまっている。むしろ、ドラッギーな印象ということで指摘しやすいのは、要所要所で奇妙な拘りを増幅させるようなイグアナ(主人公の幻覚として扱われる)や鰐といった爬虫類の接写なんじゃないかと思う。
本編よりもベタに感動的なのはメイキングで、カメラと俳優の間に身を置いて自らカチンコを鳴らすヘルツォークの姿を見てしまうと、ああ、この人が死にゆく友人のために氷上を歩いていった人なのだ、とあらためて思い知らされてしまった。

「カメラは、美しさの詰まった宝石のようだ」とメイキングのカメラマンに向かって最後に呟くヘルツォーク監督の目の優しさ。
ニコラ・フィリベール レトロスペクティヴ DVD-BOX』
ニコラ・フィリベール レトロスペクティヴ DVD-BOX

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ラボルド精神病院を撮った『すべての些細な事柄』を含んだフィリベールのボックス。被写体となる人にカメラを向けること、それ自体の重さを知っているフィリベールのドキュメンタリー。映画のDVDを購入する、というのは本当に稀なのですが、これは本当に素晴らしい。「カメラ=万年筆」と嘯くのではなく、フィリベールならば、「カメラはカメラ(そして私が撮っているのだ)」だと言うのではないか?と思いました。
■『アイヌのゆり子さん』上映会@京都烏丸Shin-bi 7月19日
■『風を聴く』『雨が舞う』@シネ・ヌーヴォ 10月10日
九月に行ってきた台湾の「九份」を描いたドキュメンタリ。
■『笑いながら泣きやがれ』
笑いながら泣きやがれ [DVD]

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ヴィターリー・カネフスキー特集上映『動くな、死ね、甦れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』@シネ・ヌーヴォ
■『母なる証明』 [DVD]
母なる証明 スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

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■『ライアーゲーム結構忙しい時期に、なぜか今さら、シーズン1から映画まで通して観てしまいました。面白いのは否めない。戸田さんの顔が変わっていくし、古瀬美智子も結婚しゃったし。
■『LOST』なんだか萎んだ終わり方という印象が醸成されてしまった感は否めない。
■『ギャラクティカついに完結という意味では、LOSTよりこちらのほうが感無量度が高かった。
■『ゲゲゲの女房』■『龍馬伝
ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX3(完)

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ともにNHK。今年はずいぶん楽しませて頂きました。
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【美術】
■『死なないための葬送―荒川修作初期作品展』@中之島 国立国際美術館 5月22日
人によっては即拒絶反応を起こすであろうことは理解できますが、やはり凄いものを見たと思う。
■11月に国立国際美術館でみた館勝生の絵画3点

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以上、かなり長くなってしまいました。総括してみると、…どうだろう。
来年もよろしくお願いいたします。そして、あまりに遅まきではありますが、よいお年を!