広島の酒まつり〜九份の映画『風を聴く』〜天神さんの古本まつり〜塩屋・旧グッゲンハイム邸
すっかり秋らしくなりまして…と、いうのもしらじらしいほどに秋は静かに深くふかく侵攻していきますようで。ただし、箕面の紅葉は11月にならなきゃ見れないようです。
右の写真のおさるさんは、阪急梅田「古書のまち」の演劇・演芸・映画・音楽関係の書籍のほか、浮世絵・版画や郷土玩具も扱ってらっしゃる「杉本梁江堂」のディスプレイで一目ぼれしてしまった「下総の起き上がり」。ちなみに左の「見ザル言わザル聴かザル」も昨年(だったと思う)こちらで購入したもの。素朴な顔をしたやつがあると、お値段もとてもお手頃なので、つい手が出てしまう。こうなれば、猿ものがあれば買うしかないな。
今年の秋は、仕事以外では元来引きこもりである自分にしては、いろんなところに出かけている気がします。
先月、台北で仕入れてきたCDについても書きたいのですが、ちょっと我慢して今日は、ここ数週間の日記をまとめて。
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9日(土)広島酒祭り
1年くらい前に、Iさんご夫婦に教えてもらった広島西条市の「酒まつり」についにいってまいりました。
西条駅に電車が近づくにつれ、窓からお酒の匂いがする、とか急性アルコール中毒者のための救急車のサイレンが常時鳴っているとか、まことしやかな伝説を耳にしながらどきどき参戦。
西条駅で降りるとホームは酒祭り目当てのお客でいっぱいで、中にはすでに足元がふらふらしているおじさんがいて駅員さんが心配そうにしていました。
酒蔵の集まる西条市のほぼ全体が酒祭りの会場となっているようで、いたるところでビールや酒のあてになる料理を売る屋台が出ていました。酒だけで煮込んだ「美酒鍋」なんていうのも各種ありました。
酒蔵では有料の試飲を行っていて、だいたい200円〜300円くらいで一口呑ませてもらえました。「賀茂鶴」「亀齢」「福美人」などは、全国的に有名な酒蔵さんらしいのですが、生憎自分は日本酒に疎いのでいまいち反応できなかったのですが、ここにいる大勢のひとが「みんなお酒呑むの好き」で、自分のマスで酒を飲みながら、みちをそぞろ歩いているという、まさしく楽園的・祝祭的な雰囲気にテンションが上がってしまい、ウルトラリラックス(矛盾している)。楽しくてしょうがないんですな。
写真の左は、広場での「竹酒」。数メートルの竹のてっぺんから酒を流して、竹をカットした器で呑みます。もはや竹の香りがするのかどうかもわからないくらいホエホエでしたが。右はこどもや外国人のかたがたが中心でねり歩く「酒みだればやし」。
酔っ払いながらやる書道コーナーもあって、めいめい自分の好きな字を書いて、記念に持って帰らせてもらえる。・・・自分のは酔ってる+悪筆にしても・・・ヒドすぎますな。自分への戒めのためここに晒すことにします。
どこかの酒蔵(もしくは記念資料館?)の前には、文豪による「私の酒」テーマがずらり。横溝正史、池波正太郎、山田風太郎、草野心平などが目につきました。
3時間くらい呑み喰いしながら、Iさんご夫婦と広島のMさんと旦那さんとそぞろ歩いていると、なるほどもう十二分に堪能した気になってしまい、メイン会場や酒ひろばには行かずに離脱。広島市近郊のMさん宅で休憩させていただいたあとはお好み焼きを食べて帰阪。
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10日(日)映画『風を聴く』『雨が舞う』
九条のシネ・ヌーヴォで、9月に行った台湾の「九份」を描いた日本のドキュメンタリーが上映されていたので観てきた。
先月は、結局ツアーに便乗して夜の九份に2時間足らずいただけで、土産もの屋さんの活気も、鉱山の資料館にも、現在も残る坑道にも行けなかったので、日本統治時代からの九份の歴史を、生き証人である「江さん」を語り部にまとめた本作を観れたのはとてもタイミングがよかった。
クリエイティブ21による本作はすでに最初の公開から2年経過しているのだけれど、九份を題材とした映像作品としてはたぶんこれ以上のものは出ないだろうと極めて自然に思わせる出来だった。聞いていて心地良いナレーションは、一青 妙さん(一青 窈の実姉であり、一青 窈は本作に楽曲「大家(ダージャー)」を提供している)。
ごくごく簡単にここで描かれる九份の歴史をおさらいしてみます。
1890年に基隆河で砂金が発見されるまでは9戸しか家がなかったというのが「九份」の地名の由来。日本統治時代になると、日本の財閥・藤田組が九份の金鉱を経営し、採金に乗り出すが、藤田組は日本国内での事業不振がもとで金鉱の権利をすべて台湾人である顔雲年に譲渡。以来、戦前から戦中・戦後から現在にいたるまで顔雲年が興した台陽公司が金鉱を管理していく。
語り部である江さんは、1927年生まれで、九份の公学校に通い日本語で教育を受け、一時台北に出るが終戦後九份に戻ったあとはこの台陽公司に入社し、閉山となった現在も金鉱の資料を管理している。江さんの口から流れ出すのは、とても流暢で上品な日本語だ。
九份では1917年と1938年にゴールドラッシュがあり町は潤った。「小上海」と呼ばれ「一番上等なものは九份に。二級品は台北に」ということわざまであった。鉱夫も金を掘り当てれば高額な報酬が約束されていて、朝食うや食わずで坑道にはいっても、夜には金持ちになって九份の町で豪遊する、ということすらあったらしい。本作の中で元・鉱夫たちが茶館にあつまって昔話に興ずるシーンは、栄えていた昔日への想いがあふれてくるようで、とても興味深い。
途中で、日本軍の許可を得て作成されたという九份の金鉱の坑道の全図が画面に映し出されるが、これがまさに巨大な蟻の巣のようになっていて凄かった。
135の坑道が互いに貫きあっていて、坑道がない部分のほうが明らかに少なく見える。全長は165キロに及びそれは台北から台中までの距離に相当する、とのこと。これはれっきとした「地下の国」であって、鉱夫たちには地下の国で夢を追う人生があったのだ。地表の九份は急な坂にへばりついたようなとても小さな町(それが良いのだけれど)で人口が数万いたという全盛期であってもそれは同じだったろうけれど、ここには広大な地下世界があって、地下から富を持ちかえる鉱夫たちの「二重生活」によって九份は栄えていたのだなあ、と観ていて、イメージがあふれてきた。
江さんが語ったなかでおもしろかったのは、炭鉱と金鉱の簡単な違い。
「炭鉱は引火する恐れがあるから火気厳禁。入坑するとき厳重に注意するが、金鉱にはその心配はない。反対に、金鉱では抗から出るときに厳重な注意を要する。いうまでもなく、掘り出した金を鉱夫が会社に申告せずに持ち去ってしまう恐れがあるから」。なるほどなあ、という気がした。
閉山をむかえた後、九份から大勢のひとびとが去り、一時は忘れられた町になってしまう。その後二二八事件の時期を描いた映画『非情城市』が国際的にヒットし、ロケ地だった九份にも注目が寄せられるようになる。もういうまでもないことすぎますが、最近では宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルになって、さらに注目される。独特の美しさの景観が、現在では台湾の芸術家たちを集めている、九份はいま、そんな町になっている。
やはり、せっかく九份に行くなら坑道の跡も見ておきたかった。
この日、併映されていた『雨が舞う』は、同じくクリエイティブ21が九份の隣町であり同様に、かつて金鉱だった町「金瓜石」を取り上げた作品。地元オーナーである顔家の台陽公司が一貫して経営した九份に比べて、「金瓜石」は日本の田中組から日本鉱業へ、そして戦後は国民党政府の管理化に置かれるという、かなり異なった道を歩んだ。そのためか、日本支配の面影を今も残す静かな町、という印象を受けた。
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11日(月・祝日)天神さんの古本まつり
はじめて行きました。秋晴れ、というより太陽がまだまだギラギラして熱い日だった。
出店数は想像していたほど多くはなかったけれど、テント前のコーナーは全部一冊100円というセルアウト全開姿勢でした。以下、戦利品。
左:カート・ヴォネガットの特集本(洋書)。500円だった。ヴォネガットは「顔文一致」の作家だなあと思う。右:懐かしいペヨトル書房のディック本『フィリップ・K・ディックの世界―消える現実』。ポール・ウィリアムズという生前ディックとかなり近しかったロック系のライターによる本で、1971年に実際起こったディックの留守宅への侵入・破壊事件をキーに、ディックの「現実感」が危うい方向へと傾斜あるいは溶解していく様子を数度のインタビューを交えて赤裸々に抽出している、と思う。
本書に引用されているディックに宛てた手紙のなかで、『たったひとつの冴えたやりかた』のジェイムス・ティプトリー・ジュニアが、こう書いているのが興味深い。
いくつかの点で―こんな表現ばかり使って申し訳ない―あなたの立場はヴォネガットに似ていると思います。ただしあなたは彼の欠点を克服しているし、あなたにはもっと深みがあり、言いたいこともたくさんあるという点が違っていますが。私は最近、ヴォネガットはその欠点のために主流文学に身を置くことになったような気がしてきています。
主流文学とSFの間で微妙な架橋をやってのけたヴォネガットも、「SF」作家からするとこんな風に手厳しくいわれてしまうのだなあ。プーティーウィッ?
講談社の『世界動物文学全集』2冊(どっちも100円)。「スカンク戦争」が決め手だったのは言うまでもありません。「ブワナ・エルザ」って、どうもあの「野生のエルザ」のことみたい。
あとは、リチャード・ブローディガンの『ホークライン家の怪物』をとうとう見つけた!1975年の二刷目の本だけれど、とても状態が良い。長年探していたので嬉しい。
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16日(土)旧グッゲンハイム邸
今年お知り合いになったAさんの結婚式(おめでとうございます!)のBBQパーティーに呼んでいただけた。秋晴れの旧グッゲンハイム邸での結婚式という・・・素晴らしすぎました。
じつは、このブログを書き始めたころから読んでいただいている方が、Aさんとお知り合いで、当日出席されるときいていたので個人的にはそれを楽しみにしていました。ブログというかたちで、自分勝手なことばかり綴ってここまで続けてきたのだけれど、それがこういう偶然で直接お会いできるというのも感慨深い(・・・深すぎてまだちょっと信じられない)。こういうことがあるから、続けているけのだなあとしみじみ思います。
パーティーの宴もたけなわのころ、夕暮れの空の色がすごかった。