みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

4分33秒のための増幅されたドミンゴ

nomrakenta2010-10-02


ズラした夏季休暇明けの一週をなんとか乗りこえて、寝起きは身体がひたすら重い。

なんとか7時に玄関を出ると、快晴の秋晴れだが、それでも空の青みには、うすく薄くのばした白い雲が溶かしこまれているようで、西の向こうの池田の五月山のほうは霞んで見えなかった。

愚痴ぐち云うからだを、瀧道に引きずりあげるようにして、山道に入ったら、気分も良くなってきたのは不思議なこと。


大日の駐車場のうえの山道で、額から滴り落ちてくる汗を拭きながら坂のうえを見ると、ゆっくりと陽光が木陰を抜けて差し込んでくるところだった。なにか光がみえない階段を降りてくる(裸体のように)ような錯覚を感じて。

神々しいとか、そういう仰々しいことは思わない。自分の知らないときにいつもこの場所でこんな光が差しているのかと思うと、すこし口惜しい。そのあたりにしておくのが好ましい。

階段を降りてくる陽と空気のなかのひかりの波紋のような、蜘蛛の巣。ふるふると震えている。

The Creation of the Universe

The Creation of the Universe

昨夜itunesに仕込んでいたこのアルバムを聴いていた。「Metal Machine Trio」とあるから、メタルマシーンミュージックをトリオでやっているのかと思ったら、若干イメージはずれてくる。ルー・リードのギターとウルリッヒクリーガーのエレクトロニクス、とライブプロセッシングのトリオで、冒頭のたちあがりのギターのゆらゆらさ加減などは、ローレン・マツァケイン・コナーズとアラン・リクトのデュオみたいに聴こえるし、怒涛の金属ヒスノイズというよりは、メタルマシーンミュージックがもともと含有していた、たゆうようなメロディックな部分が全面に出ているように感じた。ドラッグでもセックスでもNYでもなく、ルーのなかには、ずっと貫流するキーワードがあって、それが、電気的な「増幅感覚」。これは、Velvetsから変わっていない。たとえば「シスター・レイ」のような音がジョン・ケイルだけに依存していた現れでないことは、「ブルーマスク」なんかでのギターソロを聴いてもよくわかる。この人はフィードバックが本当に好きなんだろう。自分のそのような部分を、ルーはメタルマシーンミュージック、と定義しているのかもしれない。あるいはそれは、子どもころに受けた電気ショック療法の影響、といまでも語るのだろうか。

一気に辻まで登っていって、いつものコースでヴィジターセンターのほうに降りようと思っていたら、木陰はいい具合にくっきりと黒く、風もいい具合に吹いているので、谷におりていく石段のなかほどで腰を下して、ただ緑と光と音と風を聴いていた。30分ほどはそうしていたかも。

[4分33秒のための景色]

4分33秒で録画を止めたつもりが、4分32秒だった。惜しい。



緑がわらっている。


緑がまたたいている。

緑がうたたねしている。


降り道でとつぜん、頭上でパチパチ音がしたかと思うと、道にドングリがいくつも落ちてきた。思わず拾う。それがこのエントリーの右上の画像です。

帰ってから、こないだの台北旅行のデジカメ画像の整理。夜の九イ分(きゅうふん)、良かった。

夕方から、心斎橋の「afu」のバーに。割と年季のいったビルの屋上にあるこのスペースからは、アメ村を別の角度から見ることが出来て楽しい。Iさん夫妻と落ち合って、お土産のからすみで飲む。
そのあと、堀江の「Futuro」でホットワイン。ここには「人類レコード」の名残りのアナログ盤が置いてある。「人類」の店長さんの書いた惹句カードもついたままで譲ってもらえる。でも今日買ったのは「人類」の在庫ではない「ガル・コスタ」のアルバム。

「連れて帰りなさいよ、あんた」とガルの声がたしかにしたのだから仕様がない。
案の定、帰りは千里中央行きは終電。タクシー乗る気にはならず、箕面まで歩いて帰ることに。千里のおおまかな丘陵をこえて、あとは下り。夜風が心地よく汗はかかなかった。

明日(今日か)はもうドミンゴ(日曜日)。

Domingo

Domingo