書物のからだ/政治のなまえ と『MusicImprovisationSeries』@中崎町コモンカフェ。
『ル・モンド・ディプロマティーク』のちょっと前の記事「ギリシア危機から脱グローバル化へ」を読んでいると、高い債務にかかわらず日本の危機が世界的に喧伝されないのは、日本国債のほとんどを国内貯蓄が消化しているからで、国際投資家の影響をシャットアウトできているからだ、みたいなことが書いてあった。日本独自の構造が、貸し手の権力の翻弄から国家を守っているという面がある、と読めるのだけれど、いつ大増税がくるかもわからず問題を先送りにされているような気がしている身としては、ずいぶん居心地の悪い参照のされ方だなあと思う。
ただ記者の論旨は、いたずらに日本のケースを持ちあげることには勿論なくて、貸し手からの主権の回復を誰がするのか、主権を回復する過程に政治と国家というものがある、みたいなことが最終的に書いてある(ように読めた)。
国家、という言葉に出会って、何故だか数年前からホッブスの『リヴァイアサン』をちゃんと読んでおかないといけない気がして……ぜんぜん、読んでいないことを思い出してしまった。
- 作者: T.ホッブズ,Thomas Hobbes,水田洋
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1992/02/01
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- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/11/28
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過去の神話的イメージがそのまま再生されるのではない。シュミットがあくまで海獣のイメージと扉絵や国家理論との不一致に注目している点は重要である。ホッブスが作りだしたレヴィヤタン・イメージの歴史性はそこにこそあるからだ。アビ・ヴァーブルクは古代に由来する象徴的イメージ(彼の用語で言えば「情念定型(Pathosformel)をライデン瓶に譬え、それは後の各時代との接触によっていわば放電し、時代ごとに異なる特定の意味を顕在化させると指摘した。このプロセスは、古代における本来の意味の逆転にいたることもありうる。悪魔的な恐ろしい巨獣であったレヴィヤタンが、ホッブスの国家理論では(その力の「恐怖」によってであれ)平和をもたらす可死の神とされている点に認められるのも、こうした意味の転倒ではないか。
――田中純「レヴィヤタン解剖 イメージ・表彰・身体』
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2003/11
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この著作の最も重要な部分の末尾にいたって、ホッブスはこう述べている。「これまでわたくしは、人間(かれの高慢およびその他の諸情念が、かれをして自ら統治に服することを余儀なくさせた)の自然を、かれの統治者の強大な力とともに述べてきた。後者をわたくしは、リヴァイアサンに比し、そのたとえを『ヨブ記』第四一章の最後の二節から取ってきた。その箇所で、神は、リヴァイアサンの強大な力について述べ、かれを誇り高ぶる王と呼んでいるのである」。強大な力そのものではなく、もろもろの高慢を屈伏させる強大な力こそが、リヴァイアサンと国家との共通項なのである。すなわち、国家もまた、そしてまさしく国家こそが「あらゆる誇り高ぶる子らの王」であるがゆえに、国家はリヴァイアサンに類似しているのである。ただ国家だけが、高慢を永続的に抑制することができる。いやそれどころか、人間の自然的欲望が高慢、野望、虚栄心であるということ以外に、国家にはいかなる存在理由もないのである。こうした意味においてホッブスは、自著『リヴァイアサン』について、それは「正義の尺度、そして野心への警告」である、と述べているのである。
――レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』p.17-18
- 作者: レオシュトラウス,添谷育志,飯島昇蔵,谷喬夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1990/10
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『ル・モンド・ディプロマティーク』では、他に「縮退」について触れた「経済成長からの脱皮を思考する人々」という記事もおもしろかった。
今の民主党政権のように、解決能力の迷走ぶりばかりが表に出てきてしまうと、「正しい問い」を立てるという「力≒政治」の役割が見えなくなってしまう。
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退社後、また中崎町のコモンカフェへ立ち寄る。音波舎さんの企画イベント『MusicImprovisationSeries』。面子・構成は、以下の通りでした。
【前半】
江崎將史(trumpet)×Tim Blechmann(laptop)
トランペットそのものは使用せずにマウスピース(と思います)のみで風切音を出す江崎さんと、エアコンの音か付近を走る大阪環状線の列車の音かと聴き紛うような静かな音を変化させるTim Blechmann。
【後半】
noid /aka arnold haberl(cello)×Klaus Filip(laptop)×Haco(electronics)
ゆで卵のスライサーの金属部分と腕輪をかすかに接触させて美しい音を出すHacoさんと、ファウンド・オブジェ的な音からドローンまでチェロから引き出すnoid。気がつけば前景後景を静かに入れ替えているKlaus Filip。
会場に来ていたお客さんは、自分を含めて6人ほど。かなりな人数ではあるけれど、フェス的なイベントで熱心にひとつの即興に耳を傾けているのってこれくらいの人数であるのかもしれない。
会場で、京都の古書肆『砂の書』のTさんに出会う。7月に大阪でご自身の電子音楽デュオ「DOWSER(ダウザー)」のライブをされる、とのこと。それだけでも十分ですが、なんと共演は山本精一さんとのこと。今からとても楽しみです。