みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

蝶番に接木する2:シシリー島のフォークミュージック

nomrakenta2010-01-31


昨夜にひきつづいて、今夜の月もまんまるでひときわ明るい。

世界のすべてを書きとめたと思った男がふと顔をあげて、
あの月のことを忘れていたと驚愕する、
というボルヘスの短い話を思い出す。

月を見ながら感じる酔いは、アルコールのそれとは違って澄みきっている。

それにしても、ぼちぼちと鼻がムズムズとしてきたのであって、
またあの季節か、と憂鬱になったり。


Steve Lacyが1960年にローマで吹き込んだアルバムに、
その名も『Moon』というのがある。
比較的有名な『森と動物園』にも少し似た感じの、即興の不定形なうごめきとして聴きとれるのだけれど、
「Hit」「Note」「moon」「Laugh」「the breath」といった簡潔なタイトルは興味をそそる。
レイシーのことは鳥だと思っていたのだけれど、このアルバムを聴いていると、あるいは擬態の得意な虫だったのかもしれないと思った。

マガジン航』に、橘川幸夫氏の「Twitter私論(1)」というのが載っていました。
http://www.dotbook.jp/magazine-k/2010/01/31/tweets_about_twitter_01/
定式表現(?)である「なう」を2種類に腑分けしているのが面白いです。

Twitterの凄いところは、TL(いま、ここ)に表示される言葉だけがすべてで、時間の激流がどんどん書かれた言葉を過去に押し流してしまうところである。いわばテキスト文化が、はじめてテレビ的なシステムの中で機能をはじめたといえる。しかも、参加型である!

Twitterを初めてからまだ50もつぶやいていないので、なんともですが、膨大なTLに見返りもなにも期待せずに言葉を放り投げるのは気持ちの良いもんだなと思う。短い言葉でとても刺激的な情報を発振してくれる方もいるので、おかげでそこから面白い情報にアクセスできるのがいい。
同時に、自分が言葉を置く場所としてTwitterがどうなのか考えると、自分にはブログでつらつら考えながらまとめていく方が性に合っているのかもしれない、文字数の縛りなくつらつらというのが自分にとってはかなり重要だったのだ、とTwitterが逆照射してくれるようなところもあります。

本を需要する環境というものが、全体としてどういう方向に向かっていくのか、というのは、古本好きとしては「リアルな造本が無くなるのはさびしい」としか感じてこなかったのだけれども、『マガジン航』の記事を読んでいると、それが浅い感慨でしかないことに気付かされる。そもそもKindle for iPhoneAmazon.co.jpアカウントで和書がざくざくと落とせる環境が整ったなら、すぐにでもそっちに行きそうな気がしていますし。
多分過去20年くらいかけてあらゆる音盤がCD化されていったような波が、書籍の分野でもこれから起こっていくんだろうと誰でも予想するわけですが、『たけくまメモ』の『それでも出版社が「生き残る」としたら』というエントリーは、
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-9fd2.html
これからの時代に生き残る出版社の立ち位置を描いてみせていて、自分は出版業とはまったく関係ありませんが、社会と著者とのあいだの防波堤であり調整者である出版業というものに気付かせてくれる。これを読むと、むしろ出版業のエージェント的なスキルというのはこれから重要になってくるのかもしれないなあと思う。

午前中にUSBターンテーブルからPCに取り込みつつ聴いていたのが、年始に京都のレコード市で購入した『Folk Music and Songs of Sicily : Work Songs vol.1』というレコード。安かったしあまり期待していなかったのですが、内容はとても良かった。



このLP、どこにも録音年やリリース年の記載がなくて、いつのものなのか全然わからないのだけれど、ジャケットの痛み具合からは30年くらい前のものなのではないのかなと想像させます。ALBATROS録音となっているので、もしかしたらその辺りから詳細がわかるのかもしれない。

地中海の真ん中のシチリア島の農民の歌、塩作りの歌、マグロ漁師の歌などが収録されていて、どれも実際歌が歌われる現場で録ったようで、聴いている他のひとの拍手や「ええどー!」という歓声も聴こえる。一聴した印象は「かなり混ざってるんだな」というもの。なにやらアラブのような節回し・旋律まで普通に聴こえてくる。
LPの各音源のクレジットには、それぞれの歌い手のことを「informant」(文化人類学などでいう現地の情報提供者)としていて、このへんも時代だなあと感じてしまう、と同時に、聴こえてくる歌声にもなにか不思議な力が宿っているように感じてしまう。

子供のころにテレビの放送でみた『ゴッドファーザー』で、マイケルが親父の敵のボスをレストランで殺したあと、シチリア島に逃げてくるところがあって、シチリア島といえば、自分にとってはあの太陽にあふれたアポロニアとの婚礼のシーンだったりもしました。そのイメージがどうにかなってしまうわけでもなく、これらの伸びやかな歌をかけながらだと、調べ物や読書がリラックスしながらさくさくと進むのでした。

イースタン・プロミス [DVD]

イースタン・プロミス [DVD]

近所のレンタル屋さんで借りてきた旧作。借り出すとき、手書きの伝票を切っているので、不思議に思っていたら、3月いっぱいで閉店するらしい。だからってなんで手書き?と思いはするが…。このレンタル屋は自分が大学生の頃からあったから、もう20年くらい頑張っていた筈なのに、とうとうか…と帰り道に感慨。
映画自体はロンドンを舞台にしたロシア系マフィア物にナオミ・ワッツ扮する助産婦が絡むというものなんですが、ロンドンのロシアン・マフィオアという設定が珍しいためか不思議な感じ。ヴィゴ・モーテンセンは一瞬エド・ハリスのように見えた。ナオミ・ワッツは中途半端なところが逆に好ましい印象。この二人が出ている、どうやらマフィアもの、というだけで内容を確認せずにレンタルしてしまったのですが、最後に出てきた監督名が「デヴィッド・クローネンバーグ」だったことにびっくり。
でもどのへんが「イースタン」なのかよくわからない…。