みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

十三でヴァーミリオン・サンズの熱く爛れたダブを聴き、万博で極北のナヌークさんを観る。

nomrakenta2009-12-06


この週末は、「無料」づくしでした。

昨日(土曜)は、お昼から、Iさんのお家へお邪魔して、MさんとSさんと、各自CDを持ち寄って、「コラージュ(っぽい)音楽」聴き・雑談会。世間話からコアな話まで、とりとめないけれど楽しい時間。
おもしろいキーワードがポツポツと飛び出す。


7時過ぎに、Iさんと十三ファンダンゴに行って、大阪の狂気のダブ・オーケストラ、ヴァーミリオン・サンズの完全予約制フリー・ライヴ。
ちょっと遅れて入ったので、すでに演奏始っておりましたが、すごい客入り。
なんとかステージ前に移動すると、「フリーライヴ」である意味がわかった。
ステージと客のホールの間には映写用のスクリーン幕があって、そこに、客席のプロジェクターからイメージ映像が投射されていた。
この幕があがることはなく、1時間くらいのライブ演奏は、バンドと客を幕薄皮一枚隔てた形に終始した。
「幕上げろ、幕ゥ〜!」という野次もあるにはあったけれども、ヴァーミリオン・サンズ自体は客から金を取っていないのだから、こちらが文句を言える筋に居ないことは確かだし、音自体は凄かった。

この状態で、狂ったダブ。

ときおり、ステージ内部。
羽目外さない熱狂がダブに押し潰さて欝血しクールに燃え盛っていた。シャープでいて、この上なく重厚だった。客は、皆、なにかのトライヴのように思えた。メディアはマッサージであるという故人の言葉がなぜか脳内に去来した。ライブもマッサージである。被膜の恩恵はそこにあった。
そのように、ライブは最高に切れまくっていて、良かったのですが、十三ファンダンゴがあまり好きでない個人的な理由がやっとはっきりしてしまいました。入場してすぐにステージを振り返らなくてはならないから、だった。「奥」という意識が持てないのだ。



今日(日曜)は、万博へ行って、民族学博物館(みんぱく)で、12月8日には終了してしまう特別展『自然のこえ 命のかたち―カナダ先住民の生み出す美―』に連動した形の映画上映(無料)『極北の怪異(極北のナヌーク)』Nanook of the North(1922年/サイレント/78分/監督ロバート・J・フラハティ)を観てきました。

民族誌的映像作品としては、ほとんど世界初かもしれないこの作品は、ロバート・J・フラハティが、1910年〜1920年くらいの期間に現在のカナダ ケベック州イヌクジュアク村付近でイヌイットの族長である「ナヌーク(熊)」という男の家族の生活に密着して撮影したもので、昔は「極北の怪異」という、今では意図の伝わってこないタイトルで日本でも知られていた様子。原題の「Nanook of the North」のほうが、やはり監督の、ナヌークというワイルドで順朴な男に抱いた尊敬の念を十分に表しているのが、よくわかりました。
観客は200人くらい入っていたのではないだろうか。みんな熱心なかんじで、「無料」というだけでなく、名前くらいは聞いたことのあるこのドキュメンタリーをいちど観たかった人が多かったのではないだろうか。上映のはじめに、みんぱく館長からのレクチャーがあり、撮影当時のイヌイットの生活と、現在の生活の変りようについての説明があった。以下のような変りようを念頭において、この1920年代のフィルムを観てほしい、とのことだった。

400年くらい前に極北地域に移住した人類と、10世紀ごろにアラスカで発生した捕鯨文化とは、じつは血縁的には断絶しているらしく、ここでとりあげられるイヌイットは後者の文化を幾分か引き継いだ人々らしい。12世紀ごろから始まる世界の寒冷化に伴い、おそらくはイヌイットの生活が形成されていったのであろう、とされていて、16世紀から17世紀にかけての寒冷化のピークには、イグルーや石ランプ、犬橇、アザラシ猟などイヌイットの狩猟生活の原型が確認できるらしい。西洋との接触は段階的なものだったようで、10世紀のヴァイキング、17世紀の鱈漁民、16世紀半ばごろからの捕鯨者や北西航路の発見を目指す航海者たち、そして、20世紀からのホッキョクギツネやアザラシの毛皮交易、1930年代に急速に広まったキリスト教などが挙げられるようだが、接触が密になるにつれて、結核などの伝染病も広まった。大きな変化は第二次世界大戦後、極北が冷戦下の「DEW LINE」となった頃からであり、1950年代からカナダ政府による行政介入と同化政策が始まる。1970年代から先住民諸権益問題が次第に解決されていき、「ジェームズ湾および北ケベック協定(1975年)」、「イヌヴィアルイト協定(1984年)」「ヌナヴト協定(1993年)」「ラブラドール協定(2005年)」などが締結された。
上記のような経緯で、この「ナヌーク」でフィルムに焼付けられたような、季節的な移動生活は、次第に、定住生活へと以降し、獲物を仕留めてイグルーに帰りつけば一日の終わりであった生活は欧米時間となり、海獣の毛皮だった衣服には既製服がなだれ込んできた。イグルー自体もプレハブ住宅とキャンバス地のテントにとってかわり、職は賃金労働と以前からの狩猟・漁労の混淆となっている。宗教はキリスト教シャーマニズムの併存となっているそうだ。
1920年代のイヌイットの家族の暮らしを捉えたこの貴重なドキュメンタリーは、極北の厳しい自然に身を委ねた生活のシンプルさと過酷さをしっかり焼きつけながら、家族の表情はどこまでも順朴で、頬が緩んでしまう温かさがある。
冒頭のナヌークが岸にカヌー(ケヤック)を乗りつけるシーンがあるが、ナヌークが穴からその身を抜きだしてから、船体から次々に奥さん、子ども、子ども、そして犬までも出てくるシーンには、観客も思わず笑い出してしまっていた。
そのほかにも、銛で鮭を仕留める手際の良さ、「雪の家」イグルーの「建築」の手並みは、まさにブリコラージュの頂点であり、セイウチの牙でつくったナイフを舌で舐めて凍らせて鋭利にし、ここ、と決めた場所でどんどんどん雪を立方体に切り取って「レンガ」とし積み上げていく、その隙間を奥さんが雪で固めていき、氷をくりぬいてきて、嵌めこみ窓とする。窓氷の脇に雪のブロックを立てて置き、反射板として明かりがよりとれるようにする。透かし見やすいように氷を削る映像の美しさ。
家族総出で引き上げたアザラシの巨体、セイウチの捕獲とその場での生食のシンプルさ、など、見どころは満載といってもいいと思う。
観終わったころには、誰もが、ナヌークの家族を他人とは思えなくなっている。名画、民族誌ドキュメンタリーのはじまりにして名作といわれる由縁がよくわかりました。

最後に館長が質問を受け付けた際、説明資料に書いてあった「問題があるが、過酷な自然条件のもとで制作された一級品」という文句のなかの「問題」とはなんですか?という良い質問をされた方がいた。
問題とは、端的にいえば、「演出」だった。わかっている例をあげるとイグルー内部で家族が寝起きするシーンがあるが、本来イグルー内部ではあれほど明るいわけがなく、天井をとりはらった状態でわざわざ撮影したものであったらしい。

なるほどな、と思いはしたけれど、それで映画に対する感銘の想いがが薄まるわけでもなかった。


映画を仕上げためにロバート・J・フラハティが帰ろうとしたとき、ナヌークが映画を完成しなければならない、ということが理解できず、泣いて監督を止めたのだという。そのナヌークは、その2年後に狩に出て餓死してしまった、と字幕にあった。

帰宅後に探してみると、WEB上でもこの『ナヌーク』の部分を観ることができる。
通して観ることお勧めいたしますが。


イグルーのつくりかた。


セイウチの捕りかた。


さかなの捕りかた。


ホッキョクギツネの捕りかた。

現代音楽で「極北」、といえば、この人。ジョン・ルーサー・アダムズですが。

John Luther Adams: Earth and the Great Weather

John Luther Adams: Earth and the Great Weather

Place We Began (Dig)

Place We Began (Dig)

この人にとって極北は音楽の主題や素材ということではなく、「環境」そのもののようだ。
Winter Music: Composing the North

Winter Music: Composing the North

数年前に著書である「Winter Music」を購入してパラパラ読んでいるが、実験音楽への愛情と、極北の土地への愛情が相俟っていておもしろい。その極北も、温暖化で寒く無くなってきたという嘆きも、そこに書いてあった。


この日の万博は車が多かった。バザーがあったのだった。