みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

詩の雑誌「TOLTA」4号とチルドレン・クーデター@京都アバンギルドとFemale Vocalディスク3枚

nomrakenta2009-12-19



先週からのこと、そして、今日のことです。

小笠原鳥類さんに、ご自身のインタビューが掲載されました、ということをメールで教えてもらった、詩の雑誌「TOLTA」4号を、北海道の古本屋さんに注文していたのが、先週届いて、とても嬉しく読んでいました。

現代詩の新鮮な部分を代表する(のだと思う)河野聡子さんという詩人の方が中心となっているらしい「トルタ」という言葉の(ヴァーバル、とサイトには書いてある)アート・ユニットによる雑誌のようですが、僕は初めて知りました。現代詩業界そのもののファンではないので、動向には全く疎いわけですが、こんなしなやかな雑誌があるなら、全然心配ないじゃないか(何の?)
http://tolta.web.fc2.com/
毎号体裁が違うようで、2号には小笠原鳥類さんがおなじみのイラストを書いているし、増刊号はロール・ペーパーだし、3号は写真でみるかぎり円形が重なりあっていてデュシャンの何かのようです。サイトのアーカイブには、装丁の凝った仕様も書き残されていて、いっときでも印刷業界にいた人間にはこそばゆくもやはり嬉しい気がしたりする。
手にとって嬉しいのは、言葉のまとめ方・届け方そのものに対する眼差しと手つきが優しく凝集しているのが、たぶん伝わってくるからだ。

この4号は、表1と表4が段ボールに紙を貼ったものになっていて、表1裏の目次と、表4裏のおまけの年表(!)がジャバラになっている。今回の特集は『十四歳のための現代詩』で、北川透、瀬尾育生、福間健二最果タヒ……といった人たちが自身の十四歳を振り返った文章を書いている。
その巻末の年表は、1945年(昭和20)から2009年(平成21)までの出来事・事件をまとめていて、日本、世界の動向と並行して、エポックメイキン(ぐ)な詩集や小説、映画、漫画、アニメ、雑誌、テレビ、お菓子などが列記されていて(詩関係でいうと、藤井貞和『大切なものを収める家』、瀬尾育生『文字所有者たち』、鈴木志郎康『石の風』、小笠原鳥類『素晴らしい海岸生物の観察』などが記されているのがいい)、トルタおススメの見方は、読者が十四歳だった年から年表を前後に見ていくこと、の様子。試しに1986年を見てみると、ボイジャー2号が天王星に接近し、こちらへはハレー彗星が接近し、チェルノブイリで恐ろしい事故が起こり、「ドラゴンクエスト」が発売されたがうちにはファミコン自体がなかった。

十四歳。世の中、いろいろ十四歳から、なのだろう。
たぶん、生まれて初めて何かを自分で選ぶ年齢。多くは音楽だったり、文学だったり、今ではゲームだったりするのか?よくわからない。自分の十四歳で憶えているのは、感情が不安定だったことと、なぜ尾崎豊のアルバムよりセックス・ピストルズのアルバムの方が時々音が気持ち良いのだろう、と悩んでいた事くらいです。

まだハイロウズは(あのレコードプレーヤーは)、僕を十四歳にしてくれるだろうか(ご返事お待ちしております)。

鳥類さんのインタビューは、今年の現代詩手帖で佐々木敦氏がききてをしたインタビューの内容を踏まえたうえで、さらに、詩の、言葉のうごめきのあり方について赤裸々に言葉にされているのが、心強い思いがします。
インタビューのタイトルは『生き物のように 動きが発生するように 書くということについて』となっています。
ききての佐次田哲氏の質問は、創作者の現実的な心の動きにどんどん深く踏み込んでいって、鳥類さんもどんどん、創作の秘密を惜しげもなく開陳していっている感じがして、とても読み応えがあります。
おもしろいといえば、全編おもしろいので、全部引用するか、次回にまわすか、になりますが(まわしても良い)、ひとつだけ、そのなかで、以下に引用させていただくやりとりは、鳥類さんのこれまでの、そしてこれからの詩作/思索の核心なのではないかと思いました。

― 言葉として色々な文脈の中で違った効果を発揮しうるような、一般的な固定されたイメージのようなものがない言葉が面白くなりうるということでしょうか。

小笠原 犬にしても意味が固定されているといえば固定されているかもしれないし、祖国とか戦争にしても使い方によって新たな意味が発生してくるかもしれないし、単語の選び方については個人的な好き嫌いだと言っちゃえばそれでお終いなんだけど、それでも言葉を生き物にしたいという感覚があって、言葉を動かすというかね、こういうことが書いてあるなと思ったら次の一行で全然違う方向にいっちゃうみたいな。そういう生き物を目指すという感覚が、生き物の単語を多く使うってこととどう関わるかというと結構難しい問題なんだ実は。生き物の名前を使えば詩が生き生きして生き物みたいになる、と言うとちょっとどうなんだとも思うんだけど、まあ生き物にとらわれているというくらいの話ですけども。虫みたいな感じは欲しいとは思うんですね。

― 虫というのは。

小笠原 ミミズとか寄生虫みたいに蠢いている。だから生き物の名前がどれくらい機能しているかわからないんですけども、何かの動きが発生していればいいなと。

――「TOLTA」4号p.56

引用冒頭の佐次田哲氏が言っていることは、ほとんど見事に美術でいうコラージュ(あるいはロバート・ラウシェンバーグのコンバイン・ペインティングもしくはアッサンブラージュ)の、肝の美的感覚を言い当てているのではないかと思いますが、ここで、鳥類さんは、そこに(美的感覚に)留まっているわけではないらしいのだ。そうではなくて、言葉の連なりそのものを生動化(アニメイト)するという欲動があって、鳥類さんの特徴的な生き物の名前の図鑑的な選択や、オブジェの中のオブジェでもあるような楽器群も、その欲動のベクトルにありながら、もっと単純に、愛着的なものであっても構わないという、微妙な位置づけが絶えず(それこそ)蠢いているものであるようです。
この長いインタビューは、詩のことばのメッセージとか内容、というより、現実の、今の、「文字所有者」(瀬尾育生)であること、それについてのドキュメントなのではないでしょうか。

「TOLTA」4号と同時に、詩のアンソロジージャイアントフィールド・ジャイアントブック』も届いていました。こちらは、山田亮太氏の詩集『ジャイアントフィールド』のなかの単語をピックアップしてそれぞれの詩人にキーワードとして振り、それぞれ詩作したものを集めたものになっていて、ピンクと紺、黄色の紺の二色刷りで上下逆さまにふたつの詩がレイアウトされていて(もし、1番から順番に読みたいなら)回しながら読むかたちになっています。
カバーのトレーシング・ペーパーが好きです。

詩の行間だけでなくて、本の体裁にまで、ことばの「シズル」への感性は豊かに浸潤していっているのだと思う。今年の前橋文学館で拝聴した鈴木志郎康さんのお話しで、「詩集は流通していない、詩人はみんなお互いにあげちゃうから」クローズドサーキットであってお金にはならない、ということがあった。もし詩によって身をたてようと野心したりするのであればやっぱり上記のことは問題なのだろうが、僕のように傍から愉しませていただいている分にはそれで構わないんじゃない?と思ってしまう。こうやって「トルタ」のように言葉の弾力が物象化したような雑誌もあるのだし、なによりもコミュニケーションの結果こそが、なによりも重要なコンテンツになりうる、と思うから…。

今日は、京都へ行ってきました。

JR大阪駅で京都行の新快速を待っていると、舞鶴で雪のため、折り返しの運転に遅れが出ている、とのことで5分運行が遅れていた。
ものすごく寒い。ダウン着てマフラーぐるぐる首を絞めても寒いのだ。
JR京都駅から、いつもは通販でおもしろい本を購入させていただいている古書肆『砂の書』さんへ徒歩で。
洋泉社新書で出ている阿倍謹也『社会史とは何か』の中で触れられていた良知力『青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年』がむしょうに読みたくなってしまい、取り置きしておいてもらっていたのでした。他にも数冊衝動的に本を購入してしまい自宅に送ってもらうことに。

そのなかでこれだけは帰りの電車で読もうと受け取ったのが、100円で売られていたかんべむさしの文庫本『むさし日曜笑図鑑』新潮文庫(1985)むさし日曜笑図鑑 (新潮文庫)でした。いつもの(いつもの、というのは、ブックオフなどでかんべむさしの文庫を見つけると必ず買ってしまう癖があるからです)ドタバタSFではなく、「大阪新聞」日曜版に掲載された短いエッセイをまとめたもので、時代的にもう通じない話も目につくけれど、大阪ローカルに徹した話や、気の抜けた奇想などを、いろんなスタイルで書き分けていて、ごった煮状態で、なんだか得意の落語の噺家の饒舌さに丸めこまれているようにも。


夜は、初めていく木屋町のライブハウス「アバンギルド(UrBANGUILD)」に、「ワンナイトフラワー vol.15」というライブを観に。なんと、これまで名前しか知らなかったバンド、「チルドレン・クーデター」が出演するのでした。
http://www.ccvb.jpn.org/Children_coup_detat/index.html
行くかどうかは実は決めていなかったのですが、上記の「砂の書」さんで、店長のTさんに「チルドレン・クーデターってどうなんでしょう」と白痴的な質問をさせていただくと、昔の彼らのデビュー・カセットブックを持ち出して聴かせてもらってしまったので、これは行っとかないと、と決めたのでした。
http://www.ccvb.jpn.org/Data_Archive/Discography/Discography.html
今夜の「チルドレンクーデター」は、以下のようなパーソネル。
ホソイヒサト/前淵訓秀/マヒマヒ/勝野タカシ/K子
長い活動期間でメンバー編成が何度も回転しているようですが、今夜の面子はどうも1984年くらいにカセットテープをリリースしていた頃の面子の様子。

ヴァイオリン、サックスを両脇に従えて痙攣疾走するノーウェイブを霊感源にしているような「正統派」のフリーファンクパンク。好きです、こういうの。昔からのファンの人が多いようで、暖かい雰囲気があった。

「チルドレンクーデター」はこの夜のトリで、その前に下記の3組出ていました。
①よのすけショウ
ちょっと不気味なホムンクルス的メルヘン「紙芝居」でした。
②にしもとひろこ
『たゆたう』のにしもとさん、今夜はギターを持ってソロ。この人の声は好きだ。アシッドフォーキーとかそういう言葉ではなくて、自分の「うた」を持っている、という感じがする。
③電動歯(山本精一/吉川豊人/ドナルド)
ドナルドというひとが凄くて、最初サンタの格好をして現れ、盛んに泣真似をしては「プレゼントくれー!」といったり「音楽なんてやりたくないよー、この人が(←山本さん)僕に強制するんだー」とゴネたり大変だったんですが、キャプテン・ビーフハートがノー・ウェイブ化したような、つまり「U.S.メイプル」(疑う余地なく最高のバンドのひとつだった)のような叩きつける演奏が始めると同時にハードコアパンクな絶叫シンガーとなり次第に服を脱ぎ捨てて最後は数年前の紅白の「DJ OZMAのダンサー」状態となるまでストリップを続けるという……


今日、朝起きて昼ごろ家を出るまでに聴いていたのは下の3枚。

「女性ヴォーカル3枚」です(力説)。
イヌイット女性の「喉歌(throat swong)」は、メレディス・モンクが「Facing North」で真似たものだろうか。暖かみがあるけれどどこか奇妙に機械的リフレインで、ミニマルテクノのような趣もあるからおもしろい。

極寒の歌声 ?ケープ・ドーセット・イヌイットの歌

極寒の歌声 ?ケープ・ドーセット・イヌイットの歌

現代音楽有数のヴォイス・パフォーマージョアン・ラ・バーバラの初期集「Voice is The Original Instrument」(Lovely Music)は、多様な発声法で肉声の「楽器性」を拡張する。際立ってくるのは声の特殊性・固有性というのが興味深い(という小難しい話よりも、美しいジョアンの写真が私的には全てOK)。
Joan La Barbara Voice is the Original Instrument

Joan La Barbara Voice is the Original Instrument

対して、ドナ・サマーは、完全にシンガーという「楽器」であり、完璧なマシーン振りのような気も(したりして)。
Dance Collection

Dance Collection


今聴いているのは、アマゾンから届いたチャンバー・アンチーム・ダブ・トリオ「popo」の新作。

macadamia

macadamia

1stよりも好きかもしれません。新世界BRIDGEの思い出ポロポロ。


Facing North

Facing North