みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ボルヘス色のサブマリン:夢の回収と、小笠原鳥類さんのボルヘスについてのエッセイと、レインボーヒル2009

nomrakenta2009-10-12



昨日、服部緑地公園野外音楽堂で「レインボーヒル2009」を観てきたあと、ビール>焼酎>ビール>ワインと飲み継いだお酒と、身体が冷えたのがまずかったらしく、頭痛が収まらなくなってしまったので(ヤニあたりもあるでしょう)、早々と9時に寝た。

明け方にまた変な夢を見ている自覚があった。
断片的な夢を忘れないようにするひとつの方法は、「お話」の中に、その情景の感触を閉じ込めておくことだ。


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雨のあがらない星の海辺に、人間が降り立って、そこから巨大な潜水艦を見知らぬ海に放つ(何年もかけて沖合で建造したのかもしれない)。
この潜水艦は巨大で、縦に百階層くらいに分かれている、ひとつの高層ビルのようなシロモノである。しかも十分な深さまでくると、その巨体が右と左にパックリ二つに割れて半分ずつの潜水艦となる。そこから大洋の右と左にそれぞれ進路をとり探査を続けて星の海を一周し、数年後に同じ場所で落ち合うという段取りらしい。

数年後の探査終了まで海辺ではキャンプが、降り止まない雨の中、潜水艦の帰りを待っている。ところが、この星は地球の数百倍の大きさを持っており、数年後というのが先ず大きな計算間違いなのだった。右に分かれた潜水艦の片割れは、1年後、左にいった片割れと連絡がとれなくなる。2年後には、キャンプとも連絡がとれなくなる。

内部でも重大な問題が発生する。乗組員は、はじめ潜水艦の一番上の階層にいたが、だんだん上の階層から、電気の供給が停止しなぜか酸素がなくなっていき、一段一段と下層への退却を余儀なくされ、5年後には最下層に数人の乗組員を残すのみとなる。

夢自体は、じつはこの、一段また一段と生活圏を追い詰められていく、広大であるにしても密閉された暗闇の圧迫感から始まって、ほとんどこの感覚で終わっていたのでしたが、先の設定と以下の後の顛末については、この圧迫感は一体どういうことなのかと、夢の中で考えはじめた自分の「作り」であろう。

そんな極限状況がつづき、最後の乗組員も息絶える日がくるのだが、彼は、最下層の誰もいないはずの会議室のモニター群に明かりが点り、死んだはずの艦長以下同僚たちが会話している光景を目にする。
ついに最後のひとりは、尽きていく食糧と衰弱していく乗員の肉体的な限界を見越した潜水艦自身が、乗員の意識を取りこんでも探査を継続できるよう、仕組んで仕向けた成り行きであったのだと了解する、というのは、どこかで読んだ小説か映画からの変奏でもあるだろう。

最後のひとりが紙に「希望(Hope)」と書きつけて息絶えた後(これはそのままスティーヴン・キングの中編『霧』のラストのパクリ…いちおう、笑ってもらうところ…なのですが…)、乗組員たちの想念は、合流して、潜水艦そのものとなって、うっそりとした潜航を尚もつづけるのであった。この状態で数百年が経過する。

潜航の途中にいろいろと面白い深海生物と遭遇しているはずなのだが、そのあたりは都合よく端折られる。

で、数百年後、潜水艦は、最初に左右へと別れた地点に戻り、左へと別れたかつての片割れと合流、数世紀ぶりのドッキングを行うと、予想通り、左側も乗員の肉体はすべて死滅しており、同じような潜水生命(??)になっていることがわかる。

左右が合一し、ひとつの意識に統合された「彼」が何を望むのかといえば、やはり、海辺のキャンプに戻り、自分たちの星に帰ることだけしか残されてはいない。

「彼」が決死の覚悟で浜に乗りあげてみると、キャンプはすでにそこにはなく、ひとりの漁師が潜水艦を茫然と見上げているのみである。潜水艦はテレパシー(的なソレ)で、コミュニケーションを試みるが、漁師の思念は恐怖による混乱で退化してしまったかのようで、かつての言語の面影が破片のように残るのみだ。

実は、百年ほど経過してキャンプも食糧難に陥り、陸地の奥へと分け入って、長い月日をかけて定住し、世代を重ねて原住民化していたのであり、すでに数百年前に送り出した潜水艦のことを知るものはいなかったのである。

このまま孤独のうちにまた深海を彷徨うのは、「彼」にしてみれば最もあり得ない選択だった。「彼」は、住民と接触するために、その漁師を拉致し、残された科学力を駆使して(このあたりは夢見ている者の知的限界につき、非常に曖昧である)、自分の意識を漁師に移植する。
元の漁師の意識は当然、上書きされて消えてしまうので、このやり方は人道的に非常に問題があるのだが、かつて漁師であった新しい男には新しい名前が与えられる。

もちろん、それは「ウラシマ」であるのがベストだろう。
ウラシマがそのあと住民と会えたのかどうかはわからない。

(このあたりの平凡未満の収拾の付け方には、もちろん問題があるのだが、じぶんとしては要は、潜水艦で一段一段と生活圏を狭められていくという圧迫感を回収できれば、話の良し悪しというのは、どうでもいいのである。)


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語り伝えによれば、さまざまな現実の、架空の、奇怪な出来事が生じたあの過去に、一人の人間が一冊の書物に

宇宙を要約するという途方もないもくろみを抱き、性根を傾けて高雅で難渋な手稿をやまと積み、推敲を重ねて最後の詩行に達した。

幸運に感謝を捧げようととしてふと視線を上げると、空にかかる磨かれた円板が目に入り、月を忘れていたことを知って動顛した。

このわたしの話は架空のものにすぎないが、わたしたち、自分の生を言葉に換える仕事にたずさわる者すべての魔力をよく表していると思う。

本質的なものは常に失われる。それは霊感にかかわる一切のことばの定めである。月との長い付き合いについてのこの要略も、あの定めを避けるわけにはいかない。

――『月』より抜粋 J.L.ボルヘス『創造者』岩波文庫 p.116-117

創造者 (岩波文庫)

創造者 (岩波文庫)

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「水声通信」31号に掲載された詩人の小笠原鳥類さんのボルヘスについて書いた「書物を並べると出現する、幻の、あの人」という文章を読み返しています。3回目くらい。
[rakuten:book:13281635:detail]

もし、思潮社が、「現代詩文庫」の一冊として、小笠原鳥類の詩を編むのであれば、通例のごとく、詩のパートの後にエッセイの部があるはずだから、この文章と、あとはWEB上の「いんあうと」の文章のいくつか、それと「HOSE」のアルバムライナーの文章も忘れずに収めて欲しい、と妄想する。

眩暈のするような言葉のコラージュ、のようでありながら、ひとつひとつの言葉の断絶とみえる挟間のひとつひとつに無数の襞のようになった詩的な論理を包摂していそうなところが、小笠原鳥類の詩のことばの驚きではあるのだけれど、この水声通信にのった文章は、いくらか平易で明瞭な印象で、すっきりとしたアルゼンチンの幻視的文学者へのオマージュ、として読むことができます(その中でも、鳥類さんらしい戸惑い、保留、詩的な提案が、折りたたまれている)。

まるで、ボルヘスを知った人であるかのように云々する評論の虚偽とはまったく異なって離れて、鳥類さんは、邦訳されているボルヘスの単行本を目の前に並べて、一冊一冊を手に取りながら、本文だけではなくて、翻訳者の調子や、装丁からの印象をゆっくりと反芻しながら、(現実的にいって不可避で)優しい距離を保ちながら呼びかける。
著者を気安く「ボルヘス」などと呼び捨てずに、「あの人」と、霞の向こうの朧げな人称として仮託してみせる鳥類さんの語り・綴りの道行きは、とても正しいと思える。

はじめはボルヘスの虎への偏愛からはじまる(「大部の百科事典や博物学の書物も、挿画の虎のできの良し悪しで評価した」『夢の虎』:『創造者』に収持)。これは、たんに立ち読みしただけなのだけれど、国書刊行会から出ている『パラケルススの薔薇』という短編集にも、「青い虎」について書いた文章があった。

それから、『アトラス―迷宮のボルヘス』の晩年のボルヘスが気球に乗りこんでいるカラー写真について。この写真は気になる雰囲気がある。あらためて鳥類さんの文章で、その「気になり」を呼び起されて、それは言葉を与えられて生き延びる。
アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)

アトラス―迷宮のボルヘス (^Etre・エートル叢書)

それから『幻獣辞典』(近所の図書館にも、これだけは置いてある)。

『幻獣辞典』を私は、不思議な生きものを紹介する(のでそれ自体不思議な生きものになっている)短い魅力的な文章を集めた、アロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』のような散文詩集だと思って読んでいる。「天空の雄鹿の姿については完全に何ひとつ知られていないが(それをよくみた者がひとりとしていないからだろう)、しかしこの悲劇的な動物たちが鉱山の地下に住み、ひたすら日の光に達することを願っていることは知られている」。「伝説によれば、天空の雄鹿が大気のなかへ出てくると、死と疫病のもととなる悪臭を放つ液体に変わってしまう」。天空の生きものがなぜ地下に住んでいるのかよくわからないが、よくわからない生きものなので、この本に住んで、漂う。
p.26

幻獣辞典 (晶文社クラシックス)

幻獣辞典 (晶文社クラシックス)

このあと、エドガー・アラン・ポオの『鴉』の詩作について語るボルヘスについて分け入りながら、同じようにボルヘスに分け入って「むだばなし」した入沢康夫についても触れていく。『わが出雲、わが鎮魂』、そして『詩の構造についての覚書』を著した詩人であり、宮澤賢治の研究家でもあった入沢康夫が、賢治の生地・花巻への夜汽車のなかでボルヘスを読み、尽きない興味をおぼえた、というフレーズを取り上げて、鳥類さんは「夜汽車の中なので、夢の中、銀河鉄道の中でもあっただろうか」と空想してみせている。それは読者全員に、そんな空想も、ほんとうは許されているのですよ、とあらためて気づかせてくれる書き方でもある。鳥類さんは横道に逸れているのではなくて、襞と襞を突き刺しながら進み、「あの人」のまぼろしと一定の距離を保っているのだと思う。
また以下のような文章は、鳥類さんの詩自体についてもある一面を語っているように思える。

短い面積に言葉を詰め合わせて、意外な出会いを発生させると、おかしいものが出来あがる。他の書き方では発生しない、別の場所では出会えない、かけがえのないものが出来あがる。
p.30

あの人と、入沢康夫は、大量に本を読んでいて、多くの知識を活用して、静かに落ち着いて、比較的数少ない言葉を並べる。他の誰よりも意外な驚きがあって、寂しくて、おかしくて、奇怪な美もあるものを書いている。私は、この文章を書きながら、入沢康夫についても書いているのかもしれない。
p.31

わが出雲・わが鎮魂 (思潮ライブラリー 名著名詩集復刻)

わが出雲・わが鎮魂 (思潮ライブラリー 名著名詩集復刻)

そうやって、並べた書物を並行に、夜汽車で乗り継いでいくように語り継いでいく水平の道行きは、最後に、『パティオ』という星空が流れ落ちてくる中庭の詩を起点にして、はじめの部分でもあった『アトラス』の気球のカラー写真に戻ってきて、ゆっくりと今度は上空に上っていく。無限の上昇、と鳥類さんは書いている。空に永遠に残るのは、チェシャ猫のにやにや笑いではなく、「あの人」のおだやかな笑顔である、とも。

鳥類さんは、ボルヘスを、語ろうとはしていない。人物の根源に遡ろうとするのではなくて、現前している書物たちからの声を「あの人」として、聴取しようとしている。それは、読者であれば、誰にでも開かれている態度なのだとも言える。ボルヘスに限らず、すべての作家の頁を開くひとりひとりの読者が呼びかけ得るのは、仮託された「あの人」なのだということ。


この「水声通信」31号は、「アナイス・ニン」特集になっていて、アナイス・ニンの若い頃の写真がないのは不満だが、ヘンリー・ミラーアルトーとかわした手紙がのっていて、全部読んでいないけれど、おもしろい。

一九三三年三月十二日
 アランディのところでアルトーと会った。私の白昼夢に出てくる顔。夢を見る瞳。苦しみが削ったような、そぎ立った目鼻立ち。夢見る男。悪魔的な、無垢な、あやうげな、神経の鋭い、勢力に満ちた男。彼と視線があった途端、私は空想の世界に飛び込んでしまった。アルトーはまぎれもなく、憑かれた男、そして人に憑く男だ。
 実は彼に合うのは恐ろしかった。数日前、彼の書いたものを読んで、私とあまりに似ていると思った。「君が書いたと言っても通るな」とヘンリー(・ミラー)も言った。イマジネーションにおける肉親のような人と出会うだろうとは予想していた。だが、あの顔、あんな顔はショックだった。自作の芝居『わたしは狂気の果てのシュルレアリスト』の梗概を読む彼。打撃を受けた、不安定なデカダン派、好色なデカダン派の一人。たぶん阿片を吸っている。そこに映るもんを超越するような彼の目。疲労の極みをみせる顔、敵意、情熱、暴力。そんな彼に、私はうっとりと魅せられて、口を開くのが恐ろしかった。だが、彼は穏やかだった。そして、彼も私に魅かれていた。
――アナイス・ニンインセスト』p.132

インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932~1934

インセスト―アナイス・ニンの愛の日記 無削除版 1932~1934

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レインボーヒル2009は、晴れていてよかった。
たしか昨年は雨が降っていた…のではなく、昨年は自分のブログによると、気分がのらずでレインボーヒルには行っていない。だから雨が降ったのは2007年のレインボーヒルである。今年は、パスカルズが大阪で観れるというのがポイントだったと思う。

巻き戻してみると以下のような感じ。
「たま」の二人を加えて最後に登場したパスカルズは、壊れたおもちゃのように騒々しくて柔らかい室内楽を演奏し(火花も散らしたりして)、アンコールに演奏した「段々畑」という曲名を、観客が知っていることに、バンマスのロケット・マツさんは驚いてもいた。

パスカルズの前に、とても「つなぎ」とは思えない奇天烈なパフォーマンスをしてレインボーヒルを掌握してしまったのは名物美男の「ジョンソンtsu」だった。なんだろうアシッド・フォークのような、ポルトガルの弾き語りのような、バートン・クレーンのような…(適当に書いています)

場を制したジョンソンtsu。

ハンバート・ハンバートは、日没から夕闇へと変わる最高の時間を、最高の歌と演奏で演出。手堅い感じでした(良い意味でね。もちろんね)。
「ははの気まぐれ」はストレートなロックバンドで、2007でも観たのではないかと思うのですが、新鮮だった。
その前に出たのが、朝倉世界一(漫画家)/白根ゆたんぽイラストレーター)/しりあがり寿(漫画家)/高橋キンタロー(イラストレーター)/薙野たかひろ(イラストレーター)/なんきん(漫画家)/パラダイス山元マン盆栽作家)/ミック・イタヤ(ビジュアルアーティスト)を擁する(以上、レインボーHPよりコピペ)ソラミミスト安齋肇が率いる「OBANDOS(オバンドス)」。メンバーが一人づつ手作りのかぶりものを装着して登場、手作りの楽器(オブジェ)で珍妙な演奏を展開。それを観た友人が思わず漏らした「ローファイ極まるレジデンツ…」という形容が当たっていたのかどうか…チープでダダイスティックという形容すら、彼らの「音楽への憧れ」に狂熱したパフォーマンスの前では、「格好つけすぎ」となるでしょう。たとえば80年代の「こういった」傾向を知らない若者たちが、ユーモアとしても対処できずに、かなり引いていた面はあるにせよ、「オバンドス」は、少なくともここ五年くらいの間で、最も聴衆の数に恵まれたノイズバンドであるのは確かなところではあるまいか(五年というのは適当です)?

突然、登場した異形の「レジデンツ」たちに驚喜(したのかどうか知りませんが)して、子供がステージ前まで飛び出してきて似顔絵を描き始めた。まったく唯一正しい反応を、この子はしたのではないだろうか?

なぜか「プリン」と書かれた手製ドラムを乱打してワルツする、しりあがり寿氏。

その前の順番があいまいですが、「ふちがみとふなと」は久しぶりに観れて、やっぱり好きだなあ、と思った。1曲目の「古本屋のうた」が訥々とはじまった瞬間、やっぱり良いよなあ…と再確認。途中、船戸さんのベースがフリーになっても渕上さんの歌唱が調を保っていたのがすごいなあといまさら感激しました。ダニエル・ジョンストンの「歌う人 Story of an Artsit」の知久寿焼とのデュエット(知久寿焼さんのボーカルを生で初めて聴きました…この人は「格好いい」のではないでしょうか?)、最後のブルースブラザースでおなじみの「I Can't Turn You Loose」が素晴らしすぎました…毎度のことながら、「ふちふな」のカヴァー曲のセンスは嬉しいです。


世界が愛すべき、「ふちふな」のスウィング。


レインボーヒルといえば、なぜだかシャボン玉のイメージであるのかも。

「ムー」には、ハンバートの佐藤良成も参加、おもしろいインストだったけれど、なんか「解散」するらしい…。サキタハジメさんのミュージカル・ソウは、良かったけれど、以前ムジカ・ジャポニカで「はじめにきよし」で聴いたときのほうが印象深かった。この日は印象が流された(というか、このとき陽が曇って、とても寒かった)。最初に演奏していたのは意外にも、曽我部恵一ランデヴーバンドだった(当日券で最後に入場したので、聴けたのは3曲目くらいからだった)。


会場の物販で購入した「ふちふな」の船戸さん(コントラバス)のソロ2作目CD-R『通り抜け御遠慮ください』。セカンドソロについては、数年前からライブのMCにて録音中、リリース間近など情報がありましたが、そのあとどうなったのかわからなかったものが、「諸事情」によりCD-Rというかたちになったそうです。暖かいムードの底をときどき不穏な大魚が泳いでいるような…ムズムズするジャズ。あのLOW FISHは顕在です。
2曲目の「Flowers For Albert」って、アルバート・アイラーに手向けられているのだろうか。アブストラクトなパーカッションから始まってコントラバスが歌を誘うようなフレージングをして、曲がはじまって1分50秒くらいから入ってくるピアノのフレーズが愛らしくて、そのあと演奏は雄大に深呼吸するようなので、何度も聴いてしまう。

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今日はおしまい。