みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

19日。諏訪大社でお昼寝、山下清の美術館

nomrakenta2009-08-24


先週は、盆のお休みをずらして取得させていただき、9連休させていただきました。
前半は身の回りの片づけや、友人たちと持ち回りで作っているコンピCDの編集などをして、水曜日から、東京方面に旅行へ。

【19日 水曜日】
新大阪から8時発のこだまに乗って、名古屋でのりかえ、塩尻まで出たら、あとは中央本線甲府方面行き普通列車に乗り換える。たった5駅なんですが、停車時間が異様に長く、40分かかって、目的地の茅野駅に、12時ジャストに着く。すぐさまチケット売場で5時の新宿行きを買っておく。新宿まで特急で2時間で出れるのだから、諏訪って、時間だけでいえば、東京の通勤圏内なんじゃないのか、と今日初めて思いました(定期代が埒外でしょうが)。
特に目的地があったわけではないんですが、ただ東京行きっていうのも能がないので、寄り道しようと思って、諏訪まで来たのでしたが、中央本線から見えた諏訪湖の湖面がちょっと岸辺のあたりが藻かなにかなのか茶色く汚かったので、諏訪湖にいく気はすっかり失せてしまい、諏訪大社に行ってみることに。
茅野駅でまず信州そばの天セイロでお昼。そばがつるつるして、またコシもあっておいしい。バス乗り場を見渡しても「諏訪大社行き」というのが見当たらないので、これは「歩け」ということであろうと思い、大社まで40分かかるらしいが、徒歩でいくことに。長野は涼しいのかと思ったら、全然そんなことはなく、太陽照る照る暑い暑い。途中、渡る橋を間違えてしまって、また暑い。うかつにも、帽子も持たずに来てしまったので、途中のユニクロで帽子を買って、店員の女性に、諏訪大社への道はこれでいいのか聞いたら、とても的確なアドバイスをしてくれて、そのおかげでやっと諏訪大社本社にたどりつくことができました。
諏訪湖諏訪大社は当然、諏訪市にあるわけですが、来しなに諏訪湖を通り過ぎて来たとおり、降りた茅野市は、登り方面に、ひと駅行き過ぎているかたち。そこから大社まで、40分歩いて折り返す、ということになりました。
諏訪大社の境内は、とても静かで、高い木々がこんもりとして、日差しを遮ってくれていて、なにか海の底にいるような錯覚もするのでした。お参りして、御柱などを見上げながら、境内で、汗を乾かし涼みながら、ベンチでちょっとお昼寝してしまいました。

お昼寝といってもほんとうに寝てしまったのかどうかわからない。じっと体を横にしながら、しだいに境内の蝉の声だとか木々の様子、木漏れ日の具合だとかに対して自分が開かれていくのを感じながら、ちょっと目を閉じた、ようなつもりだった。大社に着いたのは1時過ぎだったが、いつのまにか3時になっていて、空にも雲が出て歩きやすそうな感じだった。時間の流れかたがやはり違っていたみたいだ。

本当は、まったく目的がなかったわけでもないのかもしれません。
中学生の頃に読んだ漫画で、諸星大二郎の「暗黒神話」というハードコアなものがありまして、その物語の導入部に、諏訪が出てくる。トラウマ確実な筋はおいておいて、東京住まいの主人公が日帰りでちょっと諏訪にいってきたと、母親に告げるシーンがあったのです。たしか列車が、新宿駅に直接乗り入れているコマがあったように思う。諏訪から新宿という線分のコントラストが、自分にはおもしろく思えて、そうか、諏訪と新宿は、日帰りなのか、となぜか感心していた記憶があって、それを今回確認できる、ということで、それはやはり目的というよりは、ながいあいだにじぶんの中で伏流水のようになってしまっていた興味だったかもしれない。

暗黒神話 (ジャンプスーパーコミックス)

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大社への道中、「放浪美術館」という施設の看板に、「山下清展」と書いてあって、駅へ戻る道すがら、時間にも余裕があったので、ふらりと寄ってみると、これが自分には「大当たり」でした。
http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/museum/hourou.htm
http://www007.upp.so-net.ne.jp/tiles/hourou.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~stssk/kodai/0226-01.html
山下清の作品というのを実ははじめて生で観ました。
100点以上の切り絵貼り絵とマジック画が集められていて、気軽に入ったじぶんには、相当の見応えがありました。題材や表現の「素朴さ」の魅力もさることながら、画面として成り立たせるために費やしている膨大な時間が、モザイク画のような切り絵手法から滞留しつつ、放出されているのだと思いました。
そこの物販コーナーは古道具古書小物店になっていて(むしろ元が骨董屋さんで、あとから美術館が出来たようです)、古書の中に山下清の古い画集を見つけました。これが、昭和46年に山下清が死去した際に出版されたものらしく、装丁が横尾忠則チックで、極私的にハートを鷲掴みにされてしまう。

ちょっといいお値段でもあったので、いったん隣のモスバーガーでお茶しながら、自分を冷却。やっぱりこういうのは出会いだと思うんだよねという心の囁きに屈伏し、そのまま引き返して、画集の中身を見せてもらうと、中も、凝っていて、1ページ毎に山吹色の上質紙の袋とじを右側に開いて観るようになっていました。すぐさま購入の意志を伝えて自宅まで発送してもらう手続きをしていると、女性の学芸員らしき方が、お時間大丈夫ですか?ときいてきて、山下清の作品のレクチャーをしてくれることになりました。
ポイントとして、清の切り絵の精巧さ。花火の表現の工夫。例えば、魚の鱗や蛇のテクスチャーを表現するために、古い紙幣を素材にしたコラージュ的手法。微妙な中間色を表現するために、色紙を裏返して貼りつけたり、まず青い紙を貼ったその上に白い紙を張り付けて、かすかに透ける青で静脈の色を表現したり、左右どちらから観ても題材がぶれない卓越した平面性、など。

なぜ諏訪に?という疑問に対しては、画家が諏訪湖の花火を非常に好んでいて(花火の切り絵が膨大にある)何度も諏訪に滞在しており、ここのコレクションは諏訪の何人かの所蔵家のものを集めたものが基本になっていること。画家が息を引き取るとき、諏訪の花火がみたいといっていたこと(これについては信憑性があるのかよくわかりませんが)。おもしろいエピソードも織り交ぜてくれて、画家は「いたずらごころ」が旺盛で、女学校の校門の前で、素っ裸で仁王立ちして、女学生たちを怖がらせたこともあったらしい。そりゃ、「まさに、はだかの大将ですね」というコメントは、危ういところで飲み込みましたが。
そこで購入した、ちくま文庫山下清「日本ぶらりぶらり」の冒頭には、パトロンであった心理学者の式場隆三郎と鹿児島にいって、画家が昔に書き残した作品を一緒にみたときの、こんなエピソードがありました。

 垂水の文房具やと金物やにぼくが世話になってお礼にかいた油絵がかけてあった。できはどうですかと式場先生にきいたが返事をしなかった。人のいるまえだから落第といわないのだろうか。
――山下清『日本ぶらりぶらり』p.13

日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)

日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)

もちろんどんな絵だったのか知りませんので、勝手な想像でしかないのですが、いってみれば油絵という以上のことのない絵だったのかもしれない。コラージュ的な手法に開花した作家のタブローが、得てして平凡すぎておもしろくない、というのは、美術史的にみてもあまり不思議なことではないと思う。「メルツ」芸術へ自分を投下する前のクルト・シュヴィッタースの油絵もいってみれば特筆すべきところがないし、ロバート・ラウシェンバーグも、日常が流れ込んでこない画面は割りと息苦しいものがあるんじゃないかと。タブローの中で図像を複数のレイヤーとして豊かにしてみせることも出来る筈ですが、おそらくこれは向き不向きの問題であって、彼らには、リアルな断片から図像を組み立てていくコラージュ的な手法がしっくりときていたのであって、そのことで彼らが獲得したのは、画面に時間や日常を呼吸させるレイヤーだったのかもしれません。

そんな勝手な妄想をたっぷり駅までの道すがら楽しみながら、夕方のスーパーあずさ号に乗車して、終点の新宿まで。

乗車の2時間の間に、窓の外の風景が、奥深い山から次第に東京の通勤圏内へと変貌していくのが、とてもおもしろかった。