みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

マイケル・ジャクソン・・・Djivan Gasparyan

マイケル・ジャクソンが、亡くなったとのこと。唐突な印象を受ける。

スリラー(紙ジャケット仕様)

スリラー(紙ジャケット仕様)

個人的には、まったくファンではなかったので、当たり障りのないことすら書けないが、僕らの世代でこのアルバム(というかPV、貼り付けることができないが)を避けることはできた人がいたとは考えにくい。
タモリは、思わず「ジャイケル・マクソン」と言ってしまったのだった。
お悔やみ申し上げます。


唐突なのは、このエントリーのほうか…。

正直、この一週間、湿気にあたって体調が悪かった。一昨日くらいにやっと回復してきたところである。
たとえば、いくらエリック・ドルフィーの吹く音が身体に一番馴染むなあとか、ローランド・カークは興奮しつつ和むわあ、とかオーネットのアトランティック時代はやっぱりハードコアに「ジャズ」で「ブルース」で「パンクロック」なんだわと、日常の中で間欠的にホザイているとしても、そうそう、平日に、しかも常を失っているときに、そういう感慨に至れるものでもないわけなのですが、そういう己のコンディションと関係なしに、最初の一音で、最初に最初の一音に触れた瞬間に戻れる音楽というのが、稀にあるのだと思う。

Heavenly Duduk

Heavenly Duduk

アルメニア」というと、僕自身は、崩壊する新建築音楽集団にそんな曲があった、という反応をしてしまうような者だったのですが、もちろん関係はない(あまり、ないと思う)。
それでも、深いドローンは民族的な廃墟感を醸さずにいられないし、瞑想のなかに溶け込んでいく思念が呼吸するかような旋律は、ゆったりとしていて細やか。好き嫌いというものには関係しない音楽。
つい最近、清志郎が逝ったときも聴いていたし、今夜もなんだかこれ以外に聴く音楽がないような気分になっている。
自分としては、この音楽から、ほとんど物質的な廃墟を感じるのであって、もちろんそれは軽いわけではないけれど、憂鬱とは実は若干異なっており、これらの廃墟は再生を内蔵しているのだなあ、と。
そう思えるので、少し元気になるのかもしれない。