みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

マッチを擦ったら、日曜日:「さかな」のライブ@京都烏丸shin-bi、映画「MILK」、湯浅湾のセカンド「港」、J・ジュネ「花のノートルダム」

nomrakenta2009-04-25


朝から雨。全国で雨。
これくらいの雨はいい。
家人が下のサンルームでたどたどしくキーボードをひく音の中で11時まで寝ていた。シャワー。
今日は京都へいくので、山は歩かない。「さかな」が京都に来るんだから。

小笠原鳥類さんから、5月号の「現代詩手帖」に、連載(インターポエティックス「生きものの静かな幻影」)で、たなかあきみつ氏の詩集について書いたとのお知らせをメールで頂く。
ありがとうございます。必ず、読みます。
僕にとっては、「現代詩」というジャンルだから読む、という回路はなく、小笠原鳥類さんや鈴木志郎康さんや藤井貞和さんといった、自分にとって気になって仕様の無い言葉を綴る人たちの書いたものだから読む(彼らは「詩人」ということになっている)という回路になっているようです。

雨の烏丸。cocon烏丸は阪急と地下でつながっているので濡れなくて済む。

ライブまで時間があるので京都シネマで「MILK」。上映開始直前に紛れ込んだけど、座れた。映画館で映画を観るのは何ヶ月ぶりなのか。ガス・ヴァン・サントが撮ったハーヴェイ・ミルクの伝記映画だった。
サンフランシスコで、ハーヴェイとスコットが落ち着いたカストロ通りというところが、運動の発信源になって、全米トラック運転手組合からの要請を受けてクアーズ・ビールのボイコットを成功させてゲイの運転手雇用を促進するというあたり、運動のバーター取引ともいえるし(微妙、という人もいるだろう)、とても小さな界隈が、ほかの「運動」と共鳴りをしながら、全米に影響を与える大きなうねりになるイメージが面白かった。
ガス・ヴァン・サントにとっての「マルコムX」なのだろうかと思っていたし、それは的外れでもなかったと思うけれど、極私的な「希望」を、多数の希望に束ねていく、そういうことの可能性を実行したひとりの人間としてのミルクを、ショーン・ペンは見事に演じていたと思う。
本作のハイライトは、デモ・シーンや「条例6」を廃止させた時ではなくて、ペン演じるハーヴェイが、自分を銃で撃つことになるダン・ホワイトに向かって、自分の問題は政治的なイシューなどではないのだと相手のうがった理解に逆らうシーンかもしれない。このダン・ホワイトは、ミルクとマルコーニ市長殺害後、あろうことかジャンクフードの食べ過ぎのせいで凶行に及んだとされ、あまりにも短い刑期で釈放、後に自殺。この顛末をダン・ホワイト目線で歌ったのがデッド・ケネディーズの「I Fought The Law」だったのだとか(通常このサビ、「俺は法と戦った。法が勝った」。だが、デッケネのダン・ホワイト版は、ジェロ・ビアフラらしく皮肉に「法と戦った。俺が勝った」。)


映画のあと、shin-biのイベントスペースを覗いたら、「さかな」のお二人がリハーサル中。漏れ聴こえる歌声に変わりなく、安心。
まだ時間があったのでcoconのダイニングで牛蒡と山椒と茸の和風パスタ。まあ、こんなもんか(牛蒡おいしい)。6時を過ぎてダイニング店内に明かりが一斉についたとき、降りやまない雨のガラス越しの情景が真っ黒になるかと思ったが、そうはならず、奇妙な感じにちょっとうっとりとなった。

さかなをshin-biで観るのは二度目になります。今回のライブは、初期4枚のアルバム(「マッチを擦る」「水」「夏」「ワールドランゲージ」)をリマスターしてまとめた「initial work collection 1990-1991」の発売日ということもあって、MCでも、林山人さん在籍時の思い出がポロポロ流れ出していた。

initial work collection 1990~1991

initial work collection 1990~1991

西脇一弘さんが、「initial work collection 1990-1991」のジャケットのアートワークの中のODDな雰囲気の三匹の動物を指して、「(当時の僕らは)それくらいヨワい感じの三匹だったよね」と言ったときは、当時のライブを見たこともないのに、なぜかグッとくるものがありました(ちなみに、フクロウがPOCOPENさんで、キツネが林山人さん、牛が西脇さんかな、とのこと)。山人さんは健康サンダルを履いていながらにして一番お洒落だったとか、客席には林さんが作った服を着た女の子がいたとか…代々木チョコレートシティの時代なんだよな…と客席で独り感慨。そして先日のライブでは、外山明氏がドラマーで乱入なさったとか!ふちがみとふなと外山明氏との共演DVDがあるくらいだから、腑に落ちますが、林山人さん、POP鈴木さんを継ぐ「さかな」ドラマーとして、ハーヴェイ・ミルクの台詞じゃないけど「リクルート」してみたい…(できるものなら)。
もちろん、MCだけでなく、「マッチを擦る」から2曲「日曜日」「太陽」を演奏、というプレゼントもありました。「太陽」は大幅に歌詞が変えられていて、あのキュートな「クワッ、クワッ、クワ〜♪」がなくなっていた・・・けれどいい歌詞だった。
マッチを擦る

マッチを擦る

ここで僕も想い出噺。
「マッチを擦る」を買ったのは高校生の頃で、初めて東京に行った片手には当時(なんか「当時」ばっかりだな)まだ「ぴあ」と拮抗していた「シティロード」があって、そのアルバム選の中に、チョコレートシティというライブハウスが自主制作したというほとんどパウル・クレーがジャケットを描いたんじゃないのかというようなアルバム「マッチを擦る」が載っていたのでした。僕にはこのアルバムがとてつもなくアンダーグラウンドなもののように思えてドキドキした。その印象は、そのころの「さかな」についてならある程度は真実で、そのあと「光線」や「ポートレイト」といったアルバムで「歌」が際立ってくるにつれて、嬉しい方向に修正されていった。
そのあと世紀が変わる頃に、一年だけ東京の目黒で部屋を借りていたとき、この目黒のスタジオで、「水」が録音されたのだなあと、多分2回くらいは感慨した(けど、そのスタジオを探すようなことはなかった)。
まだ、とても僕の頭が柔らかかった頃に、このアルバム(そしてその次の「水」)を聴いたので、アルバムの中のどんな音も、くっきりとDNAに刻まれている(と思うのです)。ソニック・ユースが「DAYDREAM NATION」ツアーをしたように、「さかな」も「マッチを擦って水、夏、世界言語」ツアーをやってほしいのである

初期さかなの4枚は、当時ヤング・マーブル・ジャイアンツのような(聴いたのは最近)ミニマルアシッドフォーク(そんな言葉はなかった今つくった)のように聴こえ、次第にバンドブームのから騒ぎに収束していく音楽シーンからは隔絶の気分を味わえたのだけれども、それはもちろん浅い聴き方だった。このころの音楽のケミストリーは特別で、単に引き算をしたのではない、簡潔かつ個々の曲に純然と音楽的雰囲気が真空パックされているのであって、4枚とも、ことごとくアルバムの味わいは異なっている、そういうことに最近気付けるようになった。「さかな」史上、埒外感すらある、アンビエント実験作「ワールド・ランゲージ」だって、今聴くと深い意味で「うたもの」として聴こえる、といったら、また言い過ぎですか?
アンコールには前回のshin-biでも演奏した2曲「ロッキグチェア」と「ミス・マホガニ・ブラウン」を。嬉しい(前回ロッキングチェアを客席からリクエストしたのは僕です)。
自分の感受性と、併走するようにして(「さかな」の場合は「走」が「歩」になります)、存在してくれたバンドといえるものは、たぶん後にも先にも「さかな」とあとは「ソニックユース」くらいしかないだろう(でも日本のバンドじゃない)、という思いがある。そういうバンドのライブを観て「よかった」だのどーのこーのと書くのは不自然なことである(さんざん書いてきてますが)。本心としては、「彼ら」が今も、音楽してくれていることが一番大切な事で、それ以上は付け足しの感情なのだと思う。
それでも、あえて付け足すと、今夜は自分が、初期の「さかな」のアルバムについては割と言葉にしているのに、ここ数年の「さかな」の音楽については、言葉にしていないと気づいた。それで演奏を聴いている間、どんな言葉で表現できるのだろうと考えていたら、「太陽を見ていた目を閉じた後、瞼の裏にじんわり残る陽光の感じ」(それがずっと続く)というのが出てきた。「さかな」の音楽は、そんな光と闇のあいだにあるエアポケットでまどろむように鳴るので、どちらにでも踏み出せる。そんな感じを、僕は持っている。



花のノートルダム (河出文庫)

花のノートルダム (河出文庫)

ジャン・ジュネのデビュー作「花のノートルダム」を読み終わる。
まさか読み通せるとは思っていなかった。意外と物語として筋があったのが発見。それにしても、「語り手」の架空具合が如何ほどなのかと勘繰ると面白く、どこまで獄中の若いジュネ「として」物語を綴ったのか(あるいはまったくジュネとしてか)。そういう意味でいって、本作が「小説」となっているのが興味深いところ。タイトルが、作中に登場する若い人殺しのことであるとは知らなかった。しかも、もうひとりの登場人物と意外な関係があったりもする。
この新訳と、初版の堀口大學による訳をあとで読み比べてみる愉しみがある。
ちょっとだけ。

―ディヴィーヌが言います。《わたしって、心が手の上にのっているのよ、手には、穴があいているのよ、手は袋の中に入っているのよ、袋はしまっているのよ、つまり心は奪われているのよ。》

これが、堀口大學訳(1953年)。そして、

―ディヴィーヌ、「あたしは手に心をもってるの、それに手には穴があいていて、手は袋のなかにあるんだけど、袋は閉じていて、あたしの心は捕らわれているの」

鈴木創士訳(2008年)。
フランス語を日本語に移したときの美しさということでは、たぶん、今も昔も堀口大學に軍配があがるのかもしれないが、鈴木創士氏が訳者解説で書くように、ジャン・ジュネのテクストの主要成分は、たぶんセクシュアリティやエロティシズムではなく(そんなもの、個人の身体以外のどこにあるというのか)、登場人物のあらゆる些細な「身振り」を、キリストの磔刑のような啓示クラスのものとして、夢幻的に思考してしまう書き手ジュネのエクリの連鎖なのだろう。エドマンド・ホワイトの「ジュネ伝」の、下に引用するくだりを読んでからは、特にそう思うようになってもいたので、思考の輪郭とスピード感という意味では新訳もいいのかな、と。

フランスでジュネは、初期のゲイ解放運動の出版物に名前を貸したことはあったが、ゲイの権利のための闘いは、彼の課題の優先リストのなかで決して高い位置を占めなかった。一九八三年のインタビューで、自分が小説を書いたのはゲイの権利を推進したり何か他の政治的大義のためでは決してなかったと強調している。「私はゲイの解放のために私の本を書いたのではない。私が本を書いたのは別の理由から――言葉への、コンマへの、句読点への、文章への嗜好からだ。」芸術的革命と政治的革命は同時には起きない、革命的な政治的メッセージはしばしば因習的でアカデミックな文体で表明されるとジュネは指摘した。
――エドマンド・ホワイト『ジュネ伝』下巻 p.225

上記の引用で、とても重要に思えるのは、芸術的革命と政治的革命云々ではなくて、ジュネ自身の言葉で創作のモチベーションを、言葉への、コンマへの、句読点への、文章への嗜好からだと言明しているからだ。
皮肉な表層を越えて、このジュネの言葉は真実といえそうなものを確かに含んでいるように思え、それこそが、ジュネの小説(戯曲は読んだことがない)のゲイ小説としても、犯罪小説としても、結局は座りの悪い、結局のところ「文学」としかいいようのないエクリチュールになっている原因なのではないのか、と。


港

音楽評論家の湯浅学氏のサイケデリック・バンド「湯浅湾」のセカンド「港」がアマゾンから届く。5年くらい前に難波のベアーズで「突然段ボール」そして「オシリペンペンズ」と共演している「湯浅湾」のズブズブサイケで思わず自分もミミズになってお尻の穴に歯が生えてくる錯覚を楽しんだのですけれど、その時からはメンバーが変わっているようで、このアルバムははっきりと「歌」を押し出している、といってもごり押しではなくて、60年代のアメリカのクイックシルバーとかあの辺り(アバウトですんません)のまったり感の中で、湯浅氏の怪しくも頓知の利いたリリックが冴えている。
昨今、「名盤」の誕生は、とてもさりげない。