みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

ウィルキンソン・ブラザース(w/たゆたう)@京都・磔磔

nomrakenta2009-03-02


この土日のことです。

土曜日の瀧道のかえりに、西江寺の付近を通りかかったら、梅が咲いていたのです。
空中からぽろぽろ吹きこぼれてきたピンクの泡が、かろうじて枝につかまったような感じでした。
駅前の「ママス&パパス」に髪をすいてもらいにいったらば、店長が替っていました。これで3年くらい同じ店に通っていますが、新しい店長は二人目です。異動が激しいのですね。

昨日・日曜のことです(以下、ポメラで書いていたので、調子が変ります)。
阪急河原町駅に着いてからデジカメを忘れたことに気がつく。ま、いいか。
久々な磔磔に6時にたどり着くと、4人くらいしか人がいない。中に入ると、チラシ類といっしょにアンケートを渡された。ウィルキンソン・ブラザーズがつくったアンケートのようで、本日の演奏予定曲順が丁寧にも印刷してあって、感想をどうぞ、と書いてある。珍しいのでおもしろい。
お客は、京都のひとが多いようで、ぼくのそばの一団は、「ほんとに久しぶりやね」とか言い合っていた。はなしにみみをそばだてるでもなくビールを呑んでいると、ウィルキンソンが3年半前に、最後に京都でライブをしたのもこの磔磔だったらしいことが判明。京都のバンド、なんだなあとわけのわからない感慨を得る。

■初見「たゆたう」は女の子デュオhttp://tayutau.info/profile.htmlで、ギター&Voとヴァイオリン&鳴りもので、フォーキーだけども、音響系とでもいえそうな響きがある(とはいえ、我ながら「音響系」の使用には手抜き・考え足らずを感じずにはいられません)。演奏は、ほんわりした、まさに「たゆたう」よなアコーステッィクで、にしもとひろこさんのギターと歌に、イガキアキコさんのヴァイオリンや鳴りものが共鳴りする。ヴァイオリンが時折、キュイキュイッとジョン・ケイルみたいに弾かれるのにグッときた。ひなたぼっこのように開かれていながら、薄闇のなかの幻のようにも思える。
短い時間だったけれど、印象に残ったシーンが二つあった。
ひとつは、ある曲(恒例らしいが)の途中でゼンマイ仕掛けのおもちゃをお客にくばって演奏と一緒に鳴らすように勧めたところ。演奏自体のなかで客のおもちゃの音がうまくからんでいたとは思わないけれど、こういうのはその雰囲気自体がたまらなく、愛しい。ちなみにこういうパフォーマンスは、ローランド・カークが客にホイッスルを配って「ヒア・カムズ・ザ・ホイッスルマン」を演奏したアルバムを思い出す…。
ふたつめは、ある曲のはじまりで、ふたりが鳥の鳴きまね(これがとても真摯な感じでいい)をしていたら、お客のなかから鳴きまねがかえってきたこと(といっても、男性だったためかそのあと犬の鳴き声になってしまった)。ふたりにとってはアクシデントみたいだったが、場の雰囲気がたまらないほどいい感じ、でした。
CDを買ったら、歌詞カードをくれた。

いちにちのながさを、はなうたできめる。

いちにちのながさを、はなうたできめる。

アルバム・タイトルが、そのままこのデュオの雰囲気を表現しているかと。一曲目は「フェイヒーの午後」。フェイヒー…いいなあ。
Requia & Other Compositions For Guitar Solo

Requia & Other Compositions For Guitar Solo



■アヴァンで無国籍でチェンバーなトリオ、っていうのがウィルキンソンのイメージだったのですが、ライブをきいて、「風景の見える音楽」というかつての惹句に嘘がなかったことを認識。
大昔のエントリー→http://d.hatena.ne.jp/nomrakenta/20061112
ウィルキンソン、という音のプールがどこかにあって、そこからくみだす、というより、そこに向かって新しい音をギターが、コントラバスが、ピアノが、アコーディオンが投げ込んでいくという感じ。
曲は主に、キヨシさんがリードしていく感じだったが、古太郎さんのいい感じにプログレかつデレク・ベイリーな瞬間も散在していなくもないエレキと、「ふちふな」とは趣異なりアトモスフィアに徹した船戸博史さんのコントラバス(とはいえ、コントラの首ギリギリの部分をピキピキと演奏されたときは、ハッとした)が、ウィルキンソンの音楽を拡充していた、というより、その広がった空間が、ウィルキンソン・ブラザースなのだった。
「幻の湖をもとめて」(ヘディン?!)とか「泉の園」とか、ウィルキンソンの曲名はまさに「表題音楽」な雰囲気を醸すのだれど、ウィルキンソンの音楽を聴くことは、言葉の情景と音楽の情景との心地よい乖離を味わうこと、なのかも。
「親が死んでも踊る道化師」という曲名に、CDで接したときちょっとびっくりした覚えがあるけれど、生で聴いた曲は、暖かく、それは道化師だけの踊りではなくて、街角全体がまどろみの中で踊っている様子のようであり、死んでいるのかどうかは問わないけれど親もたぶん一緒に踊っているのだと思った。
「大陸から来た人々」アルバムの1曲目が聴けなかったのが唯一の心残り。

以下、曲順。
1幻の湖をもとめて
2猫が来た
3滴朝日に泥濘枯松葉
4親が死んでも踊る道化師
5四次元よりの訪問者
6泉の園
7異国の地にて
8赤信号で渡る老婆
9何事もなかったかの如く
10君を前にすると言葉も出ない
アンコール大陸から来た人々

会場では、昨年末のムジカ・ジャポニカでの告知の通り、昔の秘蔵音源のCD-Rが販売されていた。94年くらいの音源らしく、音はとても良い。曲もたぶん、代表的なものは入っているのかな、と思う。特に、ライブではやらなかったマイケル・ナイマンを思わせる軽やかな名曲「大草原にピクニックそして冒険」が入っているのがうれしい。ちゃんと聴いてみると、この曲、ピアノ・アコーディオン・ベース・ギターの編成になっているようなので、ピアノとアコーディオンのキヨシさんに腕が四本なくてならないことになるわけで、トリオのライブでは不可能だなと思いなおすわけでした。