みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

Antony and the Johnsons『The Crying Light』を聴く

前作『I am a Bird Now』を視聴機で聴いてもあんまりピンとこなかったことしか覚えていないのですが、昨年末にこの映像を見つけてしまい、それからはニュー・アルバムから聴き始めるのだ、となんとなく決めていた。

ルー・リードとのデュオ。
リードのヴェルヴェッツ時代の名曲『Candy Says』(VU唯一のセルフタイトルアルバム『The Vevet Undergroud』別名『Ⅲ』に収録)をアントニーが見事に歌い切っている。
クローゼットの中で録音されたかのようなアルバム『Ⅲ』の中で囁かれる歌の数々は、いくらルー・リード自身がソロのキャリアで何度も振り返っても、なにか取り返すことのできない、憂いというのか、暗い艶を湛えていましたが、このアントニーの唄いっぷりこそ、『Ⅲ』の世界だったのだと思う。
その証拠に、コーラスとギターでサイドを努めつつ、終始「こいつはなんて唄を歌いやがるんだ、ちくしょー」とでもいっているように見える幸せな呆れ顔のルー・リードに、皆、克目すべきである。

そこで、アントニー新作。

Crying Light

Crying Light

まさに『Ⅲ』の世界を、そのまま引き取り、深く、そして今に開いている。自分にはそんな偏った聴き方しかできないし、それ以外の聴き方を、とりあえずするつもりには今は全くなれないほどに、その聴き方にどっぷり浸り切っている、います。
舞踏家・大野一雄の深海にゆらめく崩れかけの花のような(?)ポートレイトが、CDを手に取る者に、深く静かな衝撃を与える、その感触のそのままの音楽かと。
「儚さ」と書くと、その安易さに甘えてしまうことになるので、もっと直在にここは「弱さ」といってしまっていい「うた」のあり方、一旦その中心に触れてしまうと、あとはその表現としての広大さ・強靭さに浸されていってしまう。
演奏は、世界の粗暴さや短絡を一切近づけず、繊細さを感情の深さと両義性を「物語」を、この「うた」は、諦めない。
Velvet Underground

Velvet Underground