みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

はしるな、あるけ:柳家花緑『落語家はなぜ噺を忘れないのか』、インクリディブル・ストリング・バンド『Earthspan』

nomrakenta2009-01-23


「はしるな、あるけ」って、
スローライフってことなのだろうか。
急がば回れ」ってことでもないような気がする。
同名のインスト曲が醸す時代の記憶には、
僕はまったく縁のない世代です。



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年末に買っておいた新書の一冊に、柳家花緑さんの『落語家はなぜ噺を忘れないのか』がありました。

じつは僕は、この柳家花緑さんの落語を観たことがないという不心得者なのですが、世紀が変わる頃から、ちくま文庫の『桂米朝コレクション』をポツポツよみはじめて、自分の性格に起因する「話し難さ」のしんどさから、落語を読んでいるときだけ楽になるよな気分を頂いてはいたのです。
「読んでいるとき」だけと書いたのは、テレビなんかで落語を観ていると、自分はまだ、落語家さんのパフォーマンスが眩しくて、情報過多なんです。噺とか語り口にフォーカスできないときがある。

今にして思えば、自分の自覚として足りなかったのが「話すこと」ではなくて、話す「方法」だったということ、むしろ話す「方法」が話すことになること、ひとに何か伝えれるものというのはもちろん実体があるわけではないのだから、むしろ自分の「方法」を伝えるやりかたも切り口としてはありなのだ、という事に、気づかせてきれたのが落語なのかなと思います。

で、そもそもど素人で話ベタな人間としては、噺・語りのおもしろさはもちろんですが、本書のタイトル通り、どうして10分超えるような話を忘れないのか?ということが常日頃素朴な疑問としてはありまして、ですから、本書を購入したのも、タイトルそのものに「同感」の意味で一票、みたいな心持だったのです。

読み終わって感じるのは、軽妙な調子以上に、落語という方法論そのものを読者となんとか共有しようという、花緑さんの真摯な態度でした。「なぜ忘れないのか?」という問いに対しては、とにかく噺を身体に染み込ませるようにして憶える、はじめは「丸々コピー」し「覚え方を覚える」、そして噺の細部と情景を自分の体験と絡めさせて「立体的に覚える」など、本書の前半で主に集中的に答えられています。落語家という職能のひとびとが何も特殊な能力をもって産まれてきたわけではなく(もちろん天才はいらっしゃると思いますが)、何かを覚えるときに人が誰しも通る泥臭い/汗臭い過程を潜りぬけていくのだ。暗中模索で漕ぎだして、やがて「方法」そのものを生きることができるようになる、という内容に、勇気づけられる面もあります。

とはいえ、噺のちょっとした「間」、会話のセリフの間の一呼吸をいれるかいれないかひとつで噺の情景が見えなくなってしまう、とか「リアリティよりもらしさ」だとかの表現が、噺の世界にお客を引き込んでなんぼの厳しい芸の世界で鍛えた生々しい感覚があってこその部分だと思いますし、落語は「序・破・離」だ、とか素人には感覚的にちょっと難しいと思える部分もあります。要は、本書は、落語家としては、ありえないほどに、手のうちを明かし切っている、京極堂の主人ならば「この世に不思議なものなどなにもないのだよ」と言っているに等しいことをしている本であるからこそ、「語る」方法のプロフェッショナルの凄味を感じさせてくれるものになっていると思います。
巻末に全編収録された柳家花緑版『笠碁』が秀逸。本書の方法論の実例として、さらに立体感が感じられました。

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先日、Iさんとミナミをレコ屋めぐりをご一緒させていただいた時に『○か×』で見つけたインクリディブル・ストリング・バンド(ISB)のアルバム。

Earthspan

Earthspan

学生のころにはじめて聴いたISBのアルバムで、有名な「首つり役人の美しい娘」やサイケ時代の初期アルバムを聴いたのはもっと後になってからでした。でもなぜか手放していた。
ジャケットのメンバーの写真が何かこの世のものではないような気がしたのと、リリース年が自分の生まれた年だというのも特殊な感慨の要因のひとつなのは間違いないですが、音楽そのものが美しい。ゆったりとしているようで、目まぐるしく転調する、そのどれもに万感の想いを重ねることができる。
「Sunday Song」や「Seagull」なんていう曲が漲らせている感情には、ビートルズのどんな曲も、比肩していないと個人的には思うのだ、と一度書いてみたかったものです(書きました)。
ISBのサイケ時代のドロドロ具合も好きですが、やはり最初に体験したこともあってか、アイランド以降、楽曲に明瞭さが出てきたあたりが好きみたいです。思えばノイズや現代音楽のアナーキーな部分に徐々に嵌りこんでいくなかでも、このアルバムの音楽はすんなりと耳に入り込んできた。そんな思い出があるからかも。