いくつかの環状島を、音楽がななめにつないでいると、かんがえてみる。:平井玄『千のムジカ』、ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』、宮地尚子『環状島』
平井玄の『千のムジカ―音楽と資本主義の奴隷たちへ』は、「ミル・プラトー(千の高原)」から本歌取りされているのであろうとは誰もがすぐさま納得できると思いますが、個人的には、書店で見かけた瞬間、副題の『音楽と資本主義の奴隷たちへ』に正直、後退りしてしまいました。自己分析してみると、どうやら、まず第一に自分が「音楽と資本主義の奴隷」そのものであるに間違いないという思いと、第二に、それでは著者は「そうではない」とでもいうのであろうか?という疑問でした。しかし、後者のやや子供っぽい反駁は、内容を読むにつれて気にならなくなり、つまるところ著者ご自身があとがきしている通り、

- 作者: 平井玄
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2008/10/24
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「音楽と資本主義の奴隷たち」とはまず第一に自分自身のことなのである。自分は自由の身ではないこと。音楽に対しても、この世界に対しても。それでは一体、どのような奴隷なのか?そして「主人」とは誰なのか?
――平井玄『千のムジカ』あとがきより
ということであり、それでこそ本書に集められた文章に込められた不安感、とそれをなんとか潜り抜けて「音楽」が響く場所へ辿り着こうとする期待感が、読者と共有され得るものにもなっているのだと思います。実際、前作の『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』よりも、個人的にはその危機感≒期待感が、より腑に落ちてくるように感じます。とくに、ジョン・ゾーンのマサダにあてた長文の章「マサダ/音楽のディアスポラ」と、エドワード・サイードからチャールズ・ミンガスに激しく反幅しながらD+Gの「リトルネロ」とオーネット・コールマンの不安定に脈動する旋律まで突っ切っていく冒頭の「ドゥルーズ/サイード/マルクス 音楽と資本主義」は、本書の白眉。「後ろに向かって前へ聴く」は、歳時的な構成になっていて、それぞれ読み応えあり。
反則的に付け加えると、「リトルネロ」に関してだけいえば、市田良彦『ランシエール 新<音楽の哲学>』の第三章「鳥たちのブルース」の「2 リフにはじまる」を読むのがいちばん良いかと思います。本書は「ランシエール哲学」の解説書でありつつ、ロバート・ジョンソン、裸のラリーズ、遠藤みちろうまでをも論じてしまう稀有な書物でもあります。

- 作者: 市田良彦
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前作ではチャーリー・パーカーとアイラーが著書全体を通じての基本旋律だったのが、本書ではミンガス、オーネット・コールマン、クレズマー(ジョン・ゾーンを含む)に置き換わったような印象もあって、そこが個人的なジャズ・リスナー歴に相当する部分が多かったので、それも、本書によりすんなりと入っていけた理由のひとつでもあるのでしょう。
で、前回のDJスプーキー著『リズム・サイエンス』との共通点、ということで前回のエントリーを終えてましたが、それは、両書ともが、以下の、チャールズ・ミンガスの自伝『敗け犬の下で』の書き出しを引用してみせている点、だったのです。
つまり、俺は三人なんだ。一番目の奴はいつも中心にいる。頓着せず、動じず、見守り、あとの二人に視たことを打ち明けられるまで待っている。二番目の奴は襲われる恐怖から逆に攻撃に出る。不意を衝かれた野獣のような男だ。それから三番目の奴は愛し過ぎてしまうやさしい人間、自分の存在の内奥まで他人を入れてしまい、侮辱を甘受し、信じこんでろくに読みもせずに契約書にサインし、口車に乗せられて安売りやタダ働きをし、どんな破目に陥ったかに気づくと、今度は逆に周りの何もかも―大馬鹿な自分もひっくるめて―撃ち殺し、打ち壊したくなる人間だ。
――チャールズ・ミンガス『敗け犬の下で』――平井玄『千のムジカ』から孫引き

- 作者: チャールズミンガス,ネルキング,稲葉紀雄,黒田晶子
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では『リズム・サイエンス』ではどうなのかというと、

- 作者: ポール・D.ミラー
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DJカルチャーは単に技術的に複合体/多様体というだけでない。そこには個人のアイデンティティにまつわる全ての問題がある。
――ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』p.73
という文句ではじまる「多重意識」という章で引用されています。
ここでDJスプーキー(ポール・D・ミラー)は、ミンガスのなかの三人という告白を、
ディボイスの「二重意識」
(「アメリカ人であり、黒人である―彼はつねに自己の二重を感じるのだ。一つの黒い身体の中に、二つの魂、二つの思考、二つの相容れない希求、二律背反する理想…」
のあとにくる「三重意識」として捉えていて、この「三重意識」とは、ここからは僕の推論ですが、おそらく①アメリカ人である、②黒人である、に③音楽家である、を加えた段階として捉えられていて、論旨的には、21世紀を生きるDJスプーキー自身の時代の音楽家は、少なくとも上記①〜③に、④技術・情報リテラシー、が付け加えられることになる、ということになるのかと。
つまり、両書ともミンガスのこのオープニング・ステイトメントを、国家的、人種的、職能的…と否応なく複層化・多重化していく音楽家のアイデンティティの表出の、アーティスト本人による告白というかたちをとった好例として位置づけていることに共通しているわけで、時代も国も異なる二人の論者の視点から挙げられているあたり、そしてミンガスが残してきた録音が、今の耳にも十分に強靭に、そして繊細に鳴り響くことからしても、おおかた異論はないのではないか、と僕には思われます。
そしてもちろん、「僕らには、ミンガスが必要なんだ」。

ぼくたちにはミンガスが必要なんだ (植草甚一スクラップ・ブック)
- 作者: 植草甚一
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ちょっと収斂してきてしまったので、ここでやや脱線してみると(といっても両書とも大まかにいって文化圏の真っただ中にいらっしゃるので脱線でもないかと思いますが)、どこかに上のミンガスのことばと似たような感触のセリフがあったよなあ、と思ったら、これでした。
われわれは『アンチ・オイディプス』を二人で書いた。二人それぞれが数人であったから、それだけでもう多数になっていたわけだ。
――ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『千のプラトー』p.15
あまりにも有名な序章「リゾーム」の書き出しの一文です。

- 作者: ジルドゥルーズ,フェリックスガタリ,Gilles Deleuze,F´elix Guattari,宇野邦一,田中敏彦,小沢秋広
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なぜなら彼らには(ドゥルーズ+ガタリ 引用者注)資本主義の分裂症、悪いパラノイアという観念があり、それが良い革命的な分裂症へ爆発すると考えているからです。しかし、思うにドゥルーズとガタリは、狂気を、ある種の擬似−精神医学的に称賛することに危険なまでに近づいているのではないでしょうか。狂気とは人々が苦しむひどく恐ろしいものであり、そしていつも思うのですが、狂気のなかに解放的次元を試したり、見出したりするのは間違っているのです。
――スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』P212-213

- 作者: スラヴォイ・ジジェク,清水知子
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けれども、上記のような多重性と分裂は、文化的な論点と必対処の要件として、きっと線引きしなければ視界が冴えることはないのではないかなあと、今は思うようになった。
ここでの必対処の要件というのは、それは単に「分裂している」とだけ言って済まされるわけもなく、例えばそれは、宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』で丁寧に説明されているような抜き差しならないくせに常態化し、空気そのものにさえなってしまっている状況そのもののことなのでなないかと思われます。
おそらく。
一つの事件や一人の人の体験についても、いくつもの異なるイシュー化のあり方があり、同時に複数の異なった環状島を想定することができること。そして、ある環状島においては被害当事者同士だった人が、別の環状島を想定すれば、被害当事者と支援者になったり、被害者と潜在的敵になったり、潜在的敵と被害者が逆転するなど、二人の位置関係が簡単に、かつドラスティックに変わりうるということ。環状島の上ではつねに被害や生きがたさの重さ比べが起きてしまうこと。これらのことを冷静に、また丁寧に考えていくうえで欠かせない概念がある。それが「複合的アイデンティティ」という捉え方である。
複合的アイデンティティとは、ひとりの人間がさまざまな属性や帰属集団、さまざまな役割をもっていて、アイデンティティを一つにくくることはできない、という捉え方である。人は皆、いくつもの集団に帰属し、同時にさまざまな役割を担っている。現代社会においては、帰属集団や役割の多層性も増し、場面場面で自分が異なるふるまいをせざるをえない状況が常態化している。そのため、アイデンティティを単一のものではなく、ときには矛盾し、葛藤し合う役割の束のような複合的なものとして捉えたほうが、現実に起きていることも理解しやすい。
――宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』p100-101

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「環状島」というモデルは、大海に浮かぶドーナツ状の孤島で、ドーナツの内部は、トラウマの原因である「事件」に比される「内海」となっていて、「内海」(つまりトラウマの核心)から、被害者は島の内斜面を登る過程で開放に向かい、峰で自分の陥っていたトラウマ=内海の形をいくらか客観的にみることができ、外界から島の外斜面を登ってやってきた支援者・研究者と出会い、「外海」へと連れ出されることもあれば、また内斜面を「内海」へと滑り落ちていく可能性もあるとされてます。また、環状の丘を越えてやってきた支援者・研究者自らが「内海」へ落ちてしまうケースももちろんある、ということになります。
結論めいたものには実は上手く辿りつけてなくて恐縮なのですが、つまり可能性として音楽は、『千のムジカ』や『リズム・サイエンス』でのミンガスの引用から敷衍されるように、複数の層が重なり合う意識≒文化≒言語の軋轢の火花のようなものとして知覚されるのかもしれないし(その場合、アーティストと市場、その双方からの「芸術化」の過程の幸福な結合が、そこにある)、あるいは『千のムジカ』でも、「パラレルとパラドックス」という章で紹介されているエピソードで、ブエノスアイレス生まれのユダヤ移民でありイスラエル人の指揮者ダニエル・バレンボイムとエルサレム生まれのエドワード・サイードとの試み ― ドイツのワイマールで、イスラエルを含む中東の各地から若い音楽家たちを集めてひとつのオーケストラを作っていこうという共同プロジェクト ― に描かれるように、いうなれば複数の(時には激しく対峙すらする)「環状島」同士が共有し、そこから同時に複数のドアが(どこに出るのかは通る者次第)出現し得る場所、そのものでもあるのかもしれないし、あるいは、回復しがたい程に「ねじれの位置」関係にある「環状島」同士を、短い時間だけであっても、ななめに繋いでみせることができる唯一の方法として、ある種の音楽は、「音楽と資本主義の奴隷」である僕たちの耳に響いてきているのかもしれない、と想像してみます。
それから覚えてて―ジョージ・クリントンが何年も前に言ったように……
思考しろ! それはまだ違法じゃない!
――ポール・D・ミラーも『リズム・サイエンス』著者あとがきより
ガレー船の船底だからこそ聞こえる、遥か遠い大洋を渡ってくる音がする。そういう低く鈍い物音を聴き分ける「聴取態勢」や「思考態勢」の転換が必要とされているのである。陸の上で騒めく声たちを操るのは容易いだろう。魂を洗浄してくれる澄み切った声ではなく、海の底を流れ逆巻いている濁った音を聴きたい。
――平井玄『千のムジカ』あとがきより
下記、本文に関係あるというより、書いている間に聴いていた音楽です…。

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