みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

雨の中のいきもの2、ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』

nomrakenta2008-11-09


 電熱の簡易なアロマ・キャンドルをプレゼントされたのですが、香油を持っていませんでしたので、何を、というのは無いのだけれど、せっかくくれるなら香りのひとつもつけてくれたらいいのにとボヤきつつ買いにいきましたら、エッセンシャル・オイル棚は途方もなく大きくて、通路の両脇、床から天井まで大小の壜が詰めこまれ整然と並んでいて、最初のいくつかはラベルを読んでみたりもしましたが、すぐに判断は停止状態になってしまって迷子みたいな気持ちになってしまいました。
 日曜の昼間というのに、ここでオイルを選ぶ客は疎らで、僕のようにあからさまに初心者という人はどうやらおらず、小壜の蓋を空けてクンクンとひと嗅ぎふた嗅ぎして確かめると、すぐに手元の籠に放り込んでしまうか、通りかかった店員を呼びとめて、僕にはわからない種類の単語で壜の中味の液体の話をしています。店員も真剣かつ要領を得た無駄のない執事めいた態度でそういったお客の対応をしていて、まったく右も左もわからないような僕のことばなど、到底届きそうにありませんでした。
 そうやって訳知り顔のお客や、自分の説の正しさを証明しようとする店員さんたちによって、少しずつ様々な香油の蓋が、開けられては閉じられますので、それぞれが一瞬のことであったのだとしても、エッセンシャル・オイル売り場は何種類のもの香りが眼には見えない犇めき合いを演じているのは確かなことで、次第に僕は、読んでもわけがわからない壜のラベルの文字や、そういった判別し難い香りの混濁に、フロイト先生なら「不気味」と呼びそうな酔いを感じてしまうのでした。
 もう何も買わずに退散しよう、そしてプレゼントは悪いけれども突っ返してしまおう(そのときまでにはもうキャンドルをくれた人の悪意すら感じてしまいそうな勢いだったのです)と心に決めて踵を返そうとしたときです。
 子供の小さな親指のようなサイズの壜に、ラベルに何も書いていないものが棚の端にあるのを見つけました。なぜだかどうしても気になってしまった僕は、勇気を出して店員さんを呼び止めて、この壜に入っているのは何の香りか訊いてみました。店員さんは、思ったほど冷たい人ではなく、いえそれどころかとても親切な表情をする人で、しばらく何の香りだったか思い出そうとするような仕草のあとで、ああ、これは、と微笑んでそしてこういいました。
 これは雨の匂いです。
 店員さんは、たしかに「香り」ではなく「匂い」といいました。僕はたとえこのオイルがどれだけ高価でも買って帰ろうと思い、クレジットカードを出すために肩から提げたカバンを手元に手繰り寄せました。そういう夢でした。




             * * *




最近、青土社から出た音楽関係の2冊を読んでいました。一冊は平井玄『千のムジカ―音楽と資本主義の奴隷たちへ』で、もう一冊はポール・D・ミラーの『リズム・サイエンス』。
平井玄の『千のムジカ』についてはまた後日書くとして、今日は『リズム・サイエンス』です。ポール・D・ミラーという著者の名前に聞き覚えがなければ、「DJスプーキー」ではどうでしょうか。DJ Spooky a.k.a. that Sublininal Kid。これでも聞き覚えがなければ、この本のポストモダンちっくに衒学的な調子はもしかしたら耐えがたいものかもしれない。などと、ちょっと心配したくもなる程、領域横断的な、刹那的で遊戯的なケレンに満ちた語り調の文章で、著者自身もその出自を隠そうとはまったくしていないのですが、サンプリングやコラージュといった自己の音楽手法の正当性に関しての揺るぎない確信については、「地域(Districts)」と題された文章からも伝わってきます。

リズム・サイエンス

リズム・サイエンス

例えばミックス・テープが偉大なコミュニケーション・ツール及び表現メディアだった時代について(DJ Spookyはミックステープの作者としてポール・D・ミラーによって創作された)、

人々はそれらをコピーして回した。それは絶え間なく進化するネットワークの世界で、口承文化が作用するやり方だった。それは全て、即決を要するゲームの中の関係構造ってことだ。口コミ―文化の中でのカセット、今ならCD−Rの循環(流通)を、きみはアンダーグラウンドのサーキットのようなものとして、音の地下出版物として考えなければいけない。ミックスをオーディオのフィクション劇場にするために存在する声色がある―ミックス・テープは大胆であると同時に詳細な、綿密で理性的であると同時に感情的に議論される、大規模な歴史の作品なんだ。ミックス・テープは忘れがたい絵を描く―陰謀家に哲学者、夢想家、虚無主義者、それにほとんど何についてもただライムする人たちであふれた絵。それは何でもありな近代世界の視差による眺め(パララックス・ヴュー)だ。単純なことさ。実際にはぼくはまだ根っこでは一人のアーティストでもの書きなのだが、「DJ Spooky a.k.a. that Sublininal Kid」は「Paul D. Miller」をポップ集団のメンバーとして定義するようになった。このことはぼくに多重意識のスリルと危険を激しく―しかしポジティブな側面から―自覚させる。言うまでもなく、「DJ Spooky」が出現する瞬間は今でもぼくらと共にある。
――ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』p.54-55

大学でカントやヘーゲルフォイエルバッハを学んだポール・D・ミラーと、その創造物である「DJ Spooky」の、或る種健康的な乖離具合が垣間見れて興味深いところです。たとえばこれが「伝統的」なロックバンドだったりすると、バンドが売れてグルーピーなんかもついて忙しくなっても、各メンバーの個人性自体は担保できたりするのかもしれませんが(よく知りませんが)、「DJ Spooky」の場合は、そんな状況を分け合うようなメンバーはいない。あくまでも自分(ポール)がミックスしたテープのラベルに書いてみた名前が「DJ Spooky」なのであって、かといって「DJ Spooky」とポール・D・ミラーを等線で結んでしまうのも、おかしい。「DJ Spooky」がアーティスト人格として一人歩きしていく様を眺めているのは、コンセプチュアル・アートをやりながらポップ・カルチャーの構造を知っていくうような過程だったのでしょうか。
ポストモダン」文化の凋落についても、アラン・ソーカルの『知の欺瞞』に詳しいような状況をしっかりポストモダンの側の経験として言葉にしているのが逆に信頼できる。

一九九〇年代初頭、コラージュや照合文化の類いは、ブラウン大学記号論学部やニューヨーク大学のアンドリュー・ロスのアメリカン・スタディーズ・センターといったような場所で最高潮に盛り上がっていた。だがその一〇年が終わるまでに、ブラウン大学記号論学部はもはや存在せず、ロスは「ソーシャル・テクスト」誌の「サイエンス・ウォーズ」スキャンダルで―一九九六年、ジャーナルが物理学者アラン・D・ソーカルの悪意ある悪戯、「境界を侵犯すること―量子重力の変形解釈学に向けて」を掲載出版して以降―苦境に立たされていた。多文化主義の流行―アートと文化への異なるアプローチに対する敬意―にはブレーキがかかり停止しつつあった。二一世紀は出来悪くカットアップされたヴィデオみたいに始まった…何もかも度が過ぎていた。
――ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』p.55

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

 いかにも「ポ・モ」的な用語と論法で科学論文をでっち上げてそのあとその科学的根拠の無さを自分で公表、「ポ・モ」言説の科学的な出鱈目さを糾弾した「ソーカル事件」は、今からすると「さもありなん」な感慨しか湧かないものかもしれませんが、「コラージュや照合文化」に深く沈潜して遊泳していた若いポール・D・ミラーにとっては、突然目の前が暗くなり、進むべき道や、自分を待っているであろう活動領域そのものが消失してしまったような衝撃だったのではないかと想像します。それでも「DJ Spooky」はNYに活動の場を移し(父親の遺した遺産を食いつぶし)、住まいのガス・ステーションを開放してパーティーを催したりしながら、自分の「シーン」をポップミュージックの間隙に食い込ませていきます。それは「アンビエント」のカウンターという意味なのか、「イルビエント」という商号を伴ってもいました。

「イルビエント(ILLbient)」はニューヨーク音楽シーンの保守主義への批評として始まった。アーティストからプロモーター、評論家にいたるまで、誰もが「正当性」のことばかりだった。だが、全てが流動する政界の音楽スタイルの間に境界線を保とうなんて、ぼくにはクレイジーに思えた。だから、人々がヴァイヴを確かめることができるように、モノゴトをひっくり返す方法を見つけ出そうとしたんだ。ぼくはカレン・レヴィットという女性と、不確定性に基づいたイベント・シリーズを始めた。それは、ジョン・ケージナム・ジュン・パイクヨーゼフ・ボイス、アラン・カプロー周辺の一九六〇年代シーンの伝統、「ハプニング」に捧げるオマージュという意図だった。言うまでもなく、イルビエントのイベントに来るオーディエンスの多くはその歴史を知らなかったが、深いバックグラウンドなど必要じゃなかった。どのみち、九〇年代は六〇年代と違ったし、アヴァンギャルドという考えは時代遅れになりつつあった。人々は単に金を稼ぎたがり、自由に泳ぎまわれる自分たちの領域のための公共広場を作る別の方法を考え出したがったり…、まあそのくらいにしておこう。
――ポール・D・ミラー『リズム・サイエンス』p.57-58

あらゆる「伝統」に対してシニカルで表層的、そしてミックスの素材としてしか目を(耳を?)向けないというのが「ポストモダニスト」の戯画的印象ですが、そう簡単に「伝統化」や「古典化」の作法から人は逃れることができるわけではなくて、話はもっと複雑で、裏の伝統としてたとえば音楽のリミックス的手法ならばジョン・ケージの初期電子音楽があるし、不確定性ならば、ケージを通り越して現代美術の分野でマルセル・デュシャンの「音楽的誤植」を見出すことができる。自分をDJと同時に「もの書き」としても定義する著者にもういちど引きつけていえば、「作者の死」はポストモダン時代に始まったことですらなく、モーリス・ブランショの凍りついたようなアポリア文学論の中にすでに見いだせる。ちゃんと「伝統」というか、受け継ぐ「精神」のラインの延長線上に著者のDJ稼業は乗っていたのだと思えますが、そこでも「DJ Spooky」の存在の仕方は多重的で両義的だった様子。
実はこのあとで、上にあげた平井玄の『千のムジカ』との、ちょっとした共通点を見つけてしまったのですが、それはまた次の機会に。

Riddim Warfare

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