みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

白い蛾を逃がす×ブレード・ランナー(最終版)を観なおす

nomrakenta2008-11-07


帰宅後、焼酎を飲みながら『ブレードランナー(最終版)』(の廉価版)を観終わった11時過ぎ、煙草の煙を逃がすために少し開けていたとびらから、真白の蛾が部屋の白い明かりのなかに飛び込んできた。
乳白色のゆったりとした羽をパタパタ羽撃きするそいつを捕まえようとするが、こちらの手をうまくすりぬけて部屋の明かりのほうへと上昇と接近を繰り返す。ふと思いついて、部屋の明かりをひとつ暗くしてやると、思ったとおり、その途端に指向性を失って羽撃きが停滞したので、その一瞬に羽をつまんで、部屋の外に出してやった。

子供のころにはじめて観た『ブレードランナー』は、リドリー・スコットが妥協したデッカードハリソン・フォード)のナレーション入りで、説明的なラストカットがあるもので、当然、当時はそういう作品だと思ってみていた。
そのあと、デッカード自身がレプリカントである設定の可能性を云々する説(ユニコーンの夢)をきいて「そりゃないだろう」と思っていたし、そのあとこの廉価版のDVDを買って観たときも、さして印象は変わらないものだったと思う。

今日は、会社で世話になった方が突然退職を表明して、有休消化のため今日を限りに出勤しないということを知った。夕方5時頃に挨拶しようとフロアに来られたが、生憎現場はいつものてんてこまいで、誰もその方に応えることができなかった。そのあと、皆にお別れの挨拶がメールで届いたが、こんなときは本当にこれでいいのか俺達は、と思ってしまう。
思えば、その方に採用してもらったようなものだった。今の現場の流れを立ち上げる数年のほとんどのシステマティックな根幹部分と雑事を一身に引き受けておられたが、昨年の異動で、若手に運営は任せて、より管理部門へ近づいたのだったが、そこでどのようなやり取りがあったのかは、残念ながら事情が伝わってこなかった(管理は9F、私たち現場は2Fなので、文字通り人間も消息も「降りてこない」という表現を、わたしたちは好んだ)。

そして帰宅後みた『ブレードランナー』は、もちろんニュースを見るのもしんどくて、とはいえDISCASの新しいDVDを見るのにも気が進まず、単に何度も見直して角がすっかりとれた映像をぼんやり眺めたい、ということだけだったけれど、ずいぶん違う意味が読み取れた。
デッカードの見るユニコーンの夢、ピアノの前のやり過ぎ感すら漂う古びた写真、レプリカントに記憶を刷り込むタイレルのやり方への過剰な反応…あらためて見ると、デッカード=レプリ説については、少なくとも暗喩のレベルではしっかりと示唆されているのだと思えた。ただし、リドリー・スコットとしては、デッカード自身がレプリであるかどうかよりも、境界に立つ(レプリと人間の/映画と観客の)者の立ち位置から曖昧していくことで、物語全体を過去を持たず未来に伸びる時間も果てしなく限られているというレプリ的な世界観として震動させたかったのだろうと、いまは思える。そして、もちろん物語世界の共有を迫るのではなく、そこから弾かれていく共鳴や感想を、映画は切望し続けている。
昔は、酸性雨の降りしきるシド・ミードの書き割りと、デッカードが銃身の太ったブラスターを両手で構える姿が、何よりも格好いいなあと思っていたお馬鹿だったが、不気味な迫力としてのみ理解していたハウアー扮するロイの表情が、或る意味とても豊かで、実存的な部分を最も表出してみせていたのだということにも、やっと気づく(ロイだけではなくて、この映画はあらゆる脇役の表情がきっちりとこなされている)。酸性雨も珍妙な日本語(「誰か変なもの落していったぜ」)が反復される雑踏も、未来世界の小道具として必要だったのではなく、あらゆる人物の動きを、生き(行き)場のない現在として描くために必要だったのだ、とわかる。
いまどき『蟹工船』を読むよりは『ブレードランナー』のほうがいいんじゃないのかとも。

ブレードランナー 最終版 [DVD]

ブレードランナー 最終版 [DVD]

いまアマゾンをみていると、「ファイナル・カット」というのも出ているみたい。これはどんな編集に落ち着いているのかわからない。どっちみち、言いたいことがあまりに複雑すぎレトリックを貫通し過ぎていたら、己を「異本化」し続けるしかない筈であって、完璧な編集などというものには辿り着くことなどできないのではなかろうか。

異国の香り~アメリカン・ソングス

異国の香り~アメリカン・ソングス

カエターノがアメリカを歌い込んだ一枚。
「歌い込んだ」と書いたそばから穿ってみると、むしろ残心の態で色気たっぷりに「仕掛けた」と書いたほうがいいのかもしれない。その証拠に、あるバージョンの盤には、あのNO NEWYORKの、アート・リンゼイの「DNA」時代の「Detached」のカヴァーまでが、削除されずに納まっているのである。そういえば昔のアコースティックアルバムでも、マイケル・ジャクソンを織り込んで聴かせてくれてましたっけ。この人のアメリカとの距離の取り方は批判性の保持の仕方は、筋の通ったものがあるのだ。
Dna on Dna

Dna on Dna

DNAはティム・ライト時代がいいですね。

Pink Flag

Pink Flag

ああ、しかし。
どうしようもなくこの盤が落ち着くのは何故?
HOW MANY DEAD OR ALIVE?