みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

アメリカの貯木池、もしくは読みちがいもまた再読の糧:リチャード・ブローディガン『芝生の復讐』

nomrakenta2008-10-05


昨日・今日とずっと雨がしとしと降っている。
ざあざあではないので、心地よい。
このまま一週間くらい降り続けるのも悪くはない。
洗濯物が大変だけれども。

写真は一週間以上前の雨あがりに撮ったものなので、ちょっとずるい。ミドリは急速に秋に向かいつつある。


SUZMENBAは、京都のバンドらしい。
セカンドらしいですが、週末にK2で借りてからというものヘビーローテーションです。
何やら青臭いことをぼそぼそと唄っているらしいのではあるけれど、耳の前線から一歩引いたような素振りのフォーキーでエレクトロな音作りが個人的にはかなりストライクです。

enitohanicolte

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最近文庫化されたブローティガンの『芝生の復讐』ですが、10年ほど前は晶文社の単行本を持っていたのに、なぜか手放してしまっていた(同じように手放してしまったものに『バビロンを夢見て』があった。悔やみきれない)。

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

ブローティガンの日本での息の長い(たぶん)受容に大きく貢献しているのは、言うまでもなく藤本和子氏の翻訳で、おそらく原文ではかなり簡単な言葉で素気なく書かれているものが、藤本和子の写す日本語では『西瓜糖の日々』などで極まってみせるような透明な情感を湛えたものとして読むことを可能にしてくれていて、またそこにヒッピー幻想の終焉のようなルサンチマンが付与されてもきた、のかもしれない。でも実際はブローティガンはそんなに単純な作家ではない。
ブローティガンが進み出した物語を宙吊りにして手を離す仕草は、むしろカフカに近いといいたい。
そこに、動詞のBEATではなくて形容詞のBEATENなアメリカを読みこませてくれるのが、ブローティガンという作家であり、90年代に読み始めた僕のような読者にとっては、アメリカの60年代の熱さと裏腹の切なさとか、ヒッピーのライフスタイルというものはすでに関係なく、それよりも藤本和子の丁寧な訳文による不安定な情感そのものが、「笑いもせずに、笑いを綴る」ような文体そのものが、リアルに青春群像な気がしたのだし、何よりも音楽好きにとっては、何事も声高に語り出した途端に地へと溶解していくことをモットーにした(という形容すら仰々しい)「ロウファイ」の父がブローティガンだった。

あとがきで岸本佐和子が書いているのはたぶんそんなことだ(曲解)。

私は藤本和子のいなかったアメリカの読者を、気の毒に思う。

さて、再読なった中で、当時どうも最初のイメージとしっくりこない部分が色々あって、なんなのかなあと思っていた。
例えば『1/3 1/3 1/3』という短編(といっても収録されているのはほとんど星新一ショートショート並といっていいくらいの短編で、本作は長いくらい)で、若き日のブローティガンらしき語り手と、生活保護手当の小切手が頼りの中年の女と、貯木池の夜警が小説をタイプし編集して一山当てようという、誰が聞いても無茶な話が、絶妙のシュールな語り口で書かれている作品です。
上で「貯木池」と書きましたが、これが原因のひとつだった。
最初読んだとき、自分は「貯水池」だと思っていたのだ。
「貯木池」といったら、あんまり馴染みがないが、切り出した材木を下流に流して運搬しやすいように湖面に浮かべて保管しておくアレだったのだ。そういえば最近は見ないが、ちょっと前まではアメリカ映画で、追われた主人公が水に浮かんだ材木の上を飛び越えていったり…とそんな光景が映っていたように思う(勘違いかも)。
そういうことをまったく思いつかなかったので、10年前の僕は、狭い自分の語彙から「貯<水>池」を勝手に持ち込んで「貯<木>池」置き換えてしまい、結果的に『1/3 1/3 1/3』という短編の情景は、ただだった広い水面のみがトレーラーの後景として広がるのっぺらぼうなものになってしまっていたのだ。
しかし、今回読んでみたら、前後の文脈や、自称小説家の職業(材木置場の夜警)ということからも「貯木池」であることは明らかで、こういうことがあると、過去自分が読み過ぎてきた本のいったいどれほどの情景に自信が持てるだろうか、と頼りない気持ちになってしまった。
短編のこのうえなくロウファイな終わり方に負けないくらいにロウファイな読者なのでした。

以下、よくわからないのだがグッときてしまったフレーズ。

 わたしがこの一件に関りも持つようになった成行きはといえば――。ある日のこと、わたしはわたしの小屋の前に立って林檎を食べながら、いまにも降りだしそうな、黒いみそっ歯の痛みをこらえているみたいな空をじっと見上げていた。
 わたしにしてみれば、それは仕事のようなものだった。空を見つめ林檎を食べることに、それほど熱中していた。そのときのわたしはきっと、良い給料をもらっていて、もしその先もずっと長く空を見つづけたら年金までもらえるという条件で雇われている者のように見えただろう。
――リチャード・ブローティガン『芝生の復讐』p.28

リチャード・ブローティガン

リチャード・ブローティガン