みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

イヴァ・ビトヴァのDVD『SuperChameleon』

松岡正剛の『日本という方法』は出版された頃にこの拙ブログでも取り上げましたが、いつもことですが、その魅力への橋渡しにすらなっていたかどうか。そこへブログ書評の第一人者による素晴らしいレビューが出ているのを今になって発見。紹介しておきます(いえ、させて頂きます)。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51082324.html
思うにこの書評、「日本という方法」という本の最も重要なエッセンスを抽出している優れたものかと。本を読まずに済ませる、そのための本ではなく…ってところはもちろん、未曽有うの危機として「世界のフラット化と少子高齢化」を対置してくるあたりは読んでいてハラハラする。

日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)

日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)


さて、音楽の話です。

フレッド・フリスの1990年のドキュメンタリー『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』は何回観ても飽きない。ここには、自由な音楽、そして音楽の自由さ(音楽からすらもサボタージュできるくらいの)や音楽するひとびとの人間味のある風情が自分にとっては詰まっているように思えて、2003年にDVDがWinter&Winterから出てから毎年観ていて、未だ飽きない。
でも今日は『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』の話をしたいのではなくて、ここにもちょっと出演している、チェコのヴァイオリニストで歌手…というよりスポンタネアスな全身音楽パフォーマーであるイヴァ・ビトヴァ Iva BittovaのDVDのこと、です。ビトヴァは、サラ・ポッターの映画『耳に残るは君の歌声』では主人公の歌の吹き替えをやっていたのを最後に、あんまりアンテナにひっからなかったので、DVDが出ていたとは知らなくて、嬉しい衝撃だった。早速取り寄せて鑑賞。

Superchameleon [DVD] [Import]

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本作は、2006年のコンサートと、TVアチーブを収録している。
コンサートは彼女の魅力が凝縮しているようなもので、サポートしている「バング・オン・ザ・カン」の演奏も血が通っていて素晴らしい。冒頭のビトヴァのソロだけで、「音楽」に関して、起こって欲しいほぼ全てのことを観る/聴くことができてしまうように思える、この感覚はなんなんだろうかと思う。

ビトヴァの声は、子供の声と大人の声。そのどちらでもないような声。少なくともこの3つの境界を目まぐるしく行き来する(まさにStep Across The Border)。
自分にとって、こういう音楽を聴くことは「音楽」と「歌」が、おそらく不可分なことであり続けているという事を再確認することであり、その「歌」はビトヴァにあっては、上手いとかテクニカルな言葉以前に(もちろん超絶的に上手いわけですが)ひとが歌うという行為(プラス演奏までする)ことの最初の驚きに絶えず連れ戻してくれる自らを延命する衝撃なのだ。
ビトヴァが歌う前ではどんな小難しい言葉も無益だ、というとクリシェなので、すべて許容されて尚、言語化されないその余地を見渡すこともできないほどの心地よい無力感とでも積み重ねてみた方がまだ気が済む妥当な心持ちだ。

繰り返していうと、これらはあくまでこのライブ映像開始後約10分間の感想なのである。

音楽に何を求めるか、それが問題だ(もしくは誰が音楽の「所有者」なのか、など)とさえ言えば、いろんなパラダイムを跨ぎ超えつつ、等価に扱えるような勘違いが万延しているし、それはすでに意識化するのも困難な基底材といっていい。それに揺さぶりをかけつつ、「楽しい」音楽があるのだ、ということをみな知るべきだ。

全身が音楽の塊というひとは確かにいて、浅学の僕が知る数少ない人の一人が、やはりイヴァ・ビトヴァなのだ、と確認できる、それがとても無防備ではあるけれど、また同時にとてもうれしい。

あと、見方聴き方のキー・タームとしては、唐突だけれども「ブルースと全く関係のない音楽」というのも、切り口としては在りうる、思えた。そんな毅然とした演奏なのである。

僕らはもう十二分に黒人音楽の異議申し立てや豊かさに心を占められ過ぎてきたのであって、そのおかげで気づかずにいたものは、たとえば雅楽の笙の垂直的ないななきの中の「ソウル」であり(わざと使ってる)、バタ臭さの中のモンド、のように受容するのが賢いように勘違いされてきた中近東のポップソングの中の(その状況の)「ブルース」だったりもするのだろう。言葉が足りていないのは承知のうえだ。

なにひとつ、音楽からは切り離せない。それが当たり前のことなのだ。

コンサートも30分を過ぎたあたりで、気がつけばステージにには「バング・オン・ザ・カン」のオーケストラがサポートしている。そのかなり特殊な意味で有機的でファンキーとさえ形容できそうな演奏が立ちあがってくる様も、快感だといえます。

本作は「スーパーカメレオン」というタイトルだけれど、ころころ変わるパフォーマンスの様態が自分にとっては大事なんではない、それよりビトヴァの「うた」の芯がゆるぎないことを自体を、全編にわたって確認/堪能できることこそが重要。

聴く者にとっての物象的な代価である「歌える≒歌である」ことは、もちろんその多様性によって賄いつつ、もうひとつ踏み込んでいうことが許されるなら、ビトヴァの歌は、「歌い得ないこと」すら想像させて余りある。彼女において、「リトルネロ」は、その貧乏性からついに解放されているのだ、とも言ってみたい気になる。言言っちゃった。

イヴァ・ビットヴァー:声楽のための四重奏

イヴァ・ビットヴァー:声楽のための四重奏

  • アーティスト: イヴァー・ビットヴァー(Vo、Vn)/シュカンパSQ/マルティン・オプルシャル(Perc),Anonymous,Iva Bittova,Leos Janacek,Jan Amos Komensky,Milos (Jr.) Stedron Milos (Sr.) / Stedron,Anna Szirmay-Keczer,Moravian Traditional
  • 出版社/メーカー: SUPRAPHON
  • 発売日: 2002/02/06
  • メディア: CD
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本作は、たとえばPavel Fajtとの『Svatba』やVladimir Vaclekとの名作『White Inferno』(「ニルヴァーナのようなソウルを持ったワールド・ミュージック」というタワレコの惹句はどうかとは思ったが)のような伸びやかなビトヴァとは違って、室内楽との共演から始まるものだが、ビトヴァ自身のルーツとの向き合い方が重要な作品。

Step Across the Border [DVD] [Import]

Step Across the Border [DVD] [Import]