ミドリの匂いと阿木譲『イコノスタシス』、テレビジョンのブートライブ盤『爆発した切符』の蒼い炎とビタミンD
今日は瀧道の川が、雨水を集めて、どうどうと飛沫をあげて疾かった。その反面、気持ちのいい陽射しのなかで若葉の緑が匂いたっていた。若葉が陽光を孕んでいる様子ほど、幸福感を感じるものは、今のところ、ない。その映像に音楽が要るか、と問われるなら、いえ、十全な音楽もまた孕まれているように感じます、となぜか一人ひとりごちていた。
昨夜は東京でテレビの制作をしている兄が久々に帰ってきて、いろんな話をきいた。苦労話をきいていると、いつもなにげに観ているテレビ報道の映像も気が抜けないような気がしてくる。その兄を瀧道からとんぼ返りで帰って空港まで車で送った。
いつもと違って高密度な日曜の午前だったので、その勢いで難波まで出かけてフラフラした。が、くいだおれ人形目当てなのか道頓堀の人混みは只事ではなく、すぐに嫌気がさして、心斎橋のほうに足が向いていた。
アメリカ村をひさしぶりに歩き抜けると、数年前までタワーレコードだったビルが「まんだらけ」になっていた。驚愕する。なにか嫌なものをみたような気がした(他意はありません)。あいかわらずのKINGKONGで、阿木譲の『イコノスタシス』を発見(残念ながら外函はなかった)。
ロックは「神の死滅」から始まった禁忌の玩具が散乱した精神の写像という子供部屋だ。
と裏表紙に刷られている。「神の死滅」とか「禁忌の玩具」「精神の写像」というのは正直よくわからないが(・・・ほとんどじゃん)「子供部屋」というのは、最上級の意味を込めて、そんな気がする。ちなみに、そして実は、リスクを払う覚悟のある大人だからこそ遊べる子供部屋なのである(フフフ)。
自分は、世代的に、阿木譲という人のことはリアルタイムではなかったので、直撃したわけではない。それでも、自分がロックなり洋楽なりを自分の差異化のツールとして(あんまり実効性はなかったが、今になってそれこそ20年殺しで効いてきている)認識し始めたときに、「フールズメイト」はまだヴィジュアル系ではなくて、ポストモダン崩れなわけのわかんない言説を誌面に掲載していたし、阿木譲というひとの出していた「ロックマガジン」の後の「NEU」という雑誌は、どきどきしながら箕面の駅前の本屋で手に入れて読んだ。たしかその号は「サイケデリック・バロキズム」と「インダストリアル・ゴシック」(だったかと、朧げに。)という二つのお題を掲げていて、ニューウェーブを継承しながらも破綻した末裔でもあった趨勢、ジーザス&メリーチェインとかの「ネオサイケデリック」と、サイキックTVとかSPKとかの流れを汲んだ「ノイズ・インダストリアル」を、美術史の潮流をかけあわせて併置していて、なんにもわからなかったけど「おおー!とにかくなんだかすごいことになっているのだな」と思ったものだ。世に散乱する音楽を自分の言葉で整理してみる、与えられて悦ぶだけでなく、自分の文脈をつくりあげてみる、なんていうイケない楽しみを教えてもらった、のかもしれない。
しかし、そんな誌面で一番心にひっかかったのは、当時「サイケ」とも「ノイズ」ともつかない音楽だった「ソニック・ユース」や「スワンズ」、ジョン・スペンサーの「プッシー・ガロア」などのNYの地下音楽の末裔たちの紹介記事だった。いまではよく覚えていないが、「鉄さびの味がするサイケデリックなきりもみ状態がある」というフレーズ(キリモミという単語だけはよく簿覚えているので確か)が「プッシー・ガロア」の「Right Now!」なんかよりも前のアルバムへのコメントとして書いてあった。思えば、この「きりもみ状態」という言葉が照らす音楽の様相を知りたくて、その後ソニック・ユース周辺の音楽を漁っていくことになったのだった。と、中味はまだ全然、もったいなく読んでいないので、この辺にしときますが。
この『イコノスタシス』は、1984年に出版。発行元は大阪府西区北堀江になっている。阿木譲氏は大阪で今も音楽シーンに独自な領域を保っている人らしいが(そのNU JAZZ系クラブにはまだいったことがありません)、当時も全国的な流通ではなかったんだろうか。
これだけでも今日フラフラした甲斐があったのだけども、こんどはTIMEBOMBで、テレビジョン(・・・トム・ヴァーレインのね)の『爆発した切符(Ticket That Exploded....当然ウィリアム・バロウズの書名ですね、いいなあ)』という1978年(!)アメリカオレゴン・ポートランドの「The Earth Tavern」でのライブブートCDを見つける。このブート、帯を見ると、テレビジョンのブートとしては最高傑作ともいわれていたブツらしいが、一方に偏っていたチャンネルをリミックスして入念に調整を施したものらしい。知らなかった。時期的には個人的には『マーキー・ムーン』よりも好みな『アドベンチャー』発表時のもので、「Dream's Dream」や「Glory」といった極私的にフェイバリットな曲はもちろん、「Little Johnny Jewel」「Marquee Moon」といった代表曲ももちろん演ってます。構成的には後半の一発目「Ain't That Nothin'」の演奏がそれまでの極上の夢見心地を覚醒させるような蝶番になっていて、最後の「Marquee Moon」の演奏になると、もうこれはアルバム以上のサイケデリア(粗々しいのに、最高にエロティック)ではないかと。しかも、ボーナスCDとして1978年の「Bottom Line」でのライブが付いている。これって、テレビジョンの解散直前のものの筈である(「月夜の晩に解散したかった」こんな台詞が通るバンドはテレビジョンだけだった・・・その後再結成しましが。しかしリチャード・ロイドはいくらなんでも太り過ぎだと、僕は思う)。
テレビジョンの演奏は、どんなロック・バンドとも違うと思う。
同じNYの先達といえるヴェルヴェッツとも音楽的に同じ俎上に置くことはできない。文学的といえばヴァ―レインの詩も佇まいも文学的だが、端的にいえば、ギターである。彼らは、ジャキジャキとうるさいままに官能的に絡み合うという逆説の境地を、その発明を成し遂げたわけなのだけれど、意外にそれは真似られることがなかった。U2のエッジのギターを聴いたときにちょっとだけ名残を感じることもあったけれど、やはり正統としてはサーストン・ムーアとリー・ラナルドのNYの夜を切り裂くような掛け合いが、その跡を引き継いだ、としかいえない。ということはギターバトルよりもNY的なクールな夜の質感が、より重要だったのかもしれない。彼らは基本的にライブバンドで、たった2枚のアルバムの出来にも、当時は不満が多かったらしい。太古の歴史を紐解くような手つきで後聴きする身としては、この凄い演奏のどこが不満なのかと思ってきたのだし、いくつかライブブートも聴いてもその思いは変わらなかったのでもあるけれど、今日このブートを聴くと、それを改めざる得ない。
生々しく、もちろん野放図な音なのである、NYパンクなんだから。なのにその狂騒的なインタープレイの音色は金属的かつエロティック。NYの夜にゆらめくその炎は蒼ざめていたのである。
晩飯を食べつつ、NHKの特番『病の起源 第2集 骨と皮膚の病〜それは“出アフリカ”に始まった〜』を観た。
アフリカでうまれた人類は、太陽光から身を守るためにメラニン色素で肌を武装したが、その後一方はヨーロッパへ、一方はアラブ・インドを通過してオーストラリアまで進む過程で、暮らす地域の赤道から距離に応じて肌のメラニン色素の濃淡に差が出るようになる(後者のほぼ赤道に沿った道は比較的オーストラリアまで早く到達しているが、前者の道は、肌の色を白くする必要があったので難航した、らしい)。何故か?それは、いかにしてビタミンDを体内に取り入れるか、ということなのだそうだ。たとえば、イギリスに移住したインド人夫妻の赤ん坊は、色素が足りず、ビタミンD不足のためになかなか歯が生えない。オーストラリアに移住した白人は強烈すぎる太陽のために皮膚がんになる。意外なのは、極北に暮らしながら肌の色を白くしないままこれたイヌイットの人々で、彼らの伝統食であったアザラシや魚には多くのビタミンDが含まれているため、それで補ってこれたということなのである。その彼らの食生活も、大手スーパーの提供するアメリカ型の食への以降につれて、様々な症状が出始めているのだそう。
これはもう「ビタミンD人類史」だな、と思った。
エントリー右肩の若葉の画像にまったく似合わない内容になりましたが、この辺で。
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