みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

やっとICレコーダーR-09を購入。

nomrakenta2008-04-29



えーと。・・・本ブログの企画としてはながらく停滞しております、ジョン・ケージの『樹の子供Child of Tree/枝Branches』を極私的にやってみる(この「やってみる」というのも実に頼りなく、パフォーマンス重点でもないし、ちゃんとした録音物が作れるかどうかもわからないので、とにかく文字通り「やってみる」です)の準備のために、以前から目をつけていたのに迷っていたローランドのWAVE/MP3レコーダー『R−09』を購入。ICレコーダーにもいろいろあって、雑誌で比較したりもしたのだけれど、やっぱり最初に知ったこれにしておくのが縁起がいいのでは、と決定。
夕食の後に外に出て、虫の音や居酒屋からきこえてくる声とか、給水路の音とかを録音してみて、感度の良さに仰天。本体の軽さも良いけれど、録音したものをすぐに聴ける操作性の良さも気に入ってしまいました。音質的なことをいえば、もちろん限界はあるのだろうけれど、こちらも素人なのだし、そこに気をもっていくと泥沼になる筈なので、とりあえずコレでやってみようと。
桜の木の葉ずれの音なんかもワサワサ録ってみたら、けっこうおもしろい気配だった。でも一番の収穫は、帰宅直前に録れた「ちゃるめら」のメロディーを流しながら、目(/みみ)の前を通過して視界(/聴界)から消えていった移動ラーメン屋台の2分ほどのトラック。これはいいです(笑)。それは置いておいて、仕事でも、議事録作成にかなり使えそう。
『Child of Tree/Branches』では、必須の音素材として、サボテンの棘を爪楊枝で弾く、というのがあるのだけれど、念のためその音も録ってみるが、あんまり芳しい音ではない。棘の長いサボテンとか、爪楊枝の細さとか、ちょっと試行錯誤すべきかもしれない。

数年くらい前からちょくちょく古本を購入させていただいている京都の『書肆 砂の書』さんからのお勧めで購入した本:松平頼暁・著『現代音楽のパサージュ(20.5世紀の音楽増補版)』青土社、1995年asin:4791753585がすごい情報量で驚く。著者は著名な現代音楽の作曲家でもあるようなのだけれど、不勉強なので自分は知りませんでした。現代音楽に関してこれほどしっかりした本が出版されることはここ数年ではほとんどない。1995年という年も結構ぎりぎりだった筈だ(ケージは92年に没している)。それだけにアイブスから20・5世紀(すでにそれも大過去ではありますが)まで定まった視点で書かれた本書は貴重かと
パラパラめくっていると、ジョン・ケージの『Child of Tree/Branches』についての記述もちょっとだけ。「即興」に関する中盤の章です。

実験主義者ケージは、ブーレーズとは違った立場から即興に対して疑問を表明していた。完全な即興はしばしば、奏者の好みや過去の音楽的記憶―それは多くの場合、極めて伝統的である―の再現に陥りやすく、従って真の自由が保障されない、というのがその理由である。しかし、最近、彼は即興に対して折り合ってゆけるようになったという。《樹の子供Child of Tree(1975)》、《枝Branches(1976》、《インレッツInlets(1977)》は即興による作品である。
――松平頼暁『現代音楽のパサージュ(20.5世紀の音楽増補版)』p.147 より

この記述の前半の「即興に対して疑問を表明」というのは、ダニエル・シャルルとの対談集『小鳥たちのために』asin:4791750829にもそういうくだりがあって、割と有名な部分ではないかと思います。それから《インレッツ》という作品は、ほら貝の中に満たした水のコポコポいう音を演奏する作品で、これも定められたスコアはない、というか定めようがないもの。

たしかに『Child of Tree/Branches』は、素材と時間枠の決定をチャンス・オペレーションにゆだねてタイムテーブルを細かく決定させて、その枠の中で即興演奏を集積させていく。しかしそこでの「即興演奏」というのは、いわゆるフリージャズやヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションの「語彙の解体」としての表現とは根本的に異なっているのだと思う。「演奏」にあたっては、どの素材を使用するのかというところから、開始何分何秒から演奏を始め何分の幅で行うのか、また次の演奏までは何分空けるのか、まで易経にもとづいた決定を行うから、実行する者からはあらかじめ「表現」の機会が奪われていると思ってもいいかもしれない。「でたらめ=表現」というユートピアからは入念に疎外されているのだ(フリーインプロヴィゼーションがそうだということでは、もちろんまったくありません)。
そして『Child of Tree/Branches』では、楽器としては植物素材しか認めないというところから、どうしても我々はエコロジカルで地球にやさしいメッセージ性(もしくはその暗喩)を汲み取ってしまいがちではないかと思います。自分も確かにそんなイメージを持っていた。しかし、楽譜なんかを取り寄せたり、色々手に入る文章を読んだり、実際の演奏の映像や、演奏を録音したCDなんかを聴いていると、ケージが本当はどんな音の場所をつくりたかったのか、ますますわからなくなってきた。
今のところ、なんとなく小さな音を拡大していく快感にその鍵がありそうな気がしてはいるんですけど。R-09の手軽さが吉とでるかどうかは、まだまだわからない。
あと、当然、植物性素材の「楽器」を増やしていかなければ。

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