植物のきもちの音楽:HISATO HIGUCHI『Butterfly Horse Street』
桜がさいた。
昨日の夜、帰りの夜道で気付いて、明日(今日ですね)は絶対デジカメで撮るべし、とリュックに仕込んで出かけました。
いうまでもなくわれわれの一年とは、桜の花と桜の花のあいだの時間のことです。
綻んだように咲いている今時分が単純に一番、好きです。
満開になってくると、心も合わせて浮き立ってきますが、同時にこの季節だけ観に来る人たちや車が押し寄せてくるので、プライベート感が減衰するのですよね。
われながら心が狭いなあとは思いますが。
ぐずぐずと優柔不断な寒い季節の終わりを、はっきりと認識させてくれるのは、やはり植物で、瀧道沿いの羊歯の葉の緑なんかが、まだ本調子でないにせよ、かなり元気になってきたように感じます。そういうのを感知して幸福感に似たものを感じるように、人間はできているのだとも思います。
2月中旬に購入して、ずっと聴き続けていて、エントリーを書こう書こうと思ってはいたのですが、なかなか自分の中のタイミングが合わなかった作品が↓これです。
- アーティスト: Hisato Higuchi
- 出版社/メーカー: Family Vineyard
- 発売日: 2007/11/06
- メディア: CD
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
http://www.family-vineyard.com/artists/hisatohiguchi.php
こちらによると4作目みたいですね。
ローレン・マツァケーン・コナーズ Loren MazzaCane Connorsの作品や、実験音楽、最近ならDavid Garlandの「Noise In You
」(未聴ですが)など興味深い作品をコンスタントに出している良レーベルFamily Vinyardからのリリース。昨年11月にリリースされたみたいですが、録音は2006年。
ジャケットの陽射しの中でまどろむような植物の写真そのままのEギターでの即興演奏です。
Eギターでの淡々としながら情感を滲ませた即興、ということなら無論、ローレン・マツァケーン・コナーズの独壇場で、僕もほかの類似した演奏を耳にしてもどうしてもコナーズを知った頃の衝撃(もしくは浸透圧)を超えるものはなかったんですが、本作を聴いて、正直、認識が上書き保存されました。
特に、レーベルメイトのコナーズと比べて変わったことをやっておられる様子ではなく、強いていえば、発声というより、空気が柔らかく抜けていくような意味を抜き去った「うた」と、2曲目で聴けるようなソニックユース以降のノイズロックを自然に受容してきた世代(のように思える。裏づけナシ)フィードバックを使用した演奏くらいが、浮き立って聴こえるところはありますが、そのノイジーにアンプがハウリングするところにしても、不思議と全体の、植物的な感性をまったく損なっていません。
爪弾く弦とアンプの響きと鳴りに、誘われて、時間が流れていく、次第にそれは、植物の呼吸と同調していく。
このような音楽、このような演奏、このような時間を、なんの衒いもなく出してくる、しかもすでに日本だけに聴衆を求めてもいないアーティストが普通にいることって、10年前は考えられなかったように思う。
自分としては(しつこいですが)ソニック・ユース以降(あらゆる音楽の紹介者だったサーストン以降、といってもいい)の音楽シーンの豊穣の果実のように思えたりするのです。
一般的な生活感情とあまり関わりのない植物的な感性の境地、というものを、僕らは戦闘的に保持するべきだと(笑)思っています。
操り人形劇のpuppeteerとしてアーティストのキャリアをスタートした、っていうエピソードも興味深いですし(音楽性に何か相互作用が?)、演奏している写真をみると、いい感じです。
この人も生演奏を聴いてみたいなあ。