みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

積ん読を擁護します。

最近人に教えてもらった著者の新書はなぜか買わずにこちらを。

ちょっと生活に効率の悪さが目立ってきましたので・・・。
「またまた受けの良さげな副題つけちゃって」と思っていた『自分をグーグル化する方法』というのは、もちろん文字通りの意味ではないんですが、込めたいニュアンスがたしかにそうかもと思わせてくれる快著。何から何まで参考にすることはできないし、する気にも実のところならないが、自分というハードでもありOSでもありソフトウェアでもあるものの位置の取り方というか文脈力を構成的に維持し揺るぎなくありつつ知的生産力をどう高めるか(広角・高精度のフレーミング)ということが著者の経験に即して書かれていて、その読み進め易さがまさに本文中に紹介される著者のマインドマップ術の冴えの実演になっているのかと(えらそうに書いてますが、もちろん僕の場合は狭隘・72dpiのフレーミングです)。
特に(我田引水的に)いいなあと思ったのは、「読書投資法」という章。特に、

すぐに読まない本でも、とりあえず買っておく。買わない本は読まない。

本を買うのは、その本の痕跡をまず最初に自分につけること(CDもね)。僕は立ち読みで何かしら満足な読書感を得られたことがない不幸な人間です。必要な情報をちょこっとつまんでくるというか、確認のためだけなら立ち読みで十分なんですが、著者がいうように「情報に対価を払って」いないので、自分自身の養分にするという作業が起動できていないんだと思います。
しかし、以前から知っている著者や継続的な興味分野の最新刊などは別として、タイトルや目次の並び、文章の字面感、装丁など要するにその本が本としての全体で「醸す」空気が、ちょっと今日の自分に引っかかるから即購入ばかりしていたら、結局読書速度が追いつかなくて、やっぱり世間で呆れられる意味での「積ん読」なのでは?という疑義も当然でてきますが、

私がこれまで「ああ、いい本だったな」と思うのは、往々にして積ん読しておいた本です。ちょっととっつきにくそうだったり、あまりいまの自分に関係なさそうな本は買ってもすぐに読まないことが多いのですが、時間ができてパラパラとめくってみると、意外なくらい面白く、夢中になって一気に読んでしまうというケースが多々あります。
p.156

買ってからなかなか読まない本でも、手元で「まだ読めないな〜」とうっすらと意識している間、というのも実はトータル的にいえば、その本と付き合っている=その本を読んでいるうちなんではないのかな、というのは著者ではなく、僕の妄想ですが。
断っておくと、著者は膨大に積ん読状態で溜め込むことを奨励しているのでは全くなく、反対に読み終わった端から捨てろ、ブックオフに売れ、とまで言っています。そうやってどうしても手元におきたいものだけ置いておいて、あとはその本を読んだときの経験を想起できるようにしろ、その本と「対話」した感触を蓄積してゆけ、と言っています。そういう読書習慣を持つことで、精読に溺れるのではなくて、自分と本との間合いをとりつつ、本の内容をスピーディーかつ高密度に消化するスタイルを持てる、といっているような気がします。
「わからないことは、わからなくてもいいこと」というのは明らかに暴言ですが、ひょっとしたら角度が違うのかもしれない。その本を読む前に実はミッシングピースが自分の中にあるのかもしれない(自分の中、という言葉は正しくありませんが)。「量が質に転化する」というのは確かに誰でも諦めなければたどり着ける真理のひとつです。

エントリー書きながら聴いているヤフオクで落として今日届いたCD。

Hallelujah

Hallelujah

ノンバンドの期間限定ブログ(というか、限定しないで継続していただきたいですが)で何度か共演している(?)様子のバンドの幻の初期録音集とのこと。何故かなつかしい感じのする無国籍なフォークロックサウンドで、アコーディオンの音がいいなあ。ジャケットの絵は「さかな」の西脇一弘氏だった。
それにしても、ギターの小熊英二さんって、やっぱしあの『単一民族神話の起源――<日本人>の自画像の系譜』の小熊英二氏なのか。